異端の魔法
感想で頂くお言葉を、いつも非常に参考にさせて頂いております。
感想に直接書かれた内容でなくとも、感想を頂いて初めて考え始めた設定がどれだけ多いか……
この場を借りてお礼を言わせて頂きます。
本当にありがとうございます!
お店ごと引っ越す事になった。どうもあたしたちが誘拐された事はご近所でも相当な騒ぎになったらしい。それはまあそうだと思う。だってあんな真昼間の事だったんだから。それであの場所で店を続ける事は難しくなったのだとか。そう、お父さんに聞いた。
あれはお父さんとお母さんが頑張って溜めたお金で構えた店だ。賑やかな大通りに面した店を得るのは大変だったろうに。店のパンをどこよりも美味しいと言ってくれる近所の常連さんだっていたのだ。同じ王都内だとはいえ、引越せば遠くなる。きっと来なくなってしまうだろう。
「いいの?」
お母さんに聞くと、お母さんは少し寂しそうに笑った。
「いいのよ。新しいお店も楽しみだわ」
新しいお店には公爵様も出資すると聞いて(寧ろ全額出そうとしたらしい)、なんだか落ち着かない。新しいお店の場所も公爵様が決めて、更には公爵様が雇った人が家で働く事になるんだとか。
そもそもあたしたちがどうしてこうも長々と公爵様の別邸に置かれているのか。それが良く分からない。何度か別邸で働いている人やお父さんに、「いつ帰れるの?」と聞いてみたけれど、返事はいつも曖昧だった。そして引っ越しの話を聞くと同時に、あたしたちが帰れるのは引っ越しが終わった後だと聞いた。
別邸では魔法を教わりもした。正直言ってあんなことのあとだから、魔法を使うのは怖い。けれども魔法学園に入りたければそんな事は言っていられない。結局ローアと二人して、魔法の先生に習う事になる。彼が教えてくれる内容そのものをあたしがすることはできない。けれども彼がやろうとしている事をどうすればできるか考える事ならできる。
あたしは先生やローアにとって簡単な事を苦労してやる……もしくはできない。そんなあたしを、先生は迷いなく落ちこぼれと判定した。異論はないけどやっぱり傷つく。
そして、ローアはやはり優秀であるらしい。お父さんもローアによく教えていたけれど、やっぱり本職の先生は違う。ローアは彼の教える事をまたたく間に吸収して、自分の物にしていった。
先生はあたしたちの向き不向きを整理する為か、よく質問をしてきた。こういうところもお父さんとは違う。
「ローア君は四つの元素を全て良く使う事ができるようですね。性質付加もできている。素晴らしい。今まで習ったのはどんな魔法ですか?」
「サラさんは、どうも……使える元素はなんなのでしょうね。大気も、水も、少しは使える、と。火も……何かに火をつける事ならできる、と……全て中途半端、ですね。土は全く使えないのですか?」
彼の質問には時々、ヒヤヒヤした。
「風を起こすのにそこまで魔力を動員するのは何故ですか? それに、殆どの魔力は風の発生源で使われているのですね。寧ろ、風の向かう方向に動く魔力が少ない……いや、全く無い? もう一度見せて頂けますか?」
冷や汗である。けれども勉強になる。本職の先生は、魔力を感じて生徒が行う魔法のプロセスを理解しようとするらしい。つまり、あたしは四大元素の魔法を真似る時には、魔力の流れがどうなるかにも気を付けなければならないらしい。あたしは、こんなプロがわんさかいる学園でやっていけるのだろうか。
けれどもそれを考えればこそ、これはいい機会だった。現象だけでなく魔力の流れがどうなっているかも気を付けなければならない、とこんな機会が無ければ気が付かなかっただろう。
回を重ねるごとに、精神的ダメージが蓄積するけれど仕方ない。呆れられるだけならともかく、不審がられるのは怖いけれど仕方ない。これを乗り切れないようじゃ、多分学園ではやっていけない。
魔法以外にも先生が居た。読み書きと礼儀作法の先生だ。読み書きはジーハス先生に教えて貰っていたお蔭で、あたしもローアもかなりできる。だけれど礼儀作法はボロボロだった。そもそもどうして、あたしたちがこんなことを教えられているのか。
治療、療養に加えてのこの先生たち。これが破格の待遇であることはよく分かる。それはどう考えたって公爵様の罪悪感で収まる範囲じゃない。あたしたちがお父さんの子供だからなのか、それとも他に何か理由があるのか。リィリヤの友達に相応しくしてもらわなければ、とか?
