友達のお母さんに嫌われてます
リィリヤが王城のパーティに参加し、第二王子ラグラスに接触した、という事実はあたしにとって衝撃だった。あたしのゲームの知識の中で、リィリヤの「主人」になる貴族サイドリーダーは、この国の第二王子ラグラスなのである。
ラグラスは攻略対象の中でも最も難易度の高いキャラだ。濃紺の髪に紫色の瞳。冷淡な印象を与えるビジュアルでありながらも、色香漂う超美形である。性格は王道と言うか俺様で、学園生徒の権力構造の頂点に君臨する通称「帝王」である。
この国は基本的に長子が優先的に国を継ぐことになっている。けれどもそれは必ず、というわけではなく、あくまでも判断基準の一つにしかすぎない。つまり、王の子供が複数人居て、それらの歳が近い場合、大抵の場合、後継争いが発生するのである。
では、今の王の子供たちはと言うと……
第一王子が「努力家で温厚」であるのに対して、第二王子ラグラスは「天才で素行不良」。そして、その一つ年下の第一王女ミオリルは「それなりに優秀な第一王子信者」。
……あくまでもゲームの知識であり、ゲーム内での性格だけれど。
王女であるミオリルはそもそも跡目争いからは少し外れた位置にある。基本的に王女が国を継ぐのは、他に継承する男子が居ない時、というのがほとんどだ。
ここで焦点となるのは、第一王子と第二王子のどちらが継ぐことになるのか、という点だ。
第一王子は温厚で努力家だから、現状平和なこの国を継ぐのに問題はない。順当に考えれば、第一王子が国を継ぐことになるだろう。
けれどもそこで問題になるのが、第二王子であるラグラスがあまりに優秀である、という事なのだ。
それ故に、ラグラスの周りにはラグラスが国を継ぐことを望む人間が集まってしまった。
その最たるものがラグラスの母親である。彼女は息子の優秀さに舞い上がり、国母になる事を夢見てしまった。その彼女に、優秀さをこれでもかと褒められ、「貴方こそ王位に相応しい」と持ち上げられ、その一方で子供らしいやんちゃをすれば三つも年上の兄と比べられ、度が過ぎるほどの罰を受けさせられる。つまり行き過ぎた教育ママである。
ゲームのラグラスの性格が歪んでいるのは、その教育が主な原因だと思われる。そんな彼が母親について語る時の台詞を一部抜粋すると。
「何故俺が欲しくもない王位の為にあの女の言う事に従わなければならない? 俺の主は俺だ。俺は誰にも従わない。例え兄が王になろうと」
そう言いつつも、小さい頃に比べられ続けた弊害か、良くできた人である兄が大嫌いだと言う面倒くさいキャラである。攻略対象は多かれ少なかれ皆面倒な部分を抱えているわけではあるのだけれど。
そんな彼に、ゲームのリィリヤがどうして付き従っているのか、の理由をあたしは知らない。あたしも全ルートをクリアしたわけではないし、設定を全て知っているわけではないから、もしかしたらあたしが知らないだけなのかもしれない。
あたしは何となく、リィリヤと王子との接触はもっと後……学園に入学してからか、もしくはリィリヤがもっと大きくなってからだと思っていたのだ。
そして、例えあたしがそれを知っていたとしても、あたしにその出会いを妨害する事なんてできない。
あたしは平民で、王城のパーティに同行する事なんてできるわけがない。リィリヤに会いに行くだけでも結構必死なのだ。毎回毎回、公爵夫人のあの冷たい目に耐える自分を褒めてやりたい。ローアもあの目の冷たさには気付いているようで、公爵夫人に遭遇するたびに体が強張る。公爵本人には滅多に合わない。あたしたちがリィリヤに会いに行くのは当然昼間が多く、その時間帯は公爵は城に居る事が多いらしい。まあ、仕事有るだろうしね。
あたしがやっている事に意味はあるのだろうかと、不安になる。
ゲームの知識ですら完全とは言い難く、身分やらなんやらの関係で、あたしがリィリヤに及ぼせる影響は少ない。目下あたしができる事と言えば、リィリヤとの親交を深める事。それと一緒に、ローアとリィリヤが少しでも仲良くなるようにすることだ。
