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第6章 14

 ◇




 ゆらゆらと体を揺らす修一は、師匠が自分と似たような構えになったのを見てから、ゆっくりと間合いを詰め始める。

 それは、ふらふらと頼りなさげに運ばれる足運びであるにも関わらず攻め込む隙を見いだせないという、不可解極まる歩法であった。


 戦いを見守っていたメイビーはすぐに気付いた。

 これは、先日戦った際に修一が使っていた技術と極めて酷似しており、尚且つ、その時よりも完成度の高い技であることに。

 離れたところで戦いを見ているメイビーには相対した際に感じるであろう威圧感がどれほど違うのかまでは分からないが、それでも、何の動きもなく修一の接近を許している師匠はいったいどのようにしてこれを破るつもりなのだろう、と考える。


 そして、答え合わせはすぐに行われた。


「……」

「――」


 修一がじりじりと間合いを詰め、師匠は黙ってそれを見ている。

 すでにお互い、一歩踏み込めば攻撃を当てられる間合いの内側にいるのだが、それではまだ、遠いのだ。

 この奥義の要訣は、独特な歩法によって敵の反撃を往なしながら襟袖を取れる間合いまで接近し、そこから――。


「っ!!」


 ここで、師匠が動いた。

 先程下ろした右腕を無造作に持ち上げ、修一の眼前に伸ばしたのだ。

 まるで差し出すかのように伸ばされた手を、修一は取るべきかどうか一瞬悩んだ。

 そしてそれを、――取った。



「――!」



 次の瞬間、師匠の身体が宙を舞い、轟音とともに地面に叩き付けられた。

 それを見ていたメイビーの目が大きく見開かれる。


 まさしく電光石火の如き速度で投げられた師匠は、受身すら取れていない。

 全身の骨が衝撃で軋み、遅れて痛みがやってくる。

 それでも師匠は、頭からずり落ちそうになった帽子を左手で押さえながら、むっくりと身体を起こした。

 表情に、変化はなかった。


「……ちっ」


 修一が、不満そうに舌打ちを漏らす。

 思ったより、ダメージが少なそうに見えたからだ。

 しかし、それでも全く効いていないわけではなさそうでもあり、それが救いといえば救いである。


「――ふむ」


 師匠は、右腕が全く動かないことに、小さく嬉しそうな声を出した。

 おそらく、肩の関節を外されている。

 修一が、掴んだ瞬間に極め、投げると同時に外してみせたのだ。


 全動作の一切の無駄を無くし、一繋ぎの流れのような身体運用を行うことで、極めと投げを同時に行う。

 それが、千鳥足蔓と名付けられた奥義の正体だ。

 そしてそれは、奥義と呼ぶに相応しい威力が篭められている。

 師匠がなんの抵抗も出来ずに関節を外されたのは、むしろ必然と言えた。


「……! てめえ……!」


 だから修一は、今度は左腕を伸ばしてくる師匠に、あからさまに顔を顰めた。

 もう一度投げてみろと、つまりはそう言いたいのだろう。

 右肩を外されているというのに、その余裕はなんなのだ。



「さあ、もう一度だ」

「っ!」



 師匠の言葉が終わると同時に修一は左腕を取った。

 師匠の左腕に、自身の両腕を絡めながら、関節を捻る。

 そして捻り切った状態から、それ以上はもう曲がらないだろう方向に力を掛けて、崩し投げた。

 再び轟音が空き地に響き、ブヂリとかゴリュとかが合わさったような、何かが引き千切れるような音が同時に鳴った。

 恐らく、関節を砕いたのだ。

 肘か、肩か、どちらにせよ、もはや使い物にならないだろう。



 その音を聞いたアルが、思わず「ひっ」と悲鳴をあげながら、両耳を押さえた。

 野良猫が馬車に轢かれた時のような音に、生理的な嫌悪感を覚えたのだ。

 隣にいるレイも、表情にはあまり出ていないが、嫌そうにしていた。

