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あれから二週間。
あの日、僕の頭上に落下して来た男の名は、浜田源介。通称「革ゲン」。
ススキノのすぐ近く、狸小路の路地裏にある倉庫を自宅兼事務所としてリノベーションし、26歳の若さで私立探偵業を営んでいる。僕と同い年だ。
髪型はショートウルフに襟足が長め(マレットと呼ぶらしい)、身長178cm、体重73kg。夏以外はライダースジャケットを常に着ている為、それがトレードマークになり、いつしか革ジャンの源介、略して革ゲンと呼ばれるようになった。
そんな目立つ格好で探偵ができるのかと疑ったが、これが意外に忙しいというから驚いた。正規の探偵業としては、浮気調査や企業のマーケティングリサーチ、警察が絡まない失踪者の捜索、ボディガードなどの依頼が多い。
それ以外では、債権の回収や紛争の仲裁、夜逃げ支援、離縁復縁工作など、頼まれれば大小様々な仕事を請け負うため、この街の何でも屋、便利屋のような扱いをされているらしい。
報酬次第では法的にグレー、場合によっては完全にブラックな無茶をやることも珍しくない。そんなわけで、顧客には当然ヤクザなどの反社会勢力も含まれているし、時には財政会の大物までもが彼を頼ることがあるんだそうだ。
リリィは、源介の助手として雇われており、様々な仕事をサポートしている。
目測による概算だが、身長169cm、体重5Xkgといったところか。女性にしては結構背が高い。
源介とは上司と部下の関係というよりも、信頼し合える相棒のような間柄らしい。生活時間が不規則で危険なことも多いこの仕事だが、収入が良いため、少しずつ手伝うようになり、いつの間にか専業として取り組むようになってしまった。
年齢や恋人の有無については、僕には聞く度胸はないのでわからない。左手薬指に指輪はしていないようだが。
人手が必要な仕事の場合は、リリィ以外にも複数の仲間が加わることもある。
数ヶ月前、源介はあるヤバい依頼を受けた。とある北海道を拠点に荒稼ぎしている大手闇金業者の内部で、幹部グループによる現金持ち逃げ計画の噂が囁かれた。それを耳にした社長が、噂が本当かどうか調査して欲しいと頼み込んで来たのだ。
破格の着手金を受け取り、喜び勇んで調査を開始した源介だったが、知れば知るほど危険な事実が次々と判明し、結論、噂は事実であることが確定し、犯行を計画していたグループから、源介は狙われるハメになってしまった。
その結果、あの日源介はビルの屋上で追い詰められ、暴行を受けた。犯行グループも、まずは源介を拉致することが目的であり、さすがにあの場で源介を殺すつもりはなかったと思われる。揉み合っているうちに、弾みで源介はビルから落ちてしまったのだ。
そこで、落下地点に偶然通りがかった、僕のよく衝撃を受け流しそうな丸い体と豊満な脂肪がクッション、もしくはトランポリンとなり、源介は奇跡的に軽傷。僕はというと、命は助かったが、全治四か月。腕や足を骨折した。
想像以上にこの件は危険になり過ぎてしまった為、源介は前もってリリィや仲間達に身を隠すように指示していたが、リリィ達は源介の身を案じて、密かに遠巻きから見守り、もしもの際に備え現場付近に潜伏していた。今回の仕事は依頼人が依頼人だけに、絶対に警察沙汰にはできない。
リリィ達は騒ぎになる前に、用意していた古い三菱デリカスペースギアで現場に乗り付け、素早く負傷した源介を救出。その際、ラッキー緩衝材としての役目を終え、ボロ雑巾のように打ち捨てられていた僕は、放置されたままだと事件になってしまう為、やむを得ずついでに「回収」された。
