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第6章 13

 ◇




「その後、ですか?」

「ああ、そうだ、あの人に負けたこと自体は別に問題じゃない」


 自分の言葉を否定されたテリムは、その続きを促すように主人に問い掛ける。

 主人は、若干血の気の引いた顔でそれに答えた。


「当時、儂の仲間には腕の立つ神官がいてな、腕の骨折くらいなら、時間をかけて治療してもらえば完治させることが出来たんだ。

 だから儂が意識を失う直前に思ったのは、やっと終わった、ということと、またアイツにどやされるな、ということだった。

 儂とて、骨折くらいで冒険者を辞めるつもりはなかった。

 そういった怪我をしたことも、一度や二度ではなかったからな」

「だとよ、ウール」

「なんだい、文句があるならはっきり言いなよ」


 ウールはカブをジロッと睨んだ。ウールには、それほど大きな怪我を治すことが出来ないのだ。

 カブは小馬鹿にしたように鼻で笑いながら肩を竦めた。


「それでは、何が原因だったんだろうか?」


 カブは、そのまま睨み続けてくるウールを無視した。


「……儂が目を覚ましたとき、何故か儂は自分が泊まっていた宿のベッドの上にいた」

「ベッドの上?」

「ああ、儂は少しの間その事実に理解が追い付かなくてな、呆然としたまま起き上がって顔を撫でたところで、違和感に気付いた」


 グッと何かを堪えるように目を瞑り、さらに続ける主人。

 カブは、先程の主人の発言を聞いて怪訝そうに眉を顰めた。


「顔を、撫でた? しかし、両腕は」

「治っていた」

「……は?」

「儂も顔を撫でていて、気付いた。

 あまりに当たり前の事のように腕が使えたものだから、気付くのが遅れたがな。

 両腕とも、痛みも傷痕も、一切残っていなかった。いや、腕だけじゃないな、身体中ボロ雑巾のように叩きのめされていたはずだったが、どこも痛くなかった」


 ヘレンは不思議そうに目を瞬かせる。


「どうして、ですか?」

「分からんかったよ、その時は。

 もしかしたら、昨日のことは酔い過ぎた儂が見ていた悪い夢だったのかもしれん、と思ったりもした。

 そして同じ宿に泊まっていた仲間たちに確認してみたが、誰一人として儂が帰ってきたところを見ていなかった。

 儂は首を傾げるばかりだったが、兎に角、怪我一つ残っておらんかったのだから、儂はそれ以上気にしないことにした。

 …………そして、その数日後だ、儂は、再びあの人に出会った」


 主人の言葉は、もはや懺悔に近い響きを伴っている。


「偶然、本当に偶然だった。

 儂が道を歩いているとな、裏道から争う声が聞こえた。

 好奇心に負けて声の元に近寄るとそこでは、当時儂ら冒険者の中で一番の手練だった戦士ファイターが、あの人と戦っていた。

 戦況は一進一退、いや、僅かに戦士の方が押しておった。儂は内心で戦士を応援し、やがて戦士が、決定打となるであろう一撃をあの人に叩き込んだ。

 儂は確信した、これで決まったと、おそらく戦っていた戦士も同じ事を考えていたのだろう。――だが」

「……」

「その一撃が決まった途端、あの人が急変した。

 およそ同じ人間とは思えないほどに身の熟しが変化し、そのまま戦士を一方的に殴り続けた。

 ……程なくして、戦士は倒れた、遠目に見ても虫の息だったよ」


 カブたちは、誰一人として口を開くことなく、主人の言葉に聞き入った。

 それほどまでに、彼の言葉は重く、なにより震えていた。


「そしてあの人は、あ、あの人は――!」

「師匠さんが、どうしたん、ですか?」


 たまらずヘレンが、口を開いた。

 ヘレンには信じられなかったのだ。先程出会ったばかりではあるが、師匠がそんな事をする人間なのだろうかと。

 そして、主人の口から出てきたのは、更なる驚愕をカブたちにもたらした。


「あの人は、ゆっくりと倒れた戦士に歩み寄ると、そいつの体から流れている血を掬い、舐めた(・・・)。そして、味わうようにして飲み込むと、何事かを呟き、口から何かを吐き出した(・・・・・)んだ」

