第6章 19
もうすぐ第6章も終わりになります。
残念ながら、また月末までに終わりませんでした。
◇
「さてと、まずは先に行った冒険者たちに追い付こうかね」
「そうだねー、入り口はあっちかな?」
幽霊船の甲板に乗り込むと、すでに冒険者たちに姿は見えなかった。
足元には砕け散った骨が散乱しており、ここでスケルトンなどのアンデッドたちと戦闘を行ったのだと分かる。
冒険者の血と思わしきものは落ちていないため、ここでは冒険者たちが優勢に戦ったのだろう。
少し先では、打ち壊された扉が見えた。
おそらく、おそこから船内に乗り込んでいったのだ。
「ね、ねえ」
「あん?」
クリスが修一の肩を叩く。微妙に顔色が優れないのは、気のせいではないだろう。
「どうしたの?」
「あ、その、メイビーさんは魔術が使えるんですよね?」
「うん、使えるよ」
「じゃあ、――シューイチは?」
「俺? 勿論使えねえよ。というか、魔力というものがそもそも理解できない」
「……言っちゃ悪いけど、それでどうやって亡霊と戦うつもりなの? その剣も良いモノみたいだけど、魔化武器とかじゃないんなら、霊体には効かないよ?」
「ああ、それなら、――こうする」
修一はすうっと騎士剣を引き抜くとその刃を撫でるように左手を這わせた。
「奥義ノ四、霊装填」
「……!」
刃の上を左手が這うと、それに合わせて仄かに青白く光り出す。
その光は、クリスたちが神術を使う際に漏れ出す光とよく似ていた。
「あ、それって、師匠さんと戦ってたときにやってたやつじゃない?」
「そうだよ、よく見てるな」
「まあねー」
クリスは、不思議なものを見るような目で騎士剣を見つめた。
「神術の光に似てるけど、……なにか、違う」
「ん、そうか?」
「うん」
修一はタイミングよく近寄ってきたゴーストを一息に斬り裂いてみせる。
奇怪な声をあげながら消滅するゴーストによってその威力を確かめるとともに、クリスの疑問に答えてやった。
「まあ、お前らの神術とやらが神様の力を借りるものなら、俺の霊装填は自分の霊力を篭めるものだからな。その辺が違うのかもな」
「霊力って何さ?」
「知らん」
「ええー?」
メイビーが興味深そうに尋ねるが、修一の返答は素っ気無い。
「四代目が生まれつき霊力の多い体質で、妖怪や亡霊を斬っているうちに編み出した奥義らしいけど、俺は霊力なんてほとんどないから、せいぜいが幽霊を切れるようになる程度だからな。
四代目は霊力を多く篭めることで威力を上げたりしてたみたいだけど、俺の場合は微々たるものだよ」
そうこう言っている間に、騎士剣を覆っていた青白い光は霧散してしまった。
「……持続時間も十秒程度だし、ないよりマシってくらいしか使えないな。
一応、霊体を視認出来る程度には霊力があるらしいけど、何度も使ってたら使えなくなるし」
「ふーん」
「だから、クリス」
「何?」
「武器聖化神術、だっけ? いざという時はそれを頼むぞ」
「……まさかとは思うけど、それを当てにして僕を連れてきたのかい?」
あれほど格好良い事を言っておいて本心はそれか、とクリスがジトッとした目を向けるが、修一はへらへらと笑ってみせた。
「まさか、んな事考えてる訳ないだろうが」
「……本当だろうね」
「ああ。……でも、いざという時は頼むぞ、割とマジで」
「……まあ、いいけど」
修一たちが甲板から船内へ入るための扉を潜ると、中はいよいよもっておどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。
ジメジメとした空気のカビ臭いような臭いが鼻に付く。
ぼんやりと灯されたランタンの灯りが、ところどころ穴の空いた廊下を照らしていた。
床には、壊れた楽器の他に無数の足跡が残されていて、先を行く冒険者たちがどこに向かって進んでいるのか一目で分かった。
それに続いて進んでいると、奥から数体のスケルトンと腐臭を撒き散らすゾンビが現れる。
流石に室内には、まだ多くのアンデッドが残っているらしかった。
「全部こんなんなら、いいんだけどなっ!」
修一が一気に駆け寄ると、スケルトンたちは緩慢な動きで修一を迎え撃とうとした。
しかし意思持たぬ存在の動作では、滑るように動く修一を捉える事は叶わない。
スケルトンの腕を潜り抜けながら、騎士剣の刃を返す。
――斬るよりも、叩き砕くようにしてっ!!
