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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

少年と魔女

作者: じゅうぜん

 ぼくは村から逃げてきた。

 軍の人たちが火を付けたから。

 忌まわしい魔女め、と声高に叫んで、ぼくたちは意味も分からずうろたえた。

 村長が何事かと一番えらそうな人に近づいて、斬られて死んだ。

 母さんが窓から覗いていたぼくの目を、手で覆う。

 もう遅かった。

 父さんは裏口からぼくを出して、森へ逃げろと切羽詰まった形相で言った。

 ぼくは頷いた。頷かないと、怒られる気がした。

 悲鳴が聞こえた。聞こえないふりをした。

 ぼくは裏の深い深い、魔女がいるという不気味な森へ入っていった。

 最後にもう一度振り返った。

 村は、燃えていた。

 二秒ほど見惚れる。





 普段は、森に入るなと誰もが言った。

 一度入ったら、出ることは出来ない。

 そんな噂だった。

 出られなくていいと思った。

 森は暗い。

 枝をかき分けて、つたを手で退けて、小さな傷をいくつも作りながらぼくは進んだ。

 軍の人たちは追ってこなかった。

 森は静かだった。

 動物は見当たらない。

 それなのに、周りから見られているような気がした。

 そんな静寂だった。





 いくら歩いたか分からなくなってきた。

 足は重い。できることなら休憩をしたかった。

 でも、休んでからどうするのかとも思った。

 帰るところは無い。

 火に包まれたから。

 剣に両断されたから。

 ぼくは森の奥へ歩く。





 真っ直ぐ歩けなくなってきた。

 考えがまとまらなくなってきた。

 機械的に枝をかきわけて、足を持ち上げる。

 どうしてぼくは歩いているんだろうと思った。

 もう、いいんじゃないか。

 ぼくは木の根元に腰かけた。

 初めて座ってみると、酷く眠いことに気が付いた。

 瞼が重い。

 体が重い。

 もういいんだと安心する――





 ――それは突然視界に入った。

 ハッと目が覚めた。

 ぼくの目の前に、建物があった。

 よくわからなかった。

 そんなもの、一瞬前までそこには無かったのに。

 幻かと思った。

 それでも、ぼくは熱に浮かされるように立ち上がった。

 そうしないといけない気がした。

 木で作られた小屋。

 ぼくは戸を叩く。

 中で、何かの気配が動く。


「……誰だか知らないけど、お帰り」


 若い女の人だとうつろな頭で思った。

 声は、拒絶を明確に表していた。

 ぼくは戸を叩いた。


「……魔法を、撃つよ」


 迷いの後に、声が聞こえた。

 ぼくは戸を叩いた。


「く……しつこいよ」


 ぼくは戸を叩いた。


「誰だい、もう」


 呟くような声がして、少しの時間が経って、足音が近づいてくる。

 戸が内側に開いた。

 出てきたのは、若い女の人だった。

 ぼんやりと見上げる。

 黒いぶかぶかな服を着て、先の曲がった杖を持って、とんがった帽子をかぶっていた。

 魔女だと思った。

 ぼくは逃げようかと考えて、諦める。

 そんな体力は残っていなかった。


「は――」絶句するような声の後「お前さん、一体どうし――」


 最後まで聞かずに、ぼくは倒れた。





 目が覚めると、酸っぱい匂いが鼻を突いた。

 糸がそこかしこでほつれている、薄い毛布を持ち上げてぼくは体を起こした。


「おや、起きたかい」


 残念そうな、嬉しそうな、変な声が聞こえた。


「酷い顔をしてるね。薬を塗ってやったんだ。感謝してほしいよ」


 そこに美しい女の人が座っていた。

 薄い銀色の髪はぼさぼさで、猫背気味だけど、その人は綺麗だった。

 魔女のような服は着ていなかった。安い布でしつらえた、簡素な服を着ていた。

