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第6章 18

 ◇




 修一と師匠の戦いの翌日、ファステムの町には朝から霧が掛かっていた。

 普段なら、朝に霧が出ればその日はよく晴れるものなのだが、どういうわけかこの日は一向に霧が晴れないどころか、尚もその濃さを増していく。


 普段とは違う町の様子に住民たちが揃って首を傾げているなか、チラホラと、港に向かう集団が見受けられた。

 それは、誰もが各々武器を持ち、鎧やローブに身を包んだ者たちばかりであった。

 いわゆる、冒険者と呼ばれる連中だ。

 この町には、比較的多くの冒険者が滞在しており、それを管理している冒険者の宿も多い。

 そしてそれらの宿の半分ほどに、昨日の夜から今朝の未明にかけて一人の客が訪れ、こう依頼していったのだそうだ。


 明日、腕の立つ冒険者を港に集めてほしい、と。


 果たしてどういった理由かは分からないが、その依頼を受けた宿の主人たちは、皆一様に何かに怯えるようにしており、朝方、その話を聞かされた冒険者たちは、何事かと訝しみながらも、三々五々港に向かう。

 やがて、自分たちだけでなく、他の宿に宿泊している自分たちと同じように腕利きの冒険者が集まっているのを見て彼らは、ただ事ではないと察した。

 そして、こうも思う。

 これはチャンスだ、と。

 何が起こるかは分からないが、何かが起こるのだろう、とも。

 それはきっと、自分らには想像も付かないような何かであり、リスクもリターンも果てしないような、そんな何かなのだ。

 それは、冒険者として是非とも、関わっておきたい。


「……」


 そんな風に気持ちを昂らせている冒険者たちを横目に、まるで拗ねているみたいな顔付きで海を眺める少女が一人。

 赤の混じった真っ直ぐな茶髪を肩口よりも少し長めに伸ばし、太陽神の神官であることを示す神官服を着たその少女は、焦げ茶色の瞳を細めながら海の向こうを睨んでいた。


 その隣に立つ、少女と同じ色の瞳の少年は、短く刈り上げられた、瞳と同色である焦げ茶色の髪を掻きながら、恐る恐るといった様子で話し掛ける。


「おい、ウール」

「……なにさ、カブ」


 不機嫌真っ最中とでも言わんばかりのその声に、カブ、と呼ばれた少年は一瞬怯み、それからハァと息を吐いた。


「いい加減、機嫌直せよ」

「……」

「分かってるんだろ、俺らじゃ足手まといになるって事ぐらい」

「……分かってるさ、そんな事」


 ウールはムスッとしたまま、カブの言葉に頷く。

 ただ、やっぱり納得はしてないようだ。


「でも、こんな面白そうな事に参加できないなんて、悔しいったらないね」

「面白いかどうかは別にしても、悔しいというのは同意件だ」


 カブがそう言ったところで、町の方から新たに二人の人影が現れる。

 一人は、濃い目の灰色の髪を几帳面に撫で付けたローブ姿の少年で、薄い金色の瞳には若干の疲れが滲んでいる。

 もう一人は、白っぽい象牙色の髪をボブカット気味に切り揃えた革鎧姿の少女で、暗い緑色の瞳をキョロキョロと動かしながら周囲を警戒していた。

 二人はカブとウールに合流すると、その横に並んで海を見る。

 間もなくやって来るであろうソレを、一目見るためだ。


「ウール、テリム、ヘレン、主人との約束どおり、見るだけだからな。

 こっちまで攻めてきたら、退却するぞ」

「はい」

「うん」


 カブの言葉にテリムとヘレンは頷き、ウールだけは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む。


「――ウール」

「……分かってるよ」


 そして、再度のカブの言葉に、ようやく頷いた。



 それからしばらくして、町の教会に勤める神官たちまでゾロゾロと港に現れ、いよいよもって大事件の匂いがすると、大勢の冒険者たちが思い始めたころ、一人の冒険者が海の向こうを指差しながら、こう呟いた。


