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人によっては一大事

 ひたすら貴族の家名とその爵位、歴史、領地などを覚えていく授業が終わってから、私はお父様に呼び出された。

 お父様に呼び出されるのは、久しぶりだ。前は私がラグラス殿下の婚約者候補に決まった時だったと思う。勉強の進みについてだったら、いつものように夕食の時でいいと思う。何か話さなければならない何かがあるのだろうか。一体何だろう。

 お父様の書斎の扉を叩き

「リィリヤです」

 というと、

「入りなさい」

 とお父様の声が返って来た。それに応じて執事のセイズが扉を開いてくれる。書斎の扉は重たい樫でできていて、私一人では開けるのが大変なのだ。

 開けて貰った扉の奥に進めば、私の背後で扉が閉まった。少し不安になる。

 私はお父様の前に出ると、いつも緊張してしまう。

「ただいま参りました」

 そう丁寧に礼をすると、お父様は私を観察するように見た。私の礼に悪いところは無かったか、服や髪に変なところは無いかと確認しているのだと思う。時々、そういったことでお父様にお叱りを受ける。

 ラグラス殿下の婚約者候補に決まってからは特に。


 婚約者候補になってから私の生活は急に変わった。勉強だけじゃない。愛想も可愛げもない私でも社交界でやっていけるようにと、色々な事を体験させられた。劇を見に言ったり、話題の仕立て屋に行ったり、薔薇園で有名なとある貴族庭園に行ったり。全てお茶会での話題に困らない様にするためだそうで、行った後はお母様とお話の練習になる。

「ルグレ座の新作、ご覧になりまして? とても評判がいいそうですわ」

「はい。とても面白かったです」

「あら、どの場面がお気に召しました?」

「エミリーが楽しそうに鳥に餌を上げている場面がいいと思いました」

「……なぜそこを選ぶの? ほんの序盤じゃない。王女として認められる場面でも無く、結婚の場面でも無く」

「楽しそうだったのです。いけませんでしたか?」

「貴女、最初しか見ていないのではなくて?」

「いいえ。見ていました」

「そう……ならばもっとちゃんと見なさい」

 最後はいつも、お母様の深いため息で終わる。

 その度にぎゅっと心臓が小さくなる気がした。


 そんな風に、私の生活は「ラグラス殿下の婚約者候補である」ことを中心に変わっていたから、今日のお父様の呼び出しもきっと、それに関わる話なのだと思っていた。

 けれどもお父様は言った。

「兄上の子供たちは最近、お前と遊びに来ないようだな?」

 急に言われた言葉が上手くサラとローアに結びつかなくて、私は黙りこくってしまった。

「それはお前に時間が無くなったからか?」

 続いて聞かれた言葉に私は首を振る。それから慌てて、

「いいえ、違います」

 と言葉で答えた。ぶんぶんと首を振るのははしたないと教えられていたのに。お父様の顔が顰められるのを見て、全身に力が入った。気を付けなければならない。

「喧嘩でも?」

「いいえ。サラもローアも、来てくれています。確かに、一緒に居る時間は減りましたけれど……」

「来ている? しかし、セイズからは……」

 屋敷を訪れるお客様はみな、セイズが知っている。いらっしゃるお客様を見分けてお父様やお母様に報告するか決めたり、最初のおもてなしをするのがセイズなのだ。

 けれどもそれは、正門から訪れるお客様だけだ。それは、サラとローアが使用人が使う裏口から出入りするようになって初めて知った事だった。それまで裏口を出入りする人を意識すらしていなかった。

「サラとローアは、今は裏口から出入りしています」

「裏口からの客をお前に通しているのか? 一体誰が入れている。お前に取り次いでいるのは誰だ?」

 お父様の顔に危険な物を感じて、私はまた首を振ってしまった。慌ててやめる。

「私の所に案内はされてはいません。ジーハス先生の所に来ているのです」

「ジーハスだと?」

 お父様の顔に戸惑いが広がる。

「はい」

「何故ジーハスが?」

「……」

 答えるのに躊躇ってしまったのは、サラやローアを教える事も、私と話をしてくれることすらも、ジーハス先生の仕事ではないからだ。

 大人は、何が誰の仕事で何がそうじゃないか、という事にとても厳しい。「分をわきまえない」とか、「やるべきことをやらなかった」と言う理由でこの屋敷から居なくなってしまった人を何人も知っている。