 こんな、大人同士のケンカなどアルは見たくないのだが、他の誰もこの場を離れようとしないため、恐々としたままこの場にいるのである。


「ははは、シショーったら、左肘のジンタイを千切られちゃったみたいですね!」


 しかも、タツキは自分の師匠の戦いを、実に嬉しそうに観戦している。

 「あれはとってもイタいんですよね!」とのたまっているが、アルはそんな説明聞きたくなかった。

 聞くだけで、こっちまで痛くなってくる。


「ね、ねえ、タツキ君?」

「おや、なんでしょう?」

「あの、シショーさんがケガしちゃったのに、どうしてそんなに笑ってられるの?」

「へ?」


 アルの言葉に、タツキはきょとんとした表情を見せる。

 言われた言葉の意味が分からない、といった具合だ。

 そんな反応をされるとは思っていなかったアルは、大いに狼狽えた。


「え? え? わたし、変な事言ってないよね?」

「え? だって、あれくらいなら僕でも――」

「…………あ」


 そこでレイが驚いたような声をあげた。

 師匠が再び立ち上がったからだ。

 痛みを堪えている様子すらなく、焦りや怒りといった感情すら浮かんでいない。仏頂面のまま、力なく両腕を垂らしているが、それだけだ。

 構えだけみれば、奥義を受ける前と何も変わっていない。


「――ふむ」

「ふむ、じゃねえぞ、アンタ」

「うん?」

「どういうつもりだ? 二度も、わざと、奥義を受けて、……一体何を考えてやがる?」


 修一の言葉に、師匠は、もう一度だけ「ふむ」と頷くと、ゆっくりと口を開いた。


「ワの、我侭だからな」

「……ああ?」

「この戦いが、だ」

「……」

「それに、ワの目的は笠原六花の成果・・を確かめることだ。技の出来は、喰らってみなければ分からない」


 師匠は当たり前のようにそう告げる。

 修一には、その考え方は分からなくもなかったが、しかし、限度があるだろうとも思う。


「それで、両腕を潰されて、それでも良いっていうのか?」

「構わない」

「……そうかよ」

「それに、これくらいならどうという事はない」

「なんだと?」


 そこまで言って師匠は、先程投げられた際に自分の帽子が落ちていることに気付き、しゃがんでそれを拾おうとする。

 動かないはずの右腕を伸ばそうとして、


「――むん」


――肩回りの筋肉に、力を込めた。


「!!」


 すると、ゴリッ、と鈍い音がして、師匠は右腕で、普通に帽子を拾ってみせた。



 外された肩が、元に戻ったのだ。

 肩回りの筋肉を収縮させて、外れた肩の骨を引っ張り上げ、関節をはめ直したのである。



 続いて師匠は、帽子に付いた汚れを払おうとした。

 肘の靭帯を千切られた左腕を持ち上げ、それから、ボソリと呟いた。


「――生命転換せいめいてんかん


 その途端、左腕から、なにやら表現に困るような奇怪な音が鳴り始める。

 生き物を、生きたままミキサーに掛けたような、そんな、気持ちの悪い音だ。

 師匠とタツキ以外の、その場にいた全員が、顔を顰めた。

 アルは恐ろしさのあまり目に涙を浮かべながらクリスの足にしがみ付き、レイもノーラの後ろに隠れる。

 タツキだけは、ニコニコと師匠を見つめていた。


 やがて、数秒ほどで音は鳴り止み、師匠は平然とした様子で左手を動かした。

 帽子に付いた砂を丁寧に払い、それからフリスビーのように帽子を放る。

 投げられた帽子は真っ直ぐに空を切り、ニコニコとしていたタツキの頭に綺麗に乗った。

 タツキは一瞬驚いたような顔をし、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせた。


「預かっていてくれ」

「はい、シショー!」


 タツキは帽子を被り直しながら、元気よく返事をする。

 師匠はそれを見遣ると、両手を閉じたり開いたりしながら修一に向き直った。

