閑話 ヘレン
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ヘレン・メリスマイヤーが冒険者として活動するようになったのは、彼女が十六才になってすぐの事である。
そもそもヘレンは幼いときから、元冒険者であった祖父に師事を受けて斥候術の訓練を積んできていた。
それは冒険者になるためというよりは、単に大好きだったお祖父ちゃんと一緒に何かをするのが楽しかっただけという事なのだが、しかし元来内向的な性格だったヘレンが、訓練の時だけは楽しそうに野山を駆けているという事実に、ヘレンの両親は、ヘレンが祖父からの訓練を受ける事に関して、特別何か言ったりしなかった。
結果としてヘレンは、祖父が老齢を理由に隠居するまでの間訓練を受け続け、それによって冒険者当時の祖父と同等程度の技量まで斥候術と短剣術を身に付けたのだ。
そうすると、数少ない同年代の友人たちからはヘレンの身のこなしの良さは憧れの的となった。
ヘレン自身も、自分を褒められる事はすなわち、大好きな自分の祖父を褒められたようなものだと考えていたため、常に誇らしい気持ちを抱いていたのだ。
だが、祖父が病気で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった事が、ヘレンの心に影を落とした。
本当は、祖父の体は長いこと病に蝕まれていて、とうの昔から、激しい運動の出来る体ではなくなっていたのだという事を、知ってしまったのも不味かったと言える。
ヘレンは、祖父が自分を鍛えるために無茶をして、その結果寿命を縮めてしまったのだと、そう思うようになったのである。
それはある意味では事実であったのかもしれないが、祖父からすればヘレンに対して己の技術を受け継がせる行為はまさしく生き甲斐であったのであって、だからこそ祖父は、体の不調などものともせずにヘレンを鍛えたのである。
ヘレンが気に病む必要など、まるで無いのだ。
しかし、そうは言ってもヘレンの心は晴れない。
それどころか、日に日に塞ぎ込んでいくようになってしまう。
そうして二か月近くが経ち、両親が、部屋に閉じ籠ってしまった娘の事を本気で案じ始めたころ――。
「すいません、ヘレンは居ませんか?」
カブが、テリムとウールを連れて、ヘレンを訪ねてきたのだ。
ヘレンの部屋にやって来た三人は、驚くヘレンに対して口々に説得する。
曰く、今度皆で村を出る、大きな町に行って冒険者になるんだ、だから一緒に行こうぜ、といった感じであった。
最初は素気無く断ろうとしていたヘレンも、カブの情に訴える言葉と、テリムの理を諭す言葉、そしてウールの、巧みに言葉尻を捉えて場を引っ掻き回す言葉に翻弄され、最終的に同意してしまっていた。
今にして思えば、元気付けようとしてくれていた面もあるのだろう。
そうして、カボレスト・クルーザー、ウール・カシミヤウィーブ、テリム・ボルトワットらに誘われて三人とともに村を飛び出し、近隣の大きな町に向かったのが去年の春先。
彼女たちは、各々が各々の夢を叶えるべくして冒険者になり、時には面白おかしく笑い合いながら、時には依頼人に騙されて命の危険に晒されながら。
子どものおつかいのような簡単なものから、自分たちの力量ではどう足掻いても達成不可能なものまで、四人で力を合わせながら依頼をこなしていき、達成したり失敗したりを繰り返してきた。
そうやって、一年とちょっとの間を彼女たちは、冒険者として活動しながらサーバスタウンで過ごし、今年の夏前くらいには、いわゆる駆け出しと呼ばれる段階を卒業した。
自分たちの実力を知り、これまでの成長を実感し、出来る事と出来ない事の限界を知る。
それはすなわち無茶無謀な冒険を避けられるようになったという事であり、この段階まで至った冒険者たちは格段に生存率が上がっていくのである。
「何言ってんだい、こっちの方が面白そうじゃないか、この依頼を受けるよ」
……などと言う者もいるにはいたが、まあ、他の三人で抑え込めば何とかなった。
とにかく、それからもうしばらくの間は冒険者としての経験を積むべくサーバスタウンで今までどおりに依頼を受けてきていたわけなのだが、先日の話し合いの結果、より大きな町に移って活動の機会を拡げようという事になる。
