魔法を学ぶ
意外にもあっさりと、お父さんは魔法を教える事を承諾した。飛び上がって喜ぶローアを苦笑気味に宥めてから、お父さんはあたしとローアを真剣な目で見た。
「ただし、これから俺の言う事を必ず守りなさい。それが約束できなければ教えられない。いいな?」
お父さんが求めた約束は、お父さんと一緒に居る時以外は魔法を使ってはいけない。という物だった。それは友達が相手でも、ローゼルグライム公爵家でも同じだ、と念を押されたあたり、リィリヤの存在をお父さんが意識していると分かる。
そして、魔法学園に入りたいというローアの言葉にはやっぱり、というか複雑な顔をした。けれどもまるっきり歓迎しないと言う訳でもないらしい。
これは行けるかも、と
「お父さんも魔法学園、通ってたの?」
と聞いてみれば、お父さんは懐かしそうな目になった。お父さんにとって、魔法学園は嫌な思い出の場所ではないらしい。あたしにとっては安心材料だ。いやさ、ゲームの中での学園は勿論イベントとかもあって楽しいところではあるんだけど……何分貴族VS平民の対決の所為で殺伐ともしているのだ。やっぱりちょっと怖い。
まあ、ゲーム内でも「対立が激しくなったのは最近の事だ」と言われていたから、お父さんが在籍してた時は平和だったんだろうけどさ。
そう、やっぱりあたしは、学園への入学を目指そうと思う。
ゲームの時系列の時に学園に居られなくたって、ゲーム開始時には既に構築されていたリィリヤとラグラス殿下との歪な関係を防ぐ事はできるかもしれないし、ローアとリィリヤとの関係についても同じだ。一足先にあたしが学園に入って状況を把握しておくことだって無駄じゃない筈。
まあ、個人的にヒロインと会う事ができなさそうなのは残念だけど。攻略対象は多分確認できるだろう。三次元化したイケメン……それはそれで楽しみだ。
って思ってたんだけどね!
結論から言うと。
あたしは魔法が使えないらしい。
才能……というか魔力、が無いわけじゃない。けれどもそれを使って魔法を使う事ができないのだ。
魔法の練習はまず自分の魔力を感じ取るところから始まった。
お父さんが言うには、魔力は血に最も多く宿るらしい。心臓は血液を送り出すと同時に魔力を作る炉であり、まず魔法を習い始める時は、自分の心臓にある魔力を意識するところから始まるんだそうだ。
あたしにも、ここまではできた。
言われて心臓の奥に意識を向けると、そこに確かにエネルギーを感じた。
それを感じた時には嬉しかった。ああ、あたしには魔法の才能があるんだ! 転生して良かった! とまで思った。体の内側に感じる魔法のエネルギーはそれだけでとても暖かくて、ワクワクするような物だったのだ。
そこまでは、あたしは寧ろローアよりも習得が早かった。年上の癖に大人げないと自分で思いつつも内心得意満面だったよ。ローアはほら、優秀だって設定だったらから。もしかして転生チート展開来ちゃう!? とすら思った。
なのに……その先に行けない。
世界は水、火、大気、土の四つの元素でできている。
無事に魔力を認識したあたしたちにお父さんがまず言ったのがその言葉だった。以前リィリヤにも聞いた言葉だ。文字の勉強だって、始まりはその四つの単語からだった。どうやらこれ、魔法にも深く関わってくるらしい。
その前置きの後、お父さんは自分の手を前に出す。バスケットボールくらいの大きさの見えないボールを持つような手つきをして言った。
「魔法はその元素に魔力を持ってして働きかけるんだ。例えば、風の元素に魔力を流して、風を起こす」
お父さんの手の間から、ヒュウ、と音を立てて風が起こり、あたしとローアの前髪をぶわっと煽る。
「それじゃあ、やってご覧」
え? それだけで?
戸惑うあたしをよそに、ローアはあっさりと風を生み出した。何で今の説明でできるの?
あたしも空気中に魔力を放って、風よ起これ、と念じてみるけれど、全く何も起こらない。何で? 何が違うの?