毎日毎日、着替えの世話までしようとする屋敷の使用人たちの態度は平民に対するそれじゃない。まるで公爵様は、あたしたちを貴族にしようとしているみたいだ、と思えば複雑だ。
お父さんは、貴族である事を忘れようとしていた。平民として生きようとしているのに、今のこの状況はどうなんだろう。
そう思ってお父さんに聞いてみたら、困ったように笑った。
「娘にそんなことまで気を遣われるとはな……。正直複雑だよ。でもお前たちの安全とは比べられない」
ちなみに魔法とマナーのレッスンは、引っ越してからも定期的に続けるらしい。そして文字の勉強のかわりに一般教養の授業を始めるんだとか。
その教育は、貴族の子供たちとは比べ物にならないだろう。技術階級の水準にも及ばないかもしれない。けれども一般平民としてはかなり高度な教育だ。
「安全のことなら、どうしてこんな勉強まで」
お父さんが首を振った。
「まだ言うのは早いと思っていたが……ルークがお前の後見人になったんだ。だからそれに恥じない教育を受けなければならないんだよ」
ルーク? と疑問符を浮かべたあたしの表情に気付いたらしきお父さんが苦笑した。
「ルーク・ローゼルグライムが弟……お前がいうところの公爵様の名前だよ。覚えておきなさい」
「うん、でも、後見人って……どうして?」
「さあな。こればかりはあいつも譲る気が無いみたいでな……お前たちの安全のためだとか言ってたが……それだけじゃないんだろうな」
そもそも、公爵様が後見人になれば、安全になるという理屈が分からない。公に守ることができるとか? それにしたってピンとこない。
ローアとあたしがローゼルグライム公爵の被後見人になる。これはゲームの流れに乗った出来事なんだろうか?
今回の事件を受けて、あたしも色々考えた。この事件の事をあたしはゲームの知識の中で知らなかったけれど、ゲームの中の世界では起こらなかったともいえない。
ふと思ったのだ。ゲームの中のローアは貴族嫌いだった。憎んでいたと言ってもいい。そのきっかけになったのが、この事件だったんじゃないかって。
あの男があたしたちを誘拐した理由は、あたしたちがローゼルグライム公爵の兄の子供だったからだ。だとすれば、あたしたちがリィリヤと親しくなっていようとそうでなかろうと発生した可能性がある。
あたしはローアのルートをノーマルエンドしかクリアしていない。正直に言ってあまり好みじゃ無かったのだ。それでハッピーエンドを目指す前に他の攻略対象に興味が移ってしまったのである。ゲームのローアは何というか、暗くて冷淡な奴だった。それだけに、ハッピーエンドのスチルでの満面の笑顔が非常に人気だったとか何とか聞いたことがある。
今思えば弟を落とそうと全力で努力していたりしていたらそれはそれで気まずいから、それで良かったとも思う。
けれど、その所為で知識が足りない。ただでさえ、リィリヤの情報がほとんどないのだ。もしあたしがローアのイベントを網羅していたら、この事件の事も知っていたかもしれないのに。
今回の事件でローアが貴族を憎む事は、十分に有り得たと思うのだ。
もし、ローアがリィリヤの事を良く知らなければ、リィリヤの身代わりに傷つけられた事に怒りを覚えずに居られただろうか。
もし、あの場で起こった事が火傷程度で済まなければ。例えば……あたしが死んでいたとすれば。あたしが反撃しなければ、そうなっていた可能性だってあったと思う。
良く知りもしない貴族のごたごたに巻き込まれ、見捨てられ、姉を失ったとしたら……というのは考え過ぎだろうか。ここでローアが貴族嫌いとなる原因を潰せたと思うのも危険かもしれない。
改めて実感する。特に学園に入る前に起こる出来事について、あたしはあまりに知識が無い。何が起こるか、本当に分からないのだ。
そう考えた時に、不安に思う事が一つある。
ゲームのリィリヤは、そもそも何故、氷人形になったのか。
リィリヤはいい子である。人を思いやる心も大事にする心も持っている。ちょっと素直過ぎるくらい素直だけれど、自分の意思が無いと言う事も無い。最初に出会った時からそうだった。
そんな子が、命令されるがままに人を傷つけるような子になるだろうか?
