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「しばらくは、オト。おまえが俺の体で、浜田源介として、俺の仕事をしてくれ」
オトとは、僕のことだ。
「えっ!無理ですよそんなこと!」
何を言い出すんだこの男は。
「大丈夫だ、何とかなる。俺が病室から細かく指示を出すし、リリィも同行させる」
源介のベッド脇の椅子に腰掛けているリリィは、心配そうに僕と源介を見比べている。
「受注したまま、手付かずの依頼が何件か溜まってる。着手金を貰っちまってる案件もあるし、何とかしなくちゃならねえ」
「え、あの、仕事とか言ってられる状況なんですかね……」
「仕事とか?」
源介の目付きが鋭くなった。僕の顔でもこんな迫力のある表情をすることができたのか。思わず目を逸らしてしまった。
「何を言うんだ。仕事をするから生きていける。仕事をしないと、生きていけない。ここの医療費だって払えねえ。違うか?」
源介の言葉が胸に突き刺さった。そうだ、僕はバイトもろくに続けられずに、ずっと親の仕送りと、パチスロで得た少々のあぶく銭でその日暮らしをして来た。それは、生きていたわけではなくて、生かしてもらっていただけなのだ。わかってはいたことだが、それが当たり前になると、つい忘れてしまう。
「こんなことになっても、俺達は死ななかったんだから、生きていくしかない。生きていくためには、仕事するしかないんだよ」
源介のその言葉を聞いたリリィは、安心した表情に変わった。
「それに、俺達の体が元に戻った時に、すぐに元の生活に戻れるようにしておきたい。そのためにも、今仕事を切らすわけにはいかねえんだ」
一々納得させられる。正論だ。僕の顔で言われるのが少しだけ癪だが。
「俺とおまえでこんなになっちまったんだから、もうお互い他人事じゃねえ。お互いのためだ。俺も腹括ってやれることはやるから、おまえも腹括ってくれ」
僕は言葉を返せず、黙ってしまった。リリィは僕を見てまた不安そうにしている。
「オト!」
源介は僕から目を逸らさない。
僕は街を歩いていただけなのに、なぜこんな目にあって、そんなことをしなくてはならないのか。理不尽だ。だが、元々すでに投げていた人生。あれより悪くなることはないし、僕より悲惨な状況の源介が頑張ろうとしているのだから、少しくらいやってみてもいいのではないか。
「僕は、その、ずっとニートで。働いたことなんてろくにないし。人と話すことも苦手で……」
「仕事ったって色々あんだよ。特に俺らの仕事は。スーツ着てネクタイして商談して来いって言ってんじゃねーんだから。それにさ」
源介は僕を指さした。
「今は浜田源介なんだから、少しはハッタリも効くだろ」
本当に大丈夫だろうか。
「ガラ悪っ」
リリィが、僕を見て笑って言った。
「ガラ悪くねえよ、かっこいいじゃねえか」
僕はファッションのことは全くわからない。シルバーのゴロゴロとしたネックレスや指輪が非常に鬱陶しい。ベルトのバックルもそうだし、なぜこんなに重たい物をあちこちに身に付けなくてはいけないのか。革のパンツも、底の分厚いラバーソールも固くて歩きにくい。もしかしたら源介は永瀬正敏に憧れているのかも知れない。
だが、目線が高くなったのは気分がいい。また、下を向くと腹で隠されずにちゃんと足元が見えるのが新鮮な気分だ。
「ほらっ、これ忘れんなよ」
サングラスを投げられ、慌ててキャッチした。よくわからないが、これもきっと高いブランド品なんだろう。こんなものをつけて外を歩いたら、視界が悪くて危ないんじゃないのか。つけてみると、やっぱり世界が暗い。
「うーん、源介だわ」
「うん、俺だな」
二人が僕を見上げてそう言った。
「よしリリィ。頼んだ。まずは単純な案件からだ。ミナの未払い」
「オッケー」
リリィはそう言いながら立ち上がって、ニヤニヤしながら僕を見ている。相変わらず天使のように可愛い。だが不安だ。
「あの、どうするんですか?」
「決まってんじゃん。お仕事。オトも一緒に。今から行くよ」
「仕事っつっても探偵業務じゃなくて人からの頼まれごとだ。おつかいだな。行って来い」
もうなるようになれ。
13:10。
