第6章 24
※ 本日二度目の投稿です。
◇
「渡してきたよ」
「…………お前さ」
どうなるだろう、と一部始終を見ていた修一たちは、誰もがウールの蛮行に言葉を失っていた。
「俺に、あんな事言われて怒ってたとは、到底思えない遣り取りだったな」
「羨ましいかい?」
「全然」
「はっは」
ウールは笑いながら、一同を見渡した。
ノーラは恥ずかしそうに顔を伏せ、メイビーは呆れたように笑い、クリスは顔を赤らめて焦ったように目を逸らしている。
レイは無表情のまま小さく拍手しているし、アルは若干うっとりとした様子でウールを見つめていて、元凶たるタツキはニッコリ笑って手を差し出してきた。
ウールはタツキと握手してやりながら、尚も苦い顔をしている修一に向き直る。
清々しいまでの笑顔を浮かべて。
「あれくらいやっておけば、カブのやつも『返す』だなんて言わないよ」
「……お前が良いなら良いけどよ、別に」
「勿論さ」
修一が見る限り、ウールは本気で嬉しそうにしている。
これ以上は、野暮というものだろう。
「ま、目的は達せたから、良しとしようか」
修一は、無理矢理そう結論付けた。
「ところでシューイチは、全く飲んでないんだね」
「ん、ああ」
流れで修一たちの席に座ったウールが、目敏く指摘してくる。
確かに修一は、ここまで一滴も酒を飲んでいない。
クリスも、成人するまでは飲酒してはならないと父親に止められているし、年少組など言うに及ばずであるが、ノーラとメイビーはそれなりに飲んでいるのに。
この国、というよりこの世界では、飲酒に関しての年齢制限などはきちんと決まっていない。
各家庭または地方ごとくらいの規模で独自に慣習があるくらいで、何歳からでも酒を飲んで構わないのだ。
勿論、明らかに子どもと思われる者に飲ませるのはイケナイ事とされているが。
「俺の故郷では、未成年の飲酒は法律で禁止されてたんだよ、だから、酒を飲んだことがないんだ」
「未成年って、確かシューイチは十八歳だろ?」
「二十歳から成人なんだよ、俺の国では」
「ふーん」
修一は別に不良だったわけでもないし、祖母と父親はなかなか厳しい人物であったため、飲酒する機会などなかった。
友人たちの中にはガバガバ飲んでいる奴もいたわけだが、修一は飲まなかったのである。
「でも、この国では気にする必要はないんじゃないのかい?」
「ん、……うーん?」
そう言われると、修一も考える。
修一は、自分にとって大切な事に関しては出来る限り我を張るが、どうでもいい事に関しては基本的に規則を守る。
そのため、今までさしたる興味もなかった酒については手を出さなかったわけだが、ここに来て、飲んでも構わないとなったわけだ。
どうしようかな、と思ってしまった。
そしてそうなると、場の雰囲気というものには逆らいにくいのである。
あれよあれよという間に、修一も一回飲んでみようよという話になってしまった。
「初めて飲むんなら、飲みやすいやつがいいかねえ?」
「そーだね、シューイチは甘いのと辛いのだったらどっちがいい?」
「それなら、甘い方がいいかな」
ウールとメイビーが、どの酒を飲まそうかと楽しげに話し合う。
修一も「無茶なのは止せよ」と言いつつも顔は笑っていて、どことなく期待している様子であった。
「そうだ、いいのがあるよ」
と言ったウールが厨房から貰ってきたのは、甘い果実を発酵させて作られた果実酒だ。
口当たりもまろやかで、それほどアルコール分が多くない酒であるため、修一でも飲みやすいだろうという判断である。
ウールは未開封のそれを、瓶ごと貰ってきていた。
ついでに自分も飲むつもりらしい。
キュポン、と小気味良い音を鳴らしながら栓を抜いた。
「さあ、注いでやるからカップを持ちな」
「おう」
