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愛をつたえる  作者: 川角檀弓
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解放と閉塞




その日。僕は有美と二人で病院へやってきた。

昨日、僕が「斉木和真を目覚めさせる」と告げると、すんなりと有美はそれを聞き入れた。

きっと僕と同じで思う所があったのだと思う。

こんなにずっと近くに居たのに、僕たちはまるで別々の方向を見ていた。

行き詰るのは当然だったのだと、客観的になって初めて気づいた。

由佳と落ち合うと僕たちは真っ直ぐに斉木和真の病室へと向かった。

病室に入ると僕は斉木和真が寝ているベッドの横に立つ。

不思議と込み上げる怒りはなくなっていて、穏やかな気持ちでいられた。

有美が斉木和真の額に手を当て、しばらくそのままでいる。


数分だっただろうか、手を放し「終わったぞ」と告げるとさっさと病室から出て行ってしまった。

本当にこれだけをする為だけにここへ来たのか。

僕は呆気に取られながら苦笑した。


「・・・穂紬さん、本当に?」

由佳もそう思ったのだろう、おずおずと僕に確認をしてくる。

「有美がああ言うのなら、もう終わってるはずだよ。あとは、目を覚ますのを待つだけなんだけど・・・それがいつになるかは、僕たちにも分からない」

有美がこの男にどんな悪夢を見せ続けたのかは知らない。


しかし。

僕はこの時一つの仮説を頭の中に立てていた。

もしかすると。


眉を潜めていると、ふと肘の辺りに手の触れる感触を覚え、見ると由佳がそこを頼りなげに掴んでいた。

「だけど、いつか目を覚ますんでしょう?」

「ああ、いつかはね」

変わらず、静かに眠り続ける斉木和真に僕は哀れみの眼差しを向けた。

僕もこの男と同じだ。

一人の一生を滅茶苦茶にしてしまった。


それは決して許されはしないだろう。


「それじゃあ私、今度はお母さんの所へ行ってくる」

「ああ、いっておいで」

「いってきます」

嬉しそうに頷いて、由佳は弾むようにパタパタと足音を立てて今度は千歳の病室へと行ってしまった。

僕はもう一度だけ斉木和真を見下ろす。

こんなにも自分の中に何の感情もないなんて不思議としか言いようがない。

長い間苦しみ続けてきたこの現実が終わって、違う現実が始まっていくのだから、心が晴れるだろうと考えていた。


でもそれすらもない。何も感じないのだ。


斉木和真への怒り、それは僕の中の由妃奈への思いと直結していた。

その怒りを解くことはつまり彼女への気持ちも終わらせてしまうと言うことにとても近いのかもしれない。


「・・・由妃奈」


僕は本当に終わらせたかったのだろうか。

矛盾する心があった。

不意に妙な怒りのような感情が込み上げてきて、僕は服の上から自分の胸を掻き毟った。

それでも収まらず、斉木和真の横たわっているベッドを拳で殴りつける。


「・・・・・・はは」


僕は生きていて、由妃奈・・君は死んでいる。

埋まることの無いこの溝を僕はどうやって乗り越えて行けばいいんだろう。

好きな気持ちがなくなったなんてことはないし、君を忘れる日が来るなんて有り得ない。

いつだって僕の中に君の姿はある。

だけど、前に進むと決めたのに、今どうしたらいいのか分からないんだ。

「・・・・っ」

叫びだしたい衝動を押さえつけ、僕は斉木の横たわるベッドに額を押し当てた。

終わらせたくない。


君を置き去りにして行きたくはない。だけど。


矛盾した感情が溢れ出て止まらず、僕は何度もベッドを殴りつけた。

ピンと張られた真っ白いシーツがたわんでぐしゃぐしゃになっていく。

最後に一度、強く殴りつけると僕は糸の切れた人形のように動きを止めた。

やがてのろのろと顔を上げると目からは滂沱の涙が溢れ出る。

冷たい床に座り込み窓越しに空を見上げながら、僕はしばらくの間泣き続けた。

そして唇を震わせた。


「由妃奈、ごめん」


すっくと立ち上がるとそのまま斉木を一瞥もせず、背を向け歩き出した。

袖で顔を拭い泣いた痕跡を消すと、病室を出る前に一度だけその場に立ち止まって大きく深呼吸を繰り返す。


目を閉じた。

脳裏には笑顔の由妃奈の姿がある。

そしてもう一人、笑顔の少女が居た。

それらを振り払うように僕は頭を振って、そのまま斉木の病室を後にすると、約束していた通り榊の元へと向かった。

 

