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愛をつたえる  作者: 川角檀弓
24/30

動き出す時計の針





榊と別れた後、兄に会いに行く気持ちになれず由佳は病院を後にした。

けれど真っ直ぐ帰る気にもならなくて、無意識に中庭の噴水へと向かってしまう。

地面に視線を落としながら歩いていた由佳は、やがて聞こえてきた噴水の水音に顔を上げた。

いつも穂紬と待ち合わせに使っていたベンチ。

そこにいた人物に、由佳は目を見張る。


「・・・・・・穂紬さん」


そこには穂紬が座っていた。穂紬もまた由佳に気付いたのか驚いた顔をしている。

由佳は黙ってベンチに近づいた。


「こんにちは」

「・・・・こんにちは」


促され、そのまま隣に腰を下ろす。

「お母さん、容態が落ち着いたみたいだね」

「あ、はい。この間は突然連絡してごめんなさい。本当に、ありがとうございました」

深く頭を下げると穂紬は「いいから」と頭を上げるように由佳の背に手を添えてきた。


「僕じゃなくて・・礼は榊に言ってあげて欲しい。あの日、あいつ本当は非番だったんだ。僕が連絡をしたら飛んできてくれて、手術をしてくれた。多分、榊でなければお母さんは助からなかったと思う」


由佳は目を見開いた。

あの日だって、さっきだって、榊はそんな素振り一つ見せなかったから気付きもしなかった。

「どうして」

「・・僕が思うにね、きっと、君に自分の妹の姿を重ねているんじゃないかと思うんだ」

穂紬は遠い眼差しで空を見上げた。

その視線の先にはきっと由妃奈がいるのだろう。

その様子に由佳の心は揺さぶられた。


もう、言わなければ。


「穂紬さん、私あなたに謝らないといけないことがあるの」

これ以上先延ばしにしていてはいけない、と。そう思うより先に言葉が口をついて出ていた。

「謝るって、何を」

「たくさん、謝らないといけないの。私、あの日、何も知らないで穂紬さんと先生に酷いことを言ってしまった。穂紬さんたちは悪くなかったのに」

「・・由佳ちゃん?」


まくし立てる由佳に、穂紬は怪訝そうに首を傾げた。

真後ろにある噴水の水がザアザアと流れる音に、妙に意識を引っ張られる。

少しくらくらする頭で、語るべき言葉を探し出し、由佳はゆっくりとそれらを唇に乗せた。


「私、あなたに無断で・・・兄と穂紬さんたちの間に何があったのかを、知りました」


穂紬から表情が消えた。その様子に、由佳が過去を知った事実を有美から聞かされていなかったのは明白だった。


「ごめんなさい・・・謝って済むことじゃないって分かってるけど」

「・・・・・・」

「許してとは言いません。勝手に知ったことも、兄が由妃奈さんにしたことも・・許されるべきことじゃないって分かってます」

しゃべりながら由佳は次第に自分の声が涙に濡れてくるのを必死で堪えようとした。

「本当に・・・ごめんなさい。ごめんな、さい・・・私」

いくら謝ったところで由妃奈は戻ってこないし、過去は変えられない。

それでも由佳は謝らずにはいられなかった。

今も心から血を流している穂紬の苦しみなんて、由佳には計り知れない。

最愛の恋人をあんな風に奪われたら誰だって激昂するに決まっている。


 それなのにこの人は。


「・・いや、由佳ちゃんが謝る必要なんてないよ。むしろ謝らなきゃならないのは、僕の方だ」

「穂紬さん」

「あの男にも家族が居るって、考えもせず・・・浅はかなことをしてしまった。十年以上も君を苦しめてしまって・・・本当に申し訳ないと思ってる」


肩を落とす穂紬に由佳は何度も首を振った。

堪えていた涙が散る。

この人は、一体どこまで心優しい人なのだろう。

全ての責がまるで自分一人にある、とでも思っているのか。


 そんな訳ないのに。

 あなたは何も悪くなんてないのに。


由佳は歯を食いしばって、込み上げる嗚咽を殺した。

「穂紬さんは悪くない、悪いのは兄だし、それに・・・兄の入院費を払ってくれてるって聞いたわ。本当に酷い人なら、そんなことしないよ」

由佳の言葉に穂紬はのろのろと顔を上げ、頼りない笑みを浮かべる。

ほんの僅かな時間で、驚くほど憔悴しきった顔になっていた。

微かに笑って見えるそれは、自虐的なものでしかなく、由佳は心を痛めた。

「みんな聞いたんだね・・・有美から?」

 由佳は頷いた。

「由佳ちゃん、君がどう思っているかは知らないけど・・・僕はそんないい人じゃないよ。あの男の入院費を払っているのだって、善意なんかじゃない。ただ、長く生きれば生きるほどあの男の苦しみは続く。継続させる為だけなんだ・・・だから間違っても良い風には取らないで欲しい」

淡々とした口調だった。あえて感情を殺している、そんな印象すら受け、由佳は眉を顰めた。

それを言葉通りに受け取るわけにはいかないのは、穂紬を見ていれば分かる。

由佳自身も苦しんだ年月だったけれど、それは穂紬の比ではない。

一体どれだけ苦しんできたのだろう、この人は。

再び背を丸くし顔を覆ったまま動かない穂紬の背に、そっと手を押し当てた。

涙が溢れて止まらなくて、嗚咽を噛み締めながら由佳はその背をさすり続けた。

 

どうして神様はこんな辛い思いばかりをこの人にさせるのだろう。

もう解き放って欲しい、この終わりのない苦しみから穂紬を解放してあげて欲しかった。


「・・・・っ」


突然、何かの啓示が下ったかのように一つの考えが由佳の頭に描かれた。

考えるまでもない、方法なんてたった一つしかないのに。


「穂紬さん」


由佳はしっかりとした口調で呼びかけると、穂紬の上体を起こさせた。

真っ直ぐに穂紬の目を見つめると、言った。





「兄を、目覚めさせて下さい」








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