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愛をつたえる  作者: 川角檀弓
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斉木千歳≪罪と罰≫




こんな人生になるはずではなかった。斉木(さいき)千歳(ちとせ)は自分の人生を嘆いていた。


「どこで間違えたんだろう」


ぼんやりと鉄格子越しの空を見上げながら、千歳はただ呟いた。

あんな男と結婚するんじゃなかった。そもそもそこが間違っていたのではないのよ、絶対に。

いくら考えを巡らせても、行き着く先はいつもそこだもの。

私いつだって幸せなんかじゃなかった。子供を生んでも、子育ては丸投げされて全然協力してくれなかったし、愛人は作るし。

お金だけはあったけど、それでも全然幸せなんかじゃなかった。だから別れようと思った矢先にあの男、交通事故に遭って半身不随って。

笑えないジョークみたいな現実って起こるものなのね。

事故の一報を聞いた時、思わず笑っちゃったわ、私。

それで死んでくれてたら万々歳だったのに、よりにもよって半身不随。生きる屍みたいになったあの男を愛人は簡単に捨ててしまったから、面倒を私が見なくちゃならなくなってしまった。

冗談じゃないわ、愛してもないのにどうして面倒をみなきゃならないのよ。

お金はあるんだから施設に預ければ良かったのに、義母が「世間体が悪いしお前が居るのだから無駄に金をかける必要なんてない」なんて言うから強制的に在宅介護させられることになってしまった。

不満ばかりが募っていった。

何も出来ないの、あいつ。食事の世話も下の世話も、寝返りもうてないからこっちがしてやらなきゃならなくて、私の生活は一変したわ。朝も昼も夜もなくなった。

最初の方は何とかやったけど、でも感情のない相手にいつまでも尽くせやしなかった。

動けない相手に日々憎しみだけが募って、募って。

最後の辺はね、毎日死んでくれって思ってた。だけど中々死なないから。

まあ面倒みてたから当たり前なんだけどね。

それがついに爆発してしまった。

あの日、私はあの男を車椅子に乗せて外出した。初めから殺すつもりだったわ、冗談なんかじゃなくね。だってもう耐えられなかったもの。

この生活が終わるのなら、もう何だって良かった。子供のことも考える余裕なんてなかったわ。

それくらい、全てがどうでもよくなっていたの。

そしてあの日、あの男と結婚する前に何度か行った山の展望台に行ったわ。

車椅子ごと突き落としてやった。でも何の感情もわかなかった。

ただ、開放されて嬉しい。それだけ。

あの男に、私の人生はめちゃくちゃにされてしまったの。だから取り戻そうとしただけ。

先生、それでも私が悪いの?




 斉木千歳の独白のような心情吐露を聞いた弁護士の和久利は、内心覚えた吐き気を表に出さないように強く、奥歯を噛み締めていた。

 夫を殺した妻は、後悔など微塵も覚えておらず、むしろ何故罰せられなければならないのかと怪訝な顔をしている。

 面会室のガラス越しの彼女の言葉は、和久利には到底理解出来るものではなかった。


「・・・また来ます」


 それ以上そこに居たくなくて、和久利は千歳とは目も合わさず退室した。

 長い廊下を通り抜け、建物の外に出ると和久利は振り返った。無機質なコンクリートの建物の中に彼女は居る。これからもきっと、長い間出る事は出来ないだろう。

 何せ、自供も証拠も目撃証言も動機も全てが揃っているのだ。彼女は自身の夫を殺意を持って殺した。そして反省の色は見せてはいない。

 裁判をして、収監されて、刑期を終えても今のままの彼女では罪は償えないだろう。悪いとも思っていないのだから。しかしそれでは何の意味もない。

 罪を悔いて、その上で罪を償わなければ裁判など茶番でしかなかった。


「そんな高尚な説得が、俺に出来るのか?」


 いささか弁護士として情けない言葉だとは思うが、しかしここまで強固に自身の罪を認めない被告人を担当したのは初めてで、和久利はつい弱音を吐いてしまった。

 ふと、辺りをキョロキョロ見回して誰もいないことを確認する。付近には誰も居らず、今の言葉を聞いた人間はどうやらいなさそうで、安堵から小さくため息をついた。

 この気弱をどうにかしろと、いつも上司に言われているが生まれ持ったものなのだ。

中々変えていくのは難しかった。

「とりあえず・・・行くか・・・・・・」

 トボトボと和久利は歩き出した。



 斉木千歳の裁判はどんどん進行していった。通常、裁判には膨大な時間がかかるものだが、今回の場合は少々違った。被告人が全てを認めている上、検察からの質問にほぼ全て「その通りだ」と返してしまうので、トントン拍子に進行してしまっていたのだ。