刃引きした側を叩き付けるようにしながら剣を振るい、軽々と骨を叩き割っていく。
痛みを感じない骨だけの化け物であっても、背骨や頭蓋骨などの元々重要な部位を叩き砕くと、バラバラと崩れ落ちていった。
「“ウインドカッター”!」
「はあっ!」
メイビーが呪文を唱え、クリスは握った拳を何もない空間に向けて放った。
修一のすぐ横でゾンビの身体が真っ二つに裂け、その後ろにいたゾンビたちが、見えないナニカに殴られたようにまとめて数体吹き飛んだ。
クリスが放ったであろうそれは神威気弾神術に似ているが、威力も範囲も一回り大きいように思えた。
何より当たった瞬間、ゾンビの身体に拳の跡のようなものが残り、それが明確に拳であると分かる。
「それ、俺を海まで吹き飛ばしたやつだよな」
「ああ、神威拳打神術だよ。僕はこれが一番得意なんだ」
「祈りの言葉も要らないくらいか?」
「そうさ」
クリスが自慢げに教えてくれる。
神術は魔術や呪術と違い、祈りの心さえきちんとしていれば詠唱は要らないらしい。
勿論、その境地に至るには長い年月と深い信仰心が必要らしいが。
「僕は、これだけは詠唱無しで発動できるんだ。他は、まだまだ精進しないといけないけどね」
「成程ね」
軽く雑談をしながらでも、修一たちは問題なく敵を薙ぎ払っていく。
しばらくすると、一旦打ち止めになったのか敵の攻勢が止んだ。
「今の内に、ばんばん先進もうぜ」
軋む廊下を踏み締めながら、三人は軽い足取りで奥へと進む。
先は、まだ長い。
◇
ブリジスタの海岸から南へ二キロメートルほど進んだところに、小さな島がある。
直径十メートルほどの丸い形をしたその島は、岩ばかりで草一つ生えておらず、海上にポツンと突き出した岩礁とでもいうべき場所であった。
師匠とウールは、先程この島にやって来た。海面を走って。
師匠が肩から降ろすと、ウールは泣きそうな顔で蹲ってプルプルと震えていた。
「し、死ぬかと思った……!」
「そうか」
ウールの泣き言に、師匠は感情の篭らない声で答える。
バッと身を起こしたウールが、師匠に詰め寄った。
「そうか、じゃないよ!」
「む」
「年頃の乙女をいきなり抱え上げるなんてあんまりだよ!
それに、せめてこんな事するんなら先に教えておくれよ!」
「そうだな、悪かった」
「ああ、もう!」
師匠に担がれたのがよほど怖かったのか、ウールは普段のようなふてぶてしさをかなぐり捨てて、師匠に吼え猛った。
途中で一度師匠の帽子が風で飛んでしまいそれを拾うために急制動からの方向転換をしたのも、尚の事ウールの恐怖心を煽ったようだ。
師匠と戦うなとは言われたが、戦わなくても恐ろしいじゃあないか!
