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愛をつたえる  作者: 川角檀弓
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始まり

 斉木(さいき)由佳(ゆか)は学校からの帰途についていた。

つい先ほど友人の田島和歌子と駅の入り口で別れ、今は一人でホームに立っている。

辺りには同じ高校の制服を着た人間がちらほらといるくらいで、ほとんど一般の乗客はいない。

 由佳はカバンから携帯電話を取り出すと無意識に操作を始めた。自分が参加しているSNSに繋げると、和歌子とまた「合流」したのだ。他愛のない会話をネットの中でしていると、


「本当なんだって!」


 張り上げられた少女の声が耳に届き、由佳は携帯電話から意識を離した。


「えー、そんなの絶対偶然だって。あんた騙されてるよ。」

「偶然なんかじゃないの、だって本当に見せてもらえたんだもの!」

「だからそれが偶然だって。夢なんていつどんなものを見るかなんて誰にも分からないじゃない。」


 続けざまに後ろに並んでいる同じ高校の制服を着ている女子の会話が耳に入ってくる。

気づかれないように耳を傾けていると、どうやら最初に声をあげた子が言うには

「見たい夢を見せてくれるお店」で「見たい夢を見せてもらえた」らしいのだ。

それを聞いていたもう一人の女子が半信半疑の声を上げたのが聞こえてきていたようだ。

 会話だけを聞いていた由佳も「そんなことあるわけないじゃない」と内心思った。

 だって夢はしょせん夢であって誰かの手が加えられるようなものではないからだ。

 夢を見せてもらったと言っている子は体よく騙されただけなのだろう。

お金まで払ってバカみたい、と由佳はちらりと背後に視線を投げかけ、そして再び視線を前に戻す。

と、ちょうどそこへ電車が入ってきて、ホームにいた人間がその大きな鉄の箱へと乗り込んでいく。

 由佳もそれに続いて乗り込んだ。すると今度は自分がさっきの子達の背後に立つ形となり、その後の話もなんとはなしに耳に入れることとなった。

 延々と彼女の話は続き、由佳はたいして聞きたくもないような内容の話を結局すべて聞かされる羽目になった。

  その店がどこにあるのか、どんな従業員だったのか、どんな夢を見せてもらえたのか。その全てを。

馬鹿らしい、本当にくだらないことばっかり。由佳はその子達に気づかれないように小さくため息をついた。

 車窓に目をやり流れていく見慣れた景色をジッと見つめながらそんな風に思う。

「・・・でも、うらやましい」

呟いた言葉は電車の騒音で誰の耳にも届かなかっただろう。けれど、自分で発したその言葉は自分の耳には確かに届いていた。

毎日がきっと楽しいことばっかりで、きらきらと目の前は輝いているんだろう。由佳は持っていた鉄のポールをギュッときつく握りしめ、床に目を伏せた。

 自分だってこの子達と同じ女子高生なのに。今が一番楽しい時期のはずなのに。

 そうは出来ない自分がいる。

 こんな風に思ったらダメだって分かっているし、何度も言われているけれど、どうしても考えてしまう。ぐるぐると同じことを考えていつまでも止まることが出来なくなってしまい始めそうになったその時。

 丁度そこへ車内アナウンスが流れ由佳はハッと意識を戻した。降りなければいけない駅名を連呼する車掌の声が、由佳の意識を引っ張り戻してくれたのだ。徐々にスピードが緩くなって、電車がホームへと入っていく。ホームでは多くの乗客が今か今かと電車の到着を待ち侘びているような表情を浮かべていた。