「おい、あれを見ろ」


 その言葉に釣られた他の冒険者たちも同じように海面を見る。

 既に太陽は、霧の向こうに隠れ切ってしまい、もうどこにあるのかも分からない。

 そんな薄暗い状況のなか、その指差した先だけは、奇妙に青白く光っていた。


「ウール、来たぞ」

「分かってるよ」

「今日ばかりは、絶対に飛び出すんじゃないぞ」

「分かってるってば」


 カブとウールが遣り取りをしている間にも、ソレは少しずつ存在感を増していき、そして――。


「ま、まさか!?」


 誰かが、そう叫ぶ。

 青白い光に包まれながら現れたのは、至るところがボロボロになった、古い大型船だ。

 帆も、船体も、大きな穴が空いていて、およそまともに海を渡れるような船ではない。

 そして、一人として船員の姿が見えず、代わりに船の周囲を半透明の何かが飛び回っている。


 見ただけで分かる、この悍ましさよ。


 その様を目にした港に集った冒険者たちは、思わずたじろぎ、それから。


やったぞ(・・・・)!!」


 直後に笑みを浮かべ、自らの得物を引き抜いた。


 まさか、まさか、――これほどデカイ獲物・・が来るなんて、と。



 冒険者たちにとってソレは、大きな災厄であると同時に、刈り取るべき実った稲穂であった。


 刈り取るには苦労するだろうが、刈り取った後は、目も眩むような成果が手に入るだろう。


 それが分かるからこそ、冒険者たちは歓喜した。

 そういう人種なのだ、彼らは。



「凄いな、アイツら」


 完全に姿を現した巨大な獲物を前にして戦意を漲らせる彼らの背後、港の広場を見渡せる比較的高い建物の屋上に立つ修一は、彼らの様子に呆れ半分の苦笑を漏らした。

 隣ではメイビーが、鞘に納めたままの装飾小剣を弄んでいる。


「流石に冒険者だよね」


 メイビーの言葉にも、呆れに似た響きが篭っている。

 それに頷きながらも修一は、さて、と左手を振り上げる。


「ま、やれるところはやって貰おうかね」


 ――――パチィン!



 修一が、チカラを使用する。

 作り出された熱流は、ゆらゆらと揺れる海面から瞬く間に熱を奪い去り、岸壁から大型船の船体までを氷の橋で結び付けた。

 おおっ、とどよめく冒険者たち。

 急激なチカラの使用によって軽い虚脱感を覚えた修一がその場にしゃがみ込んだ。


「あー……、思ったよりキツイ」

「大丈夫?」

「ああ」


 そして心配そうにしてくるメイビーに手を振って答えた修一の視線の先では、突如として出来上がった氷橋に暫し戸惑うも、やがてそれが自分たちのために作られた物だと察した腕利きの冒険者たちが、橋を渡って幽霊船に向かって駆け出していた。その後方を、この町の神官たちが一塊になって進む。



「……ま、自分の町の事は、その町の連中が頑張るべきだよな」



 修一は、感慨深げにそう呟いた。




 ◇




 さて、昨晩のことである。


「幽霊船?」

「ああ」

「ふむふむ、……ノーラ」

「ウェイトノットスライス号、というのはですね――」


 ノーラ曰く、今から三百年ほど前に北大陸西岸諸国の海域で暴れまわっていた海賊船、の成れの果て、だそうだ。


 なにぶん古い話で、当時の記録があまり残っていないのと、遠い異国の地の話であるため詳細な事は分からないが、ともあれ、当時の造船技術の最先端で作られた大型船を巧みに操り、大陸沿岸を航海していた貨物船や客船を次々と襲撃していた連中らしい。

 船長キャプテンフォスダイク以下百名を越える数の海賊たちは、皆一様に精強で、船上での白兵戦はおろか、航海技術や砲撃技術に関しても腕の良い船員が揃っていたのだそうだ。

 何度か沿岸国の海軍が討伐に乗り出したが結局討ち取れず、彼らは死ぬまで悪逆の限りを尽くしたらしい。


「なかなか、気合い入ってるな」

「そんな彼らがどうして滅びたのか、ですが」


 最終的に彼らは、船員たちの間で蔓延した伝染病によって全滅したらしい。

 フォスダイクたちはとある小島をアジトにしていたのだが、その島の中で伝染病が猛威をふるい、船員たちは為す術もなく全滅。

 襲撃がなくなったのを不審に思った近くの国の軍人たちが付近の海域を探索したところ、そのアジトを発見したというわけだ。

 そしてそこに乗り込んだ軍人たちが目にしたのは、船の内外に倒れている海賊たちと、たくさんの元海賊たちの死体だったそうだ。


「ほとんどの死体が、皮膚が変色して真っ黒になっていたそうですね」

「ペストみてえだな」


 ペストとはまた違った伝染病であったらしいが、当時の医療技術ではその病気に感染した時点でほぼ確実に命を落とすような状況であったことにはかわりがなかった。

 そのため軍人たちは、大慌てでアジト中に油を撒き、火を放って船ごとアジトを焼いたのだという。

 その中には、まだ息のあるものも大勢いたし、――無理矢理連れてこられて奴隷のように働かされていた人間たちも混じっていたようだったが、関係なしにまとめて焼いたらしい。


