閑話 ウール 3
◇
「……あ、あの、ウール」
「なんだい?」
「い、いくらなんでもこれは……、やり過ぎではありませんか?」
青狸亭の客室の一つ、その中に置かれたベッドの上でノーラが恥ずかしそうに問う。
ノーラは今、見せつけるようにしてグッとお尻を突き出し、それでいて上体を捻り大きな胸をより強調するように両腕で挟み込んでいた。
裏通りで働いている夜のお姉さんたちがしそうなポーズで、ともすれば下品になりそうなものであったが、ノーラがすると何故かそうは見えない。
そして元々プロポーションの良いノーラがそうしたポーズを取ると、実に色っぽい。非常に眼福である。
ウールなど、「あたしが男だったらそのまま押し倒して突っ込んでるね」などと下品な事を考えているくらいだ。
「こ、ここまでしなくてはならないのですか?」
酒のせいで染まっていた頬をより赤く染めて尋ねてくるノーラに、しかしウールは「甘いねえ」と溜め息混じりに返した。
「ただでさえ、想い人のいる男を誘惑しようってんだから難易度が高いってのに、その上相手はあのシューイチだよ? この程度では、まだまだ全然だと思うけどねえ?」
当たり前のようにそう言われると、そういうものなのだろうか、とノーラも悩むが、どうしても羞恥心というものは働いてしまうのだ。
あんまり無茶を言わないでほしい。
ノーラはポーズを止めると、こっそりと肌を隠すようにしてシーツを引っ張り上げるが、ウールがそれを目敏く指摘してくる。
「ほらほら、そんな風に隠してちゃあ練習にならないじゃないか、同性であるあたし相手に恥ずかしがってたら、男になんて見せてられないよ? 隠さない隠さない」
「……それは、そうかもしれませんが。
あの、…………ウール?」
「なにさ」
ノーラは、もう一度確認するかのように尋ねた。
「どうして私は、その、……下着姿にさせられたのですか?」
「……」
そうなのだ。
現在ノーラは、なんだかんだとウールに言いくるめられて下着姿になってしまっていた。
いや、最初は勿論服を着たままだったのだ。
ウールが実際にやってみせてくれたのを真似してみて、そこに細かい調整を入れてもらう。
酔った勢いも手伝ってか、ノーラも結構楽しそうにポーズを取っていたのだが――。
「うーん、ちょっと陰になってるところが見えないねえ……」
「もう少しこう、襟を緩めて、おヘソも出して……」
「そうそう良い感じ、あ、もっと際どくするようにさ、こことここを……」
「そうだ、中途半端に脱ぐと逆に動きづらいだろう? もういっその事……」
「おおー、いいねえ、これでグッと魅力的に……」
「あ、靴下を脱ぐなんてとんでもない!」
……などと次第に雲行きが怪しくなっていき、あれよあれよという間に半裸状態である。
ウールの口八丁、実に手慣れたものであった。
なんかの撮影会のカメラマンじみていた。
後れ馳せながらこれはやり過ぎだと気付いたノーラは、当然のようにウールに抗議した。
「ポーズの練習をするだけなら服を着ていたままでも良かったのでは?」
「そんなこと言ってると、実際にやる時に恥ずかしさで死にたくなるよ?