「……何かって、なんだい?」

「なにやら透明な、ネバネバした液体だったよ。驚くべきことに、それは止め処なく口から溢れ続け、その戦士の体全体を覆ったところで止まった。

 その後あの人は戦士を担ぎ上げると、人間離れした脚力でを駆け上がり、儂の視界から消えた。

 儂は呆然とその一部始終を見ていたが、ふと気付いた。師匠が消えていった方角は、その戦士が宿泊していた宿の方角だったんだ……」

「……まさか、」

「儂は大慌てで、その戦士の宿に向かった。

 そいつの仲間から部屋を聞いて入ってみれば、儂と同じように無傷のままベッドに寝かされていたよ。

 儂はそいつを叩き起こして確認したが、本当に傷一つ残っていなかった。――そして戦士は、何をされたのかしっかりと覚えていて、目が覚めた後はずっと震えていた」

「……!」

「さっき言ったネバネバした液体を掛けられると、傷が治る(・・・・)。しかしそれは、回復魔術や治療神術とは違い、強い不快感を伴う。言うなれば、体の中を粘土細工でも作っているみたいにこねくり回され、無理矢理作り替えられたかのような感覚だ。分かるか、その悍ましさが?

 その戦士は全身でそれを体験してしまい、身体中の震えが止まらなくなってしまったんだ。

 そして儂も――」


 主人は一息入れ、さらに言葉を続ける。


「儂も、その様子を見て、数日前の事を鮮明に思い出した。

 儂の両腕も、同じようにして治されていたのだ。

 そう思っただけで、儂は言い様のない寒気を感じ、慌てて宿を飛び出した。

 そうしたら、宿の外に、あの人がいたんだ!

 あの人は、まるっきり感情の籠らない目で、儂に言ったんだよ!」

「……一体、なんと?」

「――良かったな、無事でいられて、また怪我をしたら言うといい、ワが治してやろう……だ、儂は、その言葉を聞いた途端、こう思ってしまったんだ。

 …………もう二度と、怪我をしたくない、怪我をするようなことは出来ない、冒険者なんて危ない仕事は、続けられない、……と」


 そこまで言って主人は、深く項垂れた。

 おそらくここまでなのだ、主人が伝えたいことというのは。

 カブはそれを察し、言葉を選びつつも主人に、礼を述べた。


「――ありがとうございました。

 そんな、過去を、わざわざ俺たちのために、話してくれて」

「……いや、儂も、誰かに話したかったんだ。

 あの人の顔を見てぶり返した恐怖を鎮めるために、誰かに……」

「……」


 再びの沈黙が、室内を支配する。

 とてもじゃないが心地好いとは言い難い沈黙に耐えきれなくなったウールが、わざとらしく明るい声をあげる。


「ま、まあ、あれだよ! そうと分かっていれば、そんな師匠さんと戦うなんて無茶な事しようとも思わないさ! ありがとね、ボス! 肝に銘じておくよ!」

「……ああ、そうしてくれ」

「で、でも、師匠さんって、本当にそんな怖い人、なのかな?