 修一は頬を引き攣らせて訊ねた。


「治った、……って認識でいいのか?」

「ああ、治した」

「……化けモンか、アンタ」

「馬鹿を言うな、ワは、人間だ」


 どの口がそれを言うんだ、と修一は思った。


「さて、修一よ」

「なんだ」

「ワは、目的を達した。だから、ワにはこれ以上戦う理由がない。

 しかし、お前にはあるだろう? ワに勝たなければならない理由が」

「……当たり前だろ、そんな事」


 勝てたら教えてやろうといったのは、お前の方じゃないか。

 修一は内心でそう独りごちる。


「だからワも、もう少し本気を出そう。

 お前が、ワに勝って、胸を張ってそうだと言えるように、お前が、ワに負けて、仕方がなかったと諦められるように」

「……!」

「ワを、倒そうとするお前に、ワも、敬意を払う。

 ……もう一度言うぞ修一、必要になったら、剣を抜け、さもなくば――」


 修一は、膨れ上がる師匠の戦意を前にして、思う。――ああ、コイツ相手に、手加減は要らないんだろうな、と。

 そして、師匠は、そうした修一の理解を察したように、初めて、はっきりと、笑う。



「ワには勝てん。……ワは、もう(・・)抜いた(・・・)からな」




 ◇




「寿命が延びる、って、どういう意味ですか?」


 苦笑する主人に、ヘレンは言葉の意味を問う。

 まったくもって、意味が分からない。


「まあ、そのままの意味だよ、現に儂は、おそらく寿命が延びただろうからな」

「??」


 余計に首を傾げるヘレンであったが、テリムは主人の言わんとすることが分かったようだ。


「それはつまり、貴方が冒険者を辞め、危険な事をしなくなったから、結果として長生きをするようになった、ということでしょうか?」

「そのとおりだよ」

「なるほど」


 テリムは深く頷いた。

 自分たちがやっている冒険者という職業は、一歩間違えれば命の危険すらあるような仕事だ。

 実力のないものほど、早死にする可能性が高くなる。

 この主人も、内心では思っていたのだろう。

 冒険者を続けていれば自分もそう長生きは出来ないだろう、と。


「儂はこのとおり宿の主人になった。当時パーティーを組んでいた腕の良い神官は、聖国に行って信仰のために生きることにした。他のメンバーも各々が自分の次の仕事を見つけていったし、さっきの話に出てきた手練の戦士も、地元に帰って道場を開き、子どもたちに稽古を付ける毎日を過ごしているらしい。他にも、当時冒険者をやっていた人間の二割ほどがあの人に負けて冒険者を辞め、それから普通の仕事に就いて平穏に暮らしているよ」

「……」

「この町には、そうした冒険者上がりの住人がたくさんいる。

 冒険者を辞めていなければ、この半分くらいは命を落としていたんじゃないだろうか?

 それを思えば、あの時冒険者を辞めたのは、間違いじゃなかったかもしれない。

 ……儂も、今だからこそそう思えるんだ」

「……なるほど」


 若き冒険者たちは、間もなく老齢に差し掛かろうとする先輩の言葉を重く受け止めた。

 その言葉は、紛うことなき真実だからだ。


「それに、それだけじゃあない。儂は、あの人がこの町から出て行った後で知ったんだが、あの人は、たくさんの人にお節介を焼いていたんだ」

「お節介?」

「あの人は、『達法』とかいう武術を使うらしいんだが、その中には医学や薬学に通じる知識や技術が含まれているんだと。

 そして、それらを使ってあの人は、病に苦しむ人間たちを、治療して回っていたんだそうだ。

 およそ、どんな病気であっても完治させたそうだし、大きな怪我や、その後遺症であっても治してみせたそうだ。

 果ては難産の現場にも立ち会って、子どもを取り上げたこともあるらしい。その話を、赤ん坊を抱えた母親から聞いたとき儂は、あの人がどうして冒険者に喧嘩を売っていたのか分かった気がした」

