王家の人々<ミオリル視点>
人生、六年間生きてきてつくづく思う事がある。
女に産まれて、良かった。
勿論、女として生きるのも良いばかりではない。きゃっきゃうふふと砂糖菓子の様に甘ったるい声で笑う技術。つまらない話題にだって如何にも真剣に聞いているかのような印象を与える相槌の打ち方。必要な時に可憐に怯える必要だってあるらしい。その他にも、たくさん。
それらすべてのレッスンを下らない、と放り投げて遊びに行っていたら、お母様と大喧嘩した。魅力的な女性とは何かについて長口上を聞かされて、つい言い返した。
「あら、ならばお母様はさぞかしお父様に愛されているのでしょうね?」
それでお母様は真っ青になってしまった。流石に反省している。自分でもあれは言ってはいけなかったと思う。
そんなこんなで、お母様と私は非常に仲が悪い。血がつながっているからと言って、必ずしも愛情が育つわけではないのだ。それを「愛されない」と嘆くには、私は少々お母様を傷つけ過ぎた。親子だからといって何を言ってもいいわけではない。子供だからといって親を傷つける事を言っていいわけでもない。
だから私も悪いが、ヒステリックに怒って私の話を聞かないお母様も悪い。つまりどっちも悪くて結局仲が悪い。気が合わないのだ。
私とお母様が喧嘩をする度に、古参の高等侍女のマーヤは私を宥めた。
「王妃様もミオリル様を心配なさっておいでなのですよ。淑女として王妃様が仰る技術を身に着ける事はミオリル様の為になるでしょう」
「私の相手はどうせ政略で決まるでしょうに。それに、お母様が言うような女性を好ましく思うような男性に嫁ぐくらいなら独り身がいいわ……」
「またそんな事を……本当に、ミオリル様が男の子としてお生まれになっていれば……」
「それだけは嫌よ」
私は時々、産まれてくる性別を間違った、と言われる。「男だったら優秀な王子になったかもしれないのに」と。
確かに私だって、下らないとしか思えない淑女教育を受ける度に思う。男の子だったら良かったのに、と。けれども、そんな気持ちは兄を見れば霧散するという物だ。
私には二人の兄が居るが、どちらも「ああはなりたくない」と思わせる人である。
と、言っても多分あまり賛同は得られないだろう。私に近づいてくる貴族令嬢のほとんどが、兄たちにお近づきになる事を目的としているくらいだ。
どちらも外見はそれはもう美しい。学業、武術、芸術、そして魔法に置いても、二人とも優秀であるらしい。最も、上の兄はその点下の兄に劣るという話も聞く。それでも優秀である事は確かだ。
王子である事、そして基本性能が高いとなれば、ご令嬢方がお求めになるのも分からなくはない。けれども、私はお兄様への紹介を求められるたびに、真剣に説得したくなる。
あれと結婚しても幸せにはなれないわよ、と。
私にはあの二人は、歪みきってしまっているとしか思えない。
どちらが王位を継ぐか、どちらに誰が味方をするかを誰もかれもが気にしている。大人たちの欲やら理想やら心配やらに振り回されて、見ていると気の毒になるほどだ。受け流すのが上手い上の兄はともかくも、下の兄に至っては振り回されきっている。それを見続けている私として心から思わずにいられないのだ。
女に産まれて、良かった。
それについてだけは、心底お母様に感謝している。
だから、エリックに、
「王子になりたかったと思いますか?」
と聞かれた時に、
「絶対嫌よ。女に産まれて良かったと心底思うわ」
と答えた。それに、エリックは嬉しそうに笑う。
「僕も、ミオリル様が女性で良かったと思います」
この笑顔、メイド達の間で早くも「天使の様ですわ!」と大人気だ。私もそう思う。見ると眩暈がしそうになるくらいに可愛らしい。エリックこそ、産まれた性別を間違えたのではないだろうか。
頭の中でリィリヤとエリックの性別を入れ替えてみた。結構良いと思う。友人でそんな妄想をするのもどうかと思うけれど、頭の中で考える分には迷惑は掛からないだろう。恐らくは。例えそれが一般的に妄想と言われるものであろうと。