修一が持ち上げたカップに酒を注ごうとしたウールであったが、その直前で思い直したように瓶をテーブルに置く。
そしてそれを、ノーラの前までズイと押した。
「やっぱり、ノーラが注いでやりなよ」
「私ですか?」
「ああ、折角だから」
「えっと……」
ノーラが、窺うように修一を見る。
修一は、どっちでも良いよとばかりにノーラに向けてカップを差し出した。
「じゃあ、私が注ぎましょうか」
「頼む」
瓶を傾ける。
原料の果実と同じ色の、薄紅色の液体が緩やかにカップに注がれていった。
甘い香りが漂い、修一は思わず目を細めた。
口許が緩んでいるあたり、結構楽しみにしているのかもしれない。
それが見てとれたから、ノーラも自然と微笑んだのだった。
カップの半ばほどまで果実酒が注がれると、ノーラは瓶を起こした。
「さ、どうぞ」
「ありがとよ」
そのまま修一は、躊躇いもせずにグイっと酒をあおった。
無駄に男らしい。
クリスが少しだけ羨ましそうにしていた。
「……」
一息に酒を飲み干し、ゆっくりとカップを置く修一。
ウールとメイビーが、揃って感嘆の声をあげた。
「おお、なかなか良い飲みっぷりじゃないか」
「全然イケる口じゃん、シューイチ」
「……」
二人は楽しそうにそう言って、まあまあもう一杯、と次を用意する。
今度はメイビーが瓶を持ち、カップの縁ギリギリになるまでなみなみと酒を注いでやったのだが、今度も修一は一息に飲んでみせた。
タン、と軽快な音を鳴らして、テーブルにカップを叩き付けた。
「良いねえ良いねえ」
「どんどんいっちゃおう」
「……」
修一は一言も発さぬまま、三度注がれた果実酒を飲んでみせる。
注いだウールが、楽しそうに「はっは」と笑った。
「ほれ、クリスも注いでやりなよ」
「クリスライト君、頼んだ!」
「え、あ、はい」
その遣り取りを興味深そうに見ていたクリスに、とうとうお鉢が回ってくる。
慎重な手付きで修一のカップに酒を注ぐと、三分の二くらいまで注いだところで酒がなくなった。
例の如く修一は、一飲みにしてしまった。
ノーラは、この時点で非常に嫌な予感がした。
「おや、もう無くなっちゃったよ」
「シューイチ、どう? 美味しい?」
「……」
「シューイチ?」
修一は、メイビーの問い掛けに答えない。
視線は手元のカップに向けられたまま微動だにしなかった。
あれ、とメイビーが首を傾げると。
「……ひっく」
修一が小さくしゃっくりをした。
ノーラが「やっぱり」、と呟きながらクリスライトに水を貰ってくるように頼むのと、
――――バタンッ
という音を立てて修一がテーブルに突っ伏すのは同時であった。
「おや?」
「……えっ?」
ウールとメイビーがそれとなく修一の肩を揺すってみたが、全く反応がない。
二人は顔を見合わせて、それから修一の上体を起こした。
「……」
顔が真っ赤になっている。
首はフラフラしていて、瞼が半分閉じかけて黒い瞳が涙で潤んでいた。
口元はだらしなく緩んで何やら意味不明な事を呟いているし、上体は、メイビーたちが手を離せば再びテーブルに突っ伏してしまうだろう。
誰がどう見ても、酔っ払っていた。
「えと……、シューイチー、だいじょーぶー?」
「……」
「シューイチー?」
「……うはは」
修一はそのまま目を閉じると、すうすうと寝息を立て始めた。
もう、何をやっても起きそうになかった。
修一は、致命的に酒に弱かったのである。
結局、最後に酒を注いだクリスが部屋に連れていく事になり、強靭身体強化神術を行使したうえで修一を背負って二階に上がっていった。
その間、調子に乗って酒を注いでいた二人は、ノーラから軽いお説教を受ける事となったのだった。
◇
修一が倒れてから更に一時間ほどが経った。
修一が倒れたところで宴には何の支障もないため、宴会そのものは滞りなく続いている。
