第6章 12
世間一般の学生諸君はそろそろ夏休みに入ったのでしょうかね?
◇
カブたち四人が自室にて今後についての話し合いを行っていたところ、誰かが部屋のドアをノックした。
一体誰が来たのだろうと思いつつ、ドアに一番近い席に座っていたウールが立ち上がりドアを開くと、そこに立っていたのは、禿げ上がった登頂部とちょび髭が特徴の五十歳代の男、要はこの宿の主人であった。
ウールは、思わず笑い出しそうになるのを堪えつつ、用件を尋ねた。
「おやおやボスじゃないか、どうしたんだい、そんなにビクビクして」
「……」
宿の主人はウールの問い掛けに答えず、代わりに部屋の中を窺うようにして見回した後、静かに部屋に入ってドアを閉めた。
その様子を不思議に思いながらウールが自分の席に戻ると、ややあって主人は話を切り出した。
「お前ら、全員揃っているな」
「? はい」
「……儂からお前らに、言っておかなければならない事がある」
「言っておかなければならない事、ですか?」
何の事だろうと思いつつも、主人の様子からなんとなく想像が付いたテリムは、確認の意味も込めて聞いてみる。
「それはもしかして、師匠さんに関する事ですか?」
「! ああ、そうだ」
「やはり」
さもありなん、と思う。
師匠に会ったときの主人の態度を見れば、誰でもそう思うだろう。
「それでボスは、師匠さんの一体何について教えてくれるんだい?」
ウールが楽しそうにしながら先を促す。
ちなみにウールは、この宿の専属冒険者になることが決まった時点で、主人の事をボスと呼んでいる。
そうした方がそれらしいだろうという思いが一つと、そうした方が面白いだろうという思いが一つ、それぞれあってそうしているのだが、まあ、それは今どうでもよろしい。
ともあれ主人の話は、こうである。
「いいかお前ら、あの人、……お前らの言葉を借りれば師匠さんか? とにかく、あの人と、絶対に、戦おうとするな。いいな、絶対だ。もし、あの人から誘われても、必ず断れ」
「……!」
「あの人がこの宿を出ていくまで、それを守るんだ。いいな?」
「え、あの、それはどういう……?」
ヘレンは、いきなりそんな事を言われて思わず狼狽えた。
だが、主人は尚も言い募る。
「どうもこうもない、あの人とは戦ってはならんと、それだけの事だ」
「そんな危ない人には見えなかった、――です、けど?」
カブが下手くそな敬語で問うも、主人の答えは簡潔だった。
「あの人が、強過ぎるからだ」
「強過ぎる? ……それだけですか?」
「それだけだよ。
だが、あの人の強さは、それだけなんて言葉じゃあ済まないんだよ。
……お前ら、今、何歳だ?」
「全員、十七歳、です」
ヘレンの答えを聞いて、主人は深く頷く。
「そうか、それなら知らんのも無理はないな。
……今から、二十年ほど前の事だ。
当時はまだ、冒険者の宿というものがきちんと機能していなくてな、冒険者同士のまとまりなど皆無に等しかった。
冒険者の中には、金の為なら何でもするような奴や犯罪行為に平気で手を染めるような奴が大勢いて、冒険者という言葉が、チンピラやならず者と変わらない意味で使われていたんだ。
世間様からは、社会不適合者が流れ着く仕事だと思われていたし、実際やってる事はまともな仕事とは言い難いものも多かった」
「……はあ」
カブが気の抜けたような相槌を打つが、それも仕方のない事である。
そんな生まれる前の話をされてもな、という思いは、四人に共通していたのだ。
「で? それが師匠さんとどういう関係があるんだい?」
だからウールがこのように問うても、カブたちは咎めなかった。
この言葉が、四人の気持ちを一纏めにしたようなものだったからだ。
「関係なら、ある。
あの人は、ある日ふらっとこの町やってきたかと思うと、当時の、そうした素行の悪かった冒険者たちを、片っ端から殴り倒しているんだ」
「……なんですって?」
「あの人がこの町に滞在していたのはほんの一月ほどの間だったが、その間あの人は、目に付いた冒険者相手に次々と喧嘩を売り、それに応じた血の気の多い冒険者たちと昼も夜もなく殴り合っていたんだよ」
「……」
俄かには、信じ難い話である。
ウールが不思議そうに尋ねた。
「どうして師匠さんは、そんな事をしてたんだい?
いまいち、意味が分からないんだけどねえ?」
「儂だって当時は同じ気持ちだったよ。
こんな事してなんになる、これじゃあただの狂人じゃないか、全くもって理解に苦しむ、と。
そして、こうも思った。……まあどうせ今だけだ、こんな風に暴れられるのは。この人だって、その内誰か自分より強い人間と戦って、ボロボロにされるに違いない。この町には人格的には社会不適合者でも腕だけは立つという奴らが何人もいるんだ。きっとその中の誰かに負けて、大人しくなるだろう、と。
……だが!」
「……まさか」
主人は、重い息を吐いた。
「そのまさかだ。
結局あの人は、一度たりとも負けなかった。
大人数で囲まれたことや、泊まっている宿に夜襲を掛けられたことだってあったらしいが、その全てを悉く叩きのめしている。
本当に、強かったんだよ、あの人は」
「あ、あの」
「ん?」
ここでヘレンが、おずおずと手を上げた。
「えっと、師匠さんって、今、幾つなんですか?
