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愛をつたえる  作者: 川角檀弓
16/30

深淵の入口



誰にも何も相談出来ないまま時間だけが過ぎて行った。

刻々と母の出所日は近づいてきていたが、それでも由佳は答えを出せなかった。

そんなある日。学校からの帰り、由佳は兄のいる病院へと向かった。

病院に入るつもりはなかったが、長年の習慣だった兄の見舞いをしないでいるのが心苦しかったのだ。

中には入れないので正門の前から兄の病室がある辺りを見つめた。

もし兄の和真が目覚めたら何と言ってくれるだろうか。

そう考えていた矢先、病院から出てきた一人の人物を目にし、由佳は心臓が跳ね上がった。


青柳だった。


いつもよりラフな格好をしているけれど、間違いない。由佳はとっさに門柱に隠れ後ろを向き気配を殺した。青柳はそんな由佳に気付かず、背後を通り過ぎていった。

振り向くと青柳は足を止めることなく歩いて行ってしまう。

自分が隠れたのだが、気付かれなかったことが悲しかった。

気付かれていてもどうすればいいかなんて分からないけれど、でもせめて気付いて欲しかった。


矛盾する思いを抱えながら、由佳は引かれるように青柳の後を追った。

あんな風に別れたきり顔も合わせることはなかったが、時間が経てば経つほどに会いたい気持ちが募っていくのを、由佳は自覚していた。

どうせなら恋心も消えてなくなれば良かったのにと、後を追いながら由佳はそう思う。


青柳の姿を見て踊った心に、そうではないことを思い知らされながら、由佳は泣きそうになりながら一人笑った。


いくつかの角を曲がり進んでいく青柳を追いかけて行く内に、気がつくと由佳は人気のない道にいた。

それでも青柳の後を追った。

目前の青柳が角を左に曲がり、それを追って曲がると。

曲がった先に青柳がこちらを向いて立っていた。

とっさに立ち止まると由佳は目線を逸らした。が、少し遅かった。

青柳はつかつかと由佳に近づいてくると目の前で立ち止まった。


「何?」


冷たい物言いに由佳の心は傷ついた。それほどまでに聞いたこともない、冷たい声だったのだ。


「何か用事があるから追いかけてきたんだろ?」

「・・・・あの」


顔を上げると目が合ったが、その目もまた酷く冷え切っていた。

こんな目をした青柳を見たことはなく、由佳は怯えてしまった。

うまく話せず口ごもっていると、青柳は乱暴に由佳の顎を捉え顔を寄せてくる。

へらへらとした表情だった。


「どっかで会った?」

「・・・・・・え?」

「女子高生に知り合いなんていないんだけどなぁ、俺。」


青柳の言葉に由佳は違和感を覚えた。

由佳の知っている青柳とは何もかもがかけ離れているのだ、表情も口調も。

この人は本当に自分の知っている青柳なのだろうか。

そう考えた時、由佳は気付いた。


自分の知っている青柳は自身のことを「僕」と言っていた。

しかしこの青柳は今「俺」と言わなかっただろうか。


「・・・・・青柳さん?」


瞬間、青柳から表情が消えた。

真顔になった彼は恐ろしく、由佳は後ずさろうとするが捉えられた顎がきつく掴まれていて、叶わなかった。


「お前誰?」

「・・・・・っ」

「名前は?」


この人は自分の知っている青柳じゃない。

由佳は確信した。

それならあまりに青柳に瓜二つなこの人は誰なのか。


「言えよ、名前。」


名前を言うことに恐怖を覚えたが、しかし言わなければ何をされるか分からない。

そんな雰囲気をこの男は醸し出していた。

由佳は唾を飲み込むと震える口で言った。


「・・・・斉木由佳」


すると名前を聞いた途端みるみる男の表情が緩み、そしてついには声を上げて笑いだしたのだ。