変わった事と言えば、酒の飲み過ぎで酔い潰れる者がボチボチ現れ始めた事と、クリスとアルが自宅に帰らなければならない時間になった事くらいだ。
兄妹揃って名残惜しそうにしながらも、身支度をして帰路に就く事にする。
宿の外まで出ると二人並んで頭を下げた。
「それでは皆さん、ご馳走様でした」
「ごちそうさまでした、とっても美味しかったです」
それだけ言って立ち去ろうとしたクリスを、見送りに来ていたメイビーが呼び止めた。
「クリスライト君」
「……なんでしょうか」
メイビーは、見るからに悪そうな笑顔を浮かべている。
メイビーも、かなり酒が回っているようだ。
「何か僕に、言いたいことはないのかな?」
「――ありませんよ」
「本当に?」
「……」
クリスは静かに押し黙る。
グッと視線を下げて、目の前の女性と目を合わせないようにした。
それを見てメイビーが、仕方ないなあ、とばかりに一歩歩み寄った。
「ほんとーに?」
「うっ……」
下から覗き込まれて、みるみる顔を赤らめていく。
メイビーとしても、これほど分かりやすく反応してくれれば、遣り甲斐があるというものだ。
「そういえばさ、クリスライト君には危ないところを助けて貰ってたんだっけ」
「……?」
「お礼がまだだったね」と告げたメイビーは、クリスの両頬に手を当てると、――その額にチュッと口付けた。
クリスはサッと顔を真っ赤にし、見ていたアルが驚きをあらわにする。
「なっ!? メ、メイビーさん!?」
「えへへー」
メイビーも若干照れた様子であったが、それでもイタズラに成功した悪ガキのように、屈託なく笑ってみせた。
そんな笑顔を見せられると、クリスはもう何も言えなかった。
「ま、そうだね、君がもっともっと強くなって、誰もが認めるくらいに男らしくなって、もうちょっとだけ、カッコ良い事が言えるようになって――」
「……はい」
「そうなってくれたら、僕としても、嬉しい、かな?」
「……それは」
「うん?」
「――シューイチよりも、ですか?」
「……うん、そうだね、シューイチよりも」
「分かりました」
メイビーの言葉に真剣な表情で頷き、それからもう一度だけ深く頭を下げると、いまだに驚きから立ち直っていないアルの手を引いて、クリスはファステムの夜道に溶け込んでいった。
彼らには、帰る家と、帰りを待つ両親がいるのだ。
それを思うと、メイビーだって少しだけセンチメンタルな気分になった。
「あーあ……」
ほんの少しの寂寥感は、酒の力を借りて紛らわしてしまおう。
宿の中に戻り、フラフラしながらお酒を飲んでいるヘレンに近付きながら、メイビーはそう考えたのだった。
◇
「シューイチさん、入りますよ」
コンコン、とノックをするが、中からの返事はない。
酔い潰れて寝てしまっているのだからそれも当然なのだが、万が一起きていて着替えでもしていたら大変な事になりそうなので、ノーラは一応ノックした。
そっとドアを開けて、室内を覗き込む。
明かりは消えていて、ベッドの上の修一は微動だにしない。
まだ、しばらくは目覚めないだろう。
「お水を持ってきましたけど、まだ必要ないでしょうか」
そう言いながらも、室内に足を踏み入れてベッドに近付く。
窓から入り込む町明かりと、僅かに開けたままになっているドアの隙間から伸びてくる廊下の明かりが、室内を薄ぼんやりと照らしている。
手元や足元がなんとか見えるくらいの明るさだ。
アルコールの影響で少しだけ足がふらつくのもあって、慎重な足取りでベッドまで近付くと、近くのテーブルに水の入ったカップを置いた。
初めてお酒を飲んだというならきっと目が覚めたときにのどが渇くだろう、と思い持ってきたのだが、少し早かったか。
「それにしても」
ノーラは、ベッドで眠る修一に視線を向ける。
仰向けに寝かされた修一は、身じろぎ一つせずに寝息を立てていて、酒のせいで少し赤らんだ顔は安らかな寝顔を晒していた。