 それが良くなかったのか、それとも元々フォスダイクたちの怨念がどうしようもないレベルまで育っていたのか、今となってはそれは分からない。しかし、その数年後、深い霧の中に突如として幽霊船が現れ、船や人々を襲うという事件が起こるようになったのだ。

 襲われた船に乗っていた船員の一人が、船体に真っ赤な文字で書かれた船名を目にし、それが、数年前に業火の中に消えていった海賊船だと判明する。

 それ以降そいつらは、大海原を彷徨いながらも時折思い出したようにどこかの港町に現れては、人々に危害を加えたりしているのだ。


 三百年経った、今でも。


「三百年近くも海上を彷徨っている間に亡霊としての力を蓄えてしまったようで、幽霊船ゴーストシップウェイトノットスライス号には、今まで沈めた船の亡霊がたくさん付き従っています。

 ただでさえ通常攻撃が効きにくい亡霊ですのに、それが大量に押し寄せてくるとなれば、まさしく悪夢です」

「なるほどね」

「よくそこまで知っているな」


 師匠が幾分感心したように呟くが、ノーラの知識量のとんでもなさを知っている修一にとってはそこまで驚くことでもない。

 よって修一は、自身の疑問点をさらに確認することにした。


「三百年も退治されなかったのか?」

「突然襲われて、まともに対応出来ないまま沈められた船も多いようです。それに逃げ足も早いらしく、正面から戦っても倒し切れないそうですね」

「どのくらい強いんだ?」

「強さ云々よりも、そもそもの話として通常攻撃が効きません。物理的な肉体を持つゾンビやスケルトンなどであればまだ効果はありますが、それでも生物相手とは比べ物にならないくらいタフで、厄介です。