しかもシューイチって、わざとかと思うくらい鈍い時があるから無視されたりするかもしれないし、そうなったら多分、初心なノーラは立ち直れないんじゃないかな?」
「……」
ウールに言われ、ノーラはついついその状況を想像してしまう。
そしてサッと顔を引き攣らせた。
あの男は、あれで他人の思惑を外すのは得意だったりもするから、もしノーラが誘惑しようとしても逃げられてしまうかもしれない。
そうなれば、その日一日はシューイチと顔を会わせられなくなりそうだった。
「そもそも、今の内に慣れとかないと本番で恥をかくのはノーラなんだから、つべこべ言わずに頑張りなよ。
あたしだって最初の内は恥ずかしかったけど、慣れたてきたらそこまででもないんだからさ」
「……はい」
そこまで言われてノーラも観念した。
恐々と、肌に巻き付けていたシーツを緩めていく。
首元から肩口、それから鎖骨にかけてのラインが晒される。
元は白かったであろう肌は酒と羞恥によって上気したように桜色に色付いている。
肩口よりも少し短めのふわふわした茶色い髪が、汗によって幾筋か、頬から首筋にかけて張り付いていた。
「……」
緊張に伴って、肩が少しだけ震えている。
鎖骨から下はシーツによって隠れているが、そこにある大きな膨らみは隠し切れるものではない。
なにより僅かに見える谷間が、更にその存在を予感させた。
あまりに柔らかそうに思えて、ウールでさえ手を突っ込んでみたいと考えてしまう。
そこは普段なら衣服に隠れて見えない部分である、という事も大きかっただろう。
ノーラは長旅に備えて肌の露出を控えめにしているし、そもそも胸元など人様に見せるところではないとも思っているため、ブラウスなどの襟はキチッと閉めているのだ。
服自体も体のラインがあまり出ないようにと大きめのものを着ているわけで、色気も何もあったものではない。
その辺はノーラも多少気にしているため、実家に戻ったら可愛らしい服の一つでも着てみようとは思っているのだが。
胸の辺りを見つめながら、ウールは若干の悔しさを滲ませながら呟く。
「しかし、公衆浴場でも見たけどさ、ノーラって本当にスタイル良いよね」
「……そうですか?」
「胸はあたしより大きいってのに、腹回りもすっきりしてるし、それでいてお尻なんかムチッとしてるし」
まあ、腹回りには余分な肉は付いていないと思う。
学院にいたころからフィールドワークで歩いたりもしていたし、二か月近くも旅を続けていればそんなもの落ちてなくなる。
逆にちょっと引き締まってきたくらいで、今では健康的なくびれが出来上がっている。
ただ、とノーラはウールの腹部に視線を向けた。
「腹回りなら、ウールの方が細いと思いますけど?」
「……あたしは冒険者やってるからね、戦闘中にそこまで動かないとはいえ走ったりもするし、飛んできた攻撃を躱したりもするから」
「なるほど。――それと」
「ん?」
「私は、ウールくらい小振りなお尻の方が可愛いと思いますよ?」
「……ありがと」
ウールは少しばかり拗ねたようにお礼を言う。
彼女にとって、小さめのお尻など魅力に乏しいだけの存在だ。
ウールは、胸に関しては努力をしてきたわけだがその他についてはあまり気を配っていなかったし、そもそも好き嫌いの多いウールは全体的に肉付きが薄く、胸以外はそれほど育ってない。
貧相、とまでは言わないが、成長期途中の少女であることも加わって、若干細身なのである。
まあ、それでもヘレンやメイビーなどとは比べるべくもないだろうし、一般的な感性をもった男なら十分魅力的に見えるのだろうが、やはりノーラと比べてしまうとダメだ。
正直、服を脱いだだけで一気に色っぽくなるとか、ウールからすれば「ズルい」の一言である。
服を脱がせてからのポーズの数々を思い出しながら、ウールが溜め息を吐いた。
「なんかもう、余計な小細工は無しの方がいいかもしれないねえ」
「と、言いますと?」
「……ノーラが全裸で抱き付いて、そのまま押し倒しちゃえばいいんじゃないかな」
「……」
それではただの痴女ではないか。
「そもそも、交際前の男女がみだりに肌を晒すなんて、良くない事ですよ」
「ノーラの貞操観念の高さは知ってるけど、そのまま交際に持ち込めば大丈夫じゃないかい?」
「もしそれでシューイチさんが靡かなかったらどうするんですか」
「ノーラの胸なら大丈夫だと思うけど」
「……どういう意味ですか?」
「大きな胸が嫌いな男なんていないって意味だよ。
もし嫌いな奴がいたら、そいつは病気だね、体の方か心の方かは知らないけどさ」
「……」
乱暴過ぎる理論だが、ある意味正論である。