それについては成功していると思う。ローアは公爵夫人に竦みつつも、リィリヤに会いに行くのを嫌がらない。寧ろ楽しみにしている節すらある。遊びに行こうと、と言い出すのはいつもあたしだけれど、しばらく行かないでいると、段々元気がなくなって、ぼそっと「リィリヤ元気にしてるかな」とか口にするんだよ。可愛いやつだ。
ん? あれ? もしかして、これ初恋? ローア、リィリヤに惚れた? いや、あれだけの美少女に惚れるなというのも言えないけど、どうなんだろう。ローアがリィリヤに惚れるのはそれはそれで不味い気が……主に公爵家が怖いという意味で。
よし、とりあえずそこはスルーしよう。前世で乙女ゲームはプレイしてたけど、実はあたしの実際の恋愛スキルは底辺を彷徨っている。前世でも彼氏なんて居たことがないというその面では非常に寂しい人生を送っていた。あ、思い出したら涙が……
ゲーム内で経験したことがあるシーンならともかく、ゲームで触れられてもいない弟の幼い恋心なんてあたしにはどうにもできない。だって、身分差だとかそもそも公爵家があたしたちの存在を良く思って無いとか、まだ五歳の弟に言うのって嫌じゃないか。それに公爵夫人の視線から既に大体悟ってると思うんだよね。やっぱり賢い子だから。
ローアが自分からリィリヤに会いに行こうと言わないのは、その所為なのかもしれない。
……なんかローアに申し訳なくなってきた。
まあ、とりあえずローアとリィリヤを仲良くする、という事は成功している(という事にする)。けれども、「意味がないかもしれない」という事以上に不安な事がある。
それは、あたしのこの行動すら、ゲームの筋書きに従ってしまっているのではないか、という事だ。
あたしは単純に、リィリヤとローアが仲良くなれば、ローアが将来リィリヤを殺す事は無い、と考えていた。だから公爵夫人の冷たい目にもめげずにリィリヤに会いに行っていたけれど……本当にそんな単純に考えてしまって良かったのかと今になって不安になる。
ゲーム内でのローアは、「貴族嫌い」だ。ゲームの中のどんなキャラよりも、極端に貴族を憎悪している。ゲーム内ではその「貴族嫌い」のローアが公爵令嬢のリィリヤと従兄妹同士であり、実は高貴な血を半分継いでいた、という事が衝撃の事実として明かされるであるけれど、それはさておき。
ゲーム内のローアは、貴族の中でも特にリィリヤに明確な敵意を持っている。
あたしは思うのだ。あたしがリィリヤと仲良くしようとしなければ、リィリヤとローアの接触はあの一回だけだった可能性が高い。お父さんもお母さんも公爵家に近づこうとしないから。それなのに、たった一回顔を合わせただけの従妹に、ああまで敵意を持つだろうか、と。
姉のあたしから見て、ローアは基本的に素直ないい子だ。貴族というだけで、従姉が自分より遥かに恵まれた生活をしているからといって、それで相手を嫌悪するような子じゃないと思う。確かに初見でのローアのリィリヤに対する印象は最悪だったけれど、それはあたしが気絶した所為だし。それにしたってそれだけで将来まで敵意を持続する程、ローアは執念深くない、と思う。
ならば、ゲームの中のローアの敵意は、最初の出会いではなくその後の出来事で培われると思っておいた方がいい。
だとしたら、ローアとリィリヤの間に繋がりを作っているあたしの行動は……その繋がりに亀裂を入れるための前準備に過ぎないのかもしれない。
考え過ぎならいいと思う。考えても正解が分かる事でもない。だってゲームの知識の中に無い以上、これから起こる事なんて知り様がないんだから。どうせ分かんないんだからリィリヤ可愛いし仲良くなっちゃえ、と会いに行ってるけれど、それで本当にいいのかと、うじうじと悩んでしまう。
せめて誰か相談できる人が居ればいいのに。あたしと同じ転生者にひょっこり会えない物だろうかと思う今日この頃である。
リィリヤに会いに行くときは、いつも突然に行く。アポなしの訪問は貴族社会の中ではよっぽど親しい人間に対してじゃないと基本的にしてはいけない、と公爵夫人に遠まわしに(厭味ったらしく)言われたけれど、そもそもあたしたちに公爵家に対する連絡手段なんてない。多分お父さんだったら手紙を送るくらいはできるんだろうけど……子供が遊びに行くたびに手紙を送るなんてそんな事やってられないだろう。それにお父さんは公爵にあまり連絡取りたくないみたいだし。
