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近所の子

 リィリヤには言っていないけれど、実は引っ越して死ぬほど嬉しい事が一つある。

 なんと! 新しい家の二つ隣は本屋だったのだ。

 この世界の本は高級品だ。まず、紙自体がそんなに安くない。その上、活版印刷の技術が無いから全ては手書きである。その上更に識字率が低い。本を書くことができるのはそれなりの教養を持った人間だけになる。そんな人の労働力が安い筈がなく、一層本という物が高級品になる。

 そんな高級品である本を扱う店が、あたしたちが以前いた平民街にある筈がない。そもそも識字率が低い平民相手にそんな商売をやっても仕方ないだろう。

 けれども、今あたしたちが住んでいるのは技能階級(テクニカルクラス)が多い一帯だ。王城を中心とした貴族街を囲い込むようにして存在しているこの一帯には、貴族向きの店が数多く存在する。新しい家の二つ隣の本屋もそのうちの一つなのである。

 勿論、高級品である本をあたしが買えるわけじゃ無い。ハルトさんは、

「公爵様に言えば1、2冊だったら買ってくれるんじゃねえの?」

 などと言うけれど、ちょっとそこまでは甘えられない。ジーハス先生の所に入り浸って公爵様の本を好き放題読んでる癖に何言ってんだと思われるかもしれないけれど。お父さんに申し訳ない気もするし。

 ちなみに、ハルトさんは元々は公爵様の所で働いていた下男で、今は公爵様の命令であたしたちのパン屋を(住み込みで)手伝っている。あたしたちが公爵家に裏口からお邪魔するときに、良く渋面を見せながらも通してくれた。若く見えるのに以外にも古株らしく、お父さんと顔見知りみたいだった。はっきりそうと聞いたわけじゃ無いけど、ハルトさんが家に来た時、お父さんがやけに驚いた顔をしていたから、多分そうなんだろう。

 まあ、ハルトさんの事はさておき。

 本は高級品で、あたしが買って貰えるような物じゃない。それに、人の手が触れた分だけ紙は劣化するから、そうそう気軽に立ち読みもできない。だったら本屋が近くにあっても意味が無い……というわけでもないのだ。いや、あたしも最初は思ってたけど。近くあっても手が届かないなら却ってしんどい……とか。でもそうじゃなかったのだ。

 あたしの手には今、数冊の本がある。まごうことなきあたしの(・・・・)本だ。誰に遠慮することも無くあたしの部屋に置いて、好きな時に読み返せるあたしの本。幸せ過ぎる!

 ご近所さんって、素晴らしい!


 その本というのは全て頂いたものだ。代わりにあたしは偶に本屋を手伝う事になっている。あたしにできる事なんて、掃除とかそれくらいなもんだけど。けれども本を買った時の値段を考えると、そんなの無料(タダ)に近いような物だと思う。

 実を言うと、あたしが貰った本は元々店に並ばない物なんだそうだ。本を売る商売は基本貴族が相手だから、品質にも気を遣うらしい。あたしが貰ったのは全て「売り物にできない」と判断された本である。装丁は無い。紙の束を紐で括っただけの物だ。それでも読むのに全然支障は無い。

 この世界での「本屋」での店頭、つまり本が並ぶ所が占める面積の割合は小さい。本もそんなに沢山は並んでいない。並び方も、前世の記憶にあるみたいな本棚にぎっちりって感じじゃなくて、寧ろ平たい台の上に宝石みたいに陳列されている。ガラスケースに収まってるわけじゃないけどね。

 本の注文っていうのは、基本そうやって並んでいる本の中から選んで、それを写本してもらうんだって。つまり、店頭に並んでいるのはサンプルで、実際の商品は注文を受けてから作る。本屋の面積の大部分を占めてるのは、その写本の為の作業場だ。本屋も店頭と制作場所が一体になっているものばかりじゃないらしいけれど、少なくともあたしのご近所の本屋はそうなっている。

 それはつまり、筆記者(文字を書く事を商売にしている人をひっくるめてそう呼ぶらしい)をお店で雇っているという事だ。その中に一人、「見習い」の子が居る。あたしが貰った本っていうのは、その子が書いた物なのだ。

 見習いって言うか、お店の子なんだけどね。

 裏通りから筆記者さんたちが出入りする裏口を叩いて、

「こんにちはー」

 と声を張り上げると騒々しい音がして、

「サラ!」

 と勢いよくドアが開いた。走って来たんだろう。サラリと伸びたチョコレート色の髪の毛がほんの少し乱れている。柔らかい頬にくっついた髪の毛を払ってあげると、擽ったそうに笑った。髪に結いつけられたリボンが揺れる。それから一転して、少し申し訳なさそうな顔になる。

「ごめんね。まだ新しい本は作れてないの」

「いいよっていうかこの前貰ってから三日だよ? そんなに早くできたら驚くよ。今日は作業場の掃除に来ただけ」

「じゃあ、終わったら遊んでくれる?」

「うん。もちろん」

「ありがとう!」

 嬉しそうにあたしの腕にしがみ付くルディ。実はあたしとルディはこの辺一帯ではお互いが唯一の友達だったりする。

 あたしの服装は、この辺の子供と比べると酷く貧相だ。元々居た平民街とこの辺りでは生活水準が違うんだからしょうがない。少しずつこの辺っぽい服も揃えようとしてるんだけどね。多分公爵様に言えばさくっと揃えてくれるんだろうけど、それってなんか違うと思うんだ。なので、服は少しずつ買い揃えている。まあ、お父さんとお母さんが、だけど。