「……」

「あの人は、儂ら冒険者が増長して無謀な依頼に首を突っ込まないように、釘を刺して回っていたんだ。

 そのために、そうした危うさのあった冒険者に戦いを挑み、調子に乗るなと言ってくれていたんだ」


 主人はそこまで言って、フッと力なく笑った。


「まあ、もう少し遣り方を考えてくれても良かったとは思うがね。

 儂のように、いまだに顔を合わせると足が竦むという人間だって大勢いるんだからな……」

「まあ、そうだよな」


 理由はどうあれ、恐ろしい体験をさせられたのだ。

 そればかりは、どうにもならないだろう。



「そういえば、嬢ちゃん――確かヘレンだったな、お前さん、あの人の名前を聞いたりしたか?」

「? いえ、挨拶はしましたけど、名前は……」

「まあ、そうだろうな。儂も、あの人の名前は聞いたことがない。代わりに、町の人間からは色々な通り名を付けられていたよ」

「へえ、どんな名前なんだい、ボス」


 ウールが興味深そうに問う。

 主人は少しばかり頭を捻り、順番に述べていった。


「一番多かったのは『風来坊』だったかな、他には『喧嘩狂』、『薬師』、『赤茶けた怪物』、『武神』、『清貧聖者』、『とっても強い旅人さん』、『甘味馬鹿』、――ああ、あと、」

「あと?」



「『不死身屋(ふ じ み や)』、も多かったな。化け物じみた本人の強さと、たくさんの人の命を死の淵から救った栄誉を称えられて」



 ウールは「へええ」と、感心したように声を漏らした。

 



 ◇




「しゃああっ!!」


 修一はダラリと下げていた右腕を跳ね上げ師匠の左襟を掴みに行く。

 師匠は合わせるように左腕を持ち上げ修一の右腕を内側から弾くように押し当てると、その流れから修一の右手首を掴むべく手首を返す。

 右腕を弾かれた修一は、しかし慌てることなく次の行動に移る。

 師匠に手首を掴まれるより早く、師匠の腕の下を潜るように右腕を動かし再び襟を狙い、それを防ごうと伸びてくる師匠の右手に反応して引き戻した。


 狙っていた右腕がいなくなると師匠は、修一の襟を取ろうと腕の動きを変える。

 蛇のようにしなる右腕が修一の襟に触れ、同時に修一は両手で師匠の右手を掴んだ。

 掴んだ右手を時計回りに捻りながら右足を引いて体を捌く修一は、掴んだ手首を掌側に向けて直角に曲げながら師匠の右肘を自身の左脇で抱えるように押し伸ばす。

 自分の体を前に出しながら押し付け、へその前で手首を固めれば、いわゆる脇固めという体勢になる。

 肘関節を極める関節技だ。


「――」

「うおうっ!?」


 そのまま地面に押し倒してやろうとしていた修一であったが、なんと師匠は、取られている右腕を軸にしてその場で前転宙返りを行ってみせた。

 寸分の狂いもなく同じ地点に着地する師匠。

 この時点で師匠の右肘は可動域を取り戻した。

 そして、いまだ右手を掴んだままの修一に左手を伸ばそうとして、


「まだまだあっ!」


――今度は、小手返しの要領で手首を返された。

 修一は、上方に向いたままの師匠の手首を親指方向に捻りつつ、肘と手首の角度をそれぞれ直角にする。

 そして師匠の右足の外側に向けて左足を滑らせながら修一は、捻った手首を自分の左足先に向けて垂直に押し込み手首を極めた。

 師匠は、これが綺麗に極まっていることが分かると、今度は潔く倒れ込んだ。ただし、目を見張るような速度で。

 こうして、手首の返しよりも早く地面に倒れ込むことで、関節の可動域にスキマを作ったのだ。

 そもそも関節技は、人体がどう頑張っても力を篭められないような角度や方向に関節を捻ることで抵抗できなくさせるものであるため、こうして力を篭められるだけのスキマを作られると、筋力によって抵抗されてしまうのである。