「そうかお前が斉木の妹か。」


その言葉を聞いて、この男も自分を知っているのだと、唇を噛んだ。

「私を・・・知っているんですか?」

「知らない訳がないだろ。・・・・・なるほどな、じゃあお返しに俺も教えてやるよ。お前の言った通り俺は青柳だ。」

「・・・・・・?」

「俺は青柳(あおやぎ)(ゆう)()・・・・・・お前の知っている青柳穂紬の、双子の弟だよ。あいつから聞かされたことがないか?」

由佳は目を見開いた。

確か前に聞かせてもらったことがある。弟が居て、一緒に会社を経営していると。

まさか双子だとは思わなかった、だって青柳はそうとは言わなかった。


「俺を追ってきたのは穂紬と間違えたからか。でもお前ら今、仲違いしてるんじゃなかったのか?」

「・・・なんで」

「知ってるかって?そんな情報、聞きたくなくても耳に入ってくるんだよ。」

 ニヤニヤと笑いながら青柳有美は言い、由佳の顎にかけていた手を解いた。

「お前の兄貴をあんな目に遭わせたあいつが許せなかったそうだな。」


そう言われ、由佳はあの時のことを思い出した。

やはり苦々しい気持ちを抱いてしまうのは仕方がないじゃないか。だってたった一人の兄を十年以上も寝たきりにさせられているのだ。


普通に考えても許される行為ではないはず。


由佳はキッと有美を睨みつける。

しかし有美はどこ吹く風。

由佳の目には、今にも鼻歌を歌いだしそうにすら見えてしまう。


「言っておくがあの状態にしたのは穂紬じゃないぜ。」

「え?」

「やったのは俺だ。あいつを悪夢の中に放り込んでいるのは、俺なんだよ。」


あまりにあっさりと言う有美に由佳の頭は混乱した。

この人は何を言っているのだろうと、本気で思う。


「夢を見せられるのは俺だけだからな。」

「・・・・夢を、見せられる?」


そう言えば、人を一人寝たきりにさせられる方法があるのだろうか。

病気や怪我でないのなら、一体どうやって。

由佳は兄のことでこの時やっと、冷静になった。

普通の人間にそんなことが出来るはずがない。それならば、彼らはどうやって?


「穂紬から聞いてないのか、俺たちがお前の兄貴に何をしたのか。」


由佳は首を振った。

有美は言った。


「夢を見せてるんだよ、とびっきりの悪夢を。それが俺の能力だからな。」


「・・・能力?あなた、人に夢を見せることが出来るの?」

そう言えばいつだったかそんな話をどこかで聞いたことがないだろうか、由佳は記憶を手繰った。

望み通りの夢を見られる店があると聞いたのはどこだったか思い出せないが、まさか本当にその店が実在するなんて。

それが青柳に関わることだなんて想像もしなかった。


「お兄ちゃんにも夢を見せているの?」

「そう言ってるだろ。」


有美はニヤニヤと笑いながらポケットからタバコを取り出すと咥え火をつけた。

吸い込んだ煙を由佳の顔にフーッと吹きかけてきて、由佳は思いっきりむせた。


「・・・あなたが、そうなら・・・・・お願い。お兄ちゃんを起こして。」

「それは出来ない。」


返事は即答された。

穂紬とまったく同じ言葉で、由佳の望みは否定されてしまった。


「どうして!なんでなの?お兄ちゃんが一体何をしたっていうのよ!」


激高した由佳は有美に掴みかかった。

服を掴み必死に揺さぶったが、有美はビクともせずそんな由佳を冷たい目で見下ろしてすらいた。

「教えてよ!」

「・・・・そんなに知りたいか?」

吸っていたタバコを地面に落とすとそれを踏みにじり、有美は強い力で自分に掴みかかっている由佳を突き飛ばした。


「っ!」

よろめく由佳に目もくれず、有美は来た道を引き返し始める。一度だけ視線を後ろに投げかけ、


「知りたかったらついて来い。」

 