と、ウールが内心で吐き捨てるように叫ぶが、師匠にはもちろん伝わらないし、師匠は眉一つ動かさずウールの言葉を聞いていた。
「大体、こんなところまで連れてきて一体何をする気なのさ!?」
「言っただろう? 幽霊船を討伐すると」
「言ったけど! 幽霊船なんか通り過ぎちゃったじゃないか!」
「直に来る」
「はあ!?」
と、そこで、ウールも周囲の変化に気付く。
この島に到着した時点では、まだ周囲は晴れていた。
しかし今は、港と同じように霧が出始めていた。
ほんの数分の間に、不自然なほどの早さで霧がどんどん濃くなっていく。
静かに海の向こうを睨み付ける師匠に、ウールも段々と口数が減る。
やがて師匠がポツリと「武器聖化神術を頼む」と呟き、ウールは慌てたようにそれを唱える。
師匠の身体を青白い光が包み込んだところで、海の向こうからソレは現れた。
「っ!?」
「ひい、ふう、みい、……ふむ」
大きさは、ウェイトノットスライス号よりもはるかに小さい。
しかし、纏った邪気は変わらずであったし、なによりその数は――。
「ひとまず、八か」
「ちょ、ちょっと待っておくれよ……、こんなに来るのかい?」
あの幽霊船が、他の船を亡霊船として従えているとは聞いていたが、まさか、これほど多いのか。
そう考えたウールに、師匠は変わらぬ口調で告げる。
「倒していかなければ、更にやって来る」
「うえっ!?」
「だから、――その前に潰す」
そう言うと師匠は、おもむろに帽子を手に取り、ウールの頭に乗せた。
「うわっ!?」
「預けておく、風に飛ばさないようしてくれ」
続いて靴を脱ぎ、それからコートの袖を捲くっていく。
両袖を肘の辺りまで捲くると、バシン、と拳を打ち合わせた。
そして修一と戦ったときよりも多めに抜いて、師匠は軽く飛び跳ねた。
「――ふむ」
身体の状態と意識を合わせていく。
それが終われば、後は戦うだけだ。
「……」
ウールは、「あっ、これは駄目だ」とか、「幽霊船退治が面白そうなんて言っていたちょっと前の自分を引っ叩きたい」などと現実逃避気味なことを考えていたが、なにやら師匠の様子が変わったことに気付いて意識をそちらに向けた。
「神術が切れたら戻ってくる」
「……えっ? 師匠さん?」
ウールにそれだけ言い残し、師匠が一気に駆け出した。
海面を弾丸のように駆け抜け、それから、
「ぬんっ!」
――幽霊船に、拳を叩き込んだ。
「…………えっ?」
それによって砲弾でも当たったかのような音が鳴り響き、一隻の幽霊船がそのまま大破して消滅していくのを、ウールは呆然と眺めることとなった。
◇
「ん? なんか、変な音しなかったか?」
「そう?」
「気のせいじゃないか?」
「んー? ……ほっ、と!」
修一が首を傾げながら、飛来してきた矢を切り払った。
スケンルトンアーチャーは素早く次の矢を番えようとするが、メイビーの詠唱の方が早い。
「“ヒーリングライト”!」
「――――キェアアアッ!」
アンデッドに対して回復系統の呪文を用いると、大きなダメージを与えることが出来るのだ。
弓を構えかけていた骸骨は、金属同士の擦過音のような声をあげながらバラバラと自壊していった。
「それにしても、一杯出てくるね」
「だなあ」
先に進んでいる冒険者たちも出てきた亡霊たちは手当たり次第退治しているだろうから、それでも出てくるということは、まだまだ大量のアンデットたちが潜んでいるということになるのだろう。
三百年間も海を彷徨い続けているというなら、それも然りではあるのだろうが。
「……もし、この船を仕留め終わったら」
「うん?」
「きちんと成仏できるように、盛大に祝ってあげないといけないね」
「祝う?」
クリスの言い方に少々違和感を覚えた修一であったが、別に言い間違いではないらしい。
「祝う、でいいんだよ。どうせほとんどが船乗りなんだから、湿っぽいのは嫌だろし。
それにそうだね、港では他の船乗りたちがこの船の様子を見ているだろうから、この船を退治したと分かれば、多分夜を徹しての宴会になるよ。
なんせ、港町の人間からすればドラゴンやヴァンパイアなんかよりよっぽど身近で恐ろしいのが、船幽霊なんだ。その中でも、飛び切りの大物が沈んだとなれば、それはもう、盛大な酒宴が開かれるだろうね」
