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愛をつたえる  作者: 川角檀弓
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慈しみ、深く





泣き濡れた顔でそう言う由佳を僕は呆然と見つめた。

言葉の意味を理解したくても、脳が麻痺してしまったように働かないのだ。


「目覚めさせる・・」


あいつを?言葉にするとやっとその意味が理解出来た。

だから僕は首を振った。


「それだけは、出来ない。あいつを許すなんて僕には」

「兄を許して欲しくて言ってるんじゃないわ。・・・だって、穂紬さんの方がずっと苦しんでるじゃない!」

「・・・由佳ちゃん」

「兄なんて許さなくていい、そうじゃなくて・・・・私はもう穂紬さんに苦しんで欲しくないの。こんな穂紬さん見ていられないの」


きっぱりと言い切る由佳は偽りの無い真っ直ぐな目で僕を見ていた。


「兄を目覚めさせれば、あなたの中の負い目や苦しみは無くなる。そうでしょう?だったらそうすればいいじゃない」

木枯らしが吹く。もう十二月の寒空の下、その風は冷たく凍えてしまいそうだったけれど、僕のぼんやりとした頭をはっきりとさせてくれた。


由佳を、彼女を守ってあげなければならない存在だと思っていた。

しかし全ての事実を知ってなお由佳はそれを乗り越え、反対に僕に救いを差し伸べようとさえしてくる。


僕は苦しかったのか。


由佳に言われて、僕はその事実にやっと気がついた。

ずっと考えないようにしてきたことだった。

自分のしたことを否定したくなくて、長い間目を瞑っていた。

逃げていては駄目なのだ。

こんな少女でさえ辛い現実を受け入れて、立ち向かおうとしているのに、いつまでもいつまでも大の大人が逃げ回っているなんて。


「君は僕を許してくれるのかい?」


僕は由佳の方へ向き直り、真正面から彼女を見やる。

由佳は済まなさそうに一度目を逸らしたが、次には真っ直ぐ僕の目を見つめ返した。

強い輝きを持った、美しい目をしていた。

強いその眼差しに、心臓が強く脈打つ。

急速に、そして強烈に心と体が惹きつけられてゆく。


「穂紬さんが許して欲しいなんて言わないで。私、自分がすごく勝手なこと言ってるの、分かってます。兄が目を覚ましたらもっと嫌な現実になるかもしれない、そしたら穂紬さんもっと苦しむかもしれない。・・だけどこのままじゃ誰も前に進めないよ」

「由佳ちゃん」

「兄が目を覚まして、何も変わらない卑劣な人間のままだったら、私がぶっ飛ばしてやるわ。だから」

 僕は目を丸くした。由佳の口からぶっ飛ばすなんて言葉が出てくるなんて思ってもみなかったからだ。

「だから兄を目覚めさせて。全部終わらせて、前に進もう」

「・・・・・」

何て簡単な解決方法なんだろう。言葉も出てこない。

今まで小難しく考えすぎていたのだと、僕はこの時やっと気づかされた。

真正面からぶつかって行けば良かっただけなんだ。

ただそれだけだったのに、僕たちはあまりにも現実を捻じ曲げ、遠回りをしすぎてしまっていた。

何て馬鹿なガキだったんだろう、あの頃の自分が気づいていれば、こんなことにはなっていなかった。

ふつふつと体の奥底から笑いが込み上げてくる。

「ははっ、・・・あはははは!」

耐えられなくなると僕は盛大に吹き出した。

そのまま声を上げて笑い続け、仕舞いには目に涙さえ浮かべてしまう。

僕たちはなんて愚かだったんだろう。

こんな少女でさえ本当はどうすればいいのか分かっていると言うのに。

初めからきっとそうすれば良かったのだ。

「ああ、本当に、そうすれば良かったんだ。・・・ははっ、ぶん殴っていたらすっきりしたんだろうな」

初めから僕たちは間違えていた。

それならば、苦しむのは当然だ。

由佳はキョトンとしながらも、笑い続ける僕につられてしまったのか、いつしか一緒になって笑い出していた。

ひとしきり笑うと疲れてしまい、二人してベンチの背もたれに体を預けた。

そのまま空を見上げると季節に不釣合いな青空がどこまでも広がっている。

「笑いながら泣くなんて、いつぶりだろう」

「・・・私も」

自然な動作で、僕たちはベンチの上で手を重ねた。

冬の空気に晒されて互いの手は冷たかったけれど、温かい何かが伝わったような気がする。


「明日、全部終わらせよう」


斉木和真を悪夢から解放する。

その結果がどうなるかは誰にも分からないけれど、きっともう全てが限界を迎えていたのだ。

それなら、終わらせなければならない。

 

そしてまた、歩き出せばいい。


「・・・・・うん」

どちらからともなく、僕たちは重ねた手を繋ぐと、強く握り締めあった。





明日の約束をして由佳と別れた僕は、その足で榊の元へ向かった。

榊にだけは伝えておかなければならないからだ。

ナースステーションで榊の居所を聞きだし、その場所へと向かった。

探すまでもなく、斉木千歳の居るICU室内に榊の姿はあった。

ベッドに横たわる千歳を見下ろす眼差しは、暗く悲しんでいるように見える。

もう容態は安定しているはずなのに、何か不安要素でもあるのかと考えながら、僕はガラスをノックした。音に気付いた榊が振り返り僕に気づくと、マスクに手をかけながら廊下に出てくる。


「何だ」


マスクを取った榊は、すでにいつもと変わらない表情に戻っていた。

さっきのは気のせいだったのだろうかと思いつつ、僕は言った。

「明日、斉木和真を解放するよ」


「・・・・・・・そうか」


反対されるだろうと高を括っていたが、長い沈黙の後、予想外に榊の反応はそれだった。

いつだったか、現状を変えるなと高圧的に言って来た時とはまるで違う反応に僕は違和感を覚える。


「・・・反対しないの?」


「俺が決められることじゃあないだろう。あれは、お前と有美が決めて実行した事だ。本来なら俺にどうこう指図する資格はない」

「だけど、僕たち以上にあいつを憎んでいたし、以前は止めてただろ」

「ああ。どう足掻いても、俺はあいつを許すことは出来ない。そりゃそうだろう、何せたった一人の妹を殺されたんだ。止めるに決まっているだろう」

「それならどうして」

「お前があの子と出会ってしまった時からこうなると思っていたからだ」


 榊の言う「あの子」が誰を指しているかなんて、聞くまでもない。


「それに目覚めさせたらさせたで色々と方法はあるしな」

「・・・それって」


引っかかる物言いをする榊に僕は言葉を続けようとした。

けれど丁度その時、榊の院内用の携帯がけたたましい音を鳴らし始めてしまい、そこで会話は途切れてしまった。

榊が携帯に出る直前に言った。


「斉木千歳はもう大丈夫だ。安心しろ。・・・あと、明日帰る前に俺の所に寄れよ」

「どうして」

「結果報告くらいしてくれたってバチは当たらんだろう?」


そう言うと、じゃあなと手を振り行ってしまった。


「何なんだ」


マイペースにも程がある。

僕は苦々しく呟いてから、もう一度だけ斉木千歳を振り返った。

昏々と眠り続ける千歳は今、どんな夢を見ているのだろうか。

 

幸せな夢だろうか。


だけど、夢は所詮夢でしかない。

「起きて下さい、ここでは、あなたは一人じゃないんです」

だから、生きて行って下さい。

誰にも聞こえない言葉を呟いて、僕は静かに一歩を踏み出した。






静かに全てが動き出そうとしていた。

終わりへと向かう為に。









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