何度か修一の寝顔は見た事があるが、いつ見てもそうだ。
普段はもう少し大人びた印象の顔付きを見せてくれるわけだが、この時ばかりは、年相応の少年の顔付きになるのである。
そのギャップが、なんというか、こう。
「……可愛らしいですね」
ノーラは、私も結構酔っていますね、と自覚しつつ、そう呟いた。
それから、折角だからもう少し近くで見てみよう、と思い、ゆっくりと顔を近付ける。
まず目につくのは真っ黒い髪だ。
短く切り揃えてあったのが少しだけ伸びたような長さで、男っぽいというよりは少年らしい髪型であるといえた。
そっと髪を摘まんでみる。
思ったよりも太く、固い髪であったが、髪の手触り自体はさらさらとしていた。
毛並みの良い、犬の毛みたいだった。
「……」
ノーラはしばらくの間、無心で修一の髪を弄ったり、頭を撫でてみたりしていた。
普段の自分が見れば、慌てて止めていた事であろう。
相当頭に酒が回っているようだ。
「――ううん」
「あっ」
ずっと撫でていると、修一が僅かにうめき声をあげた。
起こしてしまったかと思い慌てて手を離すが、修一は再び静かな寝息を立てる。
どうやら寝言のようなものだったらしい。
ノーラもホッと安心する。
――って、どうして私は今、安心したのでしょうか?
それは勿論、男が寝ている部屋にこっそり入って寝顔を至近距離から眺めながら、髪の毛を触ったり頭を撫でたりしているところを他でもない修一に知られたくない、という気持ちがあるからなのだが、酔った頭ではそこまで理解出来ていない。
出来ていないため、まあいいか、と再び修一の寝顔を眺め始めてしまった。
次に目につくのは、額の古傷だ。
「……結構、古い傷ですよね?」
ノーラはちょっとだけドキドキしながら、額の傷に触れてみた。
右手の人差し指で、そおっとなぞってみる。
傷は、額の中心近くを始点にし、左の眉尻を掠めるようにして伸びたあと、左目の横くらいで終わっている。
長さにして五センチメートル以上はある。
刃物で切られたか、もしくは鋭利な物で引っ掛かれたような、そんな細長い傷だ。
傷の古さを見るに、これは。
「五年、いや、……十年はいってないでしょうか? それくらい前の傷に見えます」
五年前なら修一が十三歳、十年前なら八歳だ。
こんな傷を作るような歳でもないと思うが――。
「そういえば、タツキだって七歳でしたね」
修一の性格が今と同じであるとすれば、無茶したりもしていそうであった。
「まったく、仕方のない人ですね」
そう言いながらもノーラは、愛おしげな手付きでもって修一の傷を撫で続けた。
まるで熱に浮かされたように潤んだ瞳を向けながら。
「シューイチさん……」
やはり返事はない。
それでも、ノーラにとっては構わなかった。
今はただ、この人に触れていたかった。
「……」
「……」
どれほどの時間そうしていただろうか。
そろそろ下に戻らなくてはと思い始めたノーラが、最後にもう一度きちんと寝顔を見ておこうと顔を近付けた。
その時。
「う、……ん?」
「! ……あ、えっと、目が、覚め、ました、……か?」
修一が、少しだけ目を開けてしまった。
ノーラは、しどろもどろになりながらも何とかそう言った。
お互いの顔の距離は、十センチメートルもなかった。
流石にこれは不味いのではないだろうか、とノーラは内心で冷や汗をかくが、修一は――。
「――ん」
目の前にあったノーラの頭を、そのまま両腕で抱き締めてしまった。
「――――えっ??」
ノーラには、何が起きたか分からなかった。
ファステムの夜の喧騒に紛れ、
物音一つ立たない静かな部屋の中で、
修一とノーラは――、
ベッドの上で二人、お互いの鼓動だけを聞く事となったのだった。
※ もう一話あります。