「そんなもんか?」
「ああ、間違いなくね」
クリスの言葉には確固たる自信が感じられたため、それならそうなんだろうな、と修一は納得する事にした。
修一の地元も港に近いといえばそうなのだが、現代では港に入ってくるのは大型のコンテナ船やタンカーなんかばかりなので、この世界のようなバリバリの船乗りなど、ついぞ見た事がない。
「それならさっさと退治しないとな」
「そうだねえ。
そういえば、この船って時間とともに他の幽霊船を引き寄せてくるんだっけ? そっちの対処は師匠さんがやってるって事でいいのかな?」
「多分そうなんだろうな、海の向こうに行ったってことは。ま、ウールも災難だな。あんな、乙女の尊厳も何もないような運ばれ方されて」
修一が若干同情したように言うが、メイビーはそれを聞いて半眼になった。
コイツ何言っての、と言わんばかりだ。
「な、なんだよ」
「……昨日ウールにあんな事言っといて、よく乙女の尊厳なんて言葉使えるよね、シューイチ」
「一体なんて言ったんですか、メイビーさん」
その時すでに家に帰っていたクリスはその様子を知らないが、少なくとも、自分と戦った時みたいに酷い事を言って怒らせたんだろうなと思えた。
と、思っていると、メイビーがそっと顔を寄せてきた。
いきなりのことに動揺したが、どうやらこっそり耳打ちしてくれるらしい。
修一の「そんな酷い事言ってないだろって」という戯言は無視するとして、メイビーの吐息が耳に当たってしまい、クリスは非常にゾクゾクした。
そして。
「――――」
「…………!?」
メイビーに修一の言った言葉を教えてもらい、そのあまりの内容にクリスは、顔を真っ赤にして修一を睨み付けた。
「シュ、シューイチ!!」
「んだよ」
「ふ、不潔だぞ、そんな、そんなこと言うなんてっ……!!」
「……」
もう何度目になるか分からない糾弾に修一は、もう分かったからその話はなかったことにしてくれないだろうか、と考えながら無言で先に進んだ。
本当に、何と言ったのだろうか、この男は。
◇
さて、港であるが。
修一たちが幽霊船の中に消えてからしばらく、師匠とウールが霧の向こうに消えてからもうしばらくが経った。
港には、冒険者たちが消えて少ししたくらいから、今度は不審に思った町の住人や船乗りたちが集まり始めていた。
住人たちは、はじめにウェイトノットスライス号の姿を目にした時には激しく動揺し取り乱しそうになっていたのだが、今はもう治まっている。
何故これほど早く落ち着きを取り戻せたのかといえば、冒険者の宿を経営している主人たちが総出で、次のように触れ回ったからだ。「すでに、ウチの宿に泊まっている腕利きたちが、神官たちを連れて乗り込んでいる。心配しなくても遠からず討伐できるから、どうか落ち着いてほしい」と。
この町では、冒険者という存在は住人たちから一定の信頼を得ている。
よって、そんな冒険者たちが頑張ってくれているなら何とかなるんじゃないか、という楽観的な思考をする者も多く、住人たちは大したパニックも起こさずに港から幽霊船を眺めているのだ。
ちなみに、この、冒険者に対する評価というのも、この町で冒険者の宿を経営している主人たちが協力し合い、少しでも冒険者という存在を認めてもらえるように活動した結果であるということも、忘れてはならないだろう。
二十年ほど前にこの町を訪れた『喧嘩狂』の蛮行はいまだに元冒険者たちに心に深い傷跡を残しており、もう二度とあのような事にならないようにと、その時に冒険者の宿をはじめた者たちで冒険者の雇用形態と活動状況の改善を図った結果、現在のような関係まで持ってこれたのである。
そんなわけで、決して穏やかとはいえずとも必要以上に混乱する事もなく港に人が集まっていき、最初から港にいたノーラやヘレンたちは、徐々に混み合ってくる広場の様子に軽く嘆息する。
特にヘレンたちはいつでも戦闘が出来るような態勢でいるため、余計に肩身が狭い思いを感じていた。
カブの大盾など、他の人たちからすれば邪魔で邪魔で仕方がないのではないだろうか。
「あはは、お祭りみたいですね!」
