第6章 25
※ 本日三度目の投稿です。
◇
「レイちゃんレイちゃん」
「…………なあに、たつき?」
宿で行われている宴も、そろそろ佳境を迎えていた。
もう、半分ほどの人間が酔い潰れてしまっている。
修一の知り合いを例に出せば、ウールと斥候の男以外は皆潰れたか、自室に戻っている。
カブは、ウールから鈎竿を貰った後、狂ったように酒を飲んで床にぶっ倒れている。
ウールのアレが相当ショックだったらしい。
尤も、結局最後まで鈎竿は手放さなかったようだが。
アーバインも少し前に酔い潰れ、今はエルメントラウトが介抱すべく、自分たちが泊まっている宿に連れ帰っている。
ヘレンは二十分ほど前にメイビーと一緒に自室に帰り、テリムは机に突っ伏して寝てしまっていた。
呪術師のお兄さんと神官の少女は、早い段階で宿に残してきた仲間のために酒と料理を持って帰っていて、
「……うへへ」
「むにゃむにゃ」
――最後まで騒ごうとしていた野伏の女性と双剣術士の女性は、つい先ほど、二人揃って寝落ちした。
二人とも幸せそうにしているのは、野伏の女性がレイを、双剣術士の女性がタツキを、それぞれ膝に抱えて酒を呑んでいたからだ。
二人とも子どもが大好きだったらしく、クリスとアルが帰った後も仲良く並んでご飯を食べていたタツキとレイを見つけた二人の女性は、それはもう嬉しそうに酒瓶抱えてやって来たのだ。
レイは「お酒臭い」と思いつつも、優しく頭を撫でてくれる事に関しては何の文句もなかったし、それで野伏の女性が心底幸せそうにしているのなら別にいいや、という感じに身を任せていた。
すりすりと頭を擦り付けるたびに、野伏の女性が何故か鼻を押さえていたのには、首を傾げたが。
双剣術士の女性に至っては、なんというか見るからにヤバかった。
タツキが女性の膝の上に向かい合うようにして座り、それなりに大きな胸に顔を埋めて「気持ち良いです~」と言いながら時折キラキラした笑顔を向けるものだから、女性は口の端からよだれを垂らしながらタツキの髪の匂いを嗅いだり、タツキの小さな体を抱き締めたりしていた。
時と場合によっては、即通報されそうであった。
まあそんな感じに二人とも、大好きな子どもと戯れながらガンガン酒を飲んでいったため、今となってはそれはもう、だらしのない顔を晒して眠りこけている。
嫁入り前の女性が、人前に晒してよい顔ではなかった。
そして二人の女性が寝てしまった後、女性の膝から飛び降りたタツキが冒頭のセリフをレイに投げ掛けながら、レイが床に下りやすい様に手を差し出していたのである。
「転ぶと危ないです、お手々をどうぞ!」
「…………ありがとう」
タツキの手に掴まってピョンと下りると、タツキがニコッと笑ってくる。
レイは、何かおかしかっただろうか、と首を傾げた。
「…………ふわぁ」
「あれ? レイちゃんも、おねむさんですか?」
「…………うん」
そう言うタツキも、同じように「ふあっ」と欠伸をこぼす。
「僕も眠くなりました、一緒に二階に上がりましょうか?」
「…………そうだね」
二人並んで、二階に上がる階段に向かう。
その途中でタツキが、こんな事を言い出だした。
「そういえばノーラさんが、お父さんを見てくると言って上に上がったのって、どれくらい前の事でしたっけ?」
「? …………よくおぼえてないけど、」
レイはチラリ、と幸せそうに眠る二人の女性を一瞥した。
「…………あのひとたちが、くるよりまえ?」
「そうですよね、…………一体何をしてるんでしょうね?」
「…………わかんない、けど、……どうせ、いまからいくもの」
レイの部屋は、修一と同室である。
レイが寝るとなれば、そのまま修一の部屋に戻ることになるのだ。
「あ、そうだ、今日も一緒に寝ていいですか?」
「…………」
レイはちょっとだけムスッとした顔をした。
今朝、目が覚めたら、隣でタツキが寝ていてそれなりに驚いたからだ。
「ダメですか?」
「…………だめ、じゃない」
ただ、それも驚いただけだ。
別段、嫌ではなかった。
「良かった!」
タツキは、とても嬉しそうに諸手をあげてバンザイした。
そうされると、レイとしても悪い気はしなかったのだった。
◇
「――――えっ??」
ノーラの呆けたような声が、室内の静寂を乱す。
しかしそれも、数瞬の出来事だ。
薄暗い部屋は、すぐさまシンと静まり返った。
ノーラは、酒で鈍った頭を必死に動かして、何が起きたのかを理解しようとする。
お互いの呼吸の音と跳ねるように鼓動する自分の心臓の音が、耳の中をグシャグシャにかき回してきて、思考がまとまらない。
少しだけ、視線を上げる。
修一の首筋が、本当に目の前にあった。
お互いの距離は、もはやゼロだ。
ノーラの、大きくて形の良い胸が、修一の胸板に押し付けられてむぎゅっと形を変えていた。
修一に抱き締められている。
という事に、遅まきながらようやく気付いた。
「…………えっと、これは、どうしたものでしょう?」
酒のせいで桜色に色付いていたノーラの頬が、みるみる内に赤みを増していった。
ベッドの横に膝を付いて上半身を乗り出しながら寝顔を見ていたノーラは、抱き締められた今、上半身全体が修一の胴体の上に乗っている。