 電車が止まり扉が開くと由佳はそこへと降りた。入れ替わるようにホームに居た人々が電車になだれ込んでいく。

 いつもの光景。見慣れた風景。何も変わらない日常。

 その他大勢の中の一人。それが由佳に安堵を与えた。

注目なんてされなくていい。

視線は矢のように突き刺さり、これまでに何度も自分を傷つけてきたのだから。

発車のベルが鳴り響き、扉が閉まりゆっくりとホームから出ていく電車を由佳は見送った。

さっきの子たちはまだ電車の中で楽しそうにおしゃべりをしていた。その光景もどんどんと遠くなっていく。

 由佳は電車が見えなくなるまで見送ってから、ホームを後にした。

改札口を抜けてまっすぐに向かった先は通い慣れた病院だった。

きっとこの町で一番大きいであろう大学病院に、由佳の兄は入院している。

もう十二年になるだろうか。由佳が物心ついた頃にはもう兄はこの病院に入院をしていて、由佳は訳も分からないままにずっと兄を見舞い続けてきたのだ。

今でも、兄の病気が何なのかは知らない。

病院の門を潜り抜け正面入り口に向かって歩いている時だった。

病院から出てきたらしい男の人が由佳の横を通り過ぎようとした時、何かを落とした。

男の人は気づかない様子でどんどんと歩いて行ってしまう。由佳は慌てて落ちたものを拾い上げた。


「あの!」


 張り上げた声は思いの外大きく、その男の人を含めた多くの人が由佳を振り返る。

赤面しながら由佳は男の人に向かって手を差し出した。最初は何事かといぶかしげに見ていた彼も、由佳の手の中にあるものに見覚えがあったのだろう。

ふと、表情を緩めて近づいてくる。

「ありがとう。気づかない所だったよ。」

 その男の人はニコリと微笑みながら由佳の差し出す茶色い封筒を受け取った。

 暑くなり始めているのにその人は薄手の白い手袋をしていて、由佳は奇妙な感覚を覚えた。

そこで顔を上げ初めてはっきりとその人の顔を見る。

優しい笑顔、穏やかな少し低い声。二十代後半くらいだろうか、ちょっとイケメンなその男の人に由佳はつい胸をドキドキと高鳴らせてしまう。

 由佳がジッとその男の人を見つめていると彼も由佳を見つめ、そして何気ない動作で視線を病院へと動かした。


「お見舞い?」

「あ、はい。兄の・・」

「そう、お大事に。」


 最後にもう一度だけ視線を合わせ男の人は微笑み、踵を返し歩いて行ってしまった。

 ちょっと素敵な人だったのに。


「やっぱりドラマみたいなことになんてならないよね。」


 そうは言ってみても、発した自分の声はかなりがっかりとしていて、由佳は自嘲気味に笑ってしまう。スカートの裾を翻しながら体の向きを変え、本来の目的地である病院へと歩を直すと、あとはもういつもと何も変わりはせず。

 病院のにおいも、ナースステーションの人の顔ぶれも、開け慣れた病室の扉も何もかも。


「お兄ちゃん。」


 カーテンの開かれた部屋は陰気な雰囲気などこれっぽっちもなく、降り注ぐ日差しが兄の顔を明るく照らしていた。

 空調が効いた病室は快適で暑さも寒さも微塵もない。

 由佳はベッドの横に置いてあった椅子を引っ張って寄せると、腰かけた。

ずっと眠り続けている兄は痩せ細り、腕など由佳の方が太いくらいだ。そんな細い腕に通されている点滴が今日は妙に痛々しく見えてならない。

「お兄ちゃんってどんな声してたっけ」

 さっきの男の人はきっと兄と同じくらいの年頃だ。兄もこんな植物状態でなければ、あんな風に笑う人なのだろうか。

何せ由佳が四歳の時には家を出てしまっていて、六歳くらいの時にはもうこんな状態で入院をしていたのだから、記憶に残る兄なんてかすんでしまってもうよく覚えていないのだ。

