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招待

時間軸を先に進めました。二年後です。

 お茶会の招待状が届いた。なんとラグラス殿下からである。

 その話を最初にお父様から聞かされた時、私は驚きのあまり、

「そうですか」

 としか返事ができなかった。

 そんな私を見て、お父様が顔を顰める。昔はお父様が顔を顰める度に委縮していた私だけれど、今はそんな事はない。お父様は不機嫌でなくても顰め面なのだ。笑っている時は殆どの場合が作り笑いだから、こうして顰め面を見せるのも私が娘だからこそ。それだけ気を許されているのだ。そう思えば、可愛らしくすら思えてくる。

 半分は、元々はサラが言っていた事だけれど。

 その可愛らしい顰め面のお父様が、

「お前はどうしたい?」

 と聞いてきた。

「お断りできるのですか?」

「できなくもないが、それ相応の覚悟が必要だ」

「では、出席します」

「ではそのように返事を出そう。それと支度についてだが」

「はい」

「アーシェラとカルア、どちらに任せたい?」

 お母様と私付きの侍女の顔を思い浮かべる。

 カルアは私の六歳の誕生日の時から私専属の侍女(メイド)となった、十六歳の少女である。技能階級(テクニカルクラス)出身の彼女は、侍女養成学校を卒業した高等侍女(ハイメイド)だ。紅茶を入れる時の手つきなど、まだまだ未熟な私よりもずっと綺麗だ。貴族の身支度を整える事についても、一通りの教育を受けているらしい。

 まだ子供の私はそこまで華美に装うわけでもない。髪を高く結いあげる訳でもない。逆に社交界デビュー前に髪を結いあげるて首を見せるのは下品とされている。宝石だってつけないし、ドレスだってコルセットを締め上げるような物はまだ着ない。髪と違って、私の歳からコルセットや宝石を付け始める子も居ないわけではないけれど、私はまだだ。

 それでも装いに気を遣わないわけにはいかないだろう。

 何せ婚約者候補様なのだから。

 でも一度しか会った事はないし、その時もほんの数言話しただけだ。あの時彼は私の名を覚えて置くと言っていたけれど、あれから二年経った今となってはそれすらも怪しいと思う。まあ、例え忘れていても、このお茶会の開催前に覚えなおすだろう。

 しかし何故、今になってこんな招待が届くのだろう。今まで、婚約者候補になったという事は両親から聞かされただけで、私個人は殿下とも王城とも特に関わっていなかった。それに対してお母様は苛立ちを感じている様子だったけれど……

 ……お母様に支度を頼んだら、大騒ぎになりそう。

「カルアにお願いしたいです」

 熟考の末にそう答えた私に、お父様が重々しく頷いた。

「ならば私の名を出していいからそのように計らいなさい」

 つまり、お母様に文句を言われても、「お父様がそう言ったから」と言っていいという事になる。それでもお母様は怒るかもしれない。私に怒るならいい。お母様が私に怒るのはそう珍しい事でもない。矛先がカルアに向かわなければいいのだけれど。

 お母様がカルアを苛めるような事があれば、私がカルアを守らなければ。

 それにしたって、婚約者候補になって二年も経ってからいきなりこんな誘いが来るとは。いったい殿下はどういうおつもりなんだろう。私の他には誰を呼んでいるのだろう。

 そもそも私は貴族の同年代に親しい人間が居ない。時々出席するお茶会では、一人ぼうっと辺りを眺めているばかりで、お母様に良く叱責を受ける。

 誰も話しかけてこないし、勇気を出して話しかけても大抵怯えられるのだから、そうするのが一番無害だと私なりに考えた結果なのだけれど、結局友達ができない事に変わりはない。

 突然のお茶会の誘いには、気が重くなるばかりだった。


 予想に反して、お母様が怒る事は無かった。なんとエリックも誘われていたらしく、お母様はエリックの支度に忙しく、私の支度をカルアに任せられる事は却って好都合だったようだ。

 カルアはそんなお母様の様子を見て、

「奥様は極端なお方ですねえ。あれだけ甘やかされる事が果たしてエリック様に良い事なのかどうか。私、リィリヤ様のお付にしていただいて良かったですわ。苦手なんですよね。奥様みたいな貴族女性は。それに……あぁ、相変わらず何て美しい髪なんでしょう……」

