新しい日常
サラたちの新しい住居は貴族街のほど近くであるらしい。技能階級の人たちが住んでいる一帯だ。カルアの実家も近いらしい。
「お父さんは元貴族だし、お母さんも魔法学園出てるからさ、ご近所さんからそんなに浮くわけでも無いんだけど。今までの友達と離れちゃったローアはちょっと可哀そうかな」
とはサラの言葉。でもきっとサラだって同じだろう。私たちの所為で……と心苦しくなる。するとサラはそれを読み取ったかのように、私の頭を撫でた。無表情な私の気持ちの変化に、よく気付くものだと思う。
「客層が変わったから、パンも材料から見直すんだって。お父さんもお母さんも、どんなパンがいいかなって毎日楽しそうに考えてるよ。ローアの事だし、新しい友達だってすぐできるでしょ。きっと喜んでるよ。近くなってここにも来易くなったし。あたしもね」
そう言ってにっこりと笑うサラは、本当に優しい。
その日はローアが居なかった。引っ越しして以来、サラはよく一人でふらりとここに来ては、ジーハス先生と話しているらしい。情報収集が好きなカルアは二人の会話を聞こうとしたらしいけれどできなかったようだ。
「あのお部屋はやたらと防音がしっかりしていまして、残念ながらお部屋の外からはまるで中の会話が聞こえないのです。図書室にあんな防音性は必要ないと思うのですが……静かな環境で本を読めるようにという事なんでしょうか?」
さらりとそんな事を言うから、
「盗み聞きは駄目です」
と言っておいた。私もカルアが教えてくれる屋敷の中の噂話には助けられている。けれどもやっぱり、こっそり人の会話を聞くのは良くないと思うのだ。
サラとジーハス先生は、扉を開けるとピタリと会話を辞めるという。多分聞かれたくない話をしているのだろう。
サラには秘密があるらしい。ジーハス先生との会話だけではない。誘拐された時にサラが使った魔法は、とても高度な物だ。ローアに聞いた話でしか知らないけれど、恐らくは爆発の魔法。それは、火と土と大気の元素を組み合わせて使う難しい魔法なのだ。それなのに、サラは魔法は得意ではないのだと言う。ローアもそれを肯定していた。
その不自然さに、ローアも気付いている。けれどもローアは、それをサラに問いただそうとはしなかった。
まだローアとサラが別邸に居た時、ローアと二人で話す機会も何度かあった。その時に言っていたのだ。
「お姉ちゃんが魔法が苦手だっていうのは、嘘じゃないと思う。本当に悔しそうだし。お姉ちゃん、あんな演技ができるほど器用じゃない」
「では、サラが使った魔法は何だったのでしょう」
「分かんない……でもお姉ちゃんが隠したいなら、聞かない方がいい気がする……」
そう言って俯くローアには、多分負い目があるのだと思う。サラに助けて貰った事、そのサラに怯えた事も。私もそう。ローアから聞いた捕まっていた間の事を、私は知らない事にするべきなんじゃないかと思う。だってサラからは何も聞いていないのだ。酷い経験だったから言いたくないだけなのかもしれないけれど。
「ジーハス先生にも言われた。捕まっていた間の事、あんまり人に言わない方がいいって」
「……そう、ですか」
ジーハス先生はサラの秘密を知っているのだろうか。サラがジーハス先生に打ち明けるのに私たちには言えないのは、私たちが子供で頼りないからなんだろうか。
もっと大きくなって、サラが頼れるような人になれれば、教えて貰えるんだろうか。
ローアも同じ事を思ったのかもしれない。
「俺……強くなりたい」
ポツリと呟かれた言葉に、私は頷いた。
「私もです」
守られる事が仕事だと、サラは言ってくれたけれど、私だって守りたいのだ。
強い人、と考えた時に、私が真っ先に思い浮かへたのは、何故かミオリル王女だった。堂々としてきっぱりした態度がそう思わせるのかもしれない。それに今回の事もミオリル王女に色々教えて貰った。王女の学友になっていなければ、私はサラとローアの身に起こった事をずっと知らなかっただろう。