それに、一度来る日を予告してみた事がある。帰り際にリィリヤに、「次は三日後に来るね」と言っておいた。一応、「アポなしで来るなんてこれだから平民は嫌だわ(意訳)」という公爵夫人の言葉に気を遣ったのだ。
そうして実際、三日後に行ってみたら、なんとリィリヤは出かけ(させられようと)している所だった。めかしこんだ公爵夫人が、にっこりと作り笑いを浮かべ、さあ行きましょう、とばかりにリィリヤの手を引こうとするのを、リィリヤが無表情に抵抗するという場面に出くわしたのである。
「リィリヤ、お母様とお買い物に行くのがそんなにいやなの?」
玄関で立ちすくむあたしたちをさくっと無視して、公爵夫人が胸が悪くなるような甘ったるい声でリィリヤに言う。
「でもお母様、サラたちとは先に約束したのです。約束は守らないといけません」
無表情ながら足を踏ん張って、公爵夫人に取られた手を取り返そうと頑張っているらしいリィリヤに内心萌えつつ、あたしはにっこりと無邪気を装った笑顔を浮かべた。
「これからおでかけなの? じゃあ、また今度来るね!」
臨戦態勢に入りそうな気配を感じさせるローアを、手を握り締めて牽制する。賢いけどまだ五歳。リィリヤに突っかかった時の様に、まだまだ感情的になりやすい。頼むから侯爵夫人に喧嘩売る事だけは勘弁してほしい。怖いから。何ていうか、公爵夫人って「子供だから」って言って流せる類の人じゃなさそうな気がするんだよね。元からあたしたちを嫌っているから、尚更だ。
「サラ、帰ってしまうのですか」
無機質といってもいいくらいに淡々とした声。リィリヤがじっとあたしを見ていた。公爵夫人がぐっとその手を引き、リィリヤがたたらを踏んで転ぶ。それを見た公爵夫人が顔を顰めた。……嫌な感じ。
リィリヤはそんな公爵夫人の顔にも気付かぬ様子で、ぺたんと床に座ったままあたしをじっと見る。あたしはそんなリィリヤに歩み寄って、手を差し出した。
「大丈夫?」
リィリヤがこくりと頷いて、あたしの手を取る。
ちっちゃいなぁ……
手を引いてリィリヤを起こしながら、思ったのはそんな事だった。小さくて柔らかい手は、握るのが不安になるくらいに小さい。ローアに対しても時々思う。子供の小ささって、慣れてても時々不意に感動してしまう。
立ち上がったリィリヤは、あたしの手を握ったまま、もう一度、
「帰ってしまうのですか」
と言った。今度はさっきより少し、小さな声で。
これはもしかして、寂しい、と思ってくれているんだろうか。
可愛いなあ、もう!
けれどもその背後では公爵夫人が綺麗な顔に忌々しそうな表情を浮かべてあたしたちを見ている。最早隠すつもりすらないらしい。
「また来るね」
にっこり、屈みこんでリィリヤと目線を合わせて言えば、リィリヤ小さくコクリと頷いた。あたしの手をゆっくりと離す。そうしてその小さな手をぎゅっと握りしめる様が、またあたしの手を握りたいのを我慢しているように見えた。
リィリヤは表情こそ動かないけれど、仕草や言葉はものすごく素直だ。
「あら、次はいついらっしゃるのかしら?」
公爵夫人は、さっきのしかめっ面など無かったかのように穏やかな笑顔を浮かべていけしゃあしゃあとそんな事を聞く。ここで具体的にいつ、と言ったらまた妨害されるに決まってる。あたしは煮えくり返る胸の内を隠して笑った。
「次は来週だと思います。リィリヤ、またね!」
リィリヤがこくりと頷き、
「……はい。また」
と言ったのに笑顔を返し、むっつりと黙り込んだままのローアの手を引いてさっさと立ち去った。
あたしたちの家から公爵邸までは子供にとって決して近くはない。貴族たちの屋敷は王城を中心とした同心円状に幾重にも並んでおり、貴族街と呼ばれている。王城内での地位や爵位が高ければ高い程王城の近くに屋敷がある傾向にあるらしく、ローゼルグライム公爵の屋敷は王城に近い位置に建てられている。対するあたしたちの家はと言えば、王都への入り口の城門近くにある。城門から入り少し歩くと賑やかな商店街があり、そのうち一つがあたしたちの家なのだ。