なんとなく、綺麗過ぎる顔と無表情の所為で誤解され続け、それで心を凍らせてしまったんじゃないかと思っていた。けれども、そんな事あるだろうかと、今になって思うのだ。
公爵夫人はリィリヤに冷たい。公爵様は多分リィリヤを大事にしているけれど、はっきり言って愛情表現が不器用だ。エリックもリィリヤと仲良くしようとしてもできなかった。
エリックとリィリヤは今は結構仲がいいと聞くから、それはゲームと違うと言える。勿論、あたしたちという友達もいるし、ミオリル王女ともいい関係を築いているという。
けれども、それが無くたってリィリヤの環境はそこまで悪いものじゃ無かったんじゃないかと思うのだ。
なぜなら、ジーハス先生が居る。ずっとリィリヤの無表情に惑わされず、リィリヤを理解してくれていた人が。それに今はカルアさんも。カルアさんとの出会いも、あたしたちに関係なくあったのではないかと思う。
あたしたちが出会った日、ローアに酷い事を言われたリィリヤが行った先はジーハス先生の所だった。それだけ、リィリヤはジーハス先生を信頼して頼っていたのだと思う。
そんな支えが一つでもあれば、心を凍らせずに居られたのではないかと思う。それは考え過ぎだろうか。
あたしは不安なのだ。この先、リィリヤに何か起こるんじゃないかと。心を凍らせるような何かが。ジーハス先生やカルアさんで支えきれないような何かが。
そしてあたしは、何か事件があった時リィリヤを助けられるような立場じゃない。
単なる考え過ぎの不安かもしれない。けれどもあたしは今回の件で痛いほどに思い知ったのだ。
平和な日常の中に居ても、気を付けていても、恐ろしい出来事は起こるものなのだと。
そんな不安を抱えている中、ジーハス先生が会いに来た。あと三日で新しい家に帰る、という頃の事だ。
久しぶりに見た穏やかな笑顔に、ふっと気が緩む。ジーハス先生はリィリヤに次ぐ癒し系だと、あたしは勝手に思っている。
「お元気そうですね。サラ様。ローア様も」
「はい。お久しぶりです」
「……お久しぶりです」
ローアの挨拶はぎこちない。ローアは何というか、ジーハス先生に微妙なライバル心を持っている節がある。まあ、多分リィリヤが一番懐いている男性だからだと思う。
「図書室の外でジーハス先生と会うのって変な感じですね。初めてな気がします」
ジーハス先生が苦笑する。
「そうですね。私は滅多にあそこを出ませんから」
「それなのにわざわざあたしたちに会いに来てくれたんですね。ありがとうございます」
「お話したいことがございまして。サラ様、少々お時間を頂けますか?」
ローアが怪訝な顔をした。
「お姉ちゃん一人?」
「ええ」
「なんで……?」
「サラ様と以前お話した内容に関わるお話でして、あまり人に聞かれたくないのですよ。申し訳ございません」
それを聞いて、ジーハス先生の用件に想像がついた。思わず強張った体を、ローアに気付かれないように笑う。
「じゃあ、場所を移しましょう。折角だから、お庭を散歩しませんか?」
ちょっとわざとらしいくらいに元気立ち上がって言う。ジーハス先生が穏やかに笑って同意した。そうして、不満げなローアを置いて外に出た。
ちょっとどうかと思う位にだだっ広い庭を歩く。この庭にはお散歩コースが幾つかあって、そのうちの一つを辿る事にした。
「ジーハス先生のお話は、魔法の事ですか?」
切り出されるのを待っているのも怖くて、あたしは自分からそう言った。
「ええ。サラ様は今、魔法をお使いになるそうですね」
「はい。下手くそですけど」
「イメージが上手くできないのではないか、という話を伺いました」
「それは、誰にですか?」
「今あなた方に魔法を教えている先生です。彼は、あなた方を教えていて感じたことを旦那様に伝えています。私にも、意見を求められました」
心臓が嫌な風にドキドキした。
「それは、どうして、ジーハス先生が」
「私が異端の研究をしているからでしょう。はっきり言いましょう。サラ様、そしてローア様も、異端なのではないかと疑われているのです」
「異端……」
「四大元素とは異なる系統の魔法を使う人間を、この国では異端と言うのです」
あたしが、あの男を攻撃するのに魔法を使ったからだ。もし、もしあたしが異端だと気付かれたら、どうなるんだろう。
「王城がどのような考えを持っているのか、私には分かりません。分かっているのは、旦那様があなた方の後見人となり、この件についても責任を負ったという事です」
公爵様があたしたちの後見人になったのは、そんな理由があったのか。
「サラ様。仮に貴女が異端だったとしましょう。けれども、本来それは有り得ない事なのです」
「有り、得ない……ですか?」
「異端の多くは、遠い異国の文化に育った人間、もしくは狂人です。貴女はそのどちらでもない」
もし、前世云々があたしの妄想だったとしたら、狂人のくくりに入るかもしれない。
「どうでしょう。あたし、狂ってるかもしれませんけど」
ちょっぴり皮肉を言いたくなってそう言えば、ジーハス先生が苦笑した。