 霊体に関しては、魔術や神術を当てるか、銀製武器や魔化武器を使うかしなければ、一切ダメージを与えられません。

 そしてそんな高価な武器を持っている人間というのは、稀です」

「だろうな」


 要するに、御多分に洩れず戦いにくい相手なのだ。


「そいつらがやって来るなら、面倒だな」

「ええ、面倒どころの話ではありませんよ。複数の騎士団に出動要請を出さなくてはならないくらいの、大事件です。

 ……こうしてはいられませんね、すぐにでも役場に行って緊急要請を――」

「待て」


 腰を浮かせかけたノーラを、師匠が静かな声で押し留めた。


「この町の、或いはこの国の役人たちは、こんな与太話を真に受けて国内最高戦力であるブリジスタ騎士団を派遣してくれるのか?」

「なっ、いえ、それは……」


 まともな神経の人間であれば、普通は信じない。

 その事が分からないほどノーラは愚かではなかった。


「……」


 故にノーラは、浮かせかけた腰を再び椅子の上に戻した。

 ただし、その表情は曇りきっていたが。

 師匠が、ふむ、と頷きながら、顎に手を当てた。


「ノーラは、信じるのだな、ワの話を」

「えっ? ……ええ」

「……もう少し、常識的な思考をしていると思っていたのだが」


 師匠も、自分の話が荒唐無稽である事は承知しているのだろう。

 だからこそこんな言葉が出てくるわけだし、それに対するノーラの返答は極めて単純なものだった。


「シューイチさんの相手をしていたら、そういう無茶苦茶な話も信じられるようになってしまいました」

「成程」

「おい、どういう意味だ」


 どういう意味も何もない、と思っているノーラは、修一の突っ込みを無視した。

 代わりに、「うーん」と唸りながら頭を捻る。


「とはいえ、どうしましょうか。

 このまま何もしないままで明日を迎えるというのは、どうにも……」

「……まあそうだよな」


 修一としても、こんな話を聞かされておいて、はいさよなら、とはしたくない。

 折角カブたちが、この町で頑張ろうと息巻いているのだ。

 なんとかしてやりたい気持ちは、ある。


「ところでノーラは、もう一日この町に留まる事については大丈夫なのか? もう少しで首都に着くんだろ?」

「流石に、こんな大事を放っておいて帰るわけにはいきません。どうせ帰ってもこの件でバタバタするでしょうし」


 ノーラの感覚としては、明確にこの国を害する存在を認知しておいて、知らん振りは出来ないらしい。

 ノーラらしいと言えば、そうなのだろう。


「魔術師隊か神官隊、せめて第六騎士団だけでも呼べれば違うのですが」

「第六?」

「団長が、『空中要塞』の異名を持つ強力な魔術師なのですよ」

「なんだそりゃ」


 若しくは、『積乱雲』の方が分かりやすいだろうか。

 風、水、雷、氷、それと光の属性魔術を自在に操る翼人族フェザーノイドで、魔術師隊の副隊長を務めた事もある女傑である。

 御歳は、実に百三十八歳だ。見た目は三十代前半くらいだが。

 エルフやドワーフなどと同じ長命種であるため、寿命も長いし若い時期も長いのである。

 すでに曾孫や曾々孫までいるようだが、種族的に考えればまだまだ現役でも何もおかしくは無い。

 無いったら無い。


「第五騎士団なら数日以内に来るらしいな、人攫い集団の殲滅のためにだが」


 師匠がそう告げるが、ノーラは微妙な顔付きになっただけだ。

 修一が呆れたように問う。


「それが分かってて、アンタ自分で叩き潰すとか言ってるのか?」

「ああ。遅いより早いほうがいいだろう」

「そらそうだけどよ」


 やってくる第五騎士団――団長はエナミとやらだったか?――が可哀想ではあるな、と修一でも思う。

 自分らも似たようなことはやったが、それはそれとして。


「心配するな」


 と、ここで、唐突に師匠がこう告げた。

 自分が心配にさせたくせに、と思いつつも、続きを促す。


「ワとて、無策ではない。騎士団が来れなくとも、手ぐらいある」

「……どのような?」


 師匠はグルリ、と周囲を見回した。

 それは室内を、ではなく、その外を見ている目付きだった。


「この町の戦力を、きちんと活用する」

「ひょっとして、それは」


 師匠は大きく頷いた。



「冒険者たちに、頑張ってもらう」




 このような遣り取りがあった後、師匠は修一たちの部屋を後にした。

 修一たちには、そこから後の師匠の足取りは分からないが、今の港の現状を見るに――。


「人攫い集団潰しながら方々の冒険者の宿に声を掛けて手練の冒険者を集めつつ、朝方には教会に赴いて幽霊船を浄化するための神官連中を呼び集めた、と。……アイツ、いつ寝たんだろうな?」