「でも、なぜ急にそんな事を聞くのかしら?」
エリックに聞けば、エリックは照れたように俯いた。
鬱陶しい淑女教育を受けなくてもこの様な可憐な仕草ができるというのは凄いと思う。お母様の言う「魅力的な女性像」を、最近はエリックのお蔭で理解しつつある。以前はお母様の話を聞いても先生の話を聞いても、鼻で笑うばかりだったけれど。
心臓に来る可愛らしさだ。
「いえ、その、ミオリル様は女性として生きる事をあまりお望みでないようだと、伺ったので……」
誰に? それが気になるけれど、まあ、よく言われる事だからいいだろう。
「私はそんなに男らしいのかしら?」
自分ではそう思わない。私は普通の女の子と同じく、美しいもの、可愛らしいものを愛している。美しく着飾るのだって好きだ。多少気が強いだけである。
「全然! ミオリル様はとても、とっても美しいです!」
エリックが何やら必死な面持ちで言った。「美しい=女らしい」ではないと思うけれど、その必死な様子に笑ってしまう。
「嬉しいわ。ありがとう」
恐らく私が浮かべる事ができる最上級の物であろう笑顔でお礼を言う。エリックの顔が真っ赤になった。
この素直さ、可愛らしさ。どこぞの兄たちにも見習って貰いたいものだ。
下の兄、ラグラスは同母の兄だ。私もそうだけれど、王家特有の紺色の髪と紫色の目をしている。
私と下の兄は良く似ている。目つきが鋭い所為か、きつい印象を与える顔だ。気が強そうにも冷たそうにも見える。リィリヤの整いきった顔と無表情による無機質な冷たさとは違う。気が強そう、とか気位が高そう、と思われる類の顔だ。まあ、どちらの印象も間違ってはいないだろう。私に対しても兄に対しても。
そしてこの兄は、私の友達のリィリヤにご執心である。
リィリヤが学友になってからというもの、ラグラスは良く私の所に顔を出す様になった。それもリィリヤが居る時に多い。顔を出して置きながらリィリヤとはあまり話さない。私に良く話しかける。時々思い出したようにリィリヤに声を掛ける。けれども会話は長く続かない。
ラグラスは元々、単に人と接するのが苦手なだけなのだと思う。だから鉄壁無表情のリィリヤに親近感を覚えて惹かれたのではないだろうか、と勝手に推測している。
ラグラスのコミュニケーションの訓練がどのような物かは知らないが、ラグラスは未だに愛想笑いの一つもできない。流石に私だってできるというのに。
上の兄は人当たりが良い。良く言われるような「温厚」な性格だとは私は思わない。が、それを装うだけの技術がある事は確かだ。ラグラスは基本無愛想で不機嫌そうだ。おまけに、無駄に人を見下す。「貴方は王になる人間なのです」とささやかれた弊害か。それともそういう態度でしか人と接することができないのか。
上手く人脈を作りつつ政治をこなすなんてこと、ラグラスにはできないのではないだろうか。だからか、その美貌と能力の高さを生かして、カリスマで周りを引っ張る方向性に育てようとしている様である。孤高の王者である。実際にラグラスがそんなような事を言われているのを聞いたこともある。
「王とは孤独なものなのですよ。決して媚びへつらってはいけません」
確かにラグラスに、友達作りは難しい。対等な「仲間」も難しいだろう。だけれど「部下」「臣下」ならそれより容易く作れると思う。そして王に「友達」など必要ないと言われれば、そうかもしれない、と思う。
けれども、ラグラスにとってそれは良いのだろうか。
ラグラスを見ていると、時々、どころでなく思うのだ。この人案外寂しがり屋なのでは? と。
リィリヤをやけに気にしているのも、お母様の言う事になんだかんだで逆らえないのも、それが理由なのではないだろうか。所謂「愛情」というものに飢えている、のかもしれない。リィリヤは目下ラグラスに興味が無いようだし、お母様はラグラスの教育に必死である。分かりやすい「愛情」はラグラスの元には無いのかもしれない。
それなのに「孤高の王であれ」と求められるのだとしたら。寂しさを表す事すら許されないのだとしたら……
