第6章 22
皆さん、黙祷は捧げましたか?
――私たちは、今日という日を決して忘れてはならない。
◇
「なんか、ここまでされると逆に申し訳ないな」
「いいんだよ。若者は遠慮せず素直に奢られとけ」
「んー……」
修一は、自分に次々と掛けられていく多量の強化呪文に、ただただ恐縮する。
そんな繊細な心配りが出来るとはびっくり仰天だ、とばかりにメイビーがニヤニヤ笑っているのが腹立たしいと言えば腹立たしいが、まあ、そんな事も気にならないくらいに、力が溢れてくる。
メイビーからは風追加速魔術、一組目の呪術師の兄さんからは加速呪術、二組目の魔術師の女の子からは一時的に筋力を増強させる火纏剛力魔術、そして、クリス、町の神官の男性、二組目の神官の少女からは、各種身体強化神術と防護神術、そして武器聖化神術を掛けてもらった。
ぶっちゃけ、やり過ぎ感はある。
ある、が、ここの化け物を放っておくと色々と町に迷惑が掛かり続けるので、修一は、情け容赦なくあの骸骨を叩き潰すことにする。
自分本来の実力がどこまで通用するか試してみたいという気持ちも、ないではないが、それよりも、師匠に負けた事で溜まった憂さを、この場で晴らさせてもらおう。
――ちょうど良いや、俺の憂さ晴らしに付き合えよ、骸骨。
それを口にするのは憚られたので内心でそう呟くが、これをメイビーが聞いていれば、「やっぱり悔しかったんだ、僕の気持ちが少しは分かったかな? んん~?」と言ってくる事請け合いであった。
「“――、セイクリッドウエポン”! ……終わったよ、シューイチ」
「お、サンキュー、クリス」
修一は両手をニギニギさせながら「これで負けるとか、ないな」と呟く。
そして、腰の騎士剣を確認すると、グッと立ち上がる。
悠々とした足取りで船長室の前に立ち、それから期待感を隠し切れないような声音で吼える。
早く、この溢れんばかりの力を、あの骸骨に叩き込んでやりたかった。
「さあ、それじゃあ、最終決戦と行こうか!」
そうして室内に踏み込もうとした時。
「……ねえ、シューイチ」
「っと、どうした?」
なにやら神妙な顔付きで、クリスがこちらを見上げていた。
その表情を見た修一は、しっかりと身体ごと向き合って、クリスの言葉を待つ。
クリスが、ほんの数秒逡巡した後、はっきりと告げた。
「ぼ、僕に勝っておいて、あんな化け物に負けるなよ」
「! ……おう、任せとけ」
「絶対だぞ!」
「ああ」
それだけ言って、クリスはプイとソッポを向いた。
その様子に修一は、楽しげな笑みを浮かべながら振り返り、船長室に進入する。
骸骨が、再び存在感を高め実体化するのを待つ間、修一はクリスに向かって声だけでもって、礼を言う。
「心配すんな! 今のお前の言葉で俺の負けは無くなった! それだけで、お前がここに来た意味はある!」
「!」
「あんがとよ!!」
それは、少し前まで町の神官の男性(おそらくクリスの先輩に当たる人物のようだ)に、何故お前までここに来たんだ、と怒られていたクリスを慮っての言葉であった。
それに気付いたクリスが、ハッと顔を修一に向ける。
修一の気迫に満ちたその背中は、とても格好良かった。
少なくともクリスはそう思う。
だからクリスは、その背中に全力のエールを送る事にした。
もはや、気に喰わない男である事など、クリスにはどうでも良かった。
ただ、勝って欲しかった。
「勝てよ!! シューイチ!!」
「!」
船長フォスダイクの実体化とともに、修一は駆けた。
それを迎え撃つように、船長が呪剣を振るう。
修一が、奥義でもって鈎針を躱した!