 最後の言葉は恍惚と、と言ってもいいような声だった。鏡越しにカルアの顔を見上げれば、さっきのうっとりした顔など無かったかの様な澄まし顔で微笑まれた。

「リィリヤ様。今日もとてもお可愛らしいですわ」

 カルアは、かなりの褒め上手だ。

「ありがとうございます」

 そして、こうして心からの感謝を捧げてもピクリとも動かない私の表情に臆さずに満面の笑顔を返す事ができる人は貴重である。

 私には勿体ないくらいのいい人だ。

 そんな彼女が用意してくれたのは、青いドレスだった。

 スカートは薄い生地を幾重にも重ねたもので、パニエも無いのに空気を含んでふわりと柔らかく広がっている。髪にはリボンを絡めた小さな三つ編みを作ってくれた。あまり目立たない位置にさり気なく、ちらりと紺色のリボンの色が覗く。

 お茶会で見かける、私と同じ年頃の少女たちは、皆、明るい女の子らしい色合いの、フリルやレース、リボンで彩られた華やかなドレスを着ている。そんなドレスと比べると、全体として目立たない地味と言ってもいいくらいに落ち着いた装いだ。

 だけどそれがいい。

 華やかな可愛らしいドレスは、どうも私が着ると、外側のドレスの可愛らしさだけが浮き上がっているかのようで、落ち着かないのだ。そんな違和感を、今回のドレスには感じなかった。

「カルア、ありがとう」

 そう言うと、カルアは微笑んで、

「楽しんで来て下さいませ。きっとお茶とお菓子は美味しいですよ」

 と言った。

「はい。行ってきます」

 カルアのお蔭で少し気持ちを軽くして、私はエリックと一緒に馬車に乗り込んだ。


 エリックと私は普段からあまり話をしない。私は基本的に勉強ばかりしているし、偶に誘われるお茶会でもエリックは同年代の少年たちと仲良くしてばかりいるし、私は私で周りを見てぼうっとしてばかりいる。

 私たちは似ていない、とよく言われる。

 天真爛漫で笑顔が可愛らしいエリックに、無表情で無愛想な私。

 同じ金髪でも、蜜色のキラキラと輝く美しい髪のエリックに、色が抜けたような白に近い髪の私。

 良く見れば顔立ちそのものはそれほどかけ離れているわけではない。似ていると言ってもいいくらいだと思う。けれども全体の印象として、似ていない。

 もっと小さい頃には少し人見知りの面があったエリックは、自分から私の手に縋りつくこともあった。最近ではもうない。それを、寂しい、と思う。

 けれども仲良くしたいと思った所で、私は自分の弟にどう接すればいいのか分からないのだ。

 だから馬車でも、黙りこくったまま向かい合う事になる。

「姉様の招待状はラグラス殿下からだったんですよね」

 不意にエリックが口を開いた。

「はい。そうです」

 私は頷く。エリックが少し自慢げに言った。

「僕のはミオリル王女からです。」

「そうだったのですか」

 驚きである。エリックもラグラス殿下からの招待だと思い込んでいたのだ。

 でも、驚いていても私の表情はそれを現さない。エリックが期待外れだ、と言いたげに鼻白んだ。

「驚かないんですか?」

「とても驚いています。ミオリル王女とお会いしたことがあったのですか?」

「無い、です、けど……」

「では、いったいどうして招待されたのでしょう」

「僕の噂を聞いたとか……」

「エリックに噂があるのですか? どんな噂でしょうか」

「……知りません」

 どうやらエリックの機嫌を損ねてしまったらしい。何がいけなかったんだろう。

 こういう時、サラとローアが羨ましくなる。言い争いめいたやり取りをしている事も多いけれど、あの二人はとても仲がいい姉弟だ。エリックとあんな風に仲良くなりたいという訳でもないけれど、もう少し姉弟らしくなれたらいいのに、と思うのだ。