「どうしたらミオリル王女の様になれるでしょうか」
そう言ったら、ミオリル王女はぎょっとした様な顔をした。
「嫌よ、やめて頂戴! 私、自分とは絶対に仲良くなれないって自信があるわ」
「それは……どういう意味でしょうか」
本当に嫌そうな顔に戸惑う。エリックが懸命な様子で「ミオリル様は素敵です!」と訴えた。ミオリル王女はそんなエリックを微笑んで宥めると、私に顔を向ける。
「私は別に自分が嫌いなわけではないわよ? でも友達にはなりたくないわ。どうして急にそんな事を?」
聞かれて少し答えに迷った。
「ミオリル王女にはたくさん、助けて頂いたので……そんな風にできるようになるには、どうすればいいのかと」
「助けたって……事件の事を言っているの? 私は情報を与えただけよ?」
「でもそれが無ければ私はサラとローアに会いに行くことができませんでした」
あの時二人に会いに行って良かったと、心から思うのだ。それができたのはミオリル王女から二人の状況を教えて貰えたからだ。
「……私に情報が入るのは、私が王族で、王城に住んでいるから。それに、周りにいる人間に恵まれているからよ」
情報をくれる、周りにいる人間、といえば、私の場合はカルアだろうか。
「私も、周りには恵まれていると思います」
「ならば、その人たちを大事にすることね。私にはそれくらいしか言えないわ。貴族令嬢の噂話は、馬鹿にもできないけれど当てにもできないし……難しいのよね」
「それは分かる気がします」
カルアが来てから私が知ることは格段に増えた。エリックの事、お父様の事、お母様の事。王城の噂話。貴族のゴシップ。真偽入り混じって、「どこまで本当か分かりませんけれど」の前置きと共に語られる。けれども、そういう噂があるという事を知るだけでも有益だ。カルアはいつも、どこまでだったら信頼できるかを含めて教えてくれる。
お茶会で語られる言葉のほとんどを、カルアが来るまでは聞き流すばかりだった。楽しい噂ならともかくも、人の不幸を楽しんで聞く気にはなれない。けれども、最近は少しはその話の中にも入れるようになった。
「ねえ、聞きまして? レナード伯爵の愛人のお噂。なんでも役者なんだとか……」
「まあ! あのご夫婦は仲がいいと評判でしたのに。道理で最近レナード夫人のお姿が見えないのですね」
こんな噂も、カルアから聞いて事前に知っていれば、話に入れる。
「レナード伯爵が噂の役者をご自宅にお呼びになったと聞いています。何でも、レナード夫人は最近体調がすぐれないとの事で、ご趣味の音楽にも劇にもお出かけになれないのだとか」
「あら、ご体調が? それは心配ですわね」
「レナード伯爵令嬢が最近お茶会にいらっしゃらないのも、お母様のご体調を心配なさっているのかしら」
カルアが言うには「繊細なレナード伯爵令嬢は父親の愛人の噂を聞くのが嫌で引き籠った」という噂があるらしい。けれど、それは口にしない。
口にしていい事と悪い事の線引きは、日々お母様やカルアから教わっている。
「噂の役者は前々から伯爵夫人が贔屓にしていたとかで、家にお呼びになった後は真っ赤な薔薇とお礼の手紙をお送りしたそうです。元々伯爵夫人がその役者に目を止めたのが、薔薇の妖精の役だったとの事で」
「まあ、素敵! ねえ、もしかしてその劇って……」
それから劇の話に話題が移ってほっとした。
こういう場面に遭遇するたびに、カルアの語る「噂」が貴族令嬢の間で囁かれるそれよりも遥かに詳しい事に驚く。
カルアが凄いのか、それとも高等侍女というのがそもそもそういうものなのか、比べる対象が無いから良く分からない。私の歳で高等侍女を付けられている子供はあまり居ないのだ。
どちらにせよ、私がカルアに助けられている事に変わりはない。
そんなカルアの事をミオリル王女に話してみると、ミオリル王女は愉快そうに笑った。
「高等侍女は確かに情報収集の訓練も受けるらしいわ。高等侍女は殆どが身分の高い貴族や王族に仕えているから、彼女たちの間の人脈だけでも侮れないわ。