「陽炎っ!」
「――――」
修一の姿が掻き消え、一瞬で船長の左後方まで移動する。
鈎針は誰もいない床を抉って消滅した。
修一自身驚くべき事に、普段の陽炎の倍近い距離を移動している。
あらゆる強化呪文を重ね掛けしたおかげであった。
船長が反応するより早く、修一は腰の剣を抜いた。
「涅槃寂静剣っ!!」
「――ギャガアッ!?」
一切、誰の目にも映らないほどの速度で振り抜き、そして鞘に騎士剣を収める。
骸骨が、苦悶に満ちた声をあげ、船長室の窓枠に向かって吹き飛ばされた。
左腕が、上腕骨の位置で斬り飛ばされて別方向に吹き飛び、壁に当たった左腕はその衝撃によってバラバラに散り、一緒に斬り飛ばされたコートの袖が音もなく消失する。
まさしく、圧倒的であった。
「う、お、おおぉぉおああああっ!!」
「――――!!」
そのまま吼え猛り、船長に突進する。
腰の剣を引き抜きながら修一は、思う。
――いつまでも、未練たらたらしてんじゃあ、
「ねえぞっ!!」
「――ギャァアッ!!」
いまだ妄執と怨念によって突き動かされる亡霊に、修一は限りない怒りを篭めながら騎士剣を突き込む。
叩き込まれた一撃は、船長の肋骨を数本、悠々と突き砕く。
「おおおっ!?」
「行けー! シューイチー!」
扉の陰から顔を覗かせて修一の戦いを見ている魔術師の女の子とメイビーが、揃って歓声をあげた。
◇
「っ!? なっ! タツキ!!」
人攫いの前に立ち塞がり、通せんぼするかのように両手を広げている黒髪の少年に対して、カブが叫ぶ。
少年はしかし臆する事なく、もう一度大きな声で人攫いに告げる。
絶対に、譲らないとばかりに。
「アルちゃんを放してください! じゃないと僕だって怒りますよ!」
「この、ガキが」
人攫いは、元々真っ赤だった目を更に血走らせて、目の前の少年を睨み付けた。
「どけ!」
「イヤです!」
タツキの言葉はどんどんと人攫いの神経を逆撫でするらしく、男の唇が痙攣したみたいにプルプルと震えていた。
このままでは本当に危ないと感じたテリムは、頭の中が真っ白になって固まってしまっているカブの脇腹を強めに小突いた。
ぐえっ、と苦しそうな声を出したカブに、急いで耳打ちする。
「(カブ、何が起きても駆け込めるように出来るだけ近付きますよ! 幸い、人攫いは今、タツキに集中していてこちらを見ていません!)」
「(お、おう、分かった!)」
「(急いで!)」
人ごみの間を、目立たないようにしながら移動し、人攫いの背後に回り込む。
タツキと人攫いは更にヒートアップしており、もう一刻の猶予も残されていない。
「このおバカさん! こんな事して逃げ切れると思うんですか!」
「やかましい! いい加減にどかないとお前から刺すぞ!」
「どきません!」
「このおっ!」
人攫いが、ブンッ、とナイフを一薙ぎする。
タツキの目の前で鈍い銀線が走るが、それでもタツキは怯まない。
尚も怒ったように口を開く。
「僕だって男です! 大切な人を守るために戦います! アナタみたいに逃げたりしません!」
「! テメエ……」
その一言は、人攫いの僅かに残っていた自尊心をいたく傷付けたらしい。
人攫いの目がスッと据わり、ナイフを引いて腰溜めになった。
そして抱えられたままのアルが、その雰囲気の変化に気付き、泣きそうな声で言うのだ。
「もう、やめてよぉ……」
それがどちらに対しての言葉であったかは分からない。
ただ、そんな言葉で止まるタイミングはとうに過ぎ去っていて、故にその言葉に意味はない。
人攫いが目の前の子どもに容赦のない一撃を繰り出さんと踏み込み、それに対してタツキは、素早くポケットに手を入れると何かを握って取り出した。
そしてナイフが繰り出されるまさにその時、タツキは握ったそれを、――昨日拾っていた木の実を、人攫いの顔目掛けて投げ付けた。
「っ、うおっ!」
十個ほどまとめて、狙いも付けずに放ったその内の一つが、人攫いの目に当たる。
思わぬ反撃を受け、目を瞑って狼狽える人攫いに、タツキは。
「やあっ!」
アルを抱えている左腕に体ごと飛び付き、親指の根元辺りに、思いっ切り噛み付いた。
と、同時に。
――――ポキッ
「ぎゃああっ!?」
人攫いの左手小指をグッと握り、手の甲側に曲げたうえで真横に捻って、――へし折った。
人攫いは叫び、痛みのあまり拘束が緩む。
自重によってアルが人攫いの足下に落下し、
「があああっ!」
「うわわっ!?」
怒りに任せて人攫いが左腕を振り、タツキは二メートルほど吹き飛ばされた。
地面に落下して「むぎゃっ!」と声をあげたタツキに、ようやく目を開けた人攫いが憎しみの篭った視線をぶつける。
「死ねええぇぇえええ!!」
「っ!」
遮二無二、倒れ込んだタツキに駆け寄る人攫いが、振り上げたナイフを、――振り下ろした!
