思い出しました
あたし、サラ・テシオドールには前世の記憶がある。
記憶がある、と言うのとはちょっと違うかもしれない。自分の感覚としては、思い出していく、の方が近い。
例えば、家の前の綺麗にならされた土の街道を見て、コンクリートに覆われた道路を思い出したりとか。街道の両脇に立ち並ぶ店…あたしの家もそのうちの一つなのだけど…に、ああ、そう言えば前は家から歩いて10分のところに寂れた商店街があったな、と思ったりとか。
あたしはサラ・テシオドールという人間になる前に私は別の人間であった事があり、その時生きていた世界は、今のこの世界とは全く別の世界であった。その時の記憶があたしの中には眠っており、ふとした折にチラチラとその存在を覗かせる。そんな感じだ。
あたしが育つに従って、その存在も少しずつ明瞭になっていく。あたしが言葉を覚える速さであたしはかつて使っていた日本語を思い出し、弟と遊ぶたびにかつて居た妹を思い出す。
物心つくころには、あたしってつまり転生者ってやつだよね、と、かつて読み漁った小説の事を思い出しつつ思った。その頃には、霞がかった曖昧な記憶がほとんどとはいえ、自分のかつての人生をほぼ思い出していた。
けれども、おぎゃあと産まれた時に大人としての知識があったわけでもなく、何かの拍子に劇的に前世を思い出したわけでない。前世の記憶のお蔭で年齢にしては賢いけれど、それだってそこまで大しては突出してない。だからあたしは、このまま穏やかに前世の「自分」と同居しつつパン屋の娘として生きる。そう思っていた。
あの時までは。
あ、これ「Magic Gift」だ。
お人形のような、人間離れした美少女な従妹が、「リィリヤ」と名乗った瞬間に、あたしの頭をよぎったのはそれだった。
かつてあたしと妹がそろって嵌った乙女ゲーム「Magic Gift」。あたしが今居る世界は、そのゲームの舞台となっている世界らしい、と。
それと同時にゲームをやった時の記憶がかつてない程の鮮明さでゴリゴリと脳内に押し寄せてきて、弟、ローアの狼狽した声を背景に、あたしは気を失った。人生を穏やかにゆっくり思い出して行く時にはこんな衝撃なかったのに、1個のゲームのプレイ記憶を一気に思い出す事の衝撃と言ったらなかった。脳内オーバーヒート。一旦ちょっと電源切ります。さようなら。
どうして、従妹リィリヤをきっかけに思い出したか。それは勿論、彼女がかのゲームの主要登場人物だからだ。ヒロインでは無い。サポートキャラでも無い。女の子だから、勿論攻略対象でも無い。ともなれば、残るポジションは一つだろう。
つまり、悪役。
これまであたしが思い出した前世の記憶は、言ってみれば遠い世界の話だった。懐かしい、もう戻る事のない昔の記憶だ。お祖母ちゃんお祖父ちゃんが、「そう言えば戦前にこんな事があったねぇ」と思いだすのに近い。いや、あくまでも想像だけど。あたしに戦前の記憶は無いけど。そして多分、そんなに歳をとるまで生きてない。何歳で死んだかちょっと思い出せないけど。
だけど、ゲームの記憶は、前世からすれば高がゲームだけど、今のあたしにとってはこの世界に直結する記憶なのである。ましてや目の前に現れたのはリィリヤ。悪役ポジションのリィリヤなのだから。彼女の行く末は悲劇なのだ。
今世七歳のあたしにはめちゃくちゃ重い事実である。
さて、リィリヤ・ローゼルグライムはどんなキャラか。
乙女ゲームの悪役は、攻略対象が好きで、そのためヒロインに嫉妬して嫌がらせをする、というパターンが多い。そういった悪役のほとんどは美人で身分が高かったりお金持ちだったり、場合によってはパーフェクトにスペックが高かったりする。攻略者の婚約者だったりする場合も多い。
リィリヤはと言えば、美人だし公爵令嬢だし(公爵は王族に次いで身分が高い)魔力もずば抜けているし(この世界に魔法があるとあたしは今初めて知った…本当にあるの?)頭がいい(学問でも成績がいいという設定)だし、で、つまり超ハイスペックだ。
実際に会ったリィリヤも可愛かった。二次元に描かれたリィリヤの絵はそれはそれは美麗だったけれど、いや、三次元恐るべし…リアル美少女マジ凄い。
白に限りなく近い白金色の髪、アクアマリンの様な薄い透き通った青い目。真っ白な肌。長い睫。桜色の唇。幼いながらに完璧に整った超が付く美少女である。サラッサラの髪は彼女が少し動くたびに微かに揺れて、それが柔らかく光を弾くのだ。二次元派のあたしが三次元に鞍替えしたくなるくらいに可愛い。いや、あたしは百合じゃない。百合ではないんだけど、可愛いものは大好きだ。