 ジーハス先生がもし、ここから居なくなってしまったら。

 ……怖い。

「リィリヤ。答えなさい。知らないのか?」

 お父様が、私を睨む。その声が厳しくなって行く。

「……あの、お父様」

「何だ」

「いけない事を、したのでしょうか」

「何を言っている?」

 お父様の顔が歪む。それに全身が震えた。

「ジーハス先生の、お仕事、邪魔しているとは、知っていたのです。私はそれでも、いつも……それは、ジーハス先生の所為、なりますか?」

 目が熱い。

「リィリヤ?」

「お仕事、以外の事を、私が、頼んで…そ、れも、ジ、ハス先生の、所為に、なりますか?」

「お前……」

 頬に濡れた感触がして、喉がつかえて上手く話せない。

 お父様がぎょっとしたように目を見開いて、慌てた様子でポケットを探りだした。取り出した真っ白なハンカチを私の目の少し下に押し付けて、右目、左目、とそれを繰り返す。

「……ジーハスの所に兄上の子供たちが遊びに来ていて、それをジーハスが面倒を見ている。そしてお前もジーハスの所でその子供たちと会っている。そう言う事だな?」

「……はい、私が、」

「ジーハスは咎めない。安心しなさい」

 安堵に力が抜けて、その拍子にまたポロポロと涙がこぼれた。

「サラと、ローアは」

「咎めない」

「裏口を通してくれた方々は」

「咎めない。安心しなさいと言っただろう」

 顔を顰めたお父様が私の目の下にハンカチを当てながらそう言う。涙も止まって、お父様は最後に優しく目を拭うと、ハンカチをしまった。

 お父様がため息を吐く。

「お前が泣くとはな」

「すみ、ません」

「責めてはいない」

「はい」

 鼻を啜る。上品に鼻を啜るにはどうすればいいんだろう。教わったマナーの中には無かった。今度先生に聞いてみよう。

「ジーハスの所へは良く行くのか」

「……」

「何度も言うが、責めていない」

「はい」

「兄上の子供とは仲がいいのか」

「友達です」

「好きなのか?」

「とても」

「そうか……勉強は、辛いか?」

「いいえ」

 勉強を辛いと思ったことは無い。サラやローアと会う時間が減るのは悲しいけれど、それでも沢山新しい事を学べるのは楽しい。

 上手くできない事も沢山あって、分かっているようでできていない事も沢山あって、お父様やお母様が求める事ができないと苦しいけれど、それでも勉強は楽しい。

「そうか。ならいい」

 それを最後に、お父様の用事は終わったらしい。もう下がっていいと言われ、私はセイズに連れられて部屋に戻った。本当はこの後ダンスの授業があったのだけれど、それはお休みになったらしい。

「今日はゆっくりお休みになって下さい」

 そう言ってセイズ自ら紅茶を入れてくれた。本来だったら、夕食が近いこの時間には出ない筈のお菓子まで出る。

「……いいんですか?」

「偶には良いのですよ。旦那様がそうしろと仰っていますしね」

「ありがとうございます」

 ゆっくりと紅茶とお菓子を頂くと、気分がふわふわと柔らかくなる。紅茶の一口、お菓子の一口がとても美味しい。

 そう言えば最近、サラとローアと一緒にお茶をしていない。誰かと一緒にお茶を飲むのはマナーの時間くらいで、それ以外の時は一人だ。いや、お母様と一緒にお話の練習をしながら飲む時もあったかもしれない。

 また一緒にお茶ができたらいいのに。このお菓子、サラやローアにも食べて貰えたら、きっと美味しいと言ってくれるのに。

 そう思ったのが伝わったのかもしれない。セイズがふと微笑んで言った。

「しかし、サラ様とローア様が裏口から出入りしていたとは」

「……すみません」

「リィリヤ様がお謝りになる事ではございません。ですがジーハス先生からは一言言って頂きたかったものですね。お客様にお茶もお出しせずに居たとは、執事として一生の不覚でございます」

「でも、裏口から出入りするのはお客様ではないと……サラもローアもそっちの方が楽だからって……」

 二人とも、表から入るのを気づまりに感じていたらしい。ジーハス先生に裏から出入りできると聞いたとき、ほっとした顔をしていた。

「ですが、リィリヤ様のお友達でしょう」

「友達です」

 未だに、そう言う度に少し恥ずかしい。

「ならば次からは用意するように手配しましょう」

 裏口の出入りは流石のセイズでも把握していないのに、どうやるんだろう、と思ったけれど、私は頷いた。

 嬉しかった。




 「と、いう事がございまして」

 セイズが昨日の事を説明し終わると。サラは顔を覆ってプルプルと震えていた。小さな声でぶつぶつ呟いている「み、見たかった」とか「公爵様って、公爵様って……」と聞こえた。ジーハス先生はどこか居心地悪そうで、ローアは複雑な顔だ。