「貴女はその年にしては、理性的過ぎる程理性的ですよ。それだからこそ、旦那様も貴女が異端だと断定できずにいるのです」
「……断定されたらどうなりますか?」
「旦那様のお心次第でしょう。旦那様もあなた方の事を大事に思っているのです。リィリヤ様の友であり、アーク様の子であるあなた方を。ですから、サラ様が異端だと確信しても守る可能性もございます」
「守る……のは、どこからですか?」
「王城からです」
「気付かれたら……」
「少なくとも自由な生活は無くなるでしょう」
曖昧な言葉だと思う。牢獄に入れられるのか、それとも監視される程度で済むのか。どうであれ嫌ではあるけれど。ジーハス先生が続ける。
「最悪、命を奪われる事もあるかもしれません。サラ様、貴女は今、ご自身で思われているよりも危うい状況にあるのですよ」
身がすくんで足が止まった。それに合わせてジーハス先生も立ち止まる。ジーハス先生はあたしの目を見て静かに言った。
「サラ様、貴女は魔法から離れるべきです。少なくとも、魔法学園に入るなど自殺行為です。今ならまだ、才能が無いという理由で魔法を捨てる事ができます。あんな事件が起こったばかりです。魔法が怖いとでも言えば、誰しも納得するでしょう」
あたしは首を振った。
「あたしは、でも学園に入らなくちゃいけないんです」
リィリヤの為に。あたしの無事を思って泣いてくれたあの子の為に。
「どうしてですか。貴女にとって何の益も無いどころか、危険ですらあるのに」
どうして。どう答えればいいんだろう。リィリヤやローアと同じ学校に通いたいから? それじゃきっと納得してもらえないだろう。ジーハス先生がこういうのは、あたしの為なのだ。あたしの為を考えるなら、学園には入らない方がいい。
そもそもあたし一人でできる事なんてたかが知れてる。思うようにリィリヤに会いに行くことすらできない。リィリヤの貴族の間の人間関係に関わることだってできない。
でもジーハス先生だったら? いつもリィリヤと同じ屋敷にいて、リィリヤに頼られるジーハス先生だったら、あたしより遥かに力になれる筈なのだ。
だったらいっそ……
「……頭がおかしいと思われるかもしれませんが、話を聞いてくれますか?」
そうしてあたしは打ち明けた。前世の記憶の事。そして、あたしが危惧するリィリヤの未来の事を。
ゲームについては「物語」と言った。リィリヤを殺すのがローアである事も言わなかった。言ったのは、リィリヤがラグラスに忠実な奴隷のようになっていた事。貴族と平民との抗争で、学園が荒れていた事。そして、その諍いの中でリィリヤが命を落とす事だ。
「とても、リィリヤ様の事とは思えませんね」
話を聞き終わったジーハス先生がまず最初に言ったのはそれだった。ゲームの中のリィリヤと今のリィリヤの違いについては、あたしだって思ったことだ。
「だからこそ、そうなってしまう何かが起こるんじゃないかと怖いんです」
「リィリヤ様が従っていたのは、ラグラス殿下……ですか。ミオリル王女ではなく?」
「そのお話の中のリィリヤはミオリル王女の学友ではありませんでした。ミオリル王女の学友になったのはエリック様だけです」
「成程……既にその物語とはずれが生じているのですね?」
「はい……それがどのくらい影響するのかは分かりませんが……」
エリックとミオリル王女との交流が、この先リィリヤに起こるかもしれない事から守ってくれる可能性だってある。何か起こっても、リィリヤの心を守ってくれるかもしれない。
「今回サラ様とローア様に起こった事件は、その物語の中に含まれていたのですか?」
「……分かりません。少なくとも、あたしが知る範囲では有りませんでした。その、あたしは全ての物語を知っているわけではないので……」
「シリーズ物の小説か何かなのですか?」
「えーと、そんな感じです……」
乙女ゲームなる物を理解してもらうのは多分難しいだろう。
「その物語の核となっているのが、学園だと」
「はい……あの、信じられませんか?」
ジーハス先生が苦笑する。
「確かに信じがたくは有ります。けれども、前世、という事を受け入れればサラ様の不思議な点に納得がいくのも事実です」
異端の魔法もそのうちの一つだろう。つまりあたしは異国……遠いどころかこの世界に無い異国で育ったも同然なのだ。
「ですから、信じましょう。サラ様がリィリヤ様の事を案じて下さっている事も、確かな事だと思いますから。けれど」
ジーハス先生が穏やかな笑顔を辞めて、あたしを見る。心底心配そうな顔に、心臓が痛くなった。
「ご自身の安全もお考えください。私に言えるのは、それだけです」
あたしは思わず俯いた。ジーハス先生の目を見ていられない。
「リィリヤの事、気を付けてくれますか……」
「勿論です。けれどもリィリヤ様と同じくらい、私は貴女も心配なんですよ」
優しい言葉が嬉しい。嬉しくても、あたしはしばらく顔を上げる事ができなかった。多分とても情けない顔をしているだろうから。それを見られたくなかった。