だけど、無表情。挨拶された時も、その整いすぎた顔で、口元だけを動かして名乗るのである。顔が尋常じゃなく整っている事が災いして、正直怖い。だってさ、人形がしゃべっているみたいに見えるんだよ。どっかから糸が繋がって無いかと確認したくなってしまう。
そんな彼女のゲーム内での異名は、「氷人形」だったりする。その他にも「氷の姫君」「氷の心臓」等々……。氷、という言葉は、彼女が氷の魔法を得意としているから。正確には冷気だったかな? まあ、その彼女の魔法と、ゲーム中一度たりとも笑うどころか怒りも悲しみも顔に見せない鉄壁の無表情から付いた異名だ。正直、こんな小さい頃から無表情キャラだったのかと驚いた。
多くの悪役令嬢は、攻略対象に対して執着しているし、高飛車で身分の低い人間を見下す。リィリヤの場合はそれとはちょっと違う。彼女は、ゲーム内でも最初から最後まで、自分の意思では主人公を苛めないし、攻略対象の事も異性として好きなのかと言ったら「?」な感じなのである。
その彼女がどうして悪役なのか、という事を言うには、ゲームのストーリーに少し触れる必要があるだろう。
「Magic Gift」というゲームは、魔法を学ぶための学園が舞台になっている。学園の生徒はそのおよそ3分の1が貴族で、その他が平民という構成だ。
魔法は高貴な人間の為にある物。
この世界……と言うより、この国にはそんな考えが常識としてある。貴族の高貴な人間はそのほとんどすべてが魔法使いであり、その高貴な血筋と共に魔法の才能は受け継がれていく。だけれど、平民の中にもどうしてか魔法が使えるようになってしまう人間が時々居る。それは割合としては低いけれど、平民と貴族の元々の人口比もあり、現存の魔法使いだってそのおおよそ半分が平民だ。不思議な事に平民の魔法使いは、子供にその素質が遺伝する事は滅多にないらしいけれど。そして、魔法使いになった平民は、高貴な人々に仕えるか、もしくは国外に行く。もしくは魔法から離れて普通の人間として生きるか。つまり、この国の中で貴族、王族以外の為に魔法を使うのは許されない、という事だ。
だから平民でパン屋なあたしは、ゲームの事を思い出すまで魔法の事を知らなかった。今でもちょっと疑っている。だってゲームと同じとは限らないしね。
さて、そんな世界の、平民、貴族が入り混じった魔法学園。果たしてどうなるでしょうか?
ゲームの中では、それはもうがっつりと対立構造が出来ておりました。はい。貴族VS平民です。
「Magic Gift」というゲームは、ヒロインが攻略対象を攻略するのと同時に、その対立をどうにかする、というのがテーマなのである。いや、ストーリーの前提としては、まずその対立をどうにかしようとヒロインが頑張る中で、攻略対象がヒロインに惹かれて行くって感じなんだけどね。
で、この対立構造の中で、ヒロインはまず平民側に属する事になる。ヒロインは平民育ちだからだ。んで、平民サイドの重要なポジションになっていく。
一方、リィリヤは貴族サイドのリーダーに忠実な家来って言うか、恋人って言うか、奴隷って言うか……表現に困る。
某貴族サイドのリーダー曰く「俺の可愛い人形」
つまりはそういう立ち位置だ。
ちなみに勿論、貴族サイドのリーダーも攻略対象。
リィリヤは、自分の意思も感情も特に見せずに、とにかく貴族サイドのリーダーに忠実なのだ。命令されるがままに、平民サイドを攻撃する。リィリヤはその面で、どのルートを通っても悪役で、ヒロインに対して容赦ない攻撃を仕掛けてくるのだ。
そして、貴族サイドのリーダーのルートでは、恋愛面でも邪魔になる。
何度も言うように、リィリヤはリーダーにとにかく忠実なだけで、リーダーに恋愛感情を抱いているかと言えば、最後まで良く分からない。けれどもリーダーの方からすれば、リィリヤに執着している。歪んでるけど。
リーダーの方からもヒロインが気になり出すと、捻くれた性格なので、ヒロインの前であからさまにリィリヤといちゃついたりするのだ。いちゃつくっていうか、お人形のように無抵抗なリィリヤにこう…キスしたりとか、その他にも……げふんげふん。ちなみに全年齢対象ゲームです。そういう表現は匂わすだけなのであしからず。