けれど、その能力の分、手にした情報を話すのにも慎重だと聞くわ。主人を見る目も厳しいのよ。それだけ仕えられているという事は、貴女がそれだけ彼女に認められているという事よ」
それを聞いて思い出すのは、カルアがサラとローアの事を教えてくれなかった事だ。
私を心配して、私の為に黙っていたのだと思う。けれども、私が心配されないで済むようなしっかりした大人だったら、話してくれたかもしれない。
「もっとカルアに認めて貰えるようにならなくてはなりませんね……」
そう言ったら、ミオリル王女は苦笑した。
「どうしてそうなるのかしら。貴女はまだ6歳なのよ?」
そう言うミオリル王女だって6歳だ。それなのに私よりもずっと大人な気がする。けれどもミオリル王女にそう言うと、王女は首を振って否定した。
「そんな事は無いわ。単に貴女より権力があるだけよ」
「権力……」
強くなる、という事を考えれば、権力を手に入れるのもその方法のひとつなのだろう。
けれども私は、そう言う事を求めているわけではない……と思う。じゃあ何がしたいのかと考えてみれば、結局はしっかりした人間になりたい、という事に行きつく。
サラが頼れるような、カルアが安心できるような、そんな人間に。
一方でローアは、魔法をもっと使えるようになりたいと言っていた。同じ状況になった時に、こんどはちゃんと守れるようになりたいらしい。
サラもローアもお父様が付けた魔法使いに魔法を教わっている。私も先生と違い、元々お父様の友達だった貴族の人らしい。名前も聞かされていないし、あった事も無いからどんな人かは分からない。
サラが言うには、
「クール系かな。カッコイイよ。貴族様って顔が綺麗な人が多いよね」
らしい。ローアはそんなサラを呆れた眼で見ていた。
「お姉ちゃん、面食い……」
「それの何が悪い!」
そんなやり取りに、ミオリル王女の言葉を思い出した。
「顔が綺麗な人間には気を付けた方がいいそうです」
「え? なんで?」
きょとんとした顔で首を傾げるサラに、 ミオリル王女の言葉を思い出しながら伝えた。
「顔の綺麗さに騙されてうっかり信頼してしまってはいけない……というお言葉でした。特に黒髪で青い目で穏やかな笑顔の少年には気を付けなければならないそうです」
「何それ。え、誰の事? てか誰に聞いたの?」
「ミオリル王女です」
「ふうん?」
顔が綺麗だからと言って油断するな、というならともかくも、確かに黒髪碧眼、という表現は特定の誰かについて言っている気がする。
当てはまるのは誰だろう。
「ルイオス殿下の事でしょうか……」
第一王子、ルイオス殿下。けれどもミオリル王女と第一王子は確かとても仲が良かったはずだ。気を付けろ、と言われるのには違和感がある。
「ルイオス殿下って第一王子?」
「はい」
「王家の色じゃないの?」
「はい……」
深い紺色の髪に紫色の目と言う王家の色を、ルイオス殿下は持っていない。それもまた、継承問題をややこしくしている一因らしい。
「リィリヤは第一王子ともよく会うの?」
ローアは少し不安そうな声で言う。
「いいえ。ルイオス殿下にはほとんどあった事がありません。ミオリル王女がいうには、とても優秀で優しい人だそうですけど……」
そう言えばその時一緒に、「でもなるべく近寄らない方がいいわ。やっぱり王位継承権第一位で色々あるから」と言われた気がする。
「あまり近寄らない方がいいそうです」
言うとサラとローアがそろって首を傾げる。意図したわけではないのだろうけれど、その角度とタイミングまでぴったり同じだ。二人とも年上なのに、可愛いと思ってしまう。
「王位継承権の事もあり、色々複雑なんだとか」
二人は分かった様な分かっていない様な、なんともいえない顔をしていた。
二人に付けられた先生は魔法だけじゃ無く、マナーや一般教養の先生も居るらしい。その為か、最近の二人の仕草は洗練されて綺麗になった。すっと背を伸ばして座っている姿は大人っぽくなったように見える。元々猫背気味だったサラはマナーの授業でもたくさん怒られたと笑っていた。
