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愛をつたえる  作者: 川角檀弓
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由佳はまるで病院から逃げるように走り続けた。

たった今聞いてしまったことを信じたくはなくて、まるで振り切ろうとするかのようだった。

走って走って走り続けた由佳は、息苦しさに足を止めた。

肩で息をしながら辺りを見回すとそこは駅の近くで、がむしゃらに走ったつもりだったのに通り慣れた場所に居たことに、由佳は自嘲気味に顔を歪めた。

自分の兄をあんな風にしたのは、初めて恋した男性と、ずっと見守ってくれていると思っていた先生だった。

あれが見守っていたのでなければ、つまり、監視していたのだろうか。

それに気付いた由佳は震えそうになる体に腕を巻きつけると、きつく抱き締めた。

もう何も信じられない。

由佳は絶望した。


その日を最後に由佳は病院へ行かなくなった。



 一週間が経過した頃。由佳が学校から帰宅し玄関の扉を開くとそこに伯父が立っていた。

「おかえり。」

「わ、ビックリした。ただいま・・・・・どうかしたの?」

ドアを閉め、ふと足元に目をやるとそこには見慣れない靴が一揃いあった。

きれいに揃えられているその靴は、伯父の物にしては少し大きいようにも見える。

「お客様?」

 尋ねると伯父は難しい顔をしたまま頷いた。

「お前に客だ、由佳」

「私に?」

「こっちへ来なさい。」

そう言うと客間へ向かって歩き出す伯父の後を由佳は慌てて追いかけた。

何も言わず歩く伯父は客間の前で立ち止まると、由佳を振り返る。

見たことのないような難しい顔をしている伯父に「何?」と思わず由佳は呟いた。


「一人で入りなさい。」

「・・・・・誰が来てるの?」

「入れば分かる。」

「いや!教えてよ。」


 何も知らされないままでいることが、今の由佳にはとても恐ろしいことに思え、その場に立ち止まり伯父の腕を掴んで離さなかった。すると伯父は由佳の様子に眉を寄せながらも、溜め息をつくと由佳の掴んでいる腕とは反対の手で由佳の頭を撫でた。


「弁護士さんだよ・・・お前のお母さんの担当をした。」


思ってもみなかった相手に由佳は不安を増した。

「伯父さんも一緒に来て。」

「由佳」

「・・・・怖いよ」

また母親のことで何かを言われるのだろうか。

散々色々なことを言われて来ているのに、いつまでも母の過ちが由佳に付きまとうなんて。

由佳は俯き唇を噛んだ。

そんな由佳の様子に伯父は小さく溜め息をつくと「来なさい」と由佳の手を取り室内へと共に足を踏み入れてくれた。少しだけホッとした由佳は掴んだ手をギュッと掴んで離さなかった。

 

中に入るとソファに腰かけていた人物が立ち上がり、こちらを向いて優しげな笑みを向けてきた。

由佳は伯父の背に隠れるようにしながらその人を見た。


「初めまして、こんにちは。」

「・・・・・こんにちは」


わずかに頭を下げ、由佳は対面のソファに伯父と共に腰を下ろす。

とても優しそうな人だ。聞いていなければとても弁護士だなんて思えなかった。


「由佳さんですね?私は和久利と言います。以前お母さんの弁護をさせてもらいました。」

「・・・はい。あの、母が何か?」


 おそるおそる尋ねる由佳に和久利は目を細めた。


「お母さんが出所される日が決まりましたよ。」


 寝耳に水だった。由佳は目を丸くし全身を固くした。しかし、考えてみれば母の刑期は聞かされていた限りではもうそろそろなはずなのだから、考えればそれは普通のことでもあった。

けれど由佳はそう思えなかった。

母が、出所する。

 覚えたその感覚は恐怖に近かった。


「そこで一つ、由佳さんにお願いがあって来ました。」

「・・・何、でしょうか」


 のどが一気にカラカラになって、ひきつった声で何とか返事をすると、そんな由佳に気づかないまま和久利は言った。

「お母さんが戻られたら、お二人で一緒に住んで頂けませんか?」

「・・・・え?」

和久利は由佳が思ってもみなかったことを口にした。

その言葉の意味がよく理解できず、由佳が「もう一度言って下さい」と言うと、和久利は目を細めとても穏やかな表情を浮かべた。


「あまり難しく考えないで下さいね。無理ならば無理とも言って下さい。そしてこれは強制ではありません。」

「はい・・・」

「斉木千歳さんですが、実は最近情緒不安定なんです。・・・・深刻には考えないで下さいね?医師の見解ではさほど問題はないと聞いてますから。それで、そのお母さんなんですが、どうも出所が近付くにつれて不安定になってきていたらしいんです。家に帰りたくないと漏らしたこともあったようです。僕にはそれが何を意味するのかは分かりません、俗に言うシャバに出たくないのかそれとも本当に自宅に帰りたくないのか。」

「・・・・・」

「これは僕なりの見解なんですが、僕は自宅に帰るのが怖いと言っているように思えてなりませんでした。では何故怖いのか・・・それも想像しか出来ないのですが、もしかするとお母さんは一人が嫌なのかもしれません。もしそうならば一緒にいる人が居てくれれば良いのではないかと思ったんです。」

 和久利はゆっくりと、分かりやすく噛み砕いて話してくれているようで、何が言いたいのか由佳は容易に察することが出来た。

「現在のご家族の現状を少し調べさせて頂きました。勝手をして申し訳ありません。そこで調べた限り、一緒に住んで頂けそうなご家族は由佳さんだけでした。なので、この話を由佳さんに持ってこさせて頂いたんです。」

「・・・お話は、分かりました。」

「先程も言いましたがこの話は強制ではなく、あくまでお願いです。受刑者の多くは出所後に不安を抱いているので、お母さんが不安定になっていることに、おそらくはそれも関係していると思います。どうか、家族として・・・・お母さんを受け入れてあげてもらえませんか。」

 和久利の話はその一点だけだった。由佳に母と一緒に暮らして欲しいという、それだけの為にわざわざ足を運んできたようだった。

「由佳さん、考えるだけ考えてみてあげてくれませんか?」

「・・・時間を、下さい」

「ええ、もちろんです。」

 和久利は要件を告げると席を立った。心が決まったら、それがどんな返答でも連絡をして欲しいと言い残し、家を後にした。

 由佳は和久利を見送った玄関に立ちつくした。

 どうして「今」なんだろう。複雑なことは何も考えたくないのに、考えなければならないことが次々と押し寄せてきて、由佳はもう、息もまともに出来なかった。

 こんな時、相談出来る人がいてくれたら。


「おじさん、私・・・どうしたらいいんだろう。」


 由佳の問いに、伯父は黙って肩を抱いてきた。

「・・それは、由佳が考えて決めなさい。」

返ってきた答えは至極まっとうなものだったが、由佳はそれに失望した。

欲しかったのはそんな答えじゃなかったから。

 それならばどんな答えが欲しかったのか。その答えをくれそうな人が誰なのか考えた時、思い浮かべた人物は当たり前のように榊であり・・・青柳だった。

自分の中に深く刻まれている二人にはもう相談出来ないなんて。


 由佳は嗚咽を漏らし、泣いた。






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