それだけでもあたしにしてみれば重すぎる情報だ。リアルに見て知ってしまったあたしの従妹が、そんな捻くれた性格の奴の奴隷みたいな子になっちゃうなんて、悲しすぎる。それにゲーム内のリィリヤは人殺しこそしないけれど、結構残酷な事を平気でやるのだ。命令されるがままに。それはどこか心が壊れてしまった子の様で、痛々しい。
けれどもそれ以上にあたしの気を重くする事実がある。
リィリヤはゲーム内で死ぬのである。
それは全ルート共通イベントで、必ず発生する。そのイベントの恋愛的な意味での重みはルートによって異なるけれど、避けようがなくどこかのタイミングで発生する。何故なら、貴族VS平民の対立構造を動かすという意味では超重要イベントだから。これをきっかけに対立は激化し、なんやかんやあって和解するかどちらかが勝利するかするのだ。そのあたりはエンディングによって異なる。
そして、これまた頭が痛い事に……リィリヤを殺すのは、あたしの弟、攻略対象でもあるローアなのである。
将来、あたしの弟があたしの従妹を殺す。
ああもう、これ、どうすればいいんだろう。
人生で…前世も含めて…横になった覚えのないくらいのふわふわなベッドの上で目が覚めた。ローアが泣きそうな顔であたしを覗き込んでいる。
「お姉ちゃん…目、覚めたんだ……良かった……」
ちょっとまだぼーっとしている事もあり、あたしはローアの顔をしみじみと見てしまう。
こいつも攻略対象なんだよなあ、と。
もう既に超人的に美しいリィリヤと違い、ローアはちょっと可愛いファニーフェイスだ。まあ、攻略対象の中でも、美形具合はそれほど強調されない方だったから、将来もそれほどの美形にはならないのかもしれない。イラストは美形だったけどね。
二歳違いのローアは、あたしが物心ついた時にはもう弟だった。だから、ゲームの事を改めて思い出す程の衝撃にはならなかったのだろうか。リィリヤと比べてまだ平凡の範疇に入る顔のためかもしれない。
あたしはローアの少し上を向いた鼻を指でぎゅっと押した。
「心配かけてごめん。大丈夫だよ」
心情的には大丈夫でもないんだけどね。だってローアがこれから人殺しになるって知っちゃったんだから。
あたしたちは結構仲がいい方だと思う。前世の記憶のおかげか、歳にしちゃ賢い子なあたしだけれど、ローアもそう。これは純粋に本人が賢いからだろう。
周りの子が幼稚に見えるらしいローアには、どこか人を見下す所がある。それでも基本的にいい子だから、友達が居ないわけでもないんだけど。でもやっぱり、同じ年頃の子たちと一緒に居ても「自分はこいつらとは違うんだ」と思っちゃうらしい。……それってちょっと嫌な奴かもしれないけど、それはさておき。
ローアにとっては、あたしのような少し年上の子の方が一緒に居やすいらしいのだ。この年の二歳の差はでかい。一言で言ってしまえばローアは軽くお姉ちゃんっ子だ。まあ、あたしも結構面倒見たしね。
これからローアをどうすればいいのかと考えながらあたしは身を起こす。そうして、優美なティーセットとお菓子が部屋の中に置かれているのに気が付いた。
「あれは?」
聞くと、ローアが分かりやすく顔を顰める。そして、部屋の隅に控えていたメイドさんがすっと前に出てティーセットを指し示した。
「リィリヤ様からのお茶とお菓子でございます」
リィリヤ、あの子、心配してくれたのだろうか。もしかして、ゲームの中の彼女とは違い、まだいい子なのかもしれない。怖いけど。無表情で怖いけど。
「飲まれますか?」
メイドさんがそう言うので、あたしはありがたく頷いた。
「あ、ありがとうございます」
正直言って喉が渇いている。
「では、入れなおしますので、少々お待ちください。……ローア様は」
ローアがどこか不満そうな声で言った。
「……飲む」
「畏まりました。」
そう言って一礼して、メイドさんが立ち去る。いやぁ、動作が美しいよ。流石上流階級の使用人は違う。きっとあの為にきっちりと教育されてるんだろう。
「お姉ちゃん、本当に飲むの?」
ローアが不安げに言う。あたしは何が言いたいのかとローアを見た。
「だってあいつが持ってきたんだよ?」
あいつ。少し考えて、リィリヤの事かと思い至る。お茶とお菓子はリィリヤからって言ってたしね。
「ちゃんとお礼言った?」
ローアの態度から不安になり、あたしはローアにそう聞く。ローアは首を傾げてあたしを見た。
「え?」
あら可愛い。可愛いけど頂けない。こいつ絶対お礼言ってないな?