「ローアはあっさりできるようになるんだよね。うーむ……これが補正という物か……」
ぼそぼそと考え込むサラに聞いてみた。
「授業、辛いですか?」
サラとローアに先生を付けているのはお父様だ。決して二人が望んだことではない。
「厳しいけど、辛くは無いよ。魔法学園に行ったら貴族の子供たちと一緒に勉強することになるんだし、今のうちにマナーとか知っておけるのはありがたいし」
サラとローアはこの屋敷に来て勉強しているらしいけれど、勉強している所に行ったことは無い。いつも私が居ない時に来て、帰って行く。その時は表から出入りするらしい。迎えの馬車を出して、帰りも送るのだとセイズに聞いた。
遊びに来るのはそれとは別で、いつもの様に裏口から入ってジーハス先生の所に来てくれる。サラが一人で来るときは、私よりもジーハス先生に会いに来ているようだ。それでも私が顔を出すと嬉しそうに笑ってくれる。
私は私で、勉強を以前より頑張るようになった。自分に何ができるかを考えた時、それくらいしか思いつかなかったからでもある。お茶会でも以前より真剣に話を聞くようにした。聞いた話はカルアに伝えて、それについてカルアが知っている事を教えて貰う。
「カルアはどうやって情報を集めているんですか?」
カルアに聞いてみたら、カルアは私の髪を丁寧に梳きながら答えた。
「人脈でございますよ。リィリヤ様がお茶会などでご令嬢方と話している間に、私たち使用人も交流いたしますから」
それを真似するのは、人と話すのが苦手な私には難しい。
けれどもカルアの話、お茶会の噂話、ミオリル王女の話、色々聞いていると、それぞれの貴族がどんな家なのかがおぼろげに見えている。
実直な家、気位の高い家、財はあるけれどあまり信頼されていない家、色々だ。あとは夫婦仲の良し悪しとか(貴族令嬢の関心はこの問題に偏っている)。
勿論一言で表現できるような物ではないのだろう。けれど、そういった印象を自分の中で持っていると、噂を聞く耳もまた変わってくる。印象と齟齬がある噂を聞いた時は、カルアによってその噂が否定される事もあれば、逆に自分の印象を変えなければならない時もある。
そんな風な印象をカルアに語っていたら、カルアにアドバイスをしてもらった。
「そう言った事に意識が向くようになられたのなら、ご令嬢方の事にも関心を向けてみては如何でしょう。学園でも社交界でも、関わっていくことになるであろう同年代の御嬢様方ですから」
そう言われて注意するようになってみれば、今まで見ていかった事も少しずつ見えてくる。ひとつまとめて「貴族令嬢」として苦手にしていた彼女たちが、実はそれぞれ違うという事を。
特に噂話に対する態度が顕著だ。
誰かを中傷する話題になったとき、それを嬉々として話す人たちは多い。けれども、そう言う話題になった時にすっと会話から外れる人も居る。相槌を打ちながらも申し訳なさそうな顔をする人も居れば、いつもさり気なく話題を変える人も居る。
それ以外の話でも、口にする話題で、それぞれがどんなことに興味を持っているのかも分かってくる。劇、本、音楽といった事に関心が強い人。身分の高い子息…特に王子、に関心が強い人。園芸、料理、刺繍、極稀に歴史、魔法理論、等々、様々だ。
これまで自分がいかに彼女たちに無関心だったかに気付く。これでは人と話すのも上手くなる筈がない。彼女たちに溶け込むのはまだ無理だ。だからと言って彼女たちをちゃんと見ないのは、多分とても失礼な事なのだろう。お母様が「平民」という理由でサラやローアを嫌うのと同じだ。深く反省した。
そんなある日、少し気になってミオリル王女に聞いてみた。
「ミオリル王女は、人を中傷する話題になったらどうなさいますか?」
王女は口の端をつと持ち上げて笑った。
「『そんな下らない話、辞めてくれないかしら。聞くに堪えないわ』って言って顰蹙を買ったわ」
やはりミオリル王女は強い、と思ってしまう私だった。