「寝てないんじゃないの? 目の下の隈、凄かったじゃん」

「……あれ、寝不足で付いてんの?」

「違うの?」


 屋上から建物の中に入り、階段を下りつつどうでも良いような事を話している修一とメイビーは、やがて建物の外に出ると港から先の光景を見て思わず笑った。


「しかし、マジでスゲーなアイツら。船からの妨害をものともせずに進んでるぞ」

「ほんとだねー、神官の人たちが上手にサポートしてるみたいだよ」


 冒険者たちは凍りついた海面を恐れることなく、いくつかの塊に集まりながら幽霊船を目指す。

 幽霊船も、船自体は実体があるらしく、岸壁から伸びてきている氷の橋は船体に喰らい付くかのようにして、その動きを縛り付けている。

 徐々にではあるが、氷の橋は今も尚横に広がり続けており、船体への氷着をより一層強固にしていっている。

 おそらくこれで、逃げ足の速さは封じ込めることが出来ただろう。


「あれなら、正面から力押しできるかな?」

「どうだろうね?」


 そうして何気なく話しながら、港に残っているカブたちに近寄る。

 こちらに気付いたカブが手を振ってくれるが、ウールだけは鋭い眼光で睨み付けてきた。


「よう、機嫌悪そうだな、ウール」

「……まあね」


 プイと顔を背けられ、修一は困ったように額の傷を掻く。


「昨日は悪かったよ。カブの話聞いてたらちょこっと文句言いたくなっただけで、別に悪意があったわけじゃないからさ、そんなに気にすんなよ」


 そう言って笑顔を作る修一に、ウールが鼻を鳴らして視線だけ向ける。


「……あんなセリフ、悪意も無しに言われちゃあ堪らないね」

「だから、普段のお前が言ってる事とあんまり変わんねえだろって」

「……」

「まあそれにしてもアレだな、残念だったな、あの幽霊船退治。オッサンに止められたんだろ? お前らにはまだ早いって」


 そう言われ、ウールはますます不機嫌そうになった。

 後ろで聞いているカブが、宥めるよううにウールに肩に手を置いた。


「おい、ウール」

「……昨日に続いて、今日もなかなか言ってくれるじゃないか」

「まあな」


 修一の発言を挑発と捉えたウールが唸るように呟くが、修一は平然としたものである。



 慌てたカブが更にウールを宥めようとしたところで、空から(・・・)何かが(・・・)降ってきた(・・・・・)



「!!」

「うおう!?」

「わっ!」


 修一たちの目の前に現れたのは、師匠だった。

 どこからやってきたのかはしらないが、相当な高さから落ちてきたような勢いであった。

 それでも、全く痛がる素振りもみせないのは恐るべきことだと思えた。

 修一でも、四階建ての校舎の窓から飛び降りるのがせいぜいである。


「おや、まだいたのか、修一」

「あ、ああ、もう少ししたら行くよ」

「そうか、……む?」


 驚いたような顔で自分を見ているカブたちの姿を見た師匠は、不思議そうに首を傾げた。


「どうした?」

「……師匠さん、どうやって、来たの?」

「跳んできた」

「……」


 言うことがいちいちおかしい、とヘレンは思ったが、口には出せなかった。


「それより、お前らは行かないのか?」

「!!」


 ウールがキッと師匠を睨み、テリムが慌ててフォローする。


「ええ、主人から止められてしまいまして」

「ふむ、まあ、妥当な判断だ」

「っ!?」


 目に見えてウールの苛立ちが募っていく。

 いきなりやって来て余計な事を言わないで欲しい、とカブが頭を抱えそうになった。

 と、そこで。


「それなら、ワの依頼(・ ・ ・ ・)を受けてもらおうか」

「……アンタの依頼?」

「ああ、このパーティーのリーダーは誰だ?」

「それは、俺だが……」


 カブがそう言うと、師匠はコートのポケットを漁り始めた。

 そして何かを取り出すと、それをカブの手に握らせた。

 カブの手の中には、ピカピカの金貨が握られていた。


「なっ!?」

「前金で金貨一枚。依頼達成で金貨四枚。追加で出来高報酬も払おう。依頼内容は、ワの補助だ」


 カブたちは、一様に目を丸くした。

 先程まで唸っていたウールも、突然の事に驚きをあらわにしている。

 へレンが依頼内容を確認するように繰り返した。


「師匠さんの補助?」

「そうだ」

「具体的には……?」


 それを師匠が答える前に、町の方角から足音が聞こえてきた。

 目を向ければ、アルを連れたクリスがこちらに駆けてきていた。

 その後方には、ノーラがレイとタツキの手を引いている姿も見えた。


「あれ、クリスは神官連中の中に入ってなかったのか」

「未成年だからじゃないの?」

「あー……」


 修一とメイビーがそんな事を言っている間にクリスが港に到着し、そして幽霊船を見て大きく目を見開いた。

 師匠が、その後方にいるタツキを指差す。


「ワが行動中にタツキたちが襲われないように、守ってやってくれないか。

 それと、……ウールだったな。お前は神官だろう?」

「……そうだよ」

「幽霊船の討伐を行う。手伝ってくれ」

「――――はあ?」


 ウールが大きく眉を顰めた。

 そして師匠は「そうだ、アイツ(主人)にも一応言っておかなくてはな」と呟くと、


「あ、シューイチさーん! ――って、ひゃあ!?」

「――む、すまん」


――あっという間に町中に向けて駆け出し、クリスの横をすり抜け、ノーラの頭上(・・)を、壁を足場にしながら駆け抜けていってしまった。すぐに建物の屋上を乗り越えていき、姿が見えなくなる。