「お礼言わなきゃ駄目だよ?」
「な、なんで!」
ローアの顔が嫌そうに歪むのを見て分かった。この子、リィリヤの無表情ためか、既にあの子を悪役認定してしまったらしい。五歳にしちゃ賢いけど、やっぱりまだ子供なんだろう。
「だってお茶持って来てくれたんでしょう? ありがとうって、ちゃんと言うのよ」
「あんな魔女が持ってきたお茶なんて飲んじゃ駄目だ!!」
魔女。弟の口から出た言葉に唖然とする。
今世と前世では、魔女という言葉に対するイメージは大分違う。前世では良くも悪くも魔法を使う女、だった。けれども、今世で魔法使いではなく魔女、と言えば、それは女の子に対する最大級の侮蔑だ。
今世の物語に出てくる魔女は、大抵醜い。いっそ化け物に近いイメージである。そして、よくあるパターンとして、美しい女に化ける。化けて男の人を惑わし、最終的にはその惑わしに騙されなったヒーローに成敗されて、本来の醜い姿を晒す。
ローアがリィリヤに魔女、と言うのは、穿った見方をすれば、「本当はどうしようも無く醜い癖に魔法で美しいふりをしている性悪女」といったような物なのだ。
ゴン!
思わず手が出た。前世でも今世でも、結構手が早い方ですが何か?
頭を押さえて痛がるローアに言う。
「まさか本人に言ってないでしょうね?」
ここで大事なのは、なるべく低い声を出す事。あたしが低い声を出すと、ローアは正しく、あたしが怒っていると認識する。
「だ、だって……」
「言ったの?」
「だってあいつ、」
「言ったのね?」
「……ご、ごめんなさい」
ローアは基本的に素直でいい子だ。
「ちゃんと本人に謝りなさいね? お礼も」
「……う」
ローアは涙目である。けれどここで仏心を出してはいけない。あたしは怖い顔を維持してローアをじろりと見る。
「嫌なの?」
「だってあいつ、お姉ちゃんに」
「は?」
「あいつ見て、お姉ちゃんが」
……。
あたしの所為か!!
そうか、あたしがリィリヤの顔を見て気絶なんかした所為で、ローアはリィリヤが何かしたと思い込んでしまったんだろう。いやあ、五歳の思考回路、怖い。四歳の子供でそんな事ができる奴が居たら怖いよ。ああ、だから、魔女。なるほどね。
あたしは思わず深々とため息を吐く。
それからあたしは、一度思い込んだら頑固な面倒くさいローアに、誤解だと説得を始めた。
やがてメイドさんが入れなおしてくれた紅茶を飲み、テーブルに並べられたお茶菓子を見る。そこに置かれた可愛らしいケーキは三つ。ティーカップも三つ。
ローアから聞き出せば、リィリヤはこのセットと一緒に来て、ローアに魔女と言われて、それからそのまま帰ったと言う。本当は一緒にこうしてお茶を飲みに来たんだろうに。
泣きもせず。怒りもせず。
四歳の少女のそんな行動は、やっぱりあたしにはどうしても、痛々しく感じられてしまう。いや、まあ、あの無表情を思うと怖くもあるんだけどね。何考えてるかわかんない感じが。
どっちにしろ、何としてでもローアに謝らせなければならない、とあたしは決意を固めるのだった。
ひとまずお茶を飲み、お茶菓子を食べ、あたしたちは部屋を出た。体調は大丈夫かとメイドさんに心配されて、大丈夫だと答える。それと一緒に、リィリヤの居場所を聞いてみたら、恐らくは図書室に居るだろうとの事。図書室までメイドさんに案内してもらい、扉を開けた。
真っ先に聞こえたのが、
「彼らの着ている服が、貴族の着る服ではないと思いました」
というリィリヤの言葉。それにローアが逆上し、あたしはローアを殴り。何故かリィリヤは顔を隠すし。
ああもう! 面倒くさい!!