 瞳は、猫のように縦に伸びる瞳孔をしていて、その妖しい紫色の瞳は僕を捉えている。

 表情は冷めていた。

 近寄りがたい雰囲気で、でも惹かれてしまう神秘性がそこにはあった。


「あなたは、魔女なんですか?」

「さあね」


 魔女は瞳を逸らして、火のついた暖炉に目を向けた。


「昔はそう呼ばれていたね」


 ぼくも暖炉を眺めた。

 火が揺れている。

 村の事を思い出す。

 火が立ち上っている。煙が空に溶ける。

 ああ。

 綺麗だ。


「……傷は治ったはずだ。出ていきな」


 魔女は暖炉に視線を留めたままだった。

 出ていくべきだと思った。

 でも、体は動かなかった。

 傷は治っている。

 疲れも綺麗さっぱり消えている。

 でも動かなかった。


「……出ていくんだ。さもないと、魔法を撃つよ」

「魔法を」


 考えるより先に、口をついて出た。

 魔女が縦に裂けた瞳孔を向ける。


「教えてください」


 魔女の表情は揺らがなかった。

 彼女の視線は揺らいだ。迷うように。助けを求めるように。


「なんでもします」


 魔女は視線を僕に定めた。

 紫の瞳がぼくを射抜く。


「……出ていきなと、言ったね」

「はい」

「魔法を撃つよ」

「ぼくは」


 思ったよりも、すんなりとその言葉は喉を通る。


「死んでもいいです」


 言った瞬間、魔女の髪が逆立ったような錯覚。


「ふざけんじゃないよ」凍るような声。


 酷く鋭い表情と声は、僕を突き刺した。

 ぞっとした。背筋が粟立って、明確な恐怖が僕を襲った。


「死んでもいいなんて、もう一遍言ってみな。塵一つ残さず、消し炭にしてやる」


 魔女は怒っているようだった。

 剣を突き付けられているような感覚を、ひしひしと感じていた。

 ぼくは、一度つばを飲み込む。


「でも、村は無くなりました」


 魔女が、少し眉を動かした。

 威圧感が、少し減った気がした。


「母さんは死にました。

 父さんは死にました。

 村長も、村の皆もきっと死にました。

 村は燃えました。軍の人たちが火をつけました。

 笑いながら、火をつけました」


 沈黙が降りた。

 魔女は目を伏せていた。


「ぼくに、魔法を教えてください」


 顔を上げたその顔に、感情は見受けられなかった。

 でも、どこか辛そうに見えた。


「……習ったら、出ていきなよ」


 ぼくはお礼を言った。





 そうして、長い時間が経った。


「果物、取ってきましたよ」

「ああ、そこに置いてくれ」


 ぼくは魔女の小屋に住み込んでいた。

 そうした方が楽だと魔女は言った。

 帰るところのないぼくには、ありがたい話だった。

 名前は呼びあわない。魔女は教えようとしないし、ぼくの名前は聞こうとしない。

 魔女は、距離を作っていた。

 別に構わない。


「リンゴかい」


 森にも、それなりに食べられる物はある。

 不気味さに怯えて、誰も周りをよく見ないせいで、知られていなかった。

 魔女は丸ごと掴んで、口に運んだ。


「汚いですよ」

「いいのさ」


 果汁が首筋を伝う。

 その肌は、病的なまでに白い。

 汁は胸元に吸い込まれる。

 目を上げると、魔女は薄く笑っていた。


「見たいかい?」

「何をですか?」

「私の裸さ」

「ぼくに見せたいんですか?」

「いいや?」

「なら、いいです」


 ふっと笑って、魔女は齧ったリンゴを僕に渡した。


「これは?」

「食べな」


 ぼくはリンゴに歯を立てた。

 甘かった。





 魔法は芳しくなかった。

 小屋の前で、ぼくと魔女は向かい合っていた。


「想像だよ。あんたの手に水が溢れてくるところをね」


 真っ黒いぶかぶかな服を着て、とんがった三角の帽子をかぶって、先の曲がった木の杖を持った魔女が言う。

 正装なのだと言っていた。服を着ずに、帽子を被らずに、杖を持たずに、魔法を教えることはできないとも言っていた。