あたしたちの家から徒歩で貴族街まで行こうと思えば、多分二時間はかかるだろう。それからさらに公爵邸までが三十分程度。つまり、リィリヤに会いに行くために、歩きだと二時間半かかる。腕時計なんてものは持っていないので、あくまでも体感時間に過ぎないけれど。
王都は広いのだ。
あたしたち平民は、基本的に貴族街には近寄らない。それでも貴族御用達の仕立て屋や、貴族相手に商売をしている人たちは別だ。彼らは貴族街の外側を、これまた同心円を描くようにして店を構えている。貴族街に添うようにして、高位の貴族相手にしか商売をしないような高級店が立ち並び、貴族街から離れる程、下級貴族相手の店や、平民にも商売をするような店へとなっていく。
利便性の為でもあるのだろうけど、うんざりするくらいに地位とか権力とかを浮き彫りにする構成だ。身分が遠ければその分、物理的な距離も遠くなるのである。
つまり何が言いたいのかと言うと、公爵夫人の態度が無くたって、あたしたちがリィリヤに会いに行くには結構な労力と気合が必要なのだ、という事だ。
あんな風に妨害されて腹を立てずにいられようか。
ローアの手を引き、ずんずんと歩いていると、ローアが困ったように
「お姉ちゃん」
とあたしを呼んだ。はっとして振り返れば、ローアの息はすっかり上がっている。怒りのあまり、ローアの足を考慮せずに歩いてしまっていた。
「ごめんね」
立ち止まり、ローアの息が整うのを待つ。ややあってローアがあたしを見てぎゅっと眉をひそめた。
「お姉ちゃん、怒ってる」
ローアの目はあたしを責めている。
「お姉ちゃんも怒ってるのに、どうしてあのおばさんに言わないの」
おばさん!?
それは公爵夫人の事だろうか。それ以外にはないだろう。
公爵夫人は美人だ。それに若々しい、と言ってもいいと思う。実際若いんじゃないだろうか。貴族の結婚は早いと聞くし、長女のリィリヤはまだ小さいし。いくら気に食わなくても、少なくともあたしはあの人を「おばさん」呼ぶ気にはなれない。
ああ、でも子供ってそうかもしれない。誰かのお母さんは皆おばさん。例え子持ちに見えない位に若々しくても、子供にとっては違いなど大してない。そう言う事なんだろうか。……子供って、残酷だ。
そう思った所でなんだか笑えて来てしまって、苦しいくらいにお腹の中を渦巻いていた苛立ちが消えてしまう。
へらり、と笑ったあたしを見て、ローアの眉間の皺が深くなった。可愛い顔なのに、勿体ない。
日本人であった前世の記憶の所為か分からないけれど、あたしは事なかれ主義だ。苛立ったり怒ったりの沸点は低い方だと思うけれど、それで喧嘩をするのは嫌で、腹の内を隠して笑うなんてのは結構やる。
一方でローアはと言うと、正義感が強いと言うか、人に意見をいう事を恐れないというか、不満があったら相手にはっきり言うタイプである。
そんなローアはあたしの事なかれ主義が気に食わないらしく、偶にこうして怒る。
「ローア、公爵夫人におばさん、なんて言っちゃダメだよ」
ちょっと反応を見てみたい気もするけれど
「お姉ちゃん!」
キッとあたしを睨んで言うローアの頭を撫でた。
「女の人はねえ、おばさんって言われるの嫌がる人が多いよ」
それ以前の問題として、貴族の貴婦人に平民が「おばさん」なんて言ったら不敬である。
「お姉ちゃんもあいつの事嫌いなのに」
まあ、そうなんだけどね。
「公爵夫人を本気で怒らせたら、もうリィリヤに合わせてくれなくなるかもしれないもの」
あたしがそう言うと、ローアが目を丸くして硬直した。
あの人は今だってそうしたいと思っているに違いないのだ。それを一応黙認しているのは、多分夫である公爵の意向があるからだ。公爵は、今でもあたしたちのお父さんと仲良くしたいと思っているらしい。寧ろ、多分あたしたちを捨てて侯爵家に戻ってくることを望んでいる。公爵だってあたしたちの事は気に食わないだろうけれど、それでもあたしたちがリィリヤを訪ねる事は、公爵とお父さんとの間に細い糸を繋いでいる。
だからかどうか、今のところ、訪問をはっきりと拒絶される事はない。行けばお茶もお菓子も出してくれるしね。公爵夫人じゃなくてメイドさんがだけど。