 タツキ君とか、物凄く懐いてるし、その、……私たちの心配とかも、してくれたよ?」


 ヘレンは、実際に師匠と会話をして感じたことを素直に言った。

 主人は、苦笑気味にそれに頷いた。


「まあ、あの人も、基本的にはイイ人だからな」

「え、そうなんですか?」

「ああ、少しばかり強過ぎて加減が出来ないのと常識というものに頓着しないせいで、接し方を間違えると危険なだけだ。

 儂だって、あの一件がなければここで会えたことを素直に喜べるんだがな」

「はあ、」


 どうやら主人にとっては、イイ人だが会うとトラウマを刺激されるから会いたくなかった、というような心境らしい。

 そもそも、本当に嫌なら宿に泊めるのを断るはずである。


「客として泊まっていく分には、なんとか対応出来る。

 戦いを挑まれたりしたら、漏らしてしまうかもしれんがな」

「ボス、頼むからそれだけは止めておくれよ?」


 誰が、五十過ぎた禿げたおっさんのお漏らしなど見たいものか。

 ウールの心からのお願いに、主人は「冗談だよ」とだけ答えた。

 冗談でも、止めて欲しい。心臓に悪い。


「しかし、そんな恐ろしい人なのか、師匠さんは」

「ああ、もう一度言っておくが、絶対に、あの人と戦うなよ?」

「はっは、いくらあたしでも、今の話を聞いてそんな寿命が縮みそうなマネはしないさ」


 そう言って笑うウールに主人は、同じように笑いながら、こう返した。



「いや、寿命は延びるぞ」

「……はっ?」




 ◇




「うらあっ!!」

「むっ……?」


 修一は気合の篭った声を発しながら、右腕で作った手刀を振り抜く。

 遠心力によって十分に加速した指先は寸分違わず師匠の顎先を捉え、その衝撃を脳にまで叩き込んだ。

 脳震盪を引き起こすべく放った一撃は的確に作用したらしく、師匠は僅かに膝を落とす。

 しかしそれも一瞬のことだ。すぐさま師匠は崩れかけた膝に力を込めた。

 効くには効くようだが、次に繋げられるほどの隙は生み出せなかった。


 ――マジで化けモンか、コイツ。


 常人なら意識を失ってもおかしくないほどの、完璧な一撃だったはずだ。

 それを喰らわせてもほとんど効果が無いとなると、この攻め方では駄目なのだろう。


 そこへ師匠は、お返しとばかりに掌底を突き出してきた。

 前羽の構えから、一切の無駄なく真っ直ぐ突き出されてくる掌底は、掌底自体に腕の動きが隠されてしまい動き出しがまるで見えない。

 必然的に修一の反応は遅れ、回避が間に合わなかった。

 左胸を突かれた修一は、大きくよろめく事になる。


「くっ……はあっ!!」

「――!」


 修一が体を崩したのを見て更に踏み込もうとした師匠の顔先を、修一の右足が通過した。

 上体のバランスを崩しているにも関わらず、大上段に右足を振り上げたのだ。

 そのまま完全に体勢を崩した修一は、しかし慌てることなく背中で着地し、流れるように後転を行うとしゃがみ姿勢で起き上がる。

 低い姿勢ながら重心を取り戻した修一に、師匠は足元の砂を蹴り飛ばしながら踏み込む。

 目潰しとして飛んでくる砂粒を避けるために目を閉じ、代わりにチカラを使って師匠の左手刀を躱した修一は、距離を完全に潰すべく、体当たり気味に師匠に飛び込んだ。


 胸骨目掛けて頭突きを繰り出し、鳩尾に体重を乗せた肘を叩き込み、踏み込んだ足で股間を蹴り上げる。

 衝撃で仰け反った師匠のコートの両襟を掴み、背負い投げを行おうとして――。


「っ!?」


 …………ビクともしない。


 思いっきり引き付けているというのに、師匠の体は地面に縫い付けられているかのように持ち上がらなかった。

 投げを、潰されたのだ。投げられる瞬間に重心を落として。


「……」


 師匠は、投げ切れずに中途半端な位置で止まった修一に対して、両足で後方に飛んで両者の間に空間を作ると同時に、自分の体重を修一の両手に掛けた。

 手を使わずに重心を崩され、技を掛け返された修一は、背中から地面に引きずり倒される。

 咄嗟に手を放し受身を取った修一を師匠は蹴り飛ばそうとし、修一は大きく転がることでなんとかそれを躱す。

 修一は、師匠から距離を取って起き上がると、ペッと口に入った砂を吐き出した。


 ――強ええな、やっぱ。


 修一がこの世界で戦ってきた相手とは、一線を画す強さである。

 その強さは、純粋な筋力や反射神経といったものよりもむしろ、長い年月を重ねることで築き上げられた技量と、培われた経験に基づく武術家としての強さだ。

 なにより師匠は、修一が使う技の正体、元の世界の武術を知っているのだ。

 今までの相手とは、段違いにやり辛い。


「投げを潰されるとかいつ以来だよ、クソッタレめ」

「なんだ、そうなのか?」


 修一がいつもの様に右半身で構えながら呟いた言葉に、師匠が律儀に答えた。


「遠慮せずに使えばいいだろう?」

「……ああ?」

「笠原六花は、完成させてないのか?」

「…………」


 修一には、師匠の言わんとすることが良く分かった。


「……完成してるよ、じゃなきゃあ、六代目になってないだろうが」

「そうだろう? それなら使えばいい」

「……簡単に言いやがって」


 分かった、が、使うかどうかは別問題だろう、と修一は思う。

 もし不用意にこれを使って、それでも太刀打ち出来なければ、その時は――。



「……アホか、俺は」



 いつになく弱気に傾きかけた心に、思わず笑い出しそうになった。


 ――負けたときのこと気にしてどうするんだ、どの道使わなきゃジリ貧だろうが!


 吐き出した自嘲の言葉とともに、修一は腹を括る。


「……」


 右半身の構えから、両足を肩幅で開いて揃える自然本体に構えを変える。

 両腕はいつも以上に脱力させ、必要な力さえも、必要な時まで込めない。

 少しだけ背中を曲げて猫背気味になり、腹筋や背筋などの体幹筋を限界まで緩める。

 やがて、ゆらゆらと修一の身体が揺れ始めれば、完成だ。


 『奥義ノ二・陽炎』に似た構えだが、あれが速く動くことを目的とした構えであるのに対し、こちらは――。


「――ふむ」


 修一が構えを変え、それを見た師匠が、小さく頷く。

 表情に、少しだけ――ほんの少しだけ――、喜色を浮かべ、口角を吊り上げた。


 そして師匠は構えていた両腕をだらりと下ろすと、一言、「来い」と呟いた。



 ――白峰一刀流剣術奥義ノ六、



千鳥足蔓ちどりあしかずら




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