いつもの部屋へ行くとすでに榊は来ていたが、見たことのある看護師と一緒に居た。田島香織だった。

二人は同時に僕に気がついたようで、香織はペコリと僕に頭を下げてくる。


「じゃあ先生、再入院してきた南場さんは精神科の専門病院へ転院してもらうということでいいですか?」

「ああ」

「・・・でも、あんなに元気だったのに人って変わるんですね」

「何があったんだろうな」

書面にサインでもしているのか、さらさらと紙にペン先を滑らせるとそれを香織に手渡した。

それで用件が済んだのか香織がこちらへやってくる。

「青柳さん、ご無沙汰してます。その節は本当にお世話になりました」

「いいえ、仕事ですから気になさらないで下さい。」

 香織は僕と榊を交互に見た。

「お知り合いなんですか?」

「・・・・ええ。昔なじみなんです」

「ええー?知らなかった!」

 心底びっくりしたようで、香織は大きな声を出したが、すぐに榊に睨みつけられて口を手で覆いながらそそくさと部屋を出て行ってしまった。

「・・・・終わったのか?」

 沈黙を先に破ったのは榊だった。

「ああ。拍子抜けするくらい呆気なく済んだよ」

「そうか」

 榊は窓際に近づくと大きく窓を開け放った。

「寒いよ」

「こうしなきゃ匂いが篭るだろ」

そう言ったかと思うとタバコを取り出し火をつける。

大きく息を吸うと、そのまま煙を吐き出した。

「院内は禁煙だろ?」

「細かいこと言うなよ」

ククッと低く笑うと榊は笑った。

煙を燻らせる榊は、眼下に広がる中庭を見下ろしながらもう一度タバコに口をつける。

「ここからあの噴水が見えるんだ。由佳とお前を何度か見かけたことがある」

「・・・盗み見なんて趣味が悪いな」

「別に盗んで見てやしないさ。お前らが勝手にあそこで会っていただけだ。人を悪く言うな」

視線をこちらへ向け、榊は唇の端を吊り上げて嫌味な笑みを浮かべた。

ポケットに手を突っ込むと中から携帯灰皿を取り出し、灰を落としている。

間違いなく室内で吸う常習犯だと、僕は目を剥いた。

「そんな怖い顔するなよ。お前もどうだ?」

「僕は吸わない」

知っているだろうにあえて聞いてくるその様子が妙に苛立たしく、僕はツカツカと榊に近づくとタバコを奪い取った。そして反対の手首を掴むと携帯灰皿の中にそれを捻じ込む。

榊がくつくつと笑った。


「相変わらず真面目な先生だ」

「吸うならルールを守れば良いだけだろ」


僕が睨み付けると榊は肩を竦めて見せた。

室内には無言が広がるが、榊と二人の時はこんな風であることが多い。

僕は気にせず腕を組むと近くにあった机に腰掛け体を預ける。

榊は尚も懲りずに、タバコを取り出すと咥え火を灯す。

吐き出される煙が中空へと散っていく。

今度は僕も何も言わず、止めもせず。

向けられた背をただジッと見つめた。


「由妃奈は忘れられないか」


榊は開け放たれた窓越しに外を見ていた。背を向けたままの問いかけに僕は目を伏せた。

「忘れたくないからね」

「十二年経ったぞ」

「言われなくても知ってるよ」

「一緒に居た年月と居ない年月が同じくらい、か?」

「・・・そうだね」

もし君が今も生きていたのなら、僕たちは一体どんな人生を歩んでいたんだろう。

想像も出来ないし、考えたって仕方のないことだけど、考えずにはいられない。


たぶん、全く違う人生を歩んでいたのだろう。

もう何度も、こんなことを考えてはいつも自己嫌悪に陥っていた。

どんなに月日が経ったって、結局は君を失った事実を未だに受け入れられてないだけなのだ。


「お前は馬鹿だ」

「それも知ってるよ」

泣き出しそうになりながら顔を上げると背を向けていたはずの榊がこちらを向いていた。

その表情は哀しんでいるような、慈しんでいるような。

まるで今まで見たことのない顔だった。


「今からでも、また始めたらどうだ」


言葉の真意は汲み取れない。

何を始めると言うんだ、それすらも考えたくないし考えられなかった。

黙ったままの僕に、長く待っていた榊が悲しげに目を細める。そして言った。


「そうか。お前にとってはまだ終わってはいないんだな、何も」

「・・さあ、それも・・・分からないよ」

何が始まりで何が終わりであるのかなんて、それが分かっていたらきっと過ちなんてものはこの世界に存在しないだろう。

榊は吸いきったタバコを携帯灰皿に押し込むとポケットにしまった。

残り香が窓から入ってきた風に乗って僕の鼻をくすぐった。

「さてと、仕事に戻らんとな」

「・・そう。じゃあ僕も帰るよ」

 立ち上がると踵を返し扉へと向かった。


「穂紬」


 僕は立ち止まり振り返った。

「これ、出しておいてくれ」

ぽんと投げられたのは紙袋だった。宅急便の宛名シールが貼ってある。

「・・・なんで僕が・・・、自分で出してよ」

「俺は忙しいんだ。どうせ帰りがけに寄れるだろう?それに、これがさいごだ」

「・・本当にこれで最後だから」

 ブスッと仏頂面で答えると、榊は低く笑った。

僕の横を通り過ぎ部屋の扉を開けると一歩廊下に出て、もう一度振り返る。


「・・・・じゃあな」


そしていつものように手を振ると、行ってしまった。

「何なんだ?」

首を傾げつつ、渡された紙袋を小脇に抱えると僕も部屋を後にした。

この時、僕は違和感に気付くべきだった。



いつもなら気付いたはずのいくつかの些細な違和感に僕はこの時気付けなくて、まさかそれが最期になるなんて考えもしていなかったのだ。








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