ちなみに修一は、例えレイの裸を見てもなんとも思わないくらいには正常だし、ウールに胸を押し付けられて動揺するくらいには男の子である。
成功率は、決して低くないであろう。
まあ、しかし。
「……それでもやはり、そういうのはいけないと思います」
「へえ?」
「ポーズならともかく、そんな事までしてしまうのは、卑怯だと思いますから」
「……?」
卑怯、卑怯だろうか。
ウールは自問するが、出てきた答えは否だった。
やれる事を全部やる事のどこが卑怯だと言うのか。
それで負けて後悔するのは自分なのだ。
卑怯も何もないと思うが――。
「私自身が、納得出来ません」
ノーラ曰く。
自分自身が納得出来ないような事をして梨子との戦いに勝ったとしても素直に喜べない、のだそうだ。
この戦いにおいて自分は、後から横入りをして修一の好意を奪い取ろうとする略奪者であり、ならばこそ、その行いは誰に恥じる事もない公明正大なものでなくてはならないのだと。
正当な手段と方法によってそれが成されなければ、自分は胸を張って修一の隣に居られないのだと、そう言うのである。
育ちが良いのかロマンチストなのか分からないが、何事にも真面目なノーラは恋愛に関してもそう在りたいらしい。
酔っている事を抜きにしたとしてもその決意が感じられるような真剣な瞳を向けてくるノーラに、ウールは「本当に甘いねえ……」とだけ嘆息しそれ以上何も言わなかった。
ただ、それで納得出来るんならなんだっていいさ、とは思う。
納得は心の強さに繋がるのだから。
少なくとも、そうして真剣な瞳が出来る内は、数時間前のような危うさを見せる事はないだろう。
――難儀な性格さね、まったく。
とも思うが、それはもう仕方がないのだろう。
生まれもっての性分というやつは、これがなかなかに厄介なのだ。
「まあ、これはノーラの問題な訳だから、ノーラがそれで良いって言うんなら、あたしもそれ以上は言わないよ」
「はい」
「……ただねえ」
「?」
そう言ってウールは、ベッドの上のノーラにゆっくりと近付きながら厭らしい笑みを浮かべてみせた。
両手の指を、ワキワキと動かしている。
それを見たノーラの頬が、ピクリと引き攣った。
「あたしが応援する以上、そう簡単に負けてもらっちゃあ困るわけだよ」
「は、はあ……?」
「あたしとしては、小細工抜きで迫ったほうがまだ目があると思うんだが、それが嫌なら仕方ない。さっき教えてあげた誘惑ポーズを使って、シューイチを篭絡してやればいいさ。
ただ、そうなるとやっぱり、あたしとしては不安が残るからさ、……いくらなんでもこれは教えないでおこうかな、と思っていたポーズの封印を解くよ。さっきまでとは比べ物にならないくらい恥ずかしいポーズの数々を、その身に覚えこませてやろうじゃないか!」
「……!」
ノーラは、ウールから逃げるようにしてベッドの上を後ずさりするが、すぐに背中が壁に当たり、それ以上の後退は出来なかった。
逃げ場を失ったノーラを、ウールは怪しい光を湛えたかのような視線でもって舐めるように見つめた。
仮にも聖職に就いている少女がやっていいような目付きではなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください、ウール!」
「ノーラ、世の中にはね、裸になるより恥ずかしくて、思わず目を逸らしてしまいたくなるような格好だって一杯あるんだよ?」
「聞きたくないです、そんな事!」
「シューイチだって存外、着たままのほうが興奮するタチかもしれないじゃないか。なんなら予備の神官服を着てみるかい? ノーラにはちょっとキツイかもしれないけど」
「そ、そんな事しません!」
ノーラが抗弁するが、ウールは気にした様子も無い。
そしてとうとう両手首を掴まれてしまったノーラは必死な様子で抵抗しているが、腐っても冒険者のウールに筋力で勝てるはずも無く、ジワジワと押されていった。
「ああ、それと、日常で使える簡単なボディタッチも教えておこうか」
「……そ、それはどういったものなのですか?」
「……こんなんだよ」
――――ペロッ
「――――!!」
ウールに耳を舐められたノーラ。
成す術もなく体の力が抜けていき、そのままベッドに押し倒される。
そうして見下ろしてくるウールの顔が、ノーラには嗤う悪魔にも見えたらしい。
それから数時間、ノーラは、文字通り「手取り足取り」されながらウールの指導鞭撻を賜る羽目になり、全部終わったときには「もうお嫁にいけません……」と、羞恥に顔を染めながら半泣きになっていた。
ウールは「じゃあ頑張ってシューイチに貰ってもらわなきゃねえ」などと言いつつも、やっぱりちょっとやり過ぎたかなあ、なんて思ったりしたのだった。
◇
朝になった。
今日は朝から曇り空である。