「…………そうだね」
「お兄様たち、大丈夫かな?」
「…………だいじょうぶ」
「ほんと?」
「…………おとうさんが、いっしょだもん」
楽しそうなタツキは兎も角、心配そうなアルに対してレイは、自信に満ち溢れた声でそう答えた。
まあ、実際には普段とほとんど変わらない声ではあったのだが、アルも、抑揚が少ない中に確かに存在するレイの感情の発露を捉えられるようになっていたため、その自信満々さは伝わった。
ほんの一日二日しか遊んでいないが、それが分かるくらいには、仲良くなっているのだ。
そこにタツキも同意を示した。
「そうですよ! お父さんが一緒ですし、いざとなったらシショーが何とかしてくれますよ!」
「…………むっ」
レイが、聞き捨てならないとばかりにタツキに向き直った。
タツキが「ほえっ?」と間の抜けた声を出す。
「おとうさん、って、どういうこと?」
「んん? ああ! そうでした、言ってませんでした!」
「…………なにを?」
「僕も、レイちゃんのお父さんの事を『お父さん』と呼ぶことにしました!」
「!!」
「聞いてないよそんな事!」とでも言いたげに、レイが大きく目を見開いた。
「…………なんで?」
「だって、カッコいいじゃないですか! シショーとあんなに戦えて、しかも、僕たちの事をよく分かってくれそうですもん! 僕、尊敬しちゃいました!」
「…………」
レイは、タツキのその意見には賛成出来るため、コクリと頷いた。
そして、質問を変える。
「…………じゃあ、いつから?」
「昨日ですよ! お風呂入ってるときにお願いしました!」
「…………!」
レイはこの時「やっぱり私もお父さんと一緒に入っていればよかった!」といった感じの憤りを覚え、タツキをジッと睨み付けようとした。実際にはちょっと目を細めて口許をキュッと引き結んだだけにとどまったが。感情が表情に出にくいのだ、レイは。
当然、レイの怒りはタツキにまで伝わっていない。
「…………」
「?」
ただ、無言のまま見つめられ続けた事で「なんだかレイちゃんが不機嫌ですね?」くらいには、タツキも感じたらしい。「んー?」と首を傾げて、レイを見つめ返す。
そのまま見つめ合う事となった二人ではあるが、レイの方が不機嫌そうに唸っていたため、放っておくのも良くないと思ったノーラが二人の間に割って入る。
ちなみにアルは、レイの態度に早い段階でオロオロと怯え、この中で一番親しい(と本人は思っている)大人であるノーラの足にしがみ付いていた。
生来の気の弱さのためか、仲良くなっても怖いものは怖いのだ。
「レイ、そんな風にお友達を睨んではいけませんよ」
「…………」
「……分かりましたか?」
「………………はい」
ムスッと拗ねたように返事をし、クルリとノーラに向かい合う。
そのままノーラの顔を見上げて、両手を頭上に持ち上げた。
「どうしました?」
「…………だっこして」
「え?」
「…………だっこ」
「……ふふ、分かりました」
軽く微笑みレイの身体を持ち上げたノーラは、ギュウっとしがみ付いてくる小さな女の子を愛おしげに抱き締めてあげる。
よしよし、とあやしてあげると、レイは次第に機嫌を戻していき、アルとタツキはその様子を羨ましそうに見上げていた。
「うわあ……」
「……いいなあ」
二人からの羨望の眼差しを浴びて気を良くしたレイ。
二人を見下ろしながら少女は、このように言った。
「…………おかあさんまで、とっちゃだめ」
「……っ!?」
ノーラは、取り乱しそうになるのをグッと堪えた。
昨日も一度似たような事を言われていたため耐性が付いていたようだ。頬を少し引き攣らせただけで、それ以上の外見上の変化はなかった。
ただし、子どもたちに対してそれは、逆効果であるかもしれない。
素直な子どもたちにとっては、大人が否定しなければ、それが真実に思えるのだから。
「なるほど! お父さんがレイちゃんのお父さんになったみたいに、ノーラさんがレイちゃんのお母さんになったんですね!」
「へっ!?」
「わあ、そうなんですか?」
「あ、あのっ!?」
二人して、キラキラした瞳で見上げてくる。
そんな風にされると、否定しにくいではないか!