 礼儀のようなものだろうと思った。

 ぼくは両手で器を作って、その空の器を水で満たそうとしていた。

 湿り気一つ無かった。


「私の隠蔽を見破ったんだから才能はあるはずなんだけどねぇ」


 魔女がぼやく。


「あれは、必至だったからの偶然です」


 そうかねと興味のないような返事をして、魔女は手を組んで上に伸びをした。

 そうですと言って、ぼくは水を生み出そうとした。

 成功の兆しは見えない。

 想像というものが、ぼくは苦手なのかもしれなかった。


「戻るかね」

「はい」


 数時間ずっとこうしていたから、疲れを感じる。





 濡らした布で、体を拭く。

 水は、魔女が出した。

 布を掴んですぐに、布がしなれて、水が滴り落ちた。


「ほら」


 その布を投げて、床に水が点々と落ちる。


「床が濡れますよ」

「いいのさ」


 ぼくは上の服を脱いで、体をふき始める。

 終えると魔女に布を返す。

 魔女は服を脱いで、白い肌を晒した。


「慎みをもってください」

「いいのさ」


 聞き入れる様子は無かった。

 ぼくは目をそむけて、暖炉に点いた火を眺める。


「ぼくに」


 火は揺れる。

 踊っている。

 目を奪われる。


「火の魔法をおしえてくれないのは、なぜですか」


 返事は無かった。

 しばらく経って、魔女が服を着る音がして、一瞬の静寂の後。


「……あんたは火を使うべきじゃない」


 ぽつりと、小さく声が聞こえた。

 ごそごそと音がして、魔女がベッドに入ったのだと思った。

 ぼくはゆっくり立ち上がる。

 魔女はベッドの上で、奥を向いて横になっていた。

 顔色はうかがえなかった。

 同じベッドに、ぼくは反対を向いて入った。

 向き合うことはない。

 でも、暖かさを感じた。魔女も同じなのだろうかと考えて、やめた。

 魔女がおもむろに手を振ると、暖炉の火が掻き消えた。

 暗闇が降りた。

 ぼくは眠りに落ちる。





 ――数年が過ぎた。

 森はいつも暗いから、あまり時間の概念は無い。

 けれど、ぼくの背は伸びていた。

 かつて背の高く見えた魔女は、今では同じくらいになっていた。

 魔女は変わらない。

 その姿も。

 声も。

 性格も。

 いや。

 性格は変わったかもしれない。

 最近、笑うことが多くなったように思える。

 相変わらずの冷めた表情だけど、口元が緩むことが多くなった。

 そして、必ず次には歯を強く噛んで、笑みを消した。

 笑むなと、戒めるように。

 心を、縛り付けるように。

 そのことについて、聞くことは出来なかった。

 なぜなのか、薄々勘付いていたから。

 ぼくとの関係を、深めすぎないためだと分かっていたから。





 魔法はそれなりに上達した。

 手の器に水を満たすことなどは、もう簡単にできるようになった。

 多分、魔女が魔法を使うところをよく見ていたから、想像がしやすくなったのだと思う。

 そう言うと、そうかもしれないねと魔女は頷いた。それより、何か食べ物を取っておいで。

 そっけなく言う。

 でも声に、成長に対する嬉しさがにじみ出ている気がした。

 ぼくも嬉しかった。

 何も言わずに食べ物を探しに行こうとする。


「こら」


 背中に声がかけられた。


「にやけるんじゃない」


 頬を触ると、確かにつり上がっていた。

 そそくさとぼくは森へ入っていった。

 ぼくも変わったのかもしれない。





 ――平穏は突然崩された。

 きっとぼくが近づいたことで、強固だった壁に穴が開いたのだと思った。

 ぼくがいなければ。

 魔女は。





 ――ある日、魔法の練習中。


「そこの地面に穴を開けるだけだ。想像が」


 魔女が脈絡もなく、言葉をぷつりと切った。

 そんなことは今まで無かった。不審に思い、集中をやめて魔女に視線を向ける。

 魔女は上を見上げていた。

