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「ええと、その、言いにくんですけど……」
「ん?」
リリィが、ジョッキをあおりながら、目を丸くして反応した。美味しそうに飲む姿も可愛い。
「虻川が言ってたあの話って。その、以前にそういうこと、やったことあるんですか?」
「源介さんが」と言いそうになるのを堪えて聞いてみた。つい忘れそうになるが、源介は、今は僕なのだ。リリィは、チラリと店主が背を向けて仕事をしているのを確認した。
「これのこと?」
腕に注射をする仕草をしながら言う。
「はい。それ……まさかとは思うんですが」
「ないない。うちはやってないよ。あいつはそういうのは嫌いだし、リスクが高過ぎるでしょ」
「……よかった」
僕は、心の底からホッとした。源介も、越えてはならないラインというものを、ちゃんと定めているらしい。見直した。同時に、虻川に対する怒りがさらに激しく燃えてきた。
「あの野郎、疑いやがって」
「まぁ、そっちはやってないけどさ。ほら、この前も、闇金の依頼とか受けてたし。他にも色々やってるし。オマワリには目付けられてるよね」
正規の探偵業務であれば問題ないが、源介が広く請け負う何でも屋の仕事。そう言えば以前に、法的にグレーなことや極まれにブラックなことも、報酬次第ではやると聞いた。ネズミ小僧や石川五右衛門のような存在ってことか。いや、この例えはおかしいか。
「僕達が吾妻を尾行していたことも、バレていた感じでしたよね」
「常に24時間ってわけじゃないだろうけど、オマワリもたまにあたし達を監視はしてただろうから。今日はたまたま監視してたんじゃない?」
「僕達が美奈さんと面談してることも知ってるとしたら、美奈さんにも警察の取調べが及びますよね……」
「さすがにそれは知らないと思うけどな〜」
「僕達が犯人なんじゃないかって、疑ってるのかも」
「そこまでオマワリもバカじゃないでしょ。バカばっかりだけど」
リリィは、バッグから茶封筒を取り出した。
「本当に容疑者だと思ってたら、こんなもん寄越さないよ」
こういう金は、恐らくさっきのような揉め事の時に、よく渡されているのだろう。紆余曲折あって一般市民の血税から姿を変えた、裏金と呼ばれる資金から捻出されるに違いない。
「今日は協力ご苦労。しかしそれとは別に、おまえ達普段から怪しいことやってるな。あんまり調子に乗るなよ。おっと手が滑った。まあ気にするな。今日のことは内緒だ。余計なこと他所で喋ったら容赦しねえぞ。ほら、好きだろ?これ大事に持って帰れよ……って意味だよね。これ」
リリィの翻訳で、ますます腹が立って来た。
「すみません、ビームハイボールお代わりで」
三杯目だ。
「飲むねえオトっち」
腐れオマワリに恥をかかせる方法。そうだ。決めた。
「リリィさん、僕達で吾妻殺しの犯人を捕まえましょう」
ジョッキを傾けていたリリィが、ブホッ!と盛大な音を立てて、口からビームハイボールを炸裂させた。美人と美味い酒、価値ある二つのものが同時に台無しになる。少し鼻から出ているのを、僕は見逃さなかった。貴重な映像だ。リリィは慌てておしぼりで顔を抑えた。
「腐れオマワリより早く、僕達で先に」
「何を言い出すんだね君は〜!」
「この金を調査費用にして」
「あんたねぇ。オマワリでもないただの探偵が、法的にそんなことする権限なんてないの!」
「あ、そうなんですか……」
もじゃもじゃの頭を掻きむしりながら推理する人とか、その孫とか、頭脳は大人のまま子供になってしまった人とか、あんなようにはいかないのか。
「しかも、あたし達は人様から報酬をもらって仕事するんだから。そんなん一銭にもなんないじゃんよ!」
もっともだ。源介も、そんなことは許さないだろう。
「しかも、オトも聞いたでしょ。ボウズの話。もしかしたらってこともあるし、危ないよ!」