諸々の準備をするため慌ただしくバタバタしている中で、誰か馬車の手配をしておいてくれよ、という話になると、荷物が少なく一足先に準備の終わっていたヘレンが手配を行うべく停留所に向かう事になった。
停留所で、なるべく早く行ける馬車をお願い、と言いながら四人分の料金を支払うと、御者のおじさんは運行予定表をパラパラとめくってみせる。
おじさんが言うには、真っ直ぐ首都に向かう馬車だと十日ほど先になるが、途中の村までで構わないなら三日後に出る馬車があるのだそうだ。
いくらか悩み、ヘレンは三日後の馬車に乗る事に決める。
十日も待ってたらまた何かウールがやらかしそうだ、と思ってしまったのが決め手になった。
出発の時間を教えてもらい、その少し前には待合室に来てくれよと言ってくるおじさんに頷いて、ヘレンは皆の待つ宿に帰ったのだ。
今にして思えば、この時の何気ない決断が新しい友人との巡り会いを生んだのだから、人生何が起こるか分からないものである、と思う。
私は、あの時の自分を褒めてあげたいな、とヘレンは恥ずかしそうにはにかんでみせた。
そしてヘレンにそんな顔をされると、同じベッドで隣に寝そべりながら話を聞いていたメイビーとしては、困ったように笑うほかない。
「それでね、メイビー、……馬車に乗って暫くしたら、貴女たちが折り紙を取り出した、じゃない?」
「うん」
酒宴をそこそこで切り上げて部屋に戻った二人は、それからずっと、こうやって楽しげに語らい合っている。
「あれって、最初に見たときは何をしてるのか分からなかったんだけど、……それが分かったら、ああ凄いなあ、って思っちゃった。こんなに色んな形を作れるなんて、考えた人は頭良かったんだなって」
「だよねえ。僕、新しい形を考えてって言われても絶対無理だもん」
「あはは、そうだよね」
酔いは回っても眠気は来ないのか、ヘレンはまるで修学旅行の夜のように興奮したままで話を続けた。
メイビーは、普段は大人しいこの少女がこれほど饒舌になる事など、めったな事ではないのだと何となく理解している。
だからこそ、どちらかと言えばおしゃべり好きなメイビーが、丁寧に聞き手に回っているのだ。
残された時間を惜しむように言葉を紡ぐ、友人のために。
「そうそう、シューイチさんってさ」
「シューイチがどうしたの?」
「最初に見たときは、ちょっと、怖い人なのかなって思ってたんだ。目付きが鋭かったし、なんだか不機嫌そうだったから」
「あの時はシューイチ、一睡もしてなくて寝不足だったからねえ」
「うん。でも、あとで話してみたら普通に相手してくれたし、カブとかテリムとかともすぐに仲良くなってたしで、気さくな人なんだって分かったの。
だから、……失礼な事考えちゃったお詫びに、ノーラさんの後押しをして、あげたんだ」
「ああ、それで」
メイビーはその時の様子を思い出して、納得がいったように頷いた。
あの流れからヘレンが、あんな風にけしかける様な発言をした事を意外に思っていたのだ。
だからこそ、その理由が分かって咽喉に刺さった小骨が取れたような気持ちになった。
「それに、あの時一緒に戦ってて、サンダーバードを倒して貰っちゃったし。……ほら、わたしたちのパーティーじゃ、サンダーバードは天敵みたいなものだから」
「……確かに」
サンダーバードには雷属性魔術が効かず、そのうえ飛行しているため地上からでは剣が届かない。
退治するためには、弓や銃、あるいは雷属性以外の魔術が必要不可欠な相手である。
そうなると、ヘレンたちのパーティーではウールの神威気弾神術くらいしか攻撃手段が無くなるわけだが、それでチマチマやっていると頭上から広範囲に落雷が降り注いでくる。
正直言って、まともに戦えば倒す前に全滅する可能性の方が遥かに高い。
以前駆け出しだったころにも一度戦ったことがあるが、その時は本当に何も出来ずに逃げ帰る羽目になったのだ。
苦手意識も生まれようというものである。
「シューイチさんがサンダーバードの首を刎ねてくれたから、大した怪我もせずに済んだし、……魔物退治の報奨金まで、貰っちゃったら、やっぱりお礼は必要だと思ったの」
「ま、ノーラもシューイチも気持ち良さそうにしてたから、十分お礼になったと思うよ」