ドスリ、とナイフが肉に突き刺さり、パッと赤い血が吹き出す。
ナイフは、深々とその身を貫いた。
タツキは、呆然としたような顔で、それを、
「――痛ってえだろ、クソ野郎」
「なっ……!?」
――左腿にナイフを受けたカブを、見上げた。
間一髪、二人の間に足を差し込んだカブは。
「うらあっ!!」
「ぶあっ!?」
人攫いの顔面に、力いっぱい握り締めた拳を打ち込む。
カブの渾身の一撃を鼻っ面に受け、人攫いは鼻血を噴き出しながら大きく吹き飛んだ。
それとともにナイフが引っこ抜け、太腿から更に血が噴き出すが、構わずカブが吼える。
「捕まえろおおおお!」
「!」
その言葉を聞いて、人ごみの中から何人かが飛び出し、顔を押さえながら立ち上がろうとしていた人攫いを取り囲む。
そしてそのまま複数人で取り押さえ、最後の人攫いはお縄についた。
「カブ、大丈夫ですか!?」
「おお、なんとか、……無茶苦茶痛いけどな」
「……無茶、し過ぎ」
アルの確保に向かったテリムと、距離があったせいで動こうにも動けなかったヘレンが、慌てて駆け寄ってくる。
カブの左大腿部からは、いまも止め処なく血が溢れ出ている。
大きな血管を傷付けていないためか出血の勢いは比較的穏やかだが、それでも放っておけるようなケガでもない
正直、見ているだけで痛々しい。
流石に立っていられないらしくその場に座り込むカブであったが、すぐ隣で不安そうな顔をしているタツキには、頑張って笑顔をみせてやった。
「すまんかった、タツキ、ケガはないか?」
「!」
「アルちゃんもだ、守ってやれなくてすまない」
「そんな……」
二人揃って泣き出しそうな顔になるのを見て、やっぱり俺のせいだよな、とカブは思う。
俺がもっと気を配っていれば、そもそもアルが人質に取られる事などなかったのだ、とも。
レイを連れて駆け寄ってくるノーラの姿を見ながら、カブは苦い思いを飲み込んだ。
ここでそんな顔をすれば、余計に不安にさせてしまう。
「一先ず、応急処置をしますよ」
「はい」
「…………えい」
ノーラがカバンの中から薬品やら包帯やらを取り出し、ノーラに抱き付いていたレイはピョンと飛び降りて二人の友達に寄っていった。
何事か、話し掛けている。
ナイフは結構深いところまで刺さっていたようだが、幸いにして太い血管や大事な神経には当たっていなかったようだ。
ノーラは、なかなか大胆な手付きで消毒薬だの回復薬(錬金術師とかが作るアレ)だのを傷口に振り掛け、ガーゼで覆った後に包帯を巻いていく。
沁みるのか、時折悲鳴じみた声を上げるカブではあるが、弱音は吐かなかった。
自分のせいで子どもたちを危険に晒したという負い目があったのだ。
タツキが、真剣な表情でジッとこちらの顔を見ているというのも、そうさせた原因の一つである。
カブは、気を紛らわせようと、タツキに話し掛けた。
「タツキ」
「はい」
「なかなか、格好良かったじゃないか」
「……え?」
カブは若干青褪めたような顔で笑う。少しばかり血が足りてない。
「僕だって男です、大切な人を守るために戦います、って、……立派なもんだ。咄嗟に動けなかった俺とは大違いだよ。その歳でそこまで言えるなら、お前は将来大物になるよ」
「あれは……、お父さんが、船に乗る前にクリスお兄さんに言っていたのをマネしただけです」
「それでも、だ。あれだけはっきり言えるなら、上等だよ」
「……僕は」
タツキは、震えながらカブの手をギュッと握った。
カブは何事かと驚くが、タツキのくりくりとした黒い瞳は、熱に浮かされたようにキラキラと輝いていた。
感動のあまり震えていたのだ。この少年は。
「僕は、カブさんもカッコ良かったと思います!!」
「そ、そうか?」
「はい!!」