 お茶会に招待されたのは、何と私とエリックの二人だけだった。

 ラグラス殿下、ミオリル王女、私、エリックの四人でのお茶会である。

「今日は来てくれてありがとう。お会いできて嬉しいわ」

 そう言って笑う王女殿下に、私は礼をした。

「お招きいただきありがとうございます。こちらこそお会いできて光栄でございます」

「お前を招いたのはミオリルじゃない。俺だ」

 ラグラス殿下に言われ、私はそちらを向く。

「はい。お招き頂きありがとうございます」

 同じ様に頭を下げれば、殿下が頷いた。エリックが私と同じようにミオリル王女に挨拶をすると、ミオリル王女は嬉しそうに笑った。

「あら、貴方がエリックなのね。噂で聞く通り、本当に綺麗だわ」

 エリックが呼ばれた理由が本当に噂だったとは。エリックがとても美しい子供なのは知っていたけれど、まさか王女の耳に届く噂になるほどだとは思っていなかった。案外、身内の事は分からないものだと思う。

 にっこりとエリックに笑いかけた後、ミオリル王女の目は再び私に向いた。

「そしてあなたも本当に綺麗なのね」

 ミオリル王女の手が伸びてきて、私の髪に隠れた三つ編みを掬い出そうとする。けれどもその王女の手を、ラグラス殿下が叩き落とした。

「これは俺の婚約者候補だ。勝手に触るな」

 あろうことかミオリル王女は、そんなラグラス殿下を鼻で笑った。

「は! お兄様ったら何様のつもりなの? 高々婚約者候補(・・)というだけでわが物顔をなさるなんて、痛々しくってよ?」

「候補者の中から選ぶのは俺だ。俺が他の誰かを選ばない限り、こいつは俺の物だ」

「嫌ね。お兄様だってリィリヤとは二年前の誕生日パーティで会っただけなのではなくって? 二年ぶりに会っていきなりその態度はちょっと気持ち悪いわ」

「黙れ。今の段階では婚約者候補の誰かに偏った態度を取るのは得策ではないと言われているんだ」

「知っているわよ。私は今のお兄様の態度が気持ち悪いと言っているの」

 交わす言葉にやや毒はあるけれど、これはこれで仲がいいのかもしれない。

 それにしても、殿下は私の事を覚えていたらしい。そして、この言葉を聞く限り、それなりに私に興味を持ってくれていたのだろう。それはもしかしたら喜ぶべき事なのかもしれない。

 良く分からない。少なくともお母様は私が殿下の婚約者になる事を望んでいる。お父様もそうだと思っていたけれど、最近ではそれが分からない。

 それで私も、自分がどうしたいのかよく分からなくなってしまっているのだ。

 私は二人のやり取りを聞きながら、ゆっくりと紅茶を口に含んだ。美味しい。

「でも今日はお兄様の婚約者候補としてリィリヤを呼んだわけではないの。そもそもお兄様がこのお茶会に参加している事がおかしいのよ。その上お兄様の名前で招待状を出させるなんて。これは私のお茶会なのに」

「リィリヤは俺の婚約者候補だ。それを俺に無断で招くな」

「ちゃんと一言断りをいれたでしょう。それでこんな乱入をされるのであれば、言わなければ良かったわ。他の婚約者候補ではこんなことしなかったのに。誰かに肩入れするのはまずいのではなくて? これを知ったらお母様が青筋立てて怒るわよ」

「俺の知った事ではない」

「本当にそう思っているのかしらね」

 ミオリル王女のその言葉を境に、ラグラス殿下の空気が変わる。まるで空気がピン、と張りつめたかのようだ。ミオリル王女を見るラグラス殿下の目が冷たい。

「何が言いたい?」

 その声は冷静に聞こえた。けれども、その目と身にまとう空気が彼がいかに怒っているかを如実に表す。

「……なんでもないわ」

 ここで初めて、ミオリル王女は怯えた様子を見せた。僅かに青ざめた顔ですっとラグラス殿下から目を逸らす。

「……まあ、いい。俺はもう下がる。後で話を聞かせろ」

「……ええ」

 最後にラグラス殿下は、私の髪の中の三つ編みを掬い出すと、そのままその髪に口づけて私を見た。

「また会おう」

 そのまま立ち去る後姿を見送って、見えなくなったころにミオリル王女が私を見て苦笑した。

「面倒なのに気に入られたのね。綺麗すぎるのも考え物だわ」

 そう言うミオリル王女こそ、綺麗と言う形容がぴったりと当てはまる人だ。ラグラス殿下と同じ深い紺色の髪と、紫の目。顔立ちもラグラス殿下と似ている。ややつり目がちな事すら、気の強そうな印象と共によりその美貌をくっきりと彩る。