だがもし緩衝材がこのまま死亡したら、さすがにリリィ達もこのことを隠すことは困難になり、事件化は免れない。それだけは避けなくてはならなかった。そのため、僕という人間に対して誰も興味など全く持っていなかったが、仕方ないので協力し合って必死に応急処置をしてくれたのだそうだ。
現場から逃走する時、軽傷だった源介は気を失っており、逆に重傷のはずの僕はしばらく意識を保ち続け、息も絶えだえながら、なぜか初対面であるリリィ達に、的確にこの後のことの指示を出したそうだ。源介しか知るはずのないことを口走るので、皆は不思議に思った。僕はそんなことを話した記憶はない。
源介が僕の上に直撃したその瞬間から、僕と源介の体は、どうやら入れ替わってしまったらしい。
信じられないが、信じるしかない。現実は、僕らがそれを受け入れられるかどうかなんて、一切気にしてはくれない。
僕は今、浜田源介として生きている。無論、逆に源介は僕の体で、横山音栄として生きている。
僕と源介を助けた一行はその後、札幌市中央区中島公園駅付近にある、源介達が懇意にしている「オオシマ医院」に向かった。古いラブホ街の一角にひっそりと建ち、小さく寂れていて怪しい雰囲気を醸し出してはいるが、一通りの医療設備は揃っている。
後で知ったことだが、この病院は源介達だけに限らず、街の脛に傷持つ輩達にとっての駆け込み寺なのだ。処方箋なしで薬を出したり、刃物や拳銃による傷の手術は日常茶飯事で、健康保険を使えない患者ばかりだそうだ。
僕の体の重傷に耐えていた源介は力尽きて気を失い、リリィは一晩付き添いで残り、他の仲間達は一時解散。僕も源介も適切な治療を受け、入院することになった。
今後僕の扱いをどうすべきか意見は様々だったようだが、今は少なくとも源介の体の主であるし、源介の恩人であるし、とばっちりを喰ったかわいそうな人でもあるし、何よりこの超常現象を解決する上では、当事者である僕の協力も不可欠だろうということになって、当面の生活費や治療費も出してくれることになった。僕が無職であったことは、そういった面では面倒が少なく有利に働いた。
僕は明日で退院する。今後について話し合う為に、源介の病室へ向かった。リリィも来ている。
「よう恩人。そっちはもう全快だな」
僕を見て源介がそう言った。何度見てもダメだ。完全にRPGなどに出てくるオークそのものなのだ。ベッドに横たわる源介、つまり僕の体は、想像以上に残念だった。つい、源介に申し訳ないと思ってしまった。いや、僕は悪くはないのだが。
それにしても、こんな絶望的な状況で、どうして源介はこんなにも明るく振る舞えるのか。源介は僕と違い、数日でこの惨状を受け入れた様子で、立ち直るのは早かった。
「あの、これから僕達、どうしましょうか……」
「そうだな、お互いの体が元に戻るまで、色々決めとかねえとな」
驚いた。源介は、僕らの体が当たり前に、いつか元に戻るものだと信じているのだ。全く何の根拠も保証もないのに。
「戻るって、どうやって……」
「知らねえよ、でもまぁ何とかなるだろ」
何と楽天的なのだろう。一生このままだったらどうしよう、とは考えないのか。仮にこのままだったとして、僕はまだいくらかマシかも知れない。割を喰っているのは、源介だ。逆の立場だったら、僕はもっと絶望するはずだ。
「元気出せよ!腐っても仕方ねぇだろうが!」
源介は、笑顔でそう言ってくれた。その言葉は、前向きで、心強い。現状を打破するために頑張ろうと、自然に思えて勇気が湧いて来る。しかし何かが引っかかる。源介は僕の顔で明るく笑いながら喋り続けた。
引っかかりの原因がわかった。この顔だ。
他とは比べようもないくらいにウザい。僕のこの顔と体型でこんな口調でものを言われると、こんなにもイライラするのか。改めてショックを受けつつ、今まで僕と接してくれた多数の人々に感謝した瞬間だった。