 だから由佳の中の兄は、もうずっと寝たきりのこの姿だけ。声なんて記憶の中にもない。

 それでも、由佳にとって大切な家族であることにかわりはない。

いつか目を覚ましてくれたら、そんな風に思いながら由佳はいつものように、その日あったことを兄に聞かせるように話し始めた。

 病室に入って十分くらいした頃だろうか、扉がノックされた。返事をすると見慣れた医師がその向こうから姿を現す。

「榊先生、こんにちは。」

「由佳、来てたのか。」

 手に大きなファイルを持って入ってきたのは兄をずっと担当してくれている榊医師だった。

「毎日見舞いに来て偉いな。」

 ベッドを挟んだ向かいに立った榊は優しい笑みを由佳に向けるとそう言った。

「もう先生ったら、そうやっていつも子ども扱いする。」

「だって子供だろう?」

「失礼しちゃう、もう高校三年なのよ。」

「はは、そうだったな。」

 榊は声をあげて笑うと、いつもと同じように兄の目にペンライトの光を当てたり、脈を診たりし始める。

「うん、変わりはないな。」

 そう言って持っていたファイルに何かを書き込むと、開いていたそれを音を立てて閉じる。由佳はそれを見届けてから、言葉を発した。

「ねえ先生。」

「ん?」

 榊はいつもと変わらない優しい笑みを由佳に向けた。

「お兄ちゃん。目は、覚まさないの?」

「・・・・ああ、そうだな。」

「どうして?」

「わからない。」

「だって病気なんでしょ?病気が原因なら、先生、調べれば治す方法も分かるんじゃないの?」

 問いかけながら由佳は内心自分を蔑んだ、馬鹿だと思う・・と。

だってもう何度も何度も尋ねた問いなのだ。榊だっていい加減うんざりしているだろうに、それでもこの人はいつも変わらない答えを由佳にくれていた。

「医学的に診て彼は何の疾患も患ってはいない、健康体そのものなんだ。病気でないなら俺に原因の追究は出来ないさ。」

「・・・・」

「でも、だからこそ。希望が持てるだろう?ある日ひょっこり起きるかもしれない。」

「・・・そうね。」

 由佳は眠っている兄を見下ろした。

榊が言うには、この兄は事実健康体らしいのだ。由佳と同じように。

それも何度も聞かされてきたことだった。由佳がもっと小さい時はこの説明を理解することは出来なかった。悪い所がないのなら起きないはずがないのにと、その場に居た医師や看護師を泣きながら責めたこともあった。

今ではあんな駄々をこねたりはしないが、納得していないから今でもこんな風に時折聞いてしまうのだろう。

「何もしてやれなくてすまんな。」

「ううん、先生が悪いんじゃないもの。」

 そう言って由佳は時計を見た。もう帰らなければならない時間だった。由佳はパッと椅子から立ち上がるとベッドに置いていたカバンを手に取る。

「先生、私もう帰るね。」

「ああ。」

 榊の横を通り由佳は扉の前に立った。

「由佳」

 不意に声をかけられ由佳は間を置いて振り返った。

「・・・何?」

「毎日毎日こんなところに通ってないで彼氏の一人でも作れ。高校生活なんてあっという間に終わるんだぞ。」

 由佳にとってもその言葉は聞き飽きてしまっている程に聞かされてきた言葉。

由佳があの問いをした日、お返しのように榊はそんなことを言うようになった。

「ダメよ。お兄ちゃんがこんななのに自分だけ楽しく過ごすなんて、私には出来ないわ。」

「しかしだな」

「もう言わないで、先生。・・・・じゃあまたね。」

 手を振るとそれきり後ろを振り返らず、由佳は兄の病室を後にした。

 





ーーーーーーーーーーーーーーーー






 最後にかわいらしい笑みを浮かべて出て行った由佳を見送った榊は深くため息をつくと同時にそれまでの表情を一変させる。

優しく穏やかだった榊の顔から笑みは溶けるように失せ、まるで能面のように、表情は消えてなくなった。

「良い妹じゃないか。」

 声は冷たく突き放すようなそれに取って代わり、さっきまでとはまるで別人のようだった。

 ベッドに横たわる由佳の兄を見下ろす眼差しは揶揄するように歪んでいたが、しかし侮蔑のそれも混ざっていた。

「安心しろ、お前を死なせはしないさ・・・死んで楽になど、決してさせない。」

 だが意識を取り戻させもしない。

榊は心の中で何度も繰り返してきた決意をまた固めた。由佳には悪いがこの男に人生を取り戻させる訳にはいかない。


 永遠に、このまま。


「何も変えさせない、絶対に。」

 どれだけ由佳が兄の目覚めを望んでいても、それだけは叶えてやれないのを榊は知っていた。

 そう、自分は知っているのだ。

なぜこの男が永い眠りについているのか。けれどそれを由佳に話す訳にはいかなかった。


「お前には死ぬまでそこで生きてもらう。」


 吐き捨て榊は病室を後にした。






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