 カブたちがその姿を呆然と見送っていった後、クリスがこちらに気付いて駆け寄ってくる。

 そのまま、修一に詰め寄った。


「おい、アンタ! これは一体なんだ!?」


 クリスが幽霊船を指差しながら、そう吼える。

 修一が「見たとおりだよ」と答えても、納得がいかないような顔をする。

 クリスの髪が少し跳ねているのを見て、さてはこいつ、と修一は考えた。


「お前、ひょっとして今まで寝てただろ?」

「っ!? ……し、仕方ないだろ、昨日アンタと戦って、その、疲れてたんだから」

「まあいいけどよ」

「お父様とお母様の姿は見えないし、アルを起こして教会に行っても誰もいないし、そしたら港の方から嫌な気配を感じて、こっちに向かってたら、ノーラさんとさっきそこで会ったんだよ。

 ……もう一度聞くけど、アレは一体なんなんだ?」

「んっと、……なんちゃらかんちゃらスライス号っていう幽霊船だよ」

「はあ?」


 存外、冷たい目で見られた。ふざけてると思われたのかもしれない。

 失礼な、ちょっと名前をド忘れしただけだろうが、と修一が思っていると、ようやくここまでやって来たノーラが助け舟を出してくれた。


「ウェイトノットスライス号ですってば、シューイチさん」

「おお、そんな名前だよ」

「それって、……まさか!?」

「お、知ってんだな」

「当たり前だろ!」


 クリスが少々取り乱したように口にする言葉を聞くに、アレは、港町に住む一般人にとって時化や嵐などよりもよっぽど恐ろしい恐怖の権化みたいな存在らしい。


「冒険者の奴ら、嬉々として向かって行ってたぞ?」

「あの人たちは、一般人じゃないから」

「へえー」


 チラリと見遣れば、半分くらいの冒険者たちが船体に取り付き、どこからか取り出したロープを甲板に投げ込んでせっせと船体を上り始めていた。バイタリティ溢れる身の熟しである。

 後方に控える神官たちも、神威気弾神術フォース治癒神術キュア武器聖化神術セイクリッドウエポンなどで冒険者たちを支援していた。

 なるほど、武器聖化神術を使えば、通常の武器でも一定時間は霊体に攻撃を当てることが出来るようになるらしい。


「ああ、だから神官たちにも声を掛けたんだな」

「そうだ」

「うおっ!?」


 バッと振り向くと、いつの間に帰ってきたのか師匠が立っていた。

 というより、もう宿の主人に許可を取ってきたのか。早すぎるだろう。


「ワが一緒なら構わないそうだ、……ウール」

「な、なんだい」


 さしものウールも、師匠の無茶苦茶な運動性能を目の当たりにして少々動揺していた。

 そこに、師匠から告げられた言葉が追い討ちをかけた。


「武器聖化神術は使えるか?」

「あ、ああ、使えるよ」

「そうか、それなら行くぞ」

「へ? ……どこへ?」

「海上に出る」

「はあ? ――――はあっ!?」


 開いた口が塞がらないといった様子のウールに構わず師匠は、カブに対して向き直った。


「カブよ、タツキを頼む。あと、そうだな、ノーラやレイ、それにアルだったか? ここに残る者たちをまとめて頼む。何が襲ってきても、ワや修一たちが帰ってくるまで、守ってやってくれ」

「あ、ああ、それは、任せてくれ」

「うむ。

 ――そうだ、ノーラよ」

「わ、私ですか?」


 師匠は困惑気味のノーラに歩み寄り、足元でニコニコと見上げてくるタツキに「大人しく待っていろ」と告げながら、ノーラの首元に手を伸ばした。

 何をされるか分からないノーラが少しだけ身を強張らせたが、師匠はノーラの首元に掛かっているペンダントの水晶を、優しい手付きで持ち上げた。


「あっ……」

「……」


 戸惑ったような声を出すノーラ。

 師匠は、無言のままもう片方の手で手印を切り数秒瞑目すると、やがて水晶から手を離した。

 全員、師匠の手印の意味は理解できなかった。

 博識であるノーラやテリムでさえ、見たことのないものであった。


「これでいい」

「あ、あの、今のは?」

「もし、本当に危なくなったら、それを手にして強く念じろ。ワが駆け付ける」

「は、はあ……?」


 それだけ言うと、まだ混乱したようなウールの身体をヒョイッと担ぎ上げた。柔道における肩車のように両肩の上に担ぐようにして持ち上げられたところで、ウールが何をされているのか理解し、暴れた。