「…………おかあさん、おちついて」
「レ、レイ、貴女という子は……!」
ノーラは必死になって(どうして必死になっているのか自分でもよく分からないが)、足元でワイワイ言ってくる二人と嬉しそうに抱き付いてくるレイへの説明の言葉を考えた。
それは、ノーラにとっては苦難の時間であり、どうにかこうにか説明を終えるまで、もうしばらくの時間を要したのだった。
「……ノーラさんも、大変だね」
「そうですね、小さい子どもの相手は骨が折れますから、……それはそうと」
「――」
「…………カブ」
「――ん、なんだ、呼んだか?」
「……」
テリムは、先程からどこか上の空な様子のカブに、ふう、と一つ息を吐くと、
――――バァン!
と、大きな音を鳴らしながら、その背中を思いっ切り引っ叩いた。
魔術師である彼の精一杯の力を込めた張り手であった。
「痛ってえ!?」
思わぬ一撃に、カブは痛みよりも衝撃に驚き、たたらを踏んだ。
「何を……!」
「今は、依頼の最中ですよ。
ウールの事を心配するのは構いませんが、周囲の警戒を疎かにしてどうするんですか?」
「そ、それは」
テリムは、もう一つだけ溜め息を吐き、狼狽えるリーダーを厳しく諭した。
「何をウールに気を使っているのか知りませんが、昨日からオロオロしてばかりで、頼りないったらないですよ、カブ。
ウールが昨日何を言われたかは分かりませんが、あんなものは借りた物を返さないウールだって悪いんですよ。
今日だって、ウールは幽霊船と戦う事を面白そうだなんて言って、それで師匠さんに連れていかれたんですから、自業自得というものです。それに、どうせウールの事ですから今ごろはそれなりに楽しんでますよ。カブがそこまで思い悩んでも仕方がないでしょう?」
「そりゃ、そうだけどよ……」
「そもそも、師匠さんが一緒なのですよ? 先生よりも強いあの人が。主人も言っていたではありませんか、誰よりも強かったと。そんな人が一緒にいてくれるのであれば、心配などするだけ無駄というものです。
それよりも自分たちの仕事をきちんとこなさなくては、折角僕たちを信頼してくれている師匠さんや先生に、どの面下げて会えるというのですか?」
「……」
捲し立てるように言い募るテリムに、カブは更に何か言おうとするが、結局何も言い返せなかった。
テリムの言っている事は、正しいのだ。
自分ばかりがウジウジして、そんな事ではいけないとカブだって分かっている。
「……ねえ、二人とも」
「……どうした、ヘレン」
「なんですか?」
唐突に二人を呼んだヘレン。
その表情は、どことなく緊張感を帯びたものになっている。
「何人か、怪しい動きをしてる、人がいる」
「……!」
「本当ですか?」
気取られないように、ゆっくりと周囲を見渡せば、確かにチラホラと、カタギに見えないような男たちが見受けられた。
「あれ、多分、人攫いたちだよ」
「師匠さんが、組織ごと潰したんじゃなかったのか?」
「なんとか手を逃れた者がいたのかもしれませんね」
港はすでに大勢の人でごった返している。
大勢の人がいて、それらが皆一つの物事に注目しているというこの状況は、スリなどが仕事をするにはもってこいのシチュエーションだ。
かっさらうのが、財布か子どもかの違いしかないのだろう、彼らのような悪党にとっては。
「どうしますか、カブ、ヘレン」
「そんなの、……決まってるだろ」
「……うん」
カブは静かに深呼吸すると、左手で支えている盾を握り直し、腰の剣を確かめる。
それに釣られるようにして、ヘレンは両腰に吊っているダガーをそれぞれ撫で、テリムは抱えるようにして持っていた魔術師用の長杖をカツンと打ち鳴らした。
「襲ってくるなら、返り討ちだ」
「他のところの子どもに手を出そうとしたら?」
