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愛をつたえる  作者: 川角檀弓
21/30

母と温もり


「目が覚めたか?」


由佳が目を覚ますと頭上から声が聞こえてきた。

体を起こすと声のした方を向き、そこに居た人物を確認する。

白衣を着た穂紬と同じ顔をした人がこちらを見ていた。


「大体全部、お前に見せてやったよ。」


そう言われ由佳はぼんやりとする頭で、自分が今何を見ていたのかをやっと思い出した。

そうだ。自分の兄と、彼らの過去を夢で見せてもらっていたのだ。


「本当なの?」


信じたくない気持ちが強すぎて、由佳は自分の声が震えていることには気付かなかった。


「事実だ。でも、信じたくなかったら信じなくていい。それはお前の自由だ。」


由佳への興味がまるでなくなってしまったかのように、有美はそう言い放つと白衣を脱ぎ捨てた。


「ついでにもう一つ教えておいてやる。お前、自分の兄貴の入院費がどうなってるか知ってるか?」

「え・・・?」

「今の医療では長期入院は出来ないようになっている。あの症状で十年以上なんてまず無理だ。だがそれが可能になっているってことはどういうことか分かるか?」


そんなこと、考えてもみなかった。

それが当たり前だと思っていたから。由佳は閉口し唇を噛み締めた。

そんな由佳を侮蔑すら混じった眼差しで有美は見つめた。


「金を積んでるんだよ、あの病院に。だからわざわざ榊の勤務している病院に入れたんだ。そして肝心のその金は誰が出してると思う?」


有美はおかしそうにしばらくクツクツと笑っていたが、ふと真顔になる。


「穂紬だよ。お前の兄貴にかかっている金の全てをあいつが出してる。」


知らされた事実に由佳は衝撃を受けた。

まさかそんなことになっているなんて露ほどにも思っていなかった。

考えもしなかった、だってどうして。


「・・・・穂紬さんが・・・どうして」

「理由が知りたいのなら本人に聞けよ。」

「・・・だけど、私は」


最後に会った時、酷く穂紬を詰ってしまった。

それに今は何も考えられなかった。

有美によって見せられた夢が事実であるのなら、由佳に彼らを責める資格などどこにもない。

だってあの夢が本当なら自分だって兄のことが許せない。

そう思ってしまった。

そして自分はそんな男の妹なのだ。

由佳は両手で顔を覆った。


「ウジウジされるのは嫌いなんだよ。」


俯く由佳の頭にバサッと音を立てて何かが被せられた。

薄っすら目を開くと大きなタオルがかけられている。


「知ったからには進めよ。その為にお前に見せたんだ。」


発せられた有美の声はそれまでとは違うものだった。

冷たく突き放すばかりだったものが少しだけ和らいだような気がして、由佳はかけられたタオルの隙間から有美を見た。相変わらずこちらには目もくれない。

有美の姿が次第にぼやけていき、頬を伝う温かい感覚に、由佳は自分が泣いているのを知った。


あれ程知りたかった彼らの過去は由佳が想像していた以上のものだった。


兄を許せなかった二人の気持ちは良く分かる。

由佳自身も女として、兄のしたことは卑劣極まりなく許せない。

これから兄として接することが出来るのかも分からない。


今まで自分を支えていてくれた存在であったのに、呆気なく、もろくも崩れ去ってしまった。


それでも、家族である事実は変えられない。

あの人は確かに自分の兄なのだ。断ち切れない血の繋がりがある。

がんじがらめに縛られて、身動き一つ取れない。

由佳は歯を食いしばった。


「・・・・どうやって前に進めばいいの?」


本当に有美の言った通りになった。

真実を知れば死にたくなるような現実が待っていると、彼は言った。

その言葉通り、知ってしまった事実はあまりにも重苦しく巨大な闇の中にあり、その途方のなさに由佳は心の底から死んでしまいたいとすら願っていた。

死んで消えてなくなれば楽になれるのだろうか。

もしそうならそうしたい。

由佳にとって全てがあまりにも辛すぎて、もう何も考えたくなかった。


「お前の未来を俺が決めることは出来ない。知りたいと願ったのはお前なんだから、自分で判断して進んでいけばいい。」

「・・だって、だってもうどうしたらいいのか分からないよ」


ボロボロと涙が頬を伝い落ちていく。涙に濡れたその声に、有美がこちらを向いた。

その表情は痛ましげに歪められていて、由佳は思わず息を呑む。


「・・・・本当にな。」


有美は自嘲気味に呟くと再び由佳に背を向けた。

どうして有美の方がそんな傷ついたような顔をしていたのか。

どうしてそんな苦しそうに言ったのか。

ただその向けられた背は、苦しみもがいているようにも見えて、由佳はそれきり言葉をかけることが出来なかった。





ーーーーーーーーーーーーー






穂紬たちの過去を知っても由佳は何も出来ず、時間だけが過ぎていった。逃げているのだと分かってはいても、どうすることも出来なかったのだ。


そして何も解決しないまま、ついに母が出所する日がやってきた。


その日、朝から緊張した面持ちの由佳は家で待っていた。昼を過ぎた頃にチャイムが鳴って、由佳はビクリと体を震わせる。そんな由佳の肩をギュッと抱いてから、伯父が玄関へと立った。