修一の体温を、服越しではあるもののはっきりと感じてしまう。
鍛え上げられた、逞しい肉体だ。
胸板の厚みはとても年下の少年のものとは思えなかったし、筋肉は想像以上に堅く引き締まっていた。
服に鼻を押し付けて、思わず匂いを嗅いでしまう。
仄かな汗の臭いと、クラクラしてしまいそうな男の臭いがした。
それだけで、身体の奥が疼きそうなほどである。
そして修一の声が、耳元から聞こえてきた。
甘く囁くような、そんな声音であった。
「――愛してるぞ」
「!!!」
ノーラの身体が、ビクンと跳ねた。
慌てて身体を起こそうとするが、修一に力強く抱き締められているせいで、抜け出せそうにない。
いや、実際には、本気で離れようと思えば出来たはずなのだが、ノーラはそうしなかっのだ。
ノーラの腕に込められた力は、驚くほど弱々しかった。
「愛してる」
「~~~~っ!!」
ゾクゾクッ、と何かが背筋を駆け抜けた。
甘い痺れが脳髄を蕩かしていく。
先程よりも尚、心臓が跳ねた。
自分が今どうなっているのか分からなくなってしまいそうだった。
冷静に考えれば、今の状況はノーラの倫理観からすればとんでもない事である。
恋人でもない年頃の異性に暗い部屋のベッドの上で抱き締められ、挙げ句の果てには甘い言葉を囁かれて身悶えしているのだ。
誰かに見られてしまえば、言い訳などしようのない状況である。
「……」
だというのにノーラは、この状況を心のどこかで悦んでいた。
酒に酔っているから、ではなかった。
感情が、心の奥のそのまた奥にある、一番深くて柔らかい部分から溢れるようにして滲み出てくるのだ。
それは、修一に最初に出会ったときから、少しずつ量を増しながら溢れ続けていたものだ。
様々な事情があった。無意識の内に、見ない振り、知らない振りをしてきた。
お互いが苦しまないように、気付かないままでいられれば良かったのに。
ノーラは今、初めてソレに向き合った。
向き合って、そして気付いたのだ。
――ああ、私は……。
修一の服をギュッと掴む。
瞳は、少し先も見えないほどに涙で潤んでいたが、見るべきところは分かっている。
頬が熱い。いや全身が、火が付いたように熱かった。
このまま、燃え尽きてしまいそうなほどだ。
下腹部から、汗か何か分からないものが一筋垂れてきた。
どちらでもいい。
今は、関係ない。
口さえ動いてくれれば、それでいい。
「……シューイチ、さん」
「――」
途切れそうな声で、耳を澄まさなければ伝わらないような小さな声で、ノーラは修一の名を呼ぶ。
返事はない。
構わない、それでも。
「シューイチさん」
「……」
ノーラは、ありったけの勇気を振り絞った。
「わ、私も」
「――愛してるんだ、俺は」
「あ、貴方の事を――!」
「俺は、お前を――」
「――愛しているんだ、……梨子」
「――――――――」
――…………………………えっ?
ノーラは。
目の前が真っ暗になった気がした。
◇
「あ、次のお部屋でしたっけ?」
「…………うん、そう」
タツキとレイは、とことこと並んで歩きながら修一が寝ているはずの部屋の前に辿り着いた。
ノーラさんもまだ中にいるのだろうか、と考えながらタツキが、僅かに開いたままになっているドアのノブに手を掛けようとする。
すると。
――――ドタッ、ガタガタッ!
「へ? 何の音……、っ!」
「!!」
室内から聞こえた、何か物同士がぶつかる音の直後、何かがドアに向かって駆け寄ってくる音が聞こえる。
タツキは咄嗟にレイの手を引きドアの可動半径から外れると、廊下の壁に張り付いた。
果たして、部屋のドアは勢い良く開き、中から出てきた誰かが廊下を駆けていった。
脇目も振らずに走っていき、タツキたちに気付いた様子はなかった。
あれは……。
「ノーラさん、でしたよね?」
「…………おかあさん、だった」
二人で顔を見合わせる。
いきなり出てきたら危ないではないか。
開けっぱなしになったドアを潜って室内に入る。
明かりは付いておらず、片方のベッドの上では修一がすやすやと眠っていた。
二人は首を傾げるばかりだ。
一体どうして、ノーラは泣いていたのだろう。
「うーん?」
「…………?」
しばし二人で頭を悩ませたが、その内どちらともなく欠伸を漏らし、まあいいか、という事にした。
ドアをキチンと閉め、薄暗い中を歩いて空いている方のベッドに近付く。
靴を脱いでベッドに寝転べば、もうウトウトし始めた。
今日は美味しいものを一杯食べたから、よく眠れそうである。
「おやすみなさい、レイちゃん」
「…………おやすみ、たつき」
それから、二人揃って。
「おやすみなさい、お父さん」
「おやすみなさい、おとうさん」
修一の眠るベッドに向けてそう呟き、それから静かに目を閉じた。
ファステムの夜は、こうして静かに更けていったのだった。
これにて第6章は終了となります。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。
いくつか閑話を挟んだ後第7章に移りたいと思います。