 そのまましばらく誰も口を開かなかったけれど、やがて顔を上げたサラが言った。何だか顔が赤い。それでも声は落ち着いていた。

「どうもお父さんに公爵様からお手紙を頂いたそうなんですけど……」

「ええ。昨夜当家の従者によって直接お届けさせて頂きました」

「……ええっと、はい。それで、お父さんから伝言です。公爵様に」

「聞きましょう」

「『子供が泣いたくらいで騒ぐな馬鹿者』だそうです」

 セイズは愉しそうにくっくと笑った。

「確かに伝えましょう。それでは私はここで」

 セイズが立ち去る。セイズが入れてくれた紅茶と、昨日食べたものと同じお菓子が図書室に残った。

 それを一口食べて、サラが幸せそうに顔を綻ばせる。その顔を見ながら食べるお菓子は、昨日よりずっと美味しい気がする。

「お父様から伯父様に手紙を送ったのですか?」

「うん。それで、今日ここに来たの。今日は馬車で連れてきて貰ったんだよ。公爵様の馬車で来てわざわざ裏門に回るって変な感じ」

「それじゃ、お父様に言われて……?」

「そうだね。今日はリィリヤもお勉強お休みなんでしょ?」

「はい」

「一日ゆっくり遊べってことじゃない? 帰りも送ってくれるって」

「一日……」

 今日は、たくさん二人と一緒に居られるという事だ。

 嬉しい。

「リィリヤはさ……ジーハス先生と会えなくなるのがそんなに嫌だったの?」

 ローアが、昨日のお父様を少し思い出させる眉をぎゅっと顰めた顔でそう聞いてきた。それを見たサラが何故か口元を抑えて震えだす。サラは時々変な事をする。

「……はい。それにジーハス先生が居なくなってしまうと、サラやローアにも会えなくなるかもしれませんし……それはとても寂しいです」

「ふ、ふうん……」

 そう答えたローアの顔が赤い。サラがわしゃわしゃと乱暴にローアの髪を撫でた。

 その日は本当に、一日中一緒に遊んだ。

 一緒に本を読んだり、庭を探検した。前はお話をするだけだったから、二人に庭を案内するには初めてだった。サラとローアが綺麗だと楽しそうにしてくれるのが誇らしかった。ずっと案内したかったのだけれど、危ないからと止められていたのだ。今日はお父様がいいと言ったらしい。

 鬼ごっこをして転んでしまって、サラにびっくりするくらいに心配されたり。気付かず蜘蛛の巣に突っ込んでしまってサラが悲鳴を上げるのを、ローアが笑ったり。顔についた蜘蛛の巣を取るのを手伝うと、サラは泣きそうな顔になっていた。いつも笑っているサラなのに。本当に苦手らしい。

 屋敷の中も探検した。

 お腹が空きだしたころ、厨房から良い匂いがしたのに引かれて三人でこっそり身に行ったら、内緒だよ、と言ってコックの一人がクッキーを分けてくれた。

 本当はそういう物を貰うのも食べるのもいけないのだれど、内緒で食べるというのも楽しくて、笑いながら三人で食べた。

 部屋にに戻ったら服に付いた食べこぼしでメイドに気付かれてしまって、メイド長に怒られた。

 そんな楽しい時間はあっという間に過ぎて行って、気が付けば日が暮れかけていた。

 セイズが迎えに来て、サラとローアに、

「そろそろお帰りになりませんと」

 と言う。

 楽しい時間が終わってしまう。

 裏口まで二人を見送った。セイズに連れられて二人の背中が遠ざかる。屋敷に沿ってぐるりと回って、馬車の所まで行くのだろう。サラが言っていた通り、変な感じだ。

 三人が屋敷の角で見えなくなる間際、セイズが言うのが聞こえた。多分それは、私に聞かせるつもりのないやりとりだったんだろう。

「旦那様から、アーク様に伝言がございます」

 サラの声が聞こえた。

「何ですか?」

「『子供と一括りにするな。リィリヤが泣くのは大事だ』とのことです」

 サラの明るい笑い声。

「伝言しなくてもいいですけど、同感です。でもよく公爵様があたしたちを呼びましたね?」

「誤解なきよう言っておきます。これはアーク様にもご理解頂きたいのですが……旦那様がお嫌いなのセリア様お一人です」

「お母さんが何をしたの?」

 これはローアの声だった。

「セリア様がどう、と言うより……旦那様は昔からアーク様を敬愛しておいででしたから」

「けいあい?」

「好きと言う事ですね」

「お父さんが好きで、どうしてお母さんを嫌いになるの?」

「それは……」

 珍しくもセイズの声が言い難そうに淀む。

「ローア、それは家に帰ってから教えてあげる」

 サラの楽しそうな声を最後に、何を言っているのか聞き取れなくなった。それでも途切れ途切れに聞こえる声は楽しそうで、私まで楽しくなる。

 その日ベットに入っても思い出しては胸が弾む、それは楽しい一日だった。


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