だからまあ、滅多な事では出禁を食らう事はないと思うんだけど、良く思われて居ない事は確かなんだからどう転ぶか分からない。臆病者なあたしとしては、ご機嫌を徹底的に損ねるような所業は避けたい。
「嫌でしょ?」
特に何も考えずそうローアに聞いたら、ローアがこくんと頷いた。あら? 素直。リィリヤについてはツンデレの気があるローアだから、「別にいいし」くらい言うかなと思ってたんだけど。
ローアの顔を見たら、口をこれでもかという程への字にしていて、なんだか泣きそうな顔をしていた。
「何であいつが俺たちとリィリヤをじゃまするの」
そう聞かれると、返事に困る。公爵夫人の考えている事なんて分からない、と逃げる事も考えたけれど、結局あたしは答えた。
「貴族と平民はあんまり仲良くならないからかな」
ほんのりとオブラートに包んだ。公爵夫人は下々の人間と関わることを明らかに嫌悪している。
「リィリヤが平民と仲良くなるのが、心配なんじゃない?」
そう言うと、ローアが悔しそうに俯いて言った。
「あいつ、リィリヤのこと好きじゃないのに」
俯くローアを前にして、あたしは何といっていいか分からなくなってしまった。
――そんなことないよ。
――そんなこと言っちゃダメでしょ。
――侯爵夫人だってお母さんなんだから。
思いつく言葉はどれも白々しい。あたしだって気付いているのだ。公爵夫人がリィリヤの事を良く思っていないらしいこと。今日を除いて、あたしは公爵夫人がリィリヤを構っている所を見たことが無い。貴族の家族関係何て、平民のそれと比べて冷めているのかもしれないけれど、それにしたっておかしい。
だって公爵夫人がリィリヤの弟のエリックに楽しそうに話しかけているのなら聞いたことがあるのだ。
あたしが考えない様に目を逸らしていた事を、ローアがあっさり口にする。
子供って本当に残酷だ。
迷った挙句、あたしが口にしたのは、全く答えになっていない言葉だった。
「あたしはリィリヤ好きだよ」
ローアが俯いたまま、小さな声で、
「俺も」
と言った。
そのあと広がった沈黙に耐えかねて、
「帰るよ」
とローアの前に手を差し出すと、ローアは大人しく頷いてあたしの手を取った。
その日以来、行く日を事前に言わないようにしている。
あたしたちの友情を喜んでいない様子なのは公爵夫人だけじゃない。実を言えばあたしの両親だってそうだ。
お父さんは公爵を明確に拒絶しないけれど、距離を置きたいと思っているのは明らかだし、お母さんだってあたしたちが公爵家に出入りするのを心配している。まあ、あたしが親でも心配すると思う。
二人とも心配そうにあたしたちを見るだけで、はっきりやめろとは言わないから、ローアはまだ気付いていないんじゃないかと思う。
前世で身分差という物が大してなかったあたしだけじゃなく、ローアだって多分身分差という物を意識していない。平民の、しかも子供の生活では、普通にしていれば貴族と関わる事なんて滅多にない。公爵家に呼ばれるまで、あたしたちにとって「貴族」というのは物語の中の存在に近かった。あたしは前世の記憶があるから余計にそう思うのかもしれないけど。きっとローアだってそうだろう。
初めて侯爵邸に行ったときだって、お母さんは平気そうな顔をしていながらも怯えていた。お母さんの震える手を、お父さんが握りしめて元気づけるように微笑んだのを見た。でもローアは、見たことも無いような豪邸に驚きながらも、怯んではいなかった。リィリヤに突っかかって行ったことからも分かる。まだ、身分差が心を縛るほどの年じゃないのだ。
この先、成長して行っても、同じで居られるだろうか。ローアも、リィリヤも、あたしも。
ゲームの知識はあまりに断片的で、十二年先のゲームの時系列になるまで、何があってあたしたちの関係がどうなっていくか、まるで読めない。
「お姉ちゃん。今日はリィリヤに会いに行かないの?」
最後にリィリヤのところに遊びに行ってからおよそ八日くらい経った頃だろうか。ローアがあたしの袖を引いて言った。つまり行きたいって言ってるんだね? 弟よ。
とにかくローアの好感度上げ(対リィリヤ)には充分成功しているようだ。
成功し過ぎている気がして、それもそれでちょっと怖いんだけどね。