修一は、ガンガンと痛む頭を抱えながら、ゆっくりと体を起こした。
「…………俺、いつの間にベッドに入ったんだ?」
昨日は幽霊船を退治して、それから宴会になって、楽しく美味しく飯を食っていたはずなんだが、と考えるが、途中から記憶がスッパリと途切れていた。
何がどうなってここにいるのか、全く思い出せない。
「確か……、ウールのやつがカブに鈎竿を渡して、それから、…………駄目だ、思いだせん。つうか、……頭痛い」
何か思い出そうとすると、ズキズキと頭が痛んで考えがまとまらない。
完全なる二日酔いである。
酒を飲んだこと自体を忘れている修一には、頭痛の原因など知る由もなかった。
何か懐かしい夢を見ていたような気もするのだが、それすらも思い出せずにモヤモヤする。
と、そこに、ノックの音が響く。
「シューイチさん、起きてますか?」
「ノーラ? ああ、起きてるよ」
ガチャリとドアが開き、「失礼します」とノーラが部屋に入ってくる。
手には水差しと、カップを持っていた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「喉が渇いてると思いましたので、水を持ってきました、どうぞ」
「お、サンキュー」
言われて気付いた。
喉がカラカラだ。
カップに注いでくれた水を受け取り、グッと飲む。
冷たい水が心地好くて、一口で飲み切ってしまった。
そこにノーラが、サッと二杯目を注いでくれる。
今度はゆっくりと、口腔内を浸すようにしながら飲み干す。
三杯目を半分ほど飲んだところで、ようやく人心地が付いた。
「はぁー……」
「美味しいですか?」
修一は大きく頷く。
何故これほど喉が渇いているのだろう、とも思うが、そんな事どうでも良くなるくらいに美味い。びっくりだ。
「昨日は大変でしたよ。シューイチさん、飲むだけ飲んでそのまま寝てしまうんですから」
「……? 何の事だ?」
「もしかして、覚えてませんか?」
「ああ、全然」
そうしてノーラから昨日の顛末を聞かされたが、やはり思い出せない。
記憶は完全に消え去っていた。
と、なると。
「俺、酒は飲めない体質なんだな」
「飲めない、というよりは、ものすごく弱い、という感じではないでしょうか。あんなにグイグイ飲まなければ、多少は飲めそうに思えますけど」
「んー……」
そう言われてもなあ、と修一は思う。
酔い過ぎて何かやらかすくらいなら飲まない方がマシだとも。
……まあ、実際はすでに大きくやらかしてしまっている訳だが、修一にそれを知る術はない。
それからちょこちょこと、自分が寝てしまった後の話を聞いてみるものの、特筆すべき事項はなかった。
ただ、ノーラがいやに眠そうにしているのと、目元が少し腫れぼったいのが気にかかった。
問うてみたが、「あ、いえ、昨日は夜遅くまで部屋でウールと盛り上がってしまいまして」などど返されたため、「ノーラとウールも、そんなに仲良くなったのか」などと思ったのだった。
「なんなら馬車の中で寝とけよ? 今日中には首都に、というか実家に着くんだろ」
「はい、そうさせてもらいます」
それから、二、三十分後くらいには朝食が出来上がるらしいので下に降りてきてほしいと言われた修一は、レイとタツキ(何故か一緒に寝ていた)を起こして顔を洗いに行かせる事にする。
その際、持ったままになっていたカップをノーラに返したのだが――。
「おや、まだ少し残っていますね」
「ん? ああ、悪い」
「いえいえ、…………」
「……?」
そう言いながら、手にしたカップをクルリと半回転。
何してんだろう、と思う間もなく、ノーラがそれに口を付けてしまった。
「――んっ」
「……おい?」
修一の咎めるような声を無視して、ノーラは残っていた水を飲み干す。
カップから口を離すと、なんだかよく分からないが色っぽい溜め息を吐いた。
「ふぅ……」
「…………」
自分が口を付けた部分に重ねて口を付けてきたノーラを見て、修一は「アンタ何やってんの?」みたいな視線を向けたのだが、目の前の女性は気にすることなく部屋を出ていってしまう。
そのままパタンとドアが閉じられてしまい、修一は困ったように額の傷を掻いていたのだが、最終的には「まあいいか」と思う事にして、隣のベッドで寝ている二人を起こす事にする。
ちなみにドアの向こうでは、外に出た途端に顔を赤らめるノーラと、一緒に付いてきてこっそり中を窺っていたウールが、何やらこそこそと話をしていたわけなのだが、寝起きのうえ頭痛を堪えている修一では気付けなかった。
その後朝食を食べた修一たちは、諸々の必要な準備と友人たちへの別れを済まし、いよいよ首都に向かうべく、馬車に乗って町を出たのであった。