「サラ。ただ魔力を垂れ流すだけじゃ駄目だ。風の元素に働きかけなさい」
あたしとしてはそんな事を言われましても、という感じである。
自分の体の内側にある魔力は簡単に察知できたし、それを動かすことだってできるのに、どうしてもお父さんやローアのように魔法を使う事ができない。風の元素らしきものを感じ取れる気配も無い。
相性の問題かもしれない、とその後、水、土、火、と他の元素を試すも、あたしの魔力が何かの事象を起こす様子は一度も無かった。
それでもしばらくはローアと一緒に練習していた。けれども、ローアが魔法を覚えて行く中であたしは相変わらずさっぱりで、無闇に魔力を垂れ流すばかりでちっとも身を結ばない。
ローアに聞けば、魔法を使うのはイメージだと言う。こんな風を起こしたい、と風の元素にイメージを流し込むんだそうだ。
「お姉ちゃんはイメージができてないんじゃない?」
でもお父さん曰く、それ以前の問題であるらしい。
「イメージが多少不完全でも全く何も起きないというのはなぁ……。まずは元素に働きかける事だよ。サラ」
何度試しても駄目だったあたしだけれど、一度だけ魔法らしき物が発動した事がある。
それはコップの中の水に魔力を流し込んでいた時だった。
ローアが水を操って空中に浮かび上がらせ、形を変えて遊んでいるのを横目で見ながら、あたしはコップの水とひたすら格闘していた。ローアのようにぽっかりと水を浮かせる事をどれほどイメージしても何も起きない事にうんざりして、とにかく動け動けとやけくそに念じたら、僅かに波が立ったのである。
それは気のせいかもしれないような物だったけれど、確かにあたしの魔力による反応だとあたしには分かった。あたしにとって、初めての魔法である。
けれどもそれを見たことで、あたしは寧ろ諦めが付いてしまった。
あたしはこれだけやって、やっとこれだけの結果しか出せないんだ、と。
つまりは、諦めたのだった。
そうして魔法の授業から離脱したあたしは、より一層公爵家に通うようになった。今までずっとローアと一緒に来ていたけれど、最近では三回に一回は一人で来てしまう。
初めて一人で来た時は、ローアが居ない事に首を傾げたリィリヤに、あたしが魔法を遣えない事を説明した。お父さんに魔法を習い始めた事自体は少し前に言ってある。
「サラはでも、魔力が無いわけではないですよね?」
「そうなんだけどね……」
自分の魔力が分かるようになると、人の魔力も分かるようになる。何となくの分量も、そこまではっきりではないけれど分かる。
リィリヤが依然、ジーハス先生が魔法を使えるのかとローアに聞かれた時に、「そうなのではないでしょうか」と答えたのも、ジーハス先生が魔法を研究しているからではなく、魔力を持っていたかららしい。
リィリヤの魔力量はやっぱりとても多い。お父さんもローアも相当なものである。そして以外にもお母さんも負けじと魔力が多かった。それに驚いてお父さんに言ったら、お父さんが苦笑して、
「俺が母さんに出会ったのは魔法学園でだったからな。母さんは凄い人だったよ」
と言った。驚愕である。お父さんもお母さんも魔法が使えたとは。しかも凄い人であったらしい。そのなれ初めと恋バナを是非伺いたいものである。
じゃあ、お父さんやお母さんはあたしとローアに魔力がある事を最初から知っていたのか、と思いきやそう言う訳でもないらしい。
魔力は、本人が自分の魔力を感じ取れるようにならない限り外からもそれを知ることはできないそうだ。不思議な事に、本人が認識することによって、自分以外の魔力持ちにもその存在を露わにする。自覚する、という事が何らかのトリガーになっているみたいだ。
まあ、そんな訳で、今ではリィリヤにもあたしに魔力がある事が分かるのである。あたしの魔力だって、決して分量は少なくないのだ。ただ何も起こせないだけで。
「何でなのかな……」
この事実は結構ショックなのだ。諦めながらもうじうじ考えてしまう程度には。
「ジーハス先生は何かお心当たりがありますか?」
リィリヤがジーハス先生に聞くと、ジーハス先生が曖昧に微笑んだ。
「そういう事もございますよ。かなり稀ではありますが」
そうか、あたしはそのかなり稀なケースなのか……とがっくりする。嬉しくない特別だ。
「リィリヤ様はそろそろ次の授業のお時間では?」
「そうですね。では失礼します」
ジーハス先生が柔らかい声で言うのを受けてリィリヤが立ち上がる。そのまま小走りで図書室を出て行った。
一人で来ると、リィリヤは忙しいから、ほとんどの時間がジーハス先生と二人になる。そうなると、あたしもジーハス先生も無言で本を読む。特に話し合ったわけでも無く、ローアの居ない日は新しい言葉を勉強しない、というのがあたしとジーハス先生の間の不文律になっていた。
そうして無言で本を読む時間を何度か過ごしたけれど、ある日、あたしは思い切ってジーハス先生に質問した。
「魔力があっても魔法が使えない人も、少ないけど居るっていいましたよね? それってどんな人なんですか?」
稀な例であるにしても、何らかの傾向があるかもしれない。そう思ったのである。
ジーハス先生はゆっくりと顔を上げてあたしの顔を見た。読んでいた本をパタリと閉じる。
「大人になってから魔力を持った人間の中に、一部そんな人がおります。一般に猜疑心が強い人、頑固な人がなりやすい、と言われていますね」
…………。
え? これつまり、あたしが猜疑心が強くて頑固だから魔法が使えないって事なんだろうか。前世の記憶の所為でちょっと精神年齢が高いから使えないって事なんだろうか。ああ、ピーター○ン的なあれ? 穢れ無き信じる心を持っている子供だけが空を飛べるのです……って?