 上には木が茂っていて、それ以外は何も見えない。

 見えないけれど、魔女はその先か、もっと別の場所を見ている気がした。


「何かありましたか」


 魔女はぼくに視線を下ろす。

 一瞬、その紫の瞳に様々なものがよぎった。

 でも、それが何かは分からなかった。

 魔女の表情は硬い。いつも以上に鋭かった。


「小屋に戻るよ」


 ぼくは反射的に頷く。

 理由を聞く気は起きなかった。それくらい緊張に張り詰めた声音だった。


「もうすぐ、軍が来るようさね」


 小屋に戻り、服を着替えないまま、魔女が言った。

 戸を睨むようにして立っていた。


「軍?」

「私を消したいんだろうさ。名誉なことだからね」


 吐き捨てるように言った。

 軍。

 母さんと父さんを殺した。

 村を燃やした。

 奴らが。


「あんたは隠れてな。小屋が見つかることはないだろうが、念のためさね」


 柔らかく言ったつもりだろうけど、ぼくは不安を拭えなかった。

 胸がざわつく。

 嫌な予感がする。

 その通りになった。


 乱暴に戸を叩く音が聞こえた。


「そこにいるのは分かっている! 〈紫眼の魔女〉よ! 国王より御達しだ! 姿を見せろ!」


 魔女は戸を睨むようにして黙っていた。

 ぼくも黙っていた。


「姿を見せなければ、森を焼き払う!」


 魔女の眉がぴくりと動いた。


「……罠です」


 ぼくはこらえきれずに小声で言った。

 魔女が目を閉じて、首を振った。

 いいのさ、と言っているようだった。


「――名を、名乗っておこうかね」


 ふと魔女が言った。

 なぜ、今なのか。

 ずっと、言わなかったのに。


「……いいです」


 魔女が言う前に、ぼくは遮った。


「本当の名前じゃないよ。そんなものは何百年も前に失くしたさ」


 ふふと笑って、魔女はぼくのまえに歩いてくる。


「私は〈紫眼の魔女〉だ。何代も前につけられたこの名には満足してるし、誇りも感じている」


 魔女は動けないぼくの頬に手を伸ばした。

 細く、白く、しなやかな腕が目に焼き付く。

 暖かな手が、ぼくの頬に触れた。


「あんたは私の弟子だ。〈紫眼の魔女〉が、認めた弟子だ。――誇りに思うといい」

「……どう、したんですか」


 魔女は薄らと笑みを浮かべていた。

 ずっとぼくの瞳を覗き込んでいた。

 焼き付けるように。

 最後に、とでも言うように。


「……こんなことなら、もっと可愛がってあげればよかった」

「え――」


 触れられた手から、何かが流れ込んできた。

 どろりとしたそれを、拒むことは出来なかった。

 残酷なまでに心地よくて、非情なまでに優しかった。

 嫌だと思った。

 叫ぼうとした。

 できない。

 体が言うことを聞かなかった。

 視界が霞む。

 瞼が重くなる。

 眠りの魔法。

 やめてくれ。

 あなたは。

 あなたは――

 最後に見えた魔女は、柔らかい瞳を、鋭いものに変えていた。

 見覚えのある瞳だった。

 そうだ。

 父さんと同じだ。

 ――死ぬ覚悟を決めた、父さんと同じだ。


 僕の意識は途切れた。





 ――目覚めると、世界は静寂に覆われていた。

 ぼくはベッドに寝かされていた。

 ほつれ具合がひどくなっていた毛布を押しのける。

 小屋には、ぼくしかいなかった。

 戸が閉まっている。

 その下の隙間から、赤いものが見えた。

 ぼくは、戸を開けようとした。

 手が震えていて、うまくいかない。

 何度も失敗して、ようやく戸を開く。


 誰もいなかった。


 拍子抜けするくらい、いつもの風景だった。

 暗い森。

 静かに囲む木々。


 違うところもあった。

 足元に魔女がいた。

 赤の水たまりの中に寝ていた。


 ――首から上の無い、魔女。


 ああ、魔女だ。

 事実を、ただ認識する。

 着ている黒い服も、白い肌も、細い腕も、それは確かに魔女だった。