興奮したような表情を浮かべてズイっと顔を寄せるタツキに、カブが困ったような表情を浮かべる。
それからタツキはパッと振り返り、テリムとヘレンに笑顔を向けた。
「テリムさんも、ヘレンさんも、勿論カッコ良かったですよ!」
「そうですか」
「あ、ありがとう」
「アクシュしましょ!」
二人に向けて手を伸ばすタツキ。
テリムとヘレンは少々戸惑ったようにしていたが、やがてそれに応じた。
タツキが嬉しそうに笑みを深める。
釣られて、二人も笑顔を浮かべた。
と。
「……タツキ君」
「あ、アルちゃん!」
レイと何事かを話していたアルが、おずおずとタツキの名前を呼び、タツキは嬉しそうに少女の名を呼ぶ。
アルは、恥ずかしそうにモジモジしながら、お礼を述べた。可哀想なくらい顔が真っ赤になっていた。
「あの、ありがとうね、わたしのために、あんな……」
「いえいえ、僕だって鍛えてますから! へっちゃらです!」
タツキが師匠の真似をしてそう答える。
アルは、より一層顔を赤らめながら。
「そ、その、わたしも、タツキ君がカッコ良かったって思うな」
「! ホントですか!」
「うん」
カブが後ろから「良かったな、タツキ」とからかうように声を掛けると、タツキも「えへへ~」照れたように笑う。
アルは――。
「……えいっ」
「――へっ?」
……そのまま、タツキをギュッと抱きしめた。
「…………」
「――――」
そのまま数秒、二人は動きを止める。
見ていた者たちもこれには唖然とした。
レイだけは、「よくやった!」とでも言いたげな顔付きで二人を見つめていた。
やがて、これ以上は赤くならないというくらいまで顔を赤く染めたアルが、タツキを解放すると、フラフラとレイの方に近寄っていく。
「ほ、本当にこれでいいの!?」とか、「…………だいじょうぶ」とかいう言葉は聞こえてくるが、タツキは、
「――――」
目を見開いたまま、固まってしまっていた。
あまりに動かないものだから、カブが心配になって「タツキ?」と呼ぶと、タツキはハッとしたように頭をブンブン振って、それからカブに向き直った。
「カブさんカブさん」
「何だ?」
タツキは、真剣そのものといった表情で質問する。
「今のは、ゴーイにイタったという事でしょうか?」
「……」
カブは、「なんでそんな言葉知ってんだよ」とか、「ひょっとしてウールあたりが教えたんじゃないだろうな」とか色々思ったが、取り合えず。
「イタいっ!?」
「十年早いっつーの」
タツキのおでこにデコピンをお見舞いしてやった。
◇
船内での戦闘は、開始から一分も経たずに終局が近付いていた。
もはや、勝負にすらなっていない。
あらゆる支援を受けた修一の戦闘能力は、まさに圧巻の一言に尽きた。
「しゃああっ!!」
「――――!」
今も、騎士剣と呪剣が打ち合わされたが、弾かれたのは当たり前のように呪剣の方だ。
骸骨の身体が大きく泳ぎ、そこに返す刀で二撃目を繰り出す修一。
金属質な音が鳴り響き、骸骨の鎖骨が真っ二つに折れる。
そこに前蹴りまで叩き込んで船長の体を吹き飛ばすと、それを追うようにして駆けていく。
「ギャアアーッス!!」
鬼気迫る表情を浮かべて駆け寄ってくる修一に対して、船長フォスダイクは狂ったように叫びながら呪剣をやたらめったら振り回した。
不可視の鈎針が、十数本乱舞する。
常人なら、一撃喰らっただけで昏倒するであろうそれを、しかし修一は軽々と潜り抜けていく。
「霊装填!」
鈎針が見えにくくなり霊力が霧散した事を理解した修一は、再度両目に霊力を纏わせながら踏み込み、船長が横薙ぎに振るった剣を屈んで躱しつつ、斜め下から斬り上げるように剣を振った。
光芒が一筋煌く。
武器聖化神術によって青い輝きを纏った騎士剣が、船長の脊椎を断ち切らんとして噛み付いた。
――やっぱここは硬えな!