「そう?」
「うん」
メイビーにそう言われてヘレンは、「良かった」と呟きながら嬉しそうに微笑んだ。
◇
「――ねえ、メイビー」
「なあに?」
その後も取り留めのない話をしていた二人。
その会話がフッと途切れたタイミングで、ヘレンは畏まったようにメイビーの名を呼んだ。
「……」
「……?」
何となく、何と言おうとしているのか分かったから、メイビーは、ヘレンの次の言葉を静かに待った。
「やっぱり、明日、この町から、……出て行っちゃうのよね?」
「……うん」
「…………こんな事言うのは、良くないとは思うんだけど、それでも、その……」
「……」
メイビーは、遮ることなく先を促す。
だからヘレンも、言い切ってしまうことにした。
例え、全く目のない事であっても、やっぱり諦め切れないのだ。
「……この町に、残ってくれないかな?」
そうして紡がれたヘレンの言葉は、メイビーの予想どおりの言葉であった。
だからメイビーも、ヘレンが予想しているであろう言葉を返す。
そうしてあげる事こそが優しさだと、そう思うから。
「そう言ってくれるのは、嬉しいよ。
でも、それは、出来ないかな」
「……そうだよね」
「……うん」
それきり、言葉がなくなる。
ヘレンはそれでも縋るような視線をメイビーに向けていたが、メイビーから優しげで、それでいてどこか寂しそうな視線を返されると、泣きそうな顔で笑ってみせた。
「……そっ、か」
「……」
「…………あーあ、残念」
「……ゴメンね、ヘレンちゃん」
申し訳なさそうにするメイビーに、ヘレンは「こっちこそゴメンね」と返す。
「分かってた事だけど、どうしても言いたかったの」
「うん」
「メイビーだって、やらなきゃいけない事が、……あるんだもんね」
「うん」
ヘレンは、少しだけ潤んだ目元を拭った。
それからこう訊ねた。
「そうだ、メイビー」
「ん?」
「昨日、シューイチさんの事が好きなのかって聞いたら、メイビー、好きだよって答えたよね?」
「えっ、うん」
「それなら、……わたしとシューイチさんなら、どっちが好き?」
「えー? ………うーん」
メイビーは視線を彷徨わせて考える。
ヘレンも「面倒臭い事聞いちゃったかな」とは思いつつ、返答を待つ。
「それならまあ、……ヘレンちゃんかなあ?」
「……!」
「ただ、……同じように、ノーラも好きだしレイちゃんも好きだよ?
ウールとか、クリスライト君とかも。
だから、優劣を付けるのは、あんまり好きじゃないかなぁ……」
「…………うん、そうだよね」
ショボンとするヘレンを、メイビーが慰める。
「ま、だいじょーぶだって、今はヘレンちゃんが一番だからさ」
「……ありがとう、ね」
メイビーがタツキの真似をして、ヘレンの手をギュッと握ってやる。
ヘレンは、何とも言い難いような表情を浮かべ、それからメイビーの手を握り返した。
「さ、そろそろ寝ちゃおうよ。あんまり夜更かしすると明日が辛いよ?」
「…………」
「ね?」
「……うん」
メイビーがそう言って握った手を離そうとすると、ヘレンがそうはさせないとばかりに手を強く握ってきた。
メイビーはちょっとだけ目を見開いて、その後緩く微笑んだ。
「それじゃあ、おやすみ」
「……うん、お休みなさい」
そうして二人の少女は、まるで仲の良い姉妹のように手を繋いだまま眠りについたのだった。
朝目覚めて、二言三言挨拶を交わし、ご飯を食べて諸々の準備をする。
町の住人たちと別れを済まし、修一たちと一緒に馬車に乗って首都に向かう。
そんなメイビーの姿が見えなくなるまで手を振っていたヘレンの、その表情には、もう陰りはなかった。
今日から心機一転、この町で頑張らないと!
と思えるようになったのだ。
友人との別れは勿論辛いが、今生の別れになるわけでもないのだ。
いつかまた、会いに行けばいい。
馬車が完全に見えなくなってから振り返ると、カブ、ウール、テリムの三人が、自分を見ていた。
ヘレンは、心配ないよ、という風に、ニッコリ笑ってみせる。
三人も、その笑顔を見て、ようやく安心したように笑ってくれたのだった。
そして――。
メイビーたちを見送った日の、さらに次の日の朝、カブたちのパーティーは、とある人物たちから、呼び出しを受けたのである。