 ぼくは吐いた。

 小屋を汚してはいけない。そう思っても、止まらなかった。

 涙が落ちた。

 嗚咽が漏れた。

 凄惨な現実に、ぼくは叫んだ。

 どうして。


 どうして――





 気づいた時、ぼくは森を歩いていた。

 何をしているのだろうと思った。

 すぐに思い出す。

 魔女を、取り戻さないといけないんだ。

 ぼくは魔法を使って、軍が通った道を浮かび上がらせていた。

 いつの間に、こんな魔法が使えるようになっているんだろうと思った。

 些細なことだとも思った。

 ぼくは歩く。





 森を出た。

 途中で、自分に魔法をかけた。

 体を覆うように、膜を張る。

 歩く速度を速くして、疲労を軽減させる魔法だった。

 自分で体を動かすのではなくて、想像でその膜を動かして、ぼくの体を歩かせる。

 こんな想像力は、ぼくには無かった。

 魔女が最後に、ぼくに流した優しく暖かい物を思い出した。

 そのせいかもしれないし、違うかもしれない。

 どうでもいい。

 ぼくは道を辿る。





 道は、大きな門に入っていた。

 王都と呼ばれている、大きな国だった。

 門には、軍の人と同じ紋章をつけた門番がいた。

 ぼくは周りから見えなくなる、透明化の魔法をかけた。

 透明になっているぼくなんて想像が難しい。持続させにくい魔法だから、急いで門を抜けた。





 ぼくは透明化の魔法を解いて、人ごみに紛れた。

 街は人が多い。

 ざわめきは留まる事を知らなくて、そこかしこで怒鳴り声が聞こえていた。


 おい〈紫眼の魔女〉を殺したんだってよ本当かよ本当だって〈紫眼の魔女〉が殺されたんだって魔女が殺されたん魔女が殺され魔女が魔女が魔女が


 そんな声が耳に入る。

 道を辿らなくても、行くべき場所が分かった。

 あのお城だ。

 人ごみを見下ろして、悠々と立つ、あの城だ。





 城の兵士は、誰もが油断していた。

 お酒を飲んでいる人がいれば、喧嘩をしている人もいた。

 ごろつき、不良、そんな言葉が浮かぶ。

 ぼくはその脇を抜ける。


 城の中に入った時、ぼくは違和感を覚えた。

 薄い膜を通り抜けたような感覚。

 警報だと気づいた。

 ハッとなった時には、もう遅かった。急に城内が騒然としだして、兵士がどたどたと廊下を駆けていく。

 彼らは演劇でもしているみたいに、滑稽に転げたりしていた。

 お酒なんて飲んでいるからだと思った。

 僕は大した苦労も無く、一際大きな扉の前に立った。





「何者だ。答えろ」


 そこにいた兵士が、槍をぼくに向けた。

 ぼおっとそれを見てから、ぼくは頭を下げた。


「すみません」

「は、何を言って」


 彼の槍が燃えた。

 彼は大仰な叫び声を上げて、ぼくから逃げ出した。

 その背中を見送る。

 ぼくは扉を開け、大広間に入った。





「何者じゃ」


 ねとつくような声がした。奥の、豪華な装飾の施された椅子に座る、太った男が言ったようだった。

 彼が、王なのか。


「魔女は」


 大広間には、何人か兵士がいた。

 彼らは全員、先ほどの兵士たちとは雰囲気が違った。

 表情を引き締めて、剣の柄に指を置いている。

 もう一人、王の隣に異質な女性がいた。

 あれも魔女だと分かった。直感が告げていた。

 目を向けると、彼女は怯えたように後ずさる。

 実力は、高い。

 けど、実戦に慣れていない。

 そういったことまで直感で分かった。

 だから、警報の膜を張れても、質の低い兵士しか向かわせられなかったのだろう。

 ぼくは、辺りを探り始める。


「〈紫眼の魔女〉は、どこにいますか」

「何者じゃと聞いている」


 苛立ちを隠そうともせず、王はぼくに言った。


「〈紫眼の魔女〉の、弟子です」


 戦慄が走った気がした。

 王だけは違った。眉を吊り上げて隣の魔女を見上げた。


「あやつに弟子がいたのか?」