末梢部や肋骨などは別として、脊椎や頭蓋骨などは砕かれれば大きなダメージを受けるのだろう。
一刀両断、とまではいかないようだ。
だが、それでも斬れない事はない。
二度、三度と斬り付ければ、限界が来るだろう。
しかし、それよりも。
「しゃっ!!」
「――ギャッ!!」
呪剣を持っている右腕を斬り落とした方が、早い。
「はああああああああっ!!」
船長の右腕、肩口から先を狙って、息もつかせぬ勢いで剣を振る。
並々ならぬその勢いに、船長は防戦一方となった。
今の修一なら、双剣術士たるデザイアと打ち合ったとしても手数で押す事が出来るだろう。
それほどの剣戟の嵐を、片腕を失っている船長が凌ぎ切れるハズもなく。
「うらあっ!」
「――――!?」
生じた隙を付くようにして、右腕の前腕骨を一本叩き割った。
「凄い凄い!」
「もう少しで右腕も斬り落とせるよ!」
扉の陰から戦闘状況を見ている二人が、奥にいる他の面々に興奮した様子で状況を告げる。
そんなに身を乗り出していると巻き添えを喰らうぞ、と鎧姿の男が一度窘めたのだが、今のところこちらには一切の余波が飛んできていないため、二人は気にせず身を乗り出す。
修一の戦い方というか、攻撃の誘導が巧みであり、扉側に向けて鈎針が飛ばないように注意して戦っているからこそなのだが、メイビーは兎も角、魔術師の女の子は気付いていなかった。
まあ、奥で解呪を行っている神官の女性が、修一が船長を追い詰めているという事実を聞いてテンションを上げているため、鎧姿の男はメイビーたちを無理矢理引き戻す事はしない。
このまま報告を続けてもらえれば神官の女性のやる気を維持出来るだろうし、あれだけ気合が入っていればまず間違いなく解呪には成功するだろう。
それと、パーティーメンバーである斥候兼軽戦士の男と双剣術士の女性も同様にテンションが上がっているのだが、こちらはどちらかと言えば、修一と戦ってみたいとか思っていそうだったので、鎧姿の男は後できっちり釘を刺しておく事にした。
「しかし」
――あの坊主、本当に強いな。
大量の強化呪文を掛けられている事を抜きにしても、だ。
はっきりと年齢は聞いていないが、それでもまだ二十歳にもなっていないはずだ。
それであれほどの強さを身に付けているというのだから、末恐ろしいと言う他ない。
今も、観戦している二人から「右膝を砕いた!」「これで機動力半減だー!」などという言葉が届き、着実に仕留めに掛かっているのだという事が分かる。
もう何秒もしない内に決着が訪れる。
それは、間違いないだろう。
そうして、鎧姿の男は、安心してしまった。
「頑張ってー!」
「行け行けー!!」
観戦する二人も決着の瞬間をしっかり見ようとしているのか、更に身を乗り出して声を上げる。
もう、隠れるつもりもないような位置だ。
最初に修一が、仁王立ちしていたのと変わらない位置だ。
それは。
仮に、船長がそちらを攻撃しようと思えば。
簡単に鈎針を投げ込める位置なのだ。
「――――」
それを、人々を傷付ける為だけに三百年間彷徨い続けた亡霊、ウェイトノットスライス号の船長フォスダイクが、見逃すのか?