 極めきれなくなるだけの力を篭めた師匠は、倒れ込み背中を地面に付けたままの姿勢から左腕を振るい、修一の右足の膝裏を打った。

 そこに、力を篭めて筋肉の固まった両腕を棒のように使って修一の身体を押し、後方に押し崩す。

 重心を崩されたことを察した修一は躊躇いなく手を放し、転倒しないようにバランスを取りながら師匠から間合いを取った。


 ふわりとした動作で立ち上がった師匠は、力強い踏み込みとともに掌打を放つ。

 体重の乗った一撃だ。

 まともに受けたくない修一は体を捌きながら軌道を逸らすが、すぐさま追撃が来る。

 逸らされた右腕を折り曲げ、踏み込みの向きを変えながら肘打ちを放ってくる。


「くおっ!?」


 肘や膝というのは、元来が強力な攻撃部位である。

 より近い位置から、先程同様に体重を乗せて打ち込まれ、防御する以外に取り得る手段のなくなった修一は、相変わらず骨の芯に響くような衝撃に、歯を喰いしばった。


 いや、威力に関しては先程よりも強くなっている。精度もだ。

 師匠はもう少し本気を出すと言っていた。これで、全力ではないというのか?

 これほど強いのに?


 こちらは、すでに(・・・)――。


「!? つあっ!!」


 雑念とともに思考が逸れる。

 そのせいで前蹴りをまともに浴びた。

 足の裏全体で踏み付けるように放たれた蹴りは、いとも簡単に修一の身体を吹き飛ばした。

 一瞬呼吸が止まり、全身から脂汗が流れ出てくる。

 尋常ではない、という言葉が頭の中をよぎった。


「はあ、はあ……」


 数メートルほど転げてから立ち上がると、蹴られたところが鈍い痛みを訴えてくる。

 胸骨にヒビでも入ったかな、と頭の中のどこか冷静な部分で理解しつつもそれに構う余裕もない。


「――!」

「っ!?」


 右の上段蹴りが、咄嗟にしゃがんだ修一の頭上を掠めていく。

 次第に威力を増していく師匠の攻撃は、もはやコンクリート壁でさえも打ち砕けるのではないか、とすら思えた。

 ただの人間に、耐えられる威力ではない。


「おらあ!」

「――むっ」


 修一が師匠の左足を払った。

 振り上げた右足が地面に着くより早く、水面蹴りに近い形で修一の右足が師匠の足を掬い上げたのだ。

 そして両足が宙に浮いた師匠は、体勢を立て直す暇もなく修一に肘打ちを叩き込まれた。

 下方から伸び上がるような肘打ちを脇腹に受けた師匠は、体重の乗った一撃に成す術もなく吹き飛ばされる。


「――っ」


 なんとか両足で着地した師匠に、修一は滑るような身のこなしで接近し、両手で赤茶けた髪を掴む。

 そしてそのまま、右膝を師匠の顔面に叩き付けた。

 ゴツン、と固いもの同士がぶつかる音が鳴り、師匠の頭が弾かれる。


「う、お、らああぁぁあああ!!」


 それでも修一は髪から手を放さず、何度となく膝蹴りを繰り返す。

 そのたびに師匠の頭が弾かれ、修一はそれを無理矢理引き付けながら膝を打ち込み続けた。

 やがて何度目か分からない衝突音の後に修一は一旦手を放し、それからコートの両襟を掴む。

 棒立ちになった師匠を、今度こそ背負い投げるために。


「っ!!」

「――」


 果たして、師匠の身体は持ち上がった。

 だが、これをそのまま投げたとしても期待通りのダメージは望めないだろう。

 だから修一は、持ち上げた師匠の身体を出来るだけ高く担ぎ上げると、そこから、加速を付けて、頭から――。


「はああっ!!!」


 地面に、――叩き付けた。


 どう考えても人体から出てはいけない音が、師匠の頭蓋から響く。


 脳天から地面に叩き付けるこの投げ方は、直接的にぶつかる頭部だけでなく、その衝撃全てが首に掛かる。