 あともう一つ、あたしは今、髪が短い。当初の首が丸々露わになるほどの短さから比べれば幾分か伸びたけれど、未だに肩に届かない程度の長さしかない。女の子で髪が短いというのはこの国ではとても珍しい。つまり浮いている。

 この辺の子たちは貴族では無いにせよ上品な子たちが多い。あたしは性格も見た目もどこからどう見たって平民だし。この辺には性格的にも穏やかな子が多いから別に苛められるわけじゃ無いんだけど、環に入り辛いのは確かだ。というわけで、ルディを除けばぼっちなのである。こういう事はリィリヤには言いにくい。

 じゃあ、ルディが何でぼっちだったのかと言えば、本人が引っ込み思案だからだ。単にこげ茶色、と言ってもいい髪色をどうしてあたしがチョコレート色(この世界にチョコレート無いけど)と形容したくなるかと言えば、本人がお菓子みたいに甘い容貌をしているからだ。艶やかな髪。髪と同じチョコレート色の目は大きくて、びっしりと長い睫に彩られている。真っ白い肌に、ほんのりと桜色に上気した頬凄く柔らかそう(実際柔らかい。至高の感触だと思う)。触れたところから融けてしまいそうなくらいの、砂糖菓子のような繊細な美貌である。

 本屋の主であるルディのお父さんに聞いてみれば、ルディはご近所のお姉さんたちにそれはそれは可愛がられていたんだそう。可愛がられて構われて構われて構われて構われて終いにはトラウマになるくらいに愛で倒されたらしい。ペットに嫌われる飼い主みたいな話である。

 それに本屋のおじさんとしても、ルディが女の子に囲まれて愛で倒される状況は歓迎できなかったらしい。ルディが女の子たちを避けて引きこもり始めても文句は言われなかったそうだ。あたしとしてはおじさんの気持ちも分からなくはない。ルディが女の子に囲まれて愛されるのを当然として育つのはちょっと駄目な気がする。

 そんなルディにとって、髪といい服といい、この辺の女の子らしくないあたしは却って話しやすかったのだろう。あたしが本好きでルディが本屋の子というのもあって、あたしたちはあっという間に仲良くなった。ちなみにルディは6歳。あたしの3つ下で、リィリヤと同い年だ。

 あたしとしてはローアとルディにも仲良くなって貰おうと思ってたんだけれど、それは早々に諦めざるを得なかった。好きな子をいじめたい系の男の子たちに苛められたルディはもれなく男の子も苦手になっていたのである。何というか……繊細な子だ。ローアは大丈夫だと思うんだけどね。リィリヤが居るから。まあ、ローアの方は早々に近所の男の子たちに溶け込んだから、それもあってルディには近寄りがたかったのかもしれない。

 砂糖菓子のような愛らしい見た目と控えめで大人しい性格によって、近所の少年少女たちに愛されるルディだけれど、本人にはその自覚はあまりないらしい。寧ろ自分に自信がなさそうにちょっとおどおどしている。あたしに本を渡す時も、

「わ、私なんかが書いたのでごめんなさい」

 と言いながらだった。ルディの字は綺麗だしすごく読みやすい。とても6歳が書いた物だと思えない。でも字が上手い人の字って感じじゃ無くて、如何にも一生懸命一文字一文字書きましたって感じの字。プロの筆記者さんは本の内容に合わせて字体も変えるらしいけどね。偶に「こんな字で」と指定してくるお客さんも居るんだそう。ルディは読みやすい字を書くことに精一杯で、まだまだそんな事はできない。

 でもあたしは一生懸命なルディの字が好きだ。まだ小っちゃい手にペンだこができてるの見ると、何か愛おしくなっちゃうよね。ルディの字、好きだよって言ったら、ルディは顔を真っ赤にして喜んだ。マジで可愛い。

 写本の作業場を掃除するあたしの後を、ルディはちょこちょこと付いて来る。正直に言えばちょっと邪魔なんだけど、それ以上に可愛い。すでに筆記者としての練習を始めているだけあって、ペン等の道具の扱いはあたしよりもよほど丁寧だ。あたしは作業台の方には触れない。カリカリと筆記者さんたちがペンを走らせる音を聞きながら、黙々と掃除をする。だから床と棚の掃除が終われば本日のアルバイトは終了である。

 あたしが掃除用具を片づけるとルディがあたしに抱き付いた。

「お部屋行こ?」

 可愛いなあ、もう!