……と考えたところで全て私の推測に過ぎない。「私がお兄様を救うわ!」と思える程ラグラスの事を好きでも無い。私だってコミュニケーション能力は充分低い。人の好き嫌いが激しい偏屈なのである。如何にも厄介そうな兄の内面に踏み込むのは断固として避けたい。
けれどもやはり兄であるし、多少心配ではある。だから思うのだ。
ラグラスが王になる事だけは嫌だ。
王になる事はあの兄にとって不幸でしかないのではないかと、思えてならないのだ。王位もそれにまつわる面倒事も、小器用な上の兄に任せて一度自由になればいい。私はそう願っている。
子供の勝手な推測による勝手な願いだ。けれどもそれを別にしたってラグラスが王になるのは嫌である。あれが王になってしまっては国民として不安で仕方ない。
だから私は、事あるごとに上の兄を褒め称える事にしている。派閥争いでは、私は間違いなく上の兄の派閥に属している。子供で女の私に影響力なんて無いに等しいが、それでも自分の意志の表明というものは大事だと思っている。けれどもそれで私とお母様との溝が深まってしまった。まあ、お母様にしてみれば裏切りだとしか思えないだろう。
王族というのはつくづく面倒なものだ。
さて、そんな理由で上の兄を褒め称える事に余念がない私だけれど、その実別段上の兄と仲がいいわけでもない。寧ろ上の兄は苦手だ。
性格温厚、優しい笑顔と分け隔てなく人にやさしい性格によって、多くの人間に慕われる。という事になっているけれど、そんなの外面に過ぎない。あいつは絶対に性格が悪い。優しいと評判の笑顔だって、私から見れば真っ黒な腹の内がにじみ出ている。どうして誰もそれに気が付かないのか。
私が上の兄、ルイオスを褒め称える理由を、本人には気付かれている。あいつはやけに勘がいい。どうしてそれを知っているのかというと、言われた事があるからだ。
「ミオリルは僕の事、信頼して無い癖に王にしたいの?」
にっこりと笑顔で問われ、ぞっと背筋が粟立ったものだ。
「性格が悪くても、国や民を悪戯に苦しめるような人では無いとは思っているもの」
私は同じくにっこり笑い返してそう答えた。少し腹黒なくらいだったら、別段王として悪い性質じゃないだろう。そう思っていたのだ。
それ以来ルイオスは、何故か分からないけれど私を気に入ったらしい。よって私とルイオスは仲のいい兄妹という事になっている。あまり嬉しくない。
先日、そんなルイオスに借りを作ってしまった。
「ローゼルグライム公爵令嬢はどうだった?」
今は私とルイオス、二人きりのお茶会の真っ最中だ。給仕はルイオス腹心の従者。私は侍女すら連れていない。ルイオスに追い払われてしまったのだ。気分としては完全に敵地である。
「例の従姉弟たちとは仲直りできたそうよ。……言うまでもなく知っているでしょうけど」
リィリヤの従姉弟たちが巻き込まれた事件についての情報を教えてくれたのはルイオスだ。ルイオスなら箝口令で隠された事も知っているのではないかと聞いてみたら案の定、知っていた。何でも、ほんの一時、王城に居たリィリヤの従姉弟たちに接触したらしい。
その時の様子として聞かされた事を、私はリィリヤに言えなかった。
二人とも肉体的な傷だけじゃ無くて精神的にも不安定で、特に姉が酷かったという話だった。ルイオスが伸べた手を振り払って「近寄らないで!」と叫んだらしい。時には治療を受けさせるためにも、嫌がって人の手から逃げようとする彼女を抑え込まなければならなかったと聞いている。
その痛々しさに、リィリヤには言えなかった。リィリヤは火傷の話を聞いただけで、無表情のまま不安になるくらいに血の気の引いた真っ白な顔をしていたのだ。
リィリヤとその従姉弟たちが仲直りしたと聞いて、ルイオスが目元を緩ませて微笑んだ。
「それは良かった。いや、公爵にガードされてて、流石に別邸内の出来事は分からないよ。彼女たちももうすぐローゼルグライムの別邸から出るそうだけどね。そうなれば、情報ももう少し入りや易くなると思うんだけど」