 頚椎損傷か、下手をすれば即死の可能性もある技であり、決して人を殺さないと誓っている修一が今まで使おうともしなかった技でもある。

 修一は、父親から習った際に一般人相手に絶対に使ってはいけない禁じ手だと教わっていたし、こんな技使う機会など一生来ないだろうと思っていたのだ。

 まさか、一生を過ぎてから使う羽目になるとは思わなかった。


 そして、


「――ふむ」

「……んな事だろうと思ったよ」


――師匠には、この技さえも効いていなかった。


 いや、立ち上がる際に若干ふらついていたためそれなりには効いているのだろうが、戦闘不能に追い込むまでは効いていない、といったところだ。

 呆れと諦めが交じり合ったような声色で修一が呟き、師匠がコートに付いた砂を払う。

 大したタフネスさだ。

 本当に同じ人間なのか、疑わしくてならない。


「……もう一度聞いとくが、アンタ本当に人間か?」

「勿論だ」


 その返答に修一が顔を顰める。

 師匠はそれを見て、僅かに首を傾げた。


「人間に耐えられる技じゃない、って聞いてたんだがな」

「鍛えてるからな」

「それで納得すると思うなよ?」

「事実だ」


 師匠が大真面目にそんな事を言うものだから、修一は半眼で睨み付ける。

 が、師匠はまるで意に介さず、「それより」と告げた。


「どうする?」

「ああ?」

「ワに勝ちたいのではないのか?」

「……」


 勝ちたいに決まっている。

 決まっている、が……。


「…………」


 修一は左腰の騎士剣の柄をそっと撫でた。

 師匠が、さらに言葉を重ねる。


「そもそもこれは、誇りを賭けた決闘ではない。

 お互いが、お互いの我侭で始めたものだ」

「……お互い?」

「ワは、笠原六花の成果を知りたい、修一は、ワから話を聞きたい。

 お互いの我侭だ」

「…………」


 修一の瞳が、一瞬、騎士剣に向く。


「ならばこそ、勝つために全力を尽くすべきだ。

 遠慮は要らん。それに、だ」

「…………?」

「ワは、もう抜いたと言っただろう? ワだけ抜くのは、不公平だと思わないか?」

「…………はっ、」


 そこまで言われ、修一の左手が鞘を掴んだ。

 そのまま、騎士剣を半回転させる。

 剣の刃引きしてある側が上を向いた状態になった。


「さあ、どうする?」

「……そうだな、不公平かもしれないな」


 修一は、ニヤリと笑みを浮かべながら、右手を前に突き出した。

 その手は、人差し指を伸ばし、親指と中指の腹を合わせた形になっている。


「それは?」

「さあ、なんだろうな?」

「――ふむ」


 師匠は表情も変えずに呟くが、修一の雰囲気が変化した事を察した為か、僅かに楽しげな声音となっていた。


「ところで一つだけ言っておくが」

「なんだ」

「俺は、アンタを殺すつもりはないからな」

「そうか」

「もちろん、不慮の事故も起こさないつもりでいる」

「そうか」

「ただ……」

「……」


 そこまで言って修一は、静かに、右手を騎士剣の柄にかけた。

 そこで修一の戦意が一気に増大し、師匠はそれに合わせるように、更に抜いた(・・・)


「あらゆる手を、使わせてもらおう。俺は、アンタに勝つために、全力を尽くす」

「――そうか」

「そうだ、だから――」

「……」



アンタも(・ ・ ・ ・)、――全力で、来い!!」

「――そうだな」




 そして決着は、――ほんの十数秒後に訪れた。




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