冷たく言い放つとそれきり振り返らずに行ってしまった。

由佳は立ち尽くしていたが、やがてふらふらと誘われるように有美の後を追いかけていった。





ーーーーーーーーーーーーー





三十分後。たどり着いたのはどこにでもありそうなありふれた四階建てのビルだった。

前を歩く有美は迷うことなく中へ続く階段を上がって行く。

由佳は一瞬躊躇いを見せたが、強く両手を握り締めると意を決した表情を浮かべ、一気に階段を駆け上った。

三階まで上がると扉が開け放たれていたが、有美の姿はそこにはなかった。

ここなのだろうか、恐る恐る室内を覗くと中には女性が居る。

背が高く、キリッとした顔立ちの美しい人だった。その女性と目が合った。


「・・・・あの」

「どうぞお入り下さい。副所長は奥でお待ちです。」


入室を促すように半身を引いたその女性は由佳に笑みを向けてくれた。

その様子に由佳は内心安堵の息をつき、「失礼します」と部屋の中へ足を踏み入れた。

女性の後に続き部屋の奥へ案内されると扉の前で女性は立ち止まる。


「こちらになります。中に椅子がありますので、かけてお待ち下さい。」


女性は由佳に中に入るように扉を開くと一礼をしてその場から離れて行った。

由佳はその場から中を伺った。

てっきり有美が中に居るのかと思ったのだが、そこにその姿はなかった。

言われたように椅子に座り待っていると、少ししてから、奥の仕切りの向こうから有美が姿を現した。さっきまでのラフな格好とは違う、白衣を身に着けている。

由佳には目もくれず有美は部屋の壁際にあるベッドの横にあるテーブルに近づくと、何かをしだした。


「・・・・お香?」


有美の影に隠れて良く見えないが、その向こうから煙が立ち上っている。

そして部屋には心が落ち着くような良い匂いが立ち込め始めていた。


「初めに言っておくが。」


手馴れた様子で作業をしながら振り返りもせず有美は言った。


「俺はお前みたいな馬鹿な女が大嫌いだ。どうせ自分のことを、寝たきりの兄の世話をする健気な女子高生を気取る悲劇のヒロインだとでも思っているんだろうが」


あまりの言い方に由佳は怒りを覚えたが、唇を噛みグッと堪える。

そんな由佳に気付いているのか気付いていないのか、有美は続けた。


「事実はお前が思っているような御伽噺なんかじゃなく、限りなく残酷だ。お前は兄が一体何をしたと言ったが、何もしていないのにあんな目に遭わされるとでも思っているのか?」

「・・・え?」

「俺たちはお前の兄にそれ相応の報いを与えただけだ。それほどのことを、お前の兄はした。」


有美の言葉に由佳は愕然とした。

確かに自分は兄がどんな人間なのかは知らない。

まともな記憶すら持っていないのだから。


でも、自分の兄なのだから悪い人間だなんてほんの少しも思っていなかった。

 

一体どういうことなのだろうか。

急速に由佳の胸に不安が広がっていく。ドキドキと鼓動が早くなっていくのを感じていた。


「お前は知らずにいることで全てから守られていた。だが、お前は知りたいと言った。知りたいと願ったのはお前だ。」


有美は一旦そこで言葉を切ると、こちらを振り返った。

目に感情はなく、見られているだけで殺されてしまいそうな圧迫感に、由佳は知らず身震いをした。


「これからお前に見せるのは俺たちと、お前の兄の過去だ。全てを知ったあとには、死にたくなるような現実がお前を待っているよ。・・・だが」


有美は優雅とも取れる動作で一歩一歩由佳に近づいてくると、手を差し出してくる。

由佳は操られるかのようにその手を取った。

そして有美は由佳の良く知っている、穂紬と同じ優しい笑みを浮かべた。


「俺はお前みたいな人間は大嫌いなんだ。だから好きなだけ傷つけばいい。」


この時、由佳は自分が何を言われているのか理解していなかった。

充満する香の香りにぼんやりとする頭の中で、ただ目の前には焦がれた人の顔があって。 

それだけでいいとすら思ってしまっていた。

由佳は有美に手を引かれるままに、燻る香炉の横に設置されたベッドに腰掛けると促されるまま横になった。

すぐに目を塞ぐように有美の手に顔を覆われる。


「おやすみ」


低く穏やかな、穂紬と同じ優しい声が耳をくすぐる。


由佳は目を閉じると吸い込まれるように眠りの中へと落ちて行った。










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