「ふ、不老ですから、そんなこともあるかもしれません」


 震える声に、王は返事をせず、疑うようにぼくを眺める。

 じろりとねめまわして、脂肪でたるんだ口を開く。


「殺せ」


 言葉を向けられた兵士たちは、ぴくりと反応したきり動かない。

 その目は、他の兵士をうかがうようにうろついている。


「どうした。子供一人殺せぬのか?」

「し、しかし、まだ子供です」


 緊張に、かすれた声で魔女が言った。


「あやつの弟子を名乗るのじゃ。極刑に」

「ああ」


 呟きに言葉を遮られた王は、ぼくに不快な視線を送る。

 ぼくは、見つめ返した。

 醜い顔だ。


 そしてぼくは、空間を掴む。


 何もないはずの空間に、ぼくは確かに手ごたえを感じる。

 魔女がひ、と小さく悲鳴を上げた。

 隠していたつもりだったのだろうと思った。

 そんなお遊びに、付き合う義理は無い。

 掴んだ布のようなそれを、剥がすように無理やり引きちぎった。


 ――見慣れた顔が現れた。


 王の隣、あの魔女がいない方に、飾るように『それ』は置かれていた。

 ああやっぱり。

 そこにいたんですね。


「こ、殺せ!」


 王が、焦りの混ざった口調で命じる。

 誰も動かない。

 動けない。

 兵士は全て、見えない重石にのしかかられたように、膝を屈するか、倒れていた。思った通り、魔法に抗える者はいない。

 ぼくは歩く。

 ああ。

 嘆息が漏れた。

『それ』だけになっても、あなたは綺麗だ。

 美しさは、全く損なわれていない。


「き、貴様がなんとかせんか!」


 言葉を向けられた魔女は、顔を蒼白にした。


「やれ! やらんと……処刑だ!」


 荒い呼吸を吐く魔女は、震える手を突き出して、ぼくに魔法を使おうとした。

 その前に、ぼくは腕を振るう。

 魔女が弾き飛ばされた。壁に頭を打ち付けて、彼女は気を失う。

 王の顔は、哀れなくらい恐怖に染まっていた。


「き、貴様、ど、どうする気だ!」


 虚勢を張ってわめく。

 耳触りな声だった。

 ぼくが手をかざすと、ひ、とか細い声を漏らした。


「し、知らないのか! 魔女は人間を殺せないのじゃぞ!」


 知らない話だった。

 王は絞り出すようにまくし立てる。


「人間を殺すと自分も死ぬ! し、死ぬのだぞ! 嘘ではないぞ! 貴様も同じはずだ! だ、だからその手を下ろせ!」


 嘘を言っている様子は無かった。

 ぼくは手をゆっくりと下ろす。

 王がほっとした様子を見せた。

 愚かだと思った。

 人間を殺したら自分が死ぬ。


「だからなんだ」


 王が燃えた。

 およそ人とは思えないような悲鳴が響き渡る。

 醜くても、燃えてみれば、少しはまともに見えるのだと知った。


 断末魔のような叫びを最後に、王は黙りこくる。

 そして右手に痛みが走った。

 燃えていた。

 火は服を伝って、ぼくの体に広がっていく。

 これじゃあ、あなたを、抱きしめられない。

 それだけが残念だった。

 ぼくは『それ』を左腕に抱える。

 途端に、衝撃を感じてぼくは体を折った。

 背中から、胸を、剣が貫いていた。

 振り向くと、怯えを貼り付けながらも、歯を食いしばって僕を見据える一人の兵士がいた。

 ふと笑みが浮かぶ。

 なぜ笑ったのか、自分でも分からなかった。

 彼は、火の熱に押され飛び退いた。

 ぼくは立っていられずに、うずくまった。

 火が、ぼくの体を全て覆った。

 痛みは無い。

 ただ、揺れる炎に囲まれている。


「ああ」


 謝らないといけない。

 あなたまで、ぼくの死に巻き込んでしまった。

 初めて、正面から、『それ』になった魔女の顔を見た。

 瞳は閉じている。

 髪は緩やかに流れている。

 口元は薄く笑っていた。


 いいのさ、と言うように。


 ――ぼくの涙が、魔女の頬に落ちた。


 あなたは、気が付いていましたか?