リリィに連れられオオシマ医院を出発、地下鉄南北線中島公園駅から、東豊線豊水すすきの駅へ向かう。すすきの駅と豊水すすきの駅はそれぞれ近い場所にあるが、路線が異なる別の駅だ。
すすきの駅はススキノの北側にある駅だが、豊水すすきの駅はススキノの東側にあり、源介の事務所のある狸小路にも近い。一度事務所に寄ってから、依頼人に会うことになった。
ススキノと聞いて、また事件に巻き込まれやしないかと身の危険を感じたが、先日の闇金の件は、すでにリリィ達から依頼人へ調査の報告をして完了している。現金持ち逃げの計画は確かにあり、源介を襲った犯行グループは、依頼人である社長からの粛清を恐れて、散り散りになって逃亡生活をしているそうだ。ひとまず今のところは安全だろう。
今日の僕の記念すべき探偵デビュー案件は、未払いの給料の回収。もう帰りたい。何が「おつかい」だ。確実に揉める。
依頼人は、美奈という女性。ススキノのニュークラで「キャスト」、わかりやすく言えばホステスとして働いている。先々月に所属していた店が潰れてしまい、現在の店でまた新たに働き始めたのだが、前の店からの給料が二か月分、支払われていないのだそうだ。
法律に則って然るべき対応をすることもできるが、時間も費用もかかり面倒である。ヤクザに頼むと、回収した額面の半分以上が報酬として持っていかれるので、これも気が進まない。というわけで、源介のような何でも屋に依頼が来るのである。
札幌での「ニュークラ」とは、いわゆるキャバクラのことである。ボックス席などで客と着席し、酒を飲んで接待をするが、胸を触らせたりなどの性的なスキンシップサービスはしないシンプルな業態だ。一方、札幌で「キャバクラ」というと、これに性的なスキンシップサービスが加わり、いわゆるセクキャバということになる。業態の呼び名が全国から見て札幌だけ変わっているため、ややこしい。
余談だが、「ガールズバー」はあくまで女性はバーテンダーもとい店員であって、接待としての着席はせず、カウンターを挟んで客と世間話をしているという建前になっており、サービスが軽い為に単価も安く抑えられる。
様々な業態はあるがいずれも無論、「抜き」は原則行わない。抜きが伴えばそれは風俗の範疇となる。僕は風俗以外は全く興味がない。高い金を払って女性に気を使って何がおもしろいのかと思う。ましてや会話が苦手な僕には罰ゲームでしかない。
「未払いの給料の回収って、そんなことどうやるんですか……?」
「色んな方法があるんだけど、まずは美奈さんに会って話を聞いてみないとだね」
リリィと二人っきりで街を歩く。これは仕事だが、女性と二人で街を歩いたことなんて、今までの人生であっただろうか。しかもこんなにも美しい女性とだ。後ろをついて歩いていると、時たま、リリィの髪の香りが鼻をかすめる。つい現状の不安を忘れそうになるほどの、幸せな気分になる。
今日のリリィの服装は、七分袖の黒いブラウスに白のストレッチパンツで、髪は綺麗にアップスタイルにしている。やはりこうして依頼人に会う時は、少し大人しめな感じにしているのだろうか。
「あ、あの、リリィさん」
「うん?」
リリィは振り向いて目を大きくした。僕がもし木村拓哉や福山雅治くらいイケメンだったら、この瞬間に抱きしめてプロポーズしていただろう。
「あ、あの、に、に、荷物持ちます」
リリィは自分のバッグとは別に、僕と源介の洗濯物などが入った、重そうなショルダーバッグを肩にかけていた。
「えっ、マジで?気が利くね!新入り〜!」
「あ、あの、いや、男ですから」
恥ずかしくて、顔が真っ赤になるのが自分でもわかる。言いたいことは頑張って言ったつもりだ。言い方はキモかったかも知れないが、男が女の荷物を持つ、別に間違ってないと思う。
「あたしも男だけどね、悪いねぇ」
はっはっは、ご冗談を。
「あっ、その、えっと、確かにこういう大変な仕事して、えーと、リリィさん、男っぽいって言うか、いい意味で!すみません、僕男なのに頼りなくて……」
「言ってなかったっけ?あたし男だよ」
リリィは笑って、僕の顔を覗き込んだ。おかしなことを言う人だが、可愛いから全て許せる。
「タマも竿もとってないよ」
釣りの話かな?
「ごめんびっくりした?気にしないで、さ、行こう」
ショルダーバッグは、とても重たかった。