そのとおりだ。そんな伝説の殺人鬼のような奴が犯人だとしたら、捕まえようとしても返り討ちにあって殺されてしまうだろう。嗅ぎ回っているだけで殺されてしまうかも知れない。
しかし、たまたま現場に線香があっただけで、そう短絡的に結び付けてよいものか。そもそも、もう二年も前に、ボウズは事故で死んでいるという説もあるではないか。
「犯人を捕まえるのはさすがに言い過ぎましたが、その、失踪したユラって娘を探すのは……?」
「探してどうすんの?」
「誰がどう見ても、この件はユラが何かを知ってるはずですよね。犯人かも知れないし」
警察も、ユラを容疑者として捜索するだろう。いや、もうとっくに捜索を始めているに違いない。
「ユラに会って、真相を聞き出して、後は警察に通報するとか」
「それだと、結局オマワリに協力するだけじゃん。それに、あんたよりもオマワリの方が捜索上手に決まってるじゃん」
「あ、そうか……」
「も〜」
僕はやはり、無力なのだろうか。しかし虻川だけは、いつか思い知らせてやりたい。
「まぁでも、オトさ。何か積極的になってきたよね」
「えっ?」
リリィは何やら、嬉しそうにしている。
「すみませーん!ウイスキー、ロックで!」
上機嫌で手を上げてオーダーした。
「リリィちゃん、今日はウイスキーって感じだね。何がいいの?」
「う〜んとね、ニッカかな」
「安いのでいいなら安いの出すけど、今は竹鶴17年と、スーパーニッカもあるよ」
「マジで。じゃ、スーパーニッカお願いします!」
店主は、グラスに大きな氷を落とし、丸いフラスコのような形の瓶を取り出して、琥珀色に輝くウイスキーを静かに注いだ。
「あいよ。お待ち」
リリィは、出されたそのスーパーニッカのオンザロックを一口飲んで、「うん」と笑顔で頷いた。
「オトも飲んでみ」
こうやって、毎度リリィは知らない酒を僕に勧めて来る。もしかして、僕に酒の味を覚えさせようとしてくれているのだろうか。ウイスキーは、今飲んでいるハイボールでしか飲んだことがない。
恐る恐る、グラスに口を付けてみた。煙臭さと、木の香りが鼻を突き抜ける。驚いた顔をして考えていると、リリィが笑った。
「ちょっと、慣れない感じ?」
「いや、あの……木みたいな香りがして」
「樽の香りですよ、独特でしょ?」
店主も、ニヤニヤしながら語りかけて来た。
「あの……。このビームハイボールのウイスキーとは、やっぱり全然違うんでしょうか?」
「革ゲンさんが今飲んでる奴は、ウイスキーなんだけど、バーボンって言って、トウキビなんだわ。だから甘めでしょ」
トウキビ。道民は、トウモロコシとは言わずにトウキビと呼ぶ人が多い。
「あたしのコレは、モルトのブレンデッド。麦ね。国産だけど、スコッチっぽいかも」
店主とリリィで、何も知らない僕に、トウキビウイスキーと麦ウイスキーの違いを教えてくれた。本当に酒は色々あるものだ。馬鹿にせずにこうして教えてくれるのは、ありがたいことだ。虻川に対する怒りが、少しずつ小さくなっていった。
リリィが、お通しの松前漬を一口食べ、またスーパーニッカを飲む。
「ヤッバいねこの組み合わせ!」
「松前漬、俺が漬けたんですよ!美味いでしょ」
松前漬とは、北海道の郷土料理ではあるが、最近では全国でも割と知られているようだ。数の子を、昆布とスルメと合わせて、塩辛く漬ける。元々の素材の甘さと旨みが引き立ち、調味料との相乗効果で、何とも言えない味に仕上がる。適度なヌメりがあり、苦手な人はいるかも知れない。ご飯のおかずにしようものなら、丼でいただける程にすすむ。僕も松前漬を一口噛みながら、事件のことを考えた。プツプツとした数の子の食感が堪らない。
落ち着いて冷静にはなって来たが、どうしても虻川に一泡吹かせてやりたい。警察とは違って、個人の探偵に過ぎない僕が、事件の捜査を堂々とすることは難しい。依頼人から仕事として頼まれなければ、基本的に僕は動いてはならない。そして、ボウズは危ない。
ボンヤリと今の自分の考えを整理しながら、ビームハイボールと松前漬を味わった。