 ぼくは、あなたが好きだったようです。


 あなたを、愛していたようです。


 あなたを見ると、胸が詰まって息苦しくなりました。


 あなたといると、ぼくは暖かな気持ちになりました。


 ずっと、あなたを見ていました。


 魔法のように、ぼくはあなたに引き寄せられていました。


 薄く笑う表情も、


 ぼくの成長を喜んでくれた声も、


 そっけなくぼくの質問に答える時も、


 全てが、大好きでした。


 それが、ぼくの全てでした。


 息を吸い込むたび、喉が焼ける。

 肌が溶ける。

 ぼくは魔女を抱きしめる。


 そのあなたは、いない。


 世界に、あなたは存在しない。


 それなら――





 ――それならぼくは、死んでもいい。



















 ――腕の中で、魔女が笑った。


















 ――死んでもいいなんて言ったら、塵一つ残さず、消し炭にしてやると言ったさね?



















 え?


















 ぼくの体は、塵一つ残らず、消し炭になって消えた。





 夢の中にぼくはいた。

 そんな感覚だった。

 浮遊感。

 朦朧とした視界。


「あんたには、魔法を教えない方が、一緒に暮らさない方が、よかったのかもしれない」


 目の前に誰かがいた。

 大切な誰か。

 猫のように縦に裂けた紫の瞳で、ぼくを見つめる。


「そうすればあんたは死なずに済んだ」


 ぼくは反論をしようとした。

 できなかった。

 記憶は虚ろで、そして眠かった。


「でもねぇ」


 彼女の頬が、緩んだ。


「私はあんたと出会えて、よかったよ」


 ぼくは安堵を感じた。

 彼女は、ぼくの頬に優しく手を伸ばす。

 白く、細く、しなやかな腕だった。

 見覚えがあるような気がして、でも思い出せなかった。


「これから私は、最後の魔法を使う」


 頬に触れた暖かさに、ぼくは身を委ねはじめる。

 とても、眠かった。


「これで、お別れだ。ありがとう。私なんかに懐いてくれて」


 頬から手が離れた。

 この手を離してはいけないのではないかという焦燥に駆られた。

 取り返しのつかないことではないか。

 それなのに、体は動いてくれなかった。

 眠い。

 ただ、眠かった。

 最後に彼女が笑う。


「好きだと言ってくれたね。わたしは――」











 ぼくは知らない場所に立っていた。

 どういうことだと思った。

 さっきまで、王城にいたはずなのに。

 気が付く。

 魔女は。

 ぼくは、何も持っていなかった。

 代わりに、見覚えのある服を着ていた。

 黒い、ぶかぶかの、魔女の服。

 頭には、とんがった帽子が乗っていて、草の生えた地面には杖が落ちていた。

 拾って、辺りを見渡す。

 木々に囲まれた森だったが、あの森では無かった。

 明るい日が射していた。


 魔法だと思った。

 あの夢で、魔女が言った、魔法だ。


 正体に思い当たった途端、ぼくの膝から力が抜けた。

 崩れ落ちて、ぼくは泣き叫んだ。

 魔女。

 あなたは、とても残酷なことをしたんだ。

 わかっていますか?

 あなたは、僕を別の世界に飛ばしたんだ。


 あなたのいない世界に。


 ここで、ぼくはどうすればいい?

 心に穴が開いたようだった。

 ぼくは、大切なものを失ってしまった。


 どうすればいい?


 どうすれば――





 いつしか涙は、枯れていた。

 全て地面が飲み込んで、消し去った。


 ――生きようと、思った。


 ぼくは立ち上がる。

 ふらつく体を、木を支えにして起こした。


 ――生きるんだ。


 ぼくはよろめきながら、森の中へ入っていく。






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