隙間の開いた扉の向こうから話し声が聞こえてきて、やがて複数の足音がリビングへと近づいてくる。

由佳の心臓は口から飛び出してしまいそうなくらい、飛び跳ねていた。

カチャリと扉が開かれその奥から伯父、弁護士の和久利、そして母が入ってくる。


由佳の視線は母に釘付けだった。

会うのは十年ぶりだが、余りに姿が変わっていたのだ。

こんなに年老いていただろうかと、由佳は目を見開いた。


「・・・由佳、ごめんなさいね。」


母、千歳の声を聞くのも十年ぶりだ。

その声も記憶の中にあるものより少し老いている気がした。


「・・・お母さん」

「本当にごめんなさい。」


俯いて立ち尽くす母に、由佳はどう声をかけていいのか分からなかった。

助け舟を出してくれたのは伯父だった。

「とりあえずかけて下さい、和久利さん。・・・・千歳もほら。」

促されると千歳は由佳と対面する位置のソファに腰を下ろした。

ほつれた髪が顔の半分を覆い、表情は伺えない。

こんな人だっただろうか。記憶の中の母はいつも怖い顔をしていて、話しかけにくい雰囲気を纏っていた。しかし今目の前にいる母は弱々しく、目の前にいても存在感が薄い。


「由佳さん、あの件は考えてくれたかな。」


優しげに目を細め、丁寧な口調で和久利が尋ねてくる。

由佳はチラ、と和久利を見てから目を伏せた。


「あの、どうしたらいいか本当に分からなくて・・・」

「まだ決められない?」


 由佳は小さく頷いた。


「そうか・・・でも、簡単に決められることじゃないだろうから、ゆっくり考えて下さい。」

「・・・・はい。」

由佳は膝の上できつく手をきつく握り締めた。

自分がどうしたいのか、本当に何も考えられないのだ。

目の前に母が居ても、周りがサポートしてくれると分かっていても、素直に受け入れられない自分は歪んでいるのだろうか。

由佳はガラス越しに窓の外を見た。

青空は迫ってくるかのように低かった。


ああ、そう言えば明日から十二月になる。いつもならそわそわし出す時期なのに、今は心が重く沈んでいて、由佳は指先を動かすことすら億劫でならなかった。




十二月に入り一週間が過ぎた。

母が出所してから毎日夕食だけは一緒に取るようにしていた由佳も、少しずつではあるがぎこちなくも母を受け入れるようになり始めていた。

本当に母と一緒に暮らせるだろうか。

そんな考えを抱きつつも、けれどやはり決心はつけられないままだった。

誰かの後押しがあれば・・・そう考えた時、思い浮かべたのはやはり忘れられない人の姿。

もう随分会っていない。

結局あれきり穂紬とは会っていない。


由佳は携帯電話を取り出すとディスプレイに穂紬の番号を表示させた。

もう何度もこの動作を繰り返してはいつもかけることが出来ないまま終わっている。

通話ボタンを押すだけでいいのに、怖くてかけられないのだ。

由佳はため息をつくと終了ボタンを押した。

ピンポーンとチャイムの音が鳴り響き、由佳は携帯をポケットにしまうと玄関に向かった。

誰が来たのか確認もせずに由佳は玄関の扉を開けた。


「いらっしゃい、お母さん。」


千歳ははにかんだ笑みを浮かべながらマフラーを取ると中へ入ってくる。

「寒かったわ。」

「夜から雪だって、天気予報で言ってた。だから今晩はシチューにしようかと思うんだけど。」

「・・・・いいわね。お母さんも手伝っていい?」

「もちろんよ。」

「ふふ、シチューは得意なの。」


リビングへ向かいながら他愛のない話をした。

実母だからなのだろうか、心が受け入れ始めているのを由佳は感じていた。

ぎこちなさは正直まだある、何せ十年以上も離れていたのだからない方がおかしい。

だけどほんの数日を親子として過ごしたことで、母の存在はゆっくりと、確実に由佳の中に浸透してきていた。

結局、自分は家族の愛情に飢えていただけなのだろう。兄に嫌悪を抱くと、タイミング良く母と接する機会が出来た。だからそちらへ逃げてしまった。


ただ単に、自分は弱いのだ。


キッチンで母と隣り合って料理をしながら、由佳はふと母の手元を見た。

張りのない老いた手だと思う。ここまで老いているのは重過ぎる過去のせいなのか。

きっと、母も強い人ではない。


「・・お母さん」

「何?由佳」

「私・・」


ぐつぐつと鍋の煮える音が妙に耳に響く。シチューをかき混ぜながら由佳は視線を母に向けた。


逃げていては駄目なのかもしれない。


「どうしたの?」

優しく尋ねる母の眼差しは優しく柔らかい。幼い頃に向けられていたような、突き刺さるものではなく、それは由佳を包み込んでくれているようだった。

ジワリと心の中に温かいものが広がって、目頭が熱くなる。

この人は自分の母親なのだ、たとえどんな過去を持っていたとしても。父を殺した人だったとしても。

幼い頃に突き刺さるだけの感情で接されていたのだとしても。


今は違う。


「ううん、何でもない。」


誰かに頼って答えを導き出すのではなくて、自分で考えて、考え抜いて決断をする。

そうしなければならない時期が来ているのかもしれない。

もう守られてばかりの『子供』のままではいられないのだ。

由佳は心を決めた。

その晩、由佳は伯父たちと共に食卓を囲んでいる時、千歳と一緒に暮らしたいと告げた。

伯父たちは驚きを見せたが、最後には笑って頷いてくれた。






母は、泣いていた。








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