「姉様より王女様の方が綺麗です」

 エリックが私を代弁するかのように言った。それに思わず頷く。王女はそれにコロコロと笑った。

「ありがとう。ねえ、貴女たち、私の学友にならない? 今日はその為に呼んだのよ」


 まずそれを聞いた時に考えたのは、これはお断りしてもいいのだろうかという事だった。普通だったら、学友を得るために本人に直接それを頼んだりはしないと思う。ましてやミオリル王女自らだなんて。本来だったら王城からお父様に依頼が行くはずだ。

「今こうして直接聞いているのはね、断ってもいいからなのよ。大丈夫。この辺りは人払いをしてあるし、聞いていても黙っていてくれるわ。私がどうしたいかはお父様はご存知だから」

「……断ってもいい、というのは」

「私の学友、入れ替わりがとても激しいの。皆、思ったよりお兄様たちに会う事が無いと知ると去ってしまう。あとは私の性格が思っていたのと違う、とかね。」

 王女は困ったように頭を振った。

「まあ、気持ちは分からなくもないわ。でも、こうも入れ替わりが続くとうんざりするのよ。だから、お兄様たちに会う機会はそんなに多くなくて、私がこんな性格だって知った上で自分の意思で来てくれる人が欲しいの」

 だから、お父様を介さずに私に直接聞いたのか。お父様や王城を通せばそれは命令になってしまう。

「僕、やります」

 エリックが答えた。王女はそれに嬉しそうに笑う。

「嬉しいわ。男の子の学友は初めてよ」

 それに思わず首を傾げてしまった。

「そう言えば、学友は同性のみだったはずでは」

 普通だったらそうな筈だ。

「女の子だとお兄様目当てが多いから、お父様を説得したのよ。勿論一緒にできない授業もあるでしょうけど、それは仕方ないわ。リィリヤは? 引き受けてくれるかしら。さっきのお兄様に対する態度を見る限り、貴女はお兄様目当てに私に近寄ったりしないでしょう?」

 ラグラス殿下に対する私の態度は何か変だったのだろうか。いや、それよりも今は、学友の事だ。

「考えさせて頂けませんか?」

「気が進まないのね。理由を教えて貰ってもいい?」

「……友達と、合い辛くなるので……」

 学友になれば、王城で勉強する事になる。今の様に、授業の合間合間に図書室に行くことなど到底できない。そうなると、サラにもローアにもほとんど会えなくなってしまうだろう。

「貴女、そんな友達が居たのね」

 王女が驚いている。そしてエリックが、キッと私を睨んだ。

「あんな平民をミオリル王女より優先するつもりなの?」

 あんな平民。エリックがそう言った事に妙な衝撃を受けた。ああ、そんな風に思っていたのか。お母様がそう言う風に思っているかもしれないとは何となく思っていたけれど。エリックまで。

「……私にとって、とても大事な友達です」

 じっとエリックを見つめて言うと、エリックが目を逸らした。そこに僅かな罪悪感のような物が見えた気がするけれど、気のせいかもしれない。

 王女がニコリと微笑んだ。

「そう、ならゆっくり考えて頂戴。エリックが学友になってくれるだけで私は嬉しいわ。リィリヤだけじゃなくて、リィリヤの友達も一緒に来て貰えるなら私も楽しいのでしょうけど……難しいでしょうね。残念だわ」

 ミオリル王女がそう言ってくれた事は嬉しかった。サラとローアを平民だと貶めなかった。そして、さりげなくエリックの言葉から庇ってくれたのだろう。

 この人の学友になる事に、少し心を惹かれる、けれど……

「考えさせて下さい」

 申し訳なく思いながらも頭を下げた。

 サラとローアにこの事を相談したら、二人は何と言うだろうか。


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