でもだって大人だって魔法使ってるよね!?
「あたしが……猜疑心が強くて頑固で子供らしくないから使えないって、ことなんですか……」
ジーハス先生は首を振った。
「サラ様は、不思議なお方ですね。少し変わった考え方をなさる。それに、あなたが知っている筈のない事を知っている様子も見受けられます」
ぎょっとしてあたしは硬直した。ジーハス先生に不審に思われている?
「最初はアーク様の教育によるものと思いましたが、それにしてはローア様にその傾向が見られない。それにアーク様では説明のつかない事もございます」
アーク様と言うのはあたしのお父さんである。ジーハス先生はお父さんの事を名前で呼ぶんだと今はどうでも良い筈の事を考えた。ジーハス先生はお父さんがまだ公爵家に居た時からここに居たんだろうか。
いや、そうじゃなくて。
あたし、どう答えるべき?
冷や汗をかいて硬直するあたしに、ジーハス先生は困ったように微笑みかけた。
「……あなたを追いつめたいわけではありません。あなたの不思議な点について追及するつもりもございません。ご安心を」
その言葉に、思わず安堵の息が漏れた。それでも体に嫌な硬直が残っている。確かにあたしはここで、結構迂闊な言動をしてしまっている。最近、ローアにも偶に不審な目で見られる。
例えば前世云々、の話をしたとしたら、果たしてどのくらい受け入れて貰えるんだろう。リィリヤやローアは根が素直だし、そもそも二人ともまだ幼いから受け入れてくれるかもしれない。
けれどもあたしは、やっぱり怖いのだ。
「じゃあ、なんでそんな事言い出したんですか? あたしが、変わってるって……」
やや責めるような口調になる。
「恐らくそれが、サラ様が魔法を使えない原因だからです。」
「……?」
意味が分からない。
「この国の魔法は四大元素を基として魔法の原理が構築されています」
「はい。お父さんに教わりました」
「世界の基が四大元素であり、それに魔力をもって働きかける事によって、術者は自分のイメージを具現化します。」
「……はあ」
「最も単純な魔法が、それぞれの元素単体に働きかけてそれを操る事であり、複数の元素を合成すればより複雑な術になります。さらには寒暖、明暗、乾湿、緩急、剛柔……と言った対極性質群と四大元素との組み合わせによる術がより高度だとされています」
「そうなんですか」
いきなり滔々と説明されて、半分以上は頭に入らない。そんな説明されても、あたし魔法使えないんだけどな。
「今言ったのが、この国における魔法の原理なのですよ。魔法は原理を持って動きます。起こる現象がどれだけ荒唐無稽でも、その背景にはそれなりの理屈があるのですよ。それを理解しなければ魔法は使えないのです」
「あたしが理解してないから使えないってことですか? 理解すれば使えるようになるんですか?」
お父さんは、元素に働きかけろ、としか言わなかった。理解するも何もない。
「ここで言う理解、とは、その理屈を信じられるか、という意味でもあるのです」
「……ええっと」
「この国の魔法はまず、四大元素ありき、ですから。それを真実だと思えなければ、使えないのです。サラ様、あなたは、『世界の基が四大元素である』という事を信じる事ができないのではありませんか?
