真実の先にあるもの
早足で向かったのはメールで榊に指定された、いつものミーティングルームだ。
ものの数分で僕はたどり着き、ドアを破る勢いで中に入った。
榊はこちらに背を向け、窓際に立っていた。
「どうして言わなかった。」
抑えられない怒りに僕はツカツカと榊に近づくと腕を掴み榊を振り返らせる。
榊は飄々とした顔をしていた。
「言っただろう、あの子に深入りするなと。」
「そうじゃない。どうしてあの子があいつの妹だと言わなかった。」
僕の糾弾に対し、榊はいつも以上に静かだった。しばらくの間無表情だったが、ふと嫌味を含んだ笑みを浮かべると、言った。
「じゃあ反対に聞くが、聞いていたらどうするつもりだった?」
「・・・どうするって」
「何も言わず、そのまま同じ関係でいられたか?」
嫌味な口調が癇に障ったが、しかし僕は答えられなかった。
それを見透かしたのか、榊は僕から視線を外す。
「お前には出来ないよな。黙っていられなくなって、きっと言ってしまう。」
「・・・・それは」
「そうされると、迷惑なんだよ。」
「・・・・・・迷惑?」
床の一点をジッと見つめ微動だにしない榊は、まるで知らない人間になってしまったかのようで、僕は無意識に後ずさった。
「どういう意味だ?」
すると榊は何がおかしいのか、突然低く笑い出した。笑い続け、そして唐突に笑い止むとこちらを向く。
向けられた目は光も無く、黒く濁っている。汚泥にまみれているかのような、お世辞にも澄んでいるとは言い難いこの目を、過去に一度だけ僕は見たことがある。
「お前気付いてるか?これまでの由佳の孤独を作り上げたのが誰なのか。」
「・・・・・」
「言われなくても分かってるよな。そう、俺たちだ。父親は死に母親は刑務所で身近な家族は兄だけなのに、俺たちが由佳の最後の家族である兄をあんな風にした。せめて兄さえ目覚めていれば、あそこまでの孤独は味わうことはなかっただろうにな。しかしまあ、あれだけ最低な男だったんだ、由佳の望むような兄妹で在れたかどうかは疑問も残るが・・・」
僕はギリ、と歯を食いしばる。榊は続けた。
「俺たちの身勝手が、由佳を苦しめてきた。そして事実を知れば・・・・更にあの子は一体どれだけ傷つくんだろうな。生きる希望をなくすかもしれないな。何せ、信頼している兄の担当医と、初めてまともに好きになった男が、兄をあんな目に遭わせた張本人なんだから。」
突きつけられた現実に僕は言葉を失った。
僕たちのしたことが、結果的に由佳を孤独へと追いやったのだという榊の言葉に、何も言い返すことが出来なかったのだ。
例えそこへ至るまでの確固たる深い理由があったとしても。
彼女を孤独から助けたいと思っていた。
だがそもそもの元凶が自分にあったなんて笑い話にもならないじゃないか。
僕は手で顔を覆った。
信頼している人間に次々に裏切られてゆく少女が傷つかないはずがない。きっと由佳は絶望するだろう。事実を知った時の由佳を思い、僕は胸が締め付けられるようだった。
しかし僕たちにだって理由はある。どうしてそうしたのか、その理由が。
「・・・・・っ」
この時僕は一番の問題に気付いてしまった。
顔を覆っていた手が震えて力が入らず、僕は腕をだらりと下ろした。
「・・・・僕は正義じゃない。でも、悪でもない。」
この現実に後悔はない。斉木和真に対して謝罪をしようとも思わない。
たとえどんな理由があったとしても、僕はあの男を許さない。
だからあいつを、この現実へと追いやった。決して抜け出せない地獄へ。
そんな風に思う僕に、彼女に何かを告げる資格などどこにもなかった。
「あの子には・・・何も言わない」
僕たちの罪を告白するのならばあの男との関わりも告げなければならなくなる。
僕はきつく目を瞑り、爪が食い込むまで拳を握り締めた。
全てを知れば由佳の生きる希望は何一つなくなるだろう。
そんなことは出来なかった。
僕は全ての事実を由佳に告げない決心をした。知って良いことなど何一つ無いのだから。
言い訳のように自分に言い聞かせ俯く僕の横では、榊が満足そうな笑みを浮かべていた。
しかし、現実とはいつだって望んだ通りには進まないのだ。
突然、ガタンと入り口の辺りから物音がして僕らが振り返ると、そこには目に涙を浮かべ青ざめた表情をした由佳が立っていた。
その様子から話を聞いていたのは明白だった。僕は天を仰いだ。
「・・・・・・・嘘だよね?」
震える声。必死に今聞いた話を否定しようとしている由佳に、僕は何も言うことが出来ない。
「嘘なんでしょう?青柳さん・・・・先生も!」
「こいつの後をつけてきたのか?」
榊の言葉に由佳はビクリと体を震わせ、震える手を頭へやるとくしゃりと髪を掴んだ。
「・・・だって、青柳さんの様子が変だったから気になって」
「それで、そこで立ち聞きをしていたのか。」
榊のきつい口調に由佳は唇を噛んだ。
見る見るうちに溜まっていく涙は、堪えきれず溢れ、由佳の頬を濡らした。
「本当なの?・・お兄ちゃんをあんな風にしたのは、先生たちなの?」
「それを聞いてどうする。」
「だって!だって先生は、分からないって言ってたじゃない!お兄ちゃんがどうしてああなったのか分からないって・・・ずっと」
由佳は慟哭していた。先日見た涙とは違う、悲しみしかない涙を流し、僕たちを責めた。
そんな由佳に僕は何も言えず、ただ泣く彼女を見つめていた。
真っ直ぐに僕たちを見つめながら涙を流す由佳は、ボロボロと涙を流し続けた。
そしてふと唇を開くと、言った。
「・・・・返してよ、お兄ちゃん。先生たちがあんな風にしたのなら、戻せるんでしょう?」
よろめくように一歩を踏み出すと、由佳はゆっくりと僕たちに近づいてくる。
僕の目の前に立つと、由佳は服をギュッと掴んできた。見上げてくる顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
見ているだけで胸が痛んだが、僕は首を振った。
「それは出来ない。」
あの男を目覚めさせる訳にはいかないのだ。
例えどんなに懇願されたとしても。
何も伝えないでいることだけが、今の状態を維持し続けることが、由佳を守るたった一つの方法だった。
だからこの現実を何も変える訳にはいかない。どれだけ彼女になじられても。
僕の言葉に由佳の手から力が抜け、するりと掴んでいた服を放した。しばらく垂れ下がっていた腕は力なく揺れていたが、次の瞬間には僕の頬を強く打っていた。
パァン、と頬が高く鳴り、頬がジンジンと熱を孕む。
由佳は僕を睨みつけ、僕は彼女をただ見下ろした。
由佳は必死に何かを言おうと唇を戦慄かせたが、結局何も言うことが出来ないまま、踵を返すと部屋を飛び出して行った。
追いかけることも出来ず、僕は立ち尽くすだけだった。