 いっそあざとい。このイキモノがウロウロしても全く精神を揺らさずに仕事を続けられる筆記者さんたちはマジでプロだ。きっと鋼の自制心の持ち主なんだろう。

 いつもフリルやリボンのついた服を着ているルディだから、部屋も少女趣味な可愛い感じだと思っていた。でも予想にルディの部屋はシンプルだ。机、写本の為の道具、写す為の「原本」がいくつか。それだけ。

 ルディに導かれるまま、ルディのベットに腰かける。そうして、ルディが写し途中の本を読む。

 あたしが読んでいる間、ルディも本を読むこともあるし、あたしの膝に頭を預けたり、あたしの腰に抱き付いたりしてベットに横になることもある。それ、楽しいのかな、と思う時も結構あるんだけど、ルディはそれでいいらしい。ぺったり張り付く子供体温には癒されるので、あたしとしては異論がないし。

 贅沢な時間だ。

 ルディと話す事も勿論ある。ルディは筆記者になる事が将来の夢であり、その為の努力をもう既に始めている。けれどもそれ以上に、作家になりたいんだそうだ。

「自分の言葉で、自分の物語を作って、たくさん書き写してたくさんの人に読んでもらいたいの」

 そう恥ずかしげに言うルディの可愛い事と言ったらない。あたしが

「きっとなれるよ。ルディなら」

 言ったらルディはちょっと不安そうに、でも嬉しそうに微笑んだ。

 実際ルディはなれるのである。ルディが望む物語作家に。あたしはそれを知っている。勿論前世の記憶で。


 ルディ・オーラス。チョコレート色の髪と目に、穏やかなで気弱な笑顔。魔法学園にあって尚、物語作家を目指していた。そして殺伐とした学園に心を痛めるヒロインに共感して協力する……攻略対象(・・・・)

 この、どこをどう見てもとびっきりの美少女にしか見えないこの子は、実際のところ男の子なのである。


 引っ越してきた先のご近所にルディが居た事には非常に驚いたけれど、ルディが幼少期に女の子として育てられていたという事は、ゲームの知識で知っていた。理由はルディの親戚にある。ルディの母方の一族はとある貴族に仕えている。技術階級(テクニカルクラス)には一部、そうやって特定貴族に使える一族があるのだ。

 ルディの母親は結婚してその貴族の領地からも一族からも離れたけれど、一族の人間であるからには、その貴族の命令には逆らってはいけないらしい。少なくとも一族の側の意見としてはそうである。結婚するにも主の許可がいる。

 ルディの母親はルディを産んだ人なだけあって大層な美人だけれど、その貴族の関心は薄かった。何故ならその貴族様は成人女性にあまり興味が無いから。

 その貴族様、美しい少年に目が無いのである。

 ルディが女の子として育てられたのは、そんな事情によるものだ。

 その問題の貴族様はルディが11歳の時……学園に入学する一年前……に不正が発覚して貴族の地位を失い、ルディはその時から男の子として生きる事になる。けれども、女の子として育てられた事による齟齬は消えず、それがルディのコンプレックスになるのだ。そこをどう癒すかがルディ攻略の鍵である。


 しかし他人様のそうあまり人に知られたくないであろう事情を知ってしまっている、という事には、半端ない罪悪感を覚える。今の所あたしが直接知っているゲーム関係者はリィリヤ、ローアだけだ。エリックは顔を合わせた事ならあるけれど話したことも無いし。あたしはローアについてもリィリヤについてもあまりつっこんだ情報を持っていない。リィリヤの生い立ちについての前世情報は喉から手が出る程欲しいところだけれど、ゲーム内で語られているかどうかすら怪しい。けれどもルディについては、少なくともその秘密を知ってしまっているのだ。

 実を言えばあたしがルディと仲良くなったのは、色々な打算があっての事だ。本の事は勿論、ゲームの時系列でヒロインと行動を共にするであろうルディと仲良くなって置けば、学園を出たあともヒロインの動向が探りやすいかも……と思っていた。できれば共通ルートのイベント以外は比較的穏やかなルディルートにヒロインを誘導できれば尚良い、とか。

 でも実際に仲良くなっちゃったら、そんな単純に考えられなくなってしまった。ずっと女の子として育てられてきたのに、11歳になっていきなり「お前は男の子だ」とか言われたらそりゃショックだろうな、とか。

 今のルディを見て、「男の子」だと思える人間は居ないだろう。例えばあたしが「ルディは実は男の子なんだよ」とか言った所で、あたしの頭を疑われて終わるに違いない。ルディはそれ位に女の子らしい。顔だけじゃない。仕草、話し方、態度、そんな諸々が全て「女の子」なのだ。

 ゲームの中でルディは、学園に入る前にそれらを必死で矯正した、と言っている。それはどれだけ大変だったんだろう、と思わずにはいられない。

 もしあたしがヒロインをルディルートに誘導したいんだったら、ルディのコンプレックスはそのままにしておいた方が都合がいい。けれどもそう考えてしまった自分に気付いて、自分自身にうんざりしてしまった。薄情にも程がある。

 ルディの問題……ルディのお母さんの一族が仕える変態貴族がどうにかなれば、ルディは今のうちに男の子に戻る事ができる。それでもやっぱりショックではあるだろうけれど、11歳でそうなるよりも遥かにマシに違いない。

 その為にはどうすればいいか。

 件の変態貴族の不正、発覚を早める事はできないだろうか。



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