 和久利はどんどんと追い詰められて行った。弁護しなければならない立場である自分が、何の弁護も出来ず、彼女を僅かすら救うことも出来ずにいる。

 和久利は無力感と焦りに苛まれていた。


 そんなある日、一本の電話がかかってきた。それは旧友である医師の榊からだった。

久々の再会の誘いを受けた和久利は二つ返事でその誘いに乗った。たまりに溜まったものを吐き出したくてしようがなかったのだ。



「どうやら大変らしいな。」


 生ビールで乾杯をして一口煽った後、友人の榊が言った。音を立ててジョッキをテーブルに置くと和久利は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 大衆的な居酒屋の店内は自分達と同じような年代の人間で半分以上の席が埋まっていて、ザワザワとした空気が酷く心地良かった。それなのに現実を思い出させるような言葉を吐かれ、和久利は眉根を寄せる。


「その話はやめてくれ。」

「どうしてだ、時事ネタじゃないか。」

 どこか面白おかしく言う榊に対し「話せる内容じゃない」と牽制をかけ、運ばれてきた枝豆を口に放り込む。

「茶化す為に呼び出したのか?」

じろりと睨みつけると榊はニヒルな笑みを浮かべた。

これが医者をやっていると言うのだから世も末だ。

「いや、お前のことだ。そろそろ煮詰まってる頃じゃないかと思ってな。」

 楽しそうな声音を変えず、榊は続けざまに今自分が気になっているらしいことをどんどん和久利に尋ねてきた。その質問の全ては斉木千歳の裁判についてのことだった。

 興味を受けるような大きな裁判ではない。ありふれた、良くある小さな今回の裁判の、どこにそんな興味を抱いたのか。

 しかし公判中の内容など漏らせるはずもない。和久利はのらりくらりとかわしながら、ただ、どうすれば彼女を変えられるかと、それだけを口にし続けた。

 すると榊は言った。


「斉木千歳は反省をしていないのか。」


それまでとは打って変わった、冷たさを含んだ榊の声に、和久利の胸中はヒヤリとなる。

こんな話し方をする時の榊が決まって怒っているからだと、経験上知っていたからだ。

「・・・・・・何だよ、急に。」

「お前の口ぶりだと、そうじゃないかと思ったんだが。」

「・・・・・あぁ・・」

「夫を殺して、家庭を滅茶苦茶にしておきながら何の罪も自分には無いと、そう言ってるのか?」

「榊?」

 昔からそうなのだが、榊には冷徹な一面があった。『地雷を踏んだ』と和久利はその豹変ぶりをそう呼んでいるのだが、今正しくその状態のようだ。

「斉木千歳を精神鑑定にかけろ。」

「は?」

「いい医者を紹介してやるよ。」

「いや、しかし・・・もうそんな段階じゃなくて」

「どうとでも理由はつけられるだろう。いいからそうしろ。そうすれば・・」

 そこで言葉を切った榊は浮かべていた笑みすら消し、表情のない顔を和久利に向けた。

「お前の希望通り、その女は変わるさ。」

 迫力に飲み込まれた和久利は生唾を飲み込むと、頷いた。頷くことしか出来なかった。

 そうしなければ自分にこの感情を向けられるのではないかと恐怖してしまったのだ。

そんな頷いて見せた和久利に満足をしたのか、それきり榊は斉木千歳の話をすることはなくなり、再び雰囲気は元に戻った。

その様子に和久利も緊張が解けたのか、その後は楽しい一時となり、互いの酒は進み楽しい飲みとなった。

 どれくらい杯を重ねたのか、気がつくと時間は日を跨ごうとしていて、明日に差支えが出るからとそこでお開きにすることにした。

 店を出て、それぞれの方向へ進もうとしていると、和久利の背に声がかけられる。


「許可が出たら連絡しろ。いつでも準備をしておく。」


 その言葉の意味が初めは分からなかった和久利だったが、すぐに意味を察すると引きつった笑みで頷き返した。

 榊は本気で言っていたのだ。


『斉木千歳を精神鑑定にかけろ』と。


 彼女は誰がどう見たって正常な精神をしている。恐らく榊もそれは分かっているはず、分かっていてあえて彼女を精神鑑定にかけるような真似をしようとしているのか。

 榊の意図が読めず和久利は困惑したが、それでも約束をした。

 それほどまでにこの時の榊に畏怖を覚えたのだ。

「じゃあな。」

 そう言って立ち去っていく榊に後姿を、見えなくなるまで見送ると、和久利はホッと胸を撫で下ろした。その額には薄っすらと汗が滲んでいた。

 



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