例え生前のような思考力を持たずとも、本能にまで刷り込まれた殺傷衝動を持つ化け物が。
死して尚、自分たちを見捨てて火を放った人間たちに復讐する事を誓っていた、この骸骨が。
……見逃すはずは、勿論無かった。
「だあっ!」
修一の騎士剣が振り下ろされ、船長の頭蓋骨に突き刺さる。
頭頂部から左側頭部にかけてざっくりとひび割れ、左の眼窩にまで到達した。
ここまでくれば、もう一踏ん張りだ。
あと一手か二手で、コイツは終わりだ。
今、トドメを刺してやるよ。
修一の、そうした考えを理解しているかのように、骸骨は最後の悪あがきに出た。
「――キエエェェァアアアアアッ!!」
「つっ!?」
――うるっせえ!!
突然、骸骨が奇声を発した。
ガラスを金属の爪で引っ掻いたような強烈な不快音を間近で浴びた修一は、思わず耳を押さえて跳び退がる。
次か、その次の一撃でトドメを刺そうとして近寄っていたのも不味かった。
咽喉すら無いはずの骸骨でありながら、下顎骨が外れんばかりに口を開き、船室を満たすほどの大音量を響かせてくれた。
耳が痛い。
眩暈がして、足がもつれる。
手足が痺れて、上手く力が入らない。
明らかに、唯の奇声ではない。
これは、『歌術』と呼ばれる声に特殊効果を乗せる技術だ。
今の骸骨が使ったのは、その中の騒音歌術という名の呪歌であった。
歌という言葉で一括りにするのは些か乱暴ではあるが、それは確かに歌なのだ。
生前の彼らが得意としていた、歌による味方の鼓舞と敵への威圧。
この地方では珍しくとも、大陸西部地方では古くから伝わる戦闘技術の一つである。
「アアァァアアアァァァアアアア――」
とんでもなく耳障りな音が、歌声が、終わる。
修一は、骸骨を激しく睨み付けた。
何故今になってこんな技を使ったのか、それは分からないが、少なくとも修一の次の一手は封じられた。
一手分、骸骨は生き永らえる事になる。
しかし、向こうも同じようにフラフラしている。
当然だ。
左腕も、右足も砕いてやった。
脊椎だって何か所か斬り込みを入れたし、鎖骨や肋骨などバラバラに砕けている。
頭蓋骨も、左側頭部周辺に大きなヒビを入れてあるのだ。
すでに満身創痍もいいところである。
そんな状態であるというのに、なんという執念深さだ。鬱陶しい。
「くっそ……!」
まあ、幸いにも防護神術によって効きは浅い。
次が駄目なら、その次だ。
まだまだ支援呪文の効果は続いている。
一手二手遅れたところで、変わりはない。
そう考えた修一の目の前で、船長が剣を振り上げた。
鈎針を警戒しようとしたところで、刃の向きがおかしい事に気付く。
そっちは――。
「!!」
バッと振り向いた先では、魔術師の女の子とメイビーが、腰を抜かしたように尻餅を付いていた。
先程の呪歌が、扉の向こうからこちらを見ていた二人にまで効果を及ぼしたのだ。
しかもあの二人は、防護神術を施されていなかった。
修一よりも、受けたダメージは大きいという事になる。
そんな二人に向かって骸骨は、剣を。
「! させるかあああ!!」
「ギャギャギャッ!!」
歪む視界を無理矢理踏み抜けて修一が踏み込み、銀線を迸らせる。
ダン、と叩き付け、右腕を斬り飛ばすが、骸骨はすでに呪剣を放り投げていた。
鈎針よりも尚危険な剣本体が、円を描きながら二人に接近する。
一瞬早く回復したメイビーはなんとか躱そうとして、隣で顔を青褪めさせて動けなくなっている魔術師の女の子に気付く。
当たっちゃう。
と、感じた時には、すでに覆い被さるようにして女の子を押し倒していた。
女の子が泣きそうな顔でメイビーを見上げる。
メイビーの顔も泣きそうになっていた。
避け切れないと悟った修一が氷の壁を出して防御しようとするが。
「――シャーーッ!」
「!?」
骸骨が、口から毒雲呪術を噴き出してくる。
修一は咄嗟に躱したか、集中が途切れてしまった。
奥義を使うには体力が、チカラを使うには精神力が必要なのだ。
集中を乱したままでは、発動出来ない。
――しまっ、
「うおおぉぉぉおおおお!?」
「っ!」
修一の絶叫が、船長室に木霊した。
◇
「さて、ウールよ」
「今度はなんだい?」
「港に戻るぞ」
「え? ……あっ、太陽が」
「霧が晴れた。もう、幽霊船は現れない」
「という事は、……やっつけたって事かい? あのデカいのを」
「そうだな」
「はあー……、そうかい、そりゃあ良かったよ」
「ああ」
「誰が仕留めたんだろうね?」
「さあな、――それよりも」
「ん?」
「皆、無事なら良いが」
「……そうだねえ、それなら、港に戻る前にあの大きいのにも寄ってみないかい? あたしも、やっぱり気になるし」
「まあ、構わないか」
「やった、それじゃあ行こうか、って、ちょっとちょっと!」
「どうした?」
「また、来た時みたいな格好で、あたしを担ぐつもりかい?」
「嫌か?」
「嫌だよ、あんな格好。少なくともあたしはね」
「――ふむ」
「もうちょっと、なんかあるだろう? 見栄えのいい運び方が」
「……そうだな、では」
「へ? うわっ!?」
「こうしようか」
――こ、これって!