 それに頓着せず、師匠は南の海上に向けて向き直る。

 見ていた皆は、物凄く嫌な予感がした。


「ちょ、ま、待っておくれよ!! 放――!」

「行くぞ」

「!!?」


 ダンッ、と力強い足音を発し、師匠が一息に加速して岸壁に向かって掛けた。



 そのまま、躊躇いなく海上に身を躍らせた師匠は、しかし海中に没することなく、海面を(・・・)駆け抜ける(・・・・・)

 アメンボ、若しくはホバークラフトのように。

 恐ろしい速度で。



「う、うああああっ!?」


 肩の上に担がれたままのウールは、凄まじい速度で岸壁が離れていくのを目にしながら、言葉にならない声をあげる。


 幽霊船の横を通り抜け、霧に隠れた水平線を目指して師匠はひた走った。


「……」


 やがて、霧の向こうに師匠とウールの姿が消えたころ、誰もが言葉を失っているなかで、修一が一言。


「マジで、アイツ人間か?」

「シショーは人間ですよ!」

「……」


 タツキの返答に、誰一人として納得出来なかった。

 納得は出来なかったが、これ以上この事を考えていても埒が明かないと考えた修一は、自分らもそろそろ幽霊船に出向く事にした。


「……取り合えず、俺らも行こうぜ。ノーラ、チビッ子どもの面倒は任せる。カブ、ノーラたちの護衛はお前らに任せるからな。メイビー、それと、……クリス」

「! な、なんだい?」

「お前も来るだろ? 一緒に行って、ちゃちゃっとあの船潰しちまおうぜ?」

「!!」


 そんな事を言われると思っていなかったのか、クリスは明らかに動揺した様子で視線を彷徨わせた。

 修一が、揶揄するように厭らしい笑みを浮かべた。


「なんだ、怖いのか?」

「こ、怖くなんかない!! ……ただ」

「うん?」


「ぼ、僕まで付いていって、その、あ、足手まといになるんじゃないのか? アンタ、僕よりもよっぽど強いじゃないか……」

「……」

「それに、お父様が僕を呼ばなかったって事は、僕に来て欲しくなかったってことだろうし、僕は、ここでカブさんたちと一緒にアルを守っていたほうが……」

「……おらっ」

「痛っ!?」


 弱弱しい声で告げるクリスの額を、修一がスパンと平手で打つ。

 軽快な音が鳴って、クリスは額を押さえた。驚いて、目を白黒させている。


「一丁前に気を使いやがって、クソガキが。

 ――お前、自分の手でこの町を守りたいとは思わないのか?

 自分の生まれ育った町だ。大切な故郷だ。お前のお父様やお母様、そこのアルだってそうだ、大切な家族がいる町だろ。あんなクソみたいな化け物にいいように弄ばれて、それでいいって言うのかよ?」

「そ、そんな事言ってないだろ! でも、」

「でも、じゃねえ。この町の危機はこの町の住人が対処するべきだ。俺だって、そうしてきたんだぞ? 歳がどうとか、関係ないね。お前は男だ。男で、戦う力がある。それなら、戦うべきだ。町を守るために。大切な人を守るために。――全身全霊を捧げて、な」


 修一は、どこか遠い目をしながら、クリスを諭す。

 ノーラにはまるでそれが後悔(・ ・)を滲ませているように聞こえ、思わず眉を顰めた。


「さ、行くぞ。冒険者たちはもう皆船の中に入っちまったみたいだしな」


 チラリと目を向ければ、幽霊船の甲板から氷橋に向かって舷梯が降りていた。

 おそらく、先んじて乗り込んだ冒険者たちが、後続を迎え入れるために降ろしたのだろう。

 おかげで神官たちも船に乗り込めているし、修一たちも乗り込むのが楽になった。

 あとは、他の冒険者と協力しつつ親玉を倒せば、この幽霊船も消滅するだろう。


「ほら、クリスライト君」

「あっ……」


 メイビーが、いまだ逡巡するクリスの手を取った。

 かあっ、とクリスの顔が赤くなる。


「一緒に行こうよ」

「!! ――は、はい!」

「よろしい」


 ニッコリ笑うメイビーの笑顔に、クリスは心から喜びを覚える。

 それだけで悩んでいるのが馬鹿らしく思えるほどに。


「……先に行ってるからな」

「あ、今行くってばー!」

「待てよ! 僕も行くから!」

「はいはい」



 そうして、修一とメイビー、そしてクリスは、港から氷橋に飛び乗ると舷梯まで素早く駆け抜け、それから幽霊船の甲板に降り立ったのだった。




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