と思ったものだけれど。ローアとぎゃあぎゃあ喧嘩をしていると、リィリヤが言うのが聞こえた。
「隠せば、怖くないかと思いまして」
図書館に居た、上品そうな初老の男性と話す、淡々とした声。その声もやっぱり無感情でちょっと怖いのだけど。でもそうやって自分の顔を見る度に怯える人たちを、彼女はどう思ってるのかと考えた。そうやって怯えられるたびに、どう感じるんだろうと。
あたしだったら悲しい。
あたしはひとまずローアを放置する事にして、自分の顔を覆うリィリヤの手にそっと手を伸ばした。
結論から言うと。
リィリヤは天使でした!!
というアホな感想はさておき。
いや、本当に天使なんだけどね? 無表情は相変わらずなんだけどね? 何ていうか、いい子だよあの子! 不器用なだけなんだよ! っていうか天然だよ! 萌えるよ! 無表情だけどしどろもどろしてる所ホントに可愛かったよ! 理性飛んだよ!
ローアが見たっていう笑顔は見れなかったんだよね。悶えてたせいで。ああ、畜生。ローアが羨ましい。ローアの癖に。ああでも、リィリヤの死亡フラグ回避の布石としては良かったのかな?
まあ、それはさておき。
あたしとローアと、リィリヤは友達になった。ゲーム内の設定として、ローアとリィリヤの間に従兄妹同士というものはあったけれど、友達、というのは無かったから、この友情を維持することで死亡フラグ回避に繋がるのならばいいと思う。
けれどもこの友情を維持するのは、多分そう簡単じゃない。
あたしたちは、公爵家……リィリヤのお父さんとお母さん、に良く思われていない。あたしたちがリィリヤに接触すると、彼らは不快になるだろう。表向きはともかく、裏では確実に。
この国には身分という物の壁が厚い。ゲームの設定の中の魔法の遺伝についてもそうだけれど、血筋に明確な優劣があるのだ。だから貴族と平民の婚姻は、歓迎されない。高貴な血筋に平民の血を混ぜるのも、平民の中に高貴な血筋を混ぜるのも、あまり歓迎されないのだ。
あたしたちはその歓迎されない混血児である。
あたしたちのお父さんは、ローゼルグライム公爵家の長男だったらしい。それが、どういうわけか唯のパン屋の娘だったお母さんを好きになって、駆け落ちした。
最近までその事を知らなかったあたしは、お父さんが元は貴族だと聞いて驚愕した。お父さんは貴族であった事を完全に捨てて、家とも縁を切ってパン屋として生きるつもりだったらしい。今でも、そうしたいと言っている。
お父さんの弟……現ローゼルグライム公爵は、お父さんの事を慕っていたらしい。それが駆け落ちして縁を切られたのだ。彼からすればお父さんの行動は裏切りだろう。お父さんは彼にも居場所を教えることなく、お母さんとひっそりと店を構えた。
けれどもそんなお父さんを、公爵は見つけ出した。
そうして実現したのが、今日の訪問だったのだ。
手放しで歓迎されているかのような、豪華な食事の晩餐。優しい笑顔に、美味しい食事。リィリヤと友達になった後で開かれたそれから、あたしは公爵からの明確なメッセージを感じ取った。
――お前たちとは世界が違う。お前たちはこれに相応しくない。けれども兄は本来、ここにいるべき人間なのだ。
……と。
それを誰より明確に、痛みを持って受け取ったのはお母さんだっただろう。スープを一口に飲むのにすら、公爵夫人にそれとなくマナーの悪さを指摘され。それに対して毒を潜ませた言葉で公爵に庇われ。気にしなくていい、と優しく言うお父さんは、けれども確かに、完璧なマナーを身に着けているのだ。
それでもお母さんは笑っていた。必死で明るく、食事を褒める。でも、その褒め言葉にもほんのりと毒を潜ませた言葉で返される。表向きは優しい言葉だから、お父さんもお母さんが傷つけられているのを知りながら、彼らを注意することができない。
子供の特権で気付いてないふり、無邪気なふりがしやすいあたしですら胃が痛くなりそうだった。
正直、もう二度と行きたくない。
でもリィリヤは。あたしたちの服装を「貴族が着る服じゃない」と言ったリィリヤは、それでもあたしたちと普通に話してくれた。最初から呼び捨てだったり、敬語が使えてなかったり、あたしたちは貴族からすればかなり無礼だったはずだけれど、リィリヤに気にした様子はない。
お互いに改めて挨拶をして、それから友達に、と言ったとき、無表情で分かり難かったけれど、喜んでいたと思う。微かに目を伏せ、小さな声で「嬉しいです」と言ったから。
ならばこの友情を、守ってやろうじゃないかとあたしは思うのだ。
不器用で優しい従妹を、ゲームの悲しいお人形にするのは嫌だった。
そのために、あたしができる限りの事をしよう。