「……別邸から出る事は……」
「それは公爵から報告が来ているからね。それくらいはしてもらうさ」
「……」
リィリヤの従姉弟たちに対する、ルイオスの興味はまだ失せていないらしい。
事件についての話を教えて貰う代わりに、ルイオスは条件を出した。それが、リィリヤからなるべく彼女の従姉弟たちについての情報を聞きだし、ルイオスに教える事だ。
半分公爵家の血を継いでいるとはいえ、平民の子供たちをどうしてそこまで気にするのだろう。事件に箝口令が敷かれたことと関係があるのだろうとは思う。けれどもどうにも薄ら暗い事情が絡んでいそうで、踏み込みたくない。
そんな事を考えていた事を見透かされたのか、ルイオスが私に言った。
「ミオリルは聞かないんだね。僕がどうしてこの件に興味を持つのか」
私はルイオスから目を逸らした。リィリヤに対する後ろめたさや、ルイオスの考えている事が分からない怖さで、作り笑いをする気力も無い。
「あのレベルで箝口令が敷かれるような国の暗部に関わりたくは無いわ。でもリィリヤは私の友達よ。彼女を悲しませるような事にはどうかしないで頂戴」
「それは約束できないな」
思わず顔が引きつった。
「ミオリルの話を聞くだけでも、ローゼルグライム公爵令嬢は彼女たちと随分仲がいいみたいだしね。彼女たちに何かあったら悲しむだろう」
「何かするつもりであるように聞こえるわよ」
「今の所そのつもりはない。今は情報が欲しいだけ。まあ、どちらにせよ、彼女たちには良くしてやりたいと思ってるんだよ。なるべくね」
ああ、全く何て胡散臭い顔だ。
どうして? 何を知りたいの? 何のために? 質問がのど元まで出かかる。それを何とか飲み込んだ。
あの事件については、あまり考えないようにしている。
例えば、誘拐犯に重傷を負わせたのは一体誰なのか、とか。状況から考えて、候補は二人しかいない。誘拐犯は熟練の魔法使いだったのだから、その彼を……となると異常と言ってもいい事だ。余程の力を持った魔法使いである。
それを考えれば、ルイオスがリィリヤの大切な従姉弟に何を求めているかなんて……
考えたくない。
「嫌な事からまず逃げようとするのはミオリルの悪い癖だよ。そうしている間に大切な物を失うことだってある」
どうしてこういつもいつも人の事を見透かすのか。私はそんなに分かり易いだろうか。
「僕から守りたいなら僕と同じ場所まで登って来なくては。そうやって目を逸らしてたら、ミオリルには何もできない」
「お兄様は私に何を求めているのよ」
ルイオスの物言いは、まるで私にルイオスと戦えと言っているかのようだ。
「さあ、何だと思う? でも僕は、ミオリルが求めるなら教えてあげるよ。今回どうして箝口令が敷かれたのかも、僕がどうして君の学友の従姉弟たちに興味を持つのかも」
つくづく思う。こいつに聞いたのは間違いだった。お蔭で、私は決して足を踏み入れたくなかった領域に足を踏み入れようとしているのではないだろうか。
元々、九歳にして王城の暗部に足を踏み入れているルイオスは異常なのだ。王子であれば国の薄暗いことだって知らされる。けれどもそれは本来学園を卒業してからであるはずだ。なのに、ルイオスは自らその知識を求めたらしい。お父様を説得してまで。
それは、どうしてだったんだろう。
「……仮に、私が知りたいと言ったところで、お父様の許可が出るとは思えないわ」
「説得してあげるよ」
リィリヤにとって、例の従姉弟たちはとても大切な子たちであるらしい。あんなにも色を無くして動揺するほどに。リィリヤが色を無くしてる間、エリックもずっと心配そうにしていた。
でもその従姉弟たち本人と、私は会った事もないのだ。
だけれど。
確かに、何も知らなければ、私は肝心な時に何もできずに終わるのだろう。
「………分かったわ。教えて頂戴」
私の言葉に心から嬉しそうに笑うルイオスに嫌な予感を覚える。やってしまったと思うけれど、不思議と後悔はしていない。
私は、どうやら自分で思っている以上に、ローゼルグライムの姉弟の事が好きらしい。