「一緒だろ、そんなもん。縛り上げて警備隊に引き渡してやろうぜ、あの馬鹿野郎どもを」
カブは、しっかりとした口調でそう告げる。
それを聞いたテリムは、ようやく立ち直ってくれたかな、と内心で安堵の息を吐いた。
◇
先行する冒険者たち。その中でも一番前を行くこの連中は、この町でも指折りの実力を持つ人間たちだった。
個の力も、チームとしての強さも、騎士団にさえ引けを取らない彼らは、二人の神官をサポートに連れ、奥へ奥へと、先へ先へと進んでいく。
この船は、元々の構造がそうだったのか、はたまた幽霊船になったときに内装が変化したのか分からないが、一旦船底まで降りてから再び上方に向かって進むというような構造となっている。
巨大な船体を目一杯使い、外敵を迎え撃とうとしているかのように入り組んだ船内は、宛ら小規模な迷宮のようですらあった。
「……ここか」
そんな迷宮たる船内を多くの亡霊たちを相手取りながら進み、とうとう最上階に辿り着いた彼らは、船長室と思わしき部屋の、ボロボロになった扉を開く。
軋むような音を立てる扉を半ばこじ開けるようにして開けば、そこには思ったよりも広い空間が広がっていた。
ゆっくりと、室内に足を踏み入れる冒険者たち。
罠や不意打ちを警戒するが、一先ずは、そういったものはないらしい。
そして、木の板を打ち付けられているせいで日の光の入らない窓、これらもこじ開けて視界を確保しようとしたところで、壁中に据え付けられていたらしいカンテラ全てに、青白い火が灯る。
「……」
下らない演出だ、と冒険者たちは思う。
こんなもので恐怖心を感じるほど、柔な心臓はしていない。
視界の確保が出来て、手間が省けたとすら思っていることだろう。
「……出やがったな」
冒険者の一人がそう呟いた。
いつの間にか、部屋の一番奥に誰かが立っていた。
いや、誰か、ではないか。
その者はもう、命なき化け物なのだから。
「――――」
ソレは、一目見て海賊と分かるような服を着ている。
大きな羽飾りの付いた三角帽を被り、チョッキとコートを着込んでいる。薄手のマフラーを首に巻き、縞模様のズボンに丈の長いブーツ、両手には白手袋を付けていた。
そして、それらの衣装に包まれているのは、皮も肉も血も、何もかもを失った骸骨であった。
この化け物に残されたモノはもはや、長い年月によって膨らみ淀み、濃さと暗さを増した怨念のみなのである。
それを象徴するかのように、落ち窪んだ眼窩には暗い紫色の焔が灯っていた。
「――グアアァ」
骸骨――船長フォスダイク――は、意味の通らない呻き声をあげながら、腰に吊っている剣を引き抜いた。
サーベルに近い形状のその剣は、元は銀色であったはずの刃が黒紫色に淀み、見るからに危険であると分かる。
冒険者たちは素早く臨戦態勢となり、船長の挙動を見据えた。
先制攻撃を仕掛けてもいいが、そのために誰かが突出して危険を犯すのはよろしくない。
室内に他の亡霊たちはおらず、自分たちは後続がまだたくさんいる。
じっくり時間を掛けて、数で押し潰せるならそれに越したことはないだろう。
そう考え、待ちの姿勢に移ろうとした時だ。
「――――」
骸骨が、手にした剣を構えた。
あちらから攻めてくるのか、と誰もが思い、防御の構えを取る。
特に、先頭に立つ鎧姿の戦士は、自分の後ろに攻撃を抜かせないように、体全体が隠れるほどの大盾を構え、骸骨を見遣る。
そのまま、骸骨は――。
「――ギャギャガギャッ!」
手にした剣を、その場で二度振り抜いた。
すると――。
「ぐううっ!?」
「くわっ!」
「なっ――!?」
それに合わせて、陣形の最後尾にいた神官二人が血飛沫をあげて蹲り、その声を聞いた戦士は驚愕に満ちた表情を浮かべたのだった。