「言っておくが、実際に一国の姫君を運ぶ時にこれは使えんぞ」
「! わ、分かってるよ、そんな事!」
「長い距離を運ぶには筋力も必要だ」
「そ、そうかい」
「カブにやってもらいたいなら練習させておけ」
「へっ? ……ちょっ!?」
「行くぞ」
「うわわ、――!」
◇
あっ。
と思った時には、もう体が動いていた。
耳が痛むほどの不快音と、それを受けて尻餅を付いた二人。
何が起きたのかは分からなかったが、金髪の少女がローブ姿の女の子を押し倒した瞬間、何も考えずにそこに飛び込んだ。
二人の前に躍り出る。
目に写るのは、回転しながら飛んでくる禍々しい剣だ。
これはダメだ、とすぐに分かる。
こんなもの、受け止められるはずがない。
せめて、後ろの二人の盾くらいにはなれるだろうか。
そうするくらいしか、自分に出来る事はない。
そう思い、覚悟を決めようとした。
そこに。
「うおおぉぉぉおおおお!?」
「っ!」
修一の絶叫が木霊した。
ハッと修一の顔を見る。
目が、合った。
頼む、と言われた気がした。
言うまでもなく、気がしただけだ。
実際にそんな事を言う時間など、ない。
それでも、それでもだ。
確かにそう言われた気がしたのだ。
こんな僕でも、ここにいる意味があるとすれば。
まさしくこの瞬間の為なんだと。
確かに、そう思えた。
「――!」
時間が奇妙に引き伸ばされる感覚。
全ての物の動きが等しく緩やかになり、自分だけがその中で自由に動ける感覚。
武術家として一つ高い次元にいる人間たちが言う眉唾ものの話だ。
それが実感として理解出来た。
両の掌を開く。
目の前で、祈るように打ち合わせる。
それだけで良かった。
向こうから飛び込んでくるそれを、
――神威拳打神術を纏わせた両手で挟み込むだけで。
――――バシィィン!
「!」
その途端、周囲の時間が元に戻る。
両手の間には、鈍い輝きを放つ黒紫色の刃が収まっていた。
真剣白羽取り。
その名前は知らずとも、彼が為したのはまさしくそれであった。
彼は、あらんかぎりの声で、叫んだ。
「やれ! シューイチ!!」
「さすがだ、――」
その動きを余さず見ていた修一は、体を沈めながら高速で回転する。
騎士剣に遠心力を乗せ、両手も、奥の手も失った骸骨を、
「――クリスっ!!」
腰の位置で、真っ二つに断ち切る。
上半身が宙を舞い、そこに合わせるように振り抜かれた剣閃が、
「破断鎚ぃぃいいい!」
「――――」
妄執に彩られた暗い紫色の焔ごと、頭蓋骨を打ち砕いて床に撒き散らした。
「俺の!!」
修一が、叫ぶ。
「勝ちだああぁぁあああ!!」
それは、綯い交ぜになったあらゆる感情を篭めた、魂からの咆哮であった。
※ 八月十一日に次話を投稿、……したいです。