四大元素の話をしたリィリヤ様に、あなたは言いましたね。『誰が考えたの?』と。その時点で、当たり前の様にそれが真実だと受け入れる事ができるこの国の魔法使いとは違うのです」
ああ、そうか。
四大元素の話を聞いても、確かにあたしはそれを信じることができない。世界は四つの元素でできている? それはだって、前世の世界ではとっくの昔に否定された「説」なんだから。
魔法の理屈としては受け入れる。ファンタジーで結構お馴染みだし。けれども受け入れてもどうしたってそれはあたしの中ではフィクションだ。今あたしが生きているのはこの世界だって言うのに。
本当にピーター○ンだ。信じられないから、使えない。
「いいですか。サラ様。魔法とは、世界の原理に干渉する力です。しかし、その原理は、術者が信じている物である必要があります。術者は自分が認識している世界の中で、それをどう改変するかをイメージし、魔力を持ってそれを成すのです」
「何か、それ……術者が信じている物だったら、それはが本当に真実じゃなくていいって言ってるみたいに聞こえます」
「仰る通りです。現に、この国から遠い国では、全く異なる世界認識で全く異なる魔術体系を持っている国もあります」
本当に信じてさえいればそれでいいのか。
けれどもこれ……
「ジーハス先生。それは、その、一般的に知られている事なんですか?」
「いいえ。ごく一部の限られた人間しか知らない事です」
そうだろう、と思う。
だってそれが唯一の真実だと信じているからこそ魔法が使えるのに、別の国には別の「真実」があるなんて知ったら、揺らぐ人も出て来るだろう。魔法を使えなくなってしまう人も出てくるかもしれない。
それは魔法使いという人材を失うという事だ。これが知られた時にどのくらいの人が魔法を使えなくなってしまうのか分からない。それは国からしても避けたい事態な筈だ。
「……ジーハス先生は魔法を使えるんですか?」
「かつては使えましたが、まさしく猜疑心が強く頑固な性格が災いして魔法を失ってしまっています。
だからこそ、私は魔法の研究をしているのです。取り戻すために」
ああ、本当に、疑ってしまったがために魔法を失う事が有り得るのだ。
「ジーハス先生……この話、あたしが聞いていい話ですか?」
ジーハス先生は申し訳なさそうな顔をした。
「いいえ。本当はあなたに聞かせてはいけない話です」
「……じゃあ、なんで」
「あなたが私と同じだったからでしょうね。私もずっとそういう誰かと話したかったのでしょう。まだ幼いあなたに申し訳ない事をしました。どうか今日の話はあなた一人の胸に収めておいてください」
「それは……はい」
いつから研究を続けているのかとか、国家機密レベルの事だと思うのに、どうしてローゼルグライム公爵家に居るのかとか、気になる事は幾つかある。
けれどもこれ以上聞くことは怖い。勿論、口外なんて恐ろしくてできない。
よくもまあ、七歳児にしゃべってくれたものだ。
到底、本を読み続けられそうに無い気分になってしまったあたしは、ジーハス先生に頭を下げて帰路に付いた。
歩く道すがらも、ジーハス先生が話した内容が頭の中にリフレインして消えない。なんだか世界がふわふわと頼りないものになってしまったような気さえする。
けれども聞いてはいけない事を聞いてしまった恐怖の他に、さっきからあたしの胸をドキドキと圧迫する物がある。
術者が認識している世界の中で、魔法は動く。
あたしは四大元素を信じられないから、この国の魔法が使えない。
けれどもローアの様子を見る限り、魔法は案外簡単に動くのだ。その元となっている理屈を信じる事さえできれば。
あたしが四大元素を信じる事ができないのは、前世の記憶があるからだ。前世の教育の中で習った知識が。水平リーベ僕の船、とかね。
つまりあたしは、前世の記憶で習ったことの方を信じてしまっているのだ。
だとしたら……
家に帰ったあたしは、帰りの挨拶もそこそこに物置に向かった。そこに置いてある石炭を一つ手に取る。両手で包むようにして持った。
石炭は殆ど炭素でできている筈である。
あたしは魔力を石炭に流し込んだ。
石炭の中の炭素原子を解いて組み替える事をイメージする。教科書か何かで見た覚えのある綺麗な結晶構造へと。
――組み変われ
念じれば、手の中に注ぎ込む魔力に、手ごたえを感じた。これまでに無かった感覚だ。あたしの魔力が、確かに形を成して動いている。
石炭はやがて細かく震えだし、そして砕けて落ちた。
砕きたかったわけじゃ無い。失敗したのかとがっかりしながら落ちた床を見たら、石炭の黒い破片の中に、キラキラと輝く物がある。あたしはそれを摘み上げた。良く見れば他にもまだ何粒か、石炭の破片と一緒に散らばってキラキラと点在している。
どうやら一応、成功したらしい。
あたしはキラキラと輝くそれらを全て拾い集めた。それぞれ小粒で、酷く歪な形をしている。練習すれば綺麗な形に作ることができるようにもなるだろうか。
炭素原子でできた結晶。あたしの前世の記憶の中で最も硬いと言われていた鉱物。
ダイヤモンド。
石炭からあたしが生成したそれをぎゅっと握りしめれば、手の平に食い込んで痛みが走った。
使える。あたしにも魔法が使える。
ジーハス先生の話はあたしが聞くべきものじゃ無かったけれど、けれどもお蔭であたしは自分にも魔法が使えると知ることができた。
だけど、あたしの魔法はこの国では異質なものになるだろう。もしかしたら、この世界のどこでも異質かしれない。
魔法学園に入るにはこの国の魔法が使えるように見せる必要があるだろう。
あたしは握りしめたダイヤモンドをスカートのポケットの中に隠し、これから密かに魔法を練習する事を決めた。