そんな昔から生きているにしては、随分その、若く見えますけど」
「儂も知らんよ、そんな事は。
ただ、儂が最後にあの人に関する話を聞いたのは今から十年以上も前の事で、その内容というのも、あの人が事故で死んだという噂だった」
「死んだ?」
「勿論、単なる噂だったんだろう。
事実、今こうして再び会えたわけだからな。
ただ、その時儂は、まさかあの人がそう簡単にくたばるもんか、と笑い飛ばしていたんだが、……実際に会うと、やはり駄目だな。身体の震えが止まらんかったよ」
「……」
主人は、震える両腕で自身の体を掻き抱いた。
「さっき、あの人と再び顔を合わせて、まず感じたのが、恐怖だった。再会できて嬉しいという気持ちもないではなかったが、それでもやっぱり、儂は恐ろしいんだ。あの人と顔を合わすのが」
「……もしかして」
何かに気付いたように、テリムが口を開いた。
「主人も、師匠さんに殴り倒された冒険者の一人なのですか?」
「……ああ、そうだ」
なるほど、それなら。
「それで師匠さんの事を恐れている、と」
「どうして戦ったんだ、――ですか?」
口調は兎も角、真剣な目付きで聞いてくるカブに主人は、ゆっくりと思い出すようにしながらそれを語る。
「儂があの人と戦ったのは、あの人が町に来て二十日ほど経ったある夜の事だった。
儂は、とある酒場で酒を飲んでいたんだが、どうにもその日は飲みすぎてしまってな、気が大きくなっていた。
そしてふと店内を見回したとき、一人で静かに酒を飲んでいたあの人を見て、どういう訳か無性に腹が立ったんだ。
今でも思うよ、あの時の儂はどうかしていたと。よりにもよって、あの人相手にそんな事を思うなんて」
「……」
四人は無言のまま先を促がす。
この先の結末は、大体予想が付く。
だが、やはりそれは、主人の口から直接語ってもらうべきだろう。
「儂は、酒の勢いそのままにあの人に絡み、何と言ったかまでは覚えてないが、あの人を詰った。そして師匠を店の裏手に連れて行って、喧嘩を始めたんだ。
……結果は、惨敗だったよ。
本当に、手も足も出なかった。
酒に酔っていたとか、そんな事全く関係なかっただろうな。
純粋に、あの人が強かったんだ。
儂は、あの人にいいようにあしらわれ、全身ズタボロにされたあげく両腕の骨を砕かれた。地面に叩き伏せられた儂は、頭を蹴り飛ばされたところで意識を失い、目が覚めたのは次の日の朝だった。
……儂が冒険者を辞めたのは、その数日後だよ」
「……」
重い雰囲気が、室内を包み込んだ。
分かりきった結末ではあったが、実際に耳にすると、なんとも後味が悪い。
ウールが、重い雰囲気を払拭すべく、あえて明るい声を出した。
「なるほどねえ。
要するにボスは、あたしたちが師匠さんと戦ってボスと同じように冒険者を辞めたりしないしないように、師匠さんと戦うなと言ってくれているんだね」
「ああ、そうだ」
「ま、折角のボスの忠告だし、言うこと聞いとくよ」
ウールが暢気に笑う横で、テリムが神妙な顔付きで唸る。
「うーん、しかし、両腕の骨を砕かれて冒険者を辞めるというのも、なかなかの話ですね」
テリムのその呟きを聞いた主人は。
「……いや、その事自体は、問題じゃない」
「?」
「問題は、その後なんだよ」
主人の言葉に四人は顔を見合わせる。
主人は、更なる事実を四人に告げた。
◇
空き地における戦いの始まりは、静かなものであった。
修一と師匠は、お互いに構え合ったまま動かない。
時折、軽く牽制するような形で手足を動かすもすぐにそれを戻し、目立った動きを見せない二人に、メイビーやクリスは兎も角として、武術的な経験のないノーラには何をやっているのか理解できない。
ただ、理解出来ないなりに「何かやってるんでしょうね」くらいには考えているノーラは、その事に関して意見を持つこともなかった。
よって、今この場で、この動きのない遣り取りに焦れたのは年少組たちであり、もっといえばタツキが、つまらなそうに唇を尖らせている。
そのまま、師匠にもう一度エールを送った。
「シショー! ガンガン行きましょうよー!!」
「……はぁ」
緊張感の欠片も無いタツキの声援を受け、師匠は僅かに嘆息すると、修一に向かって接近を開始した。
ゆっくりとにじり寄ってくる師匠の、その身体から感じる戦意が急激に増大した事に、修一は素直に感心した。
流石に弟子を取るだけのことはある。
武術家として、一定の段階まで達していることが、容易に推察出来た。
「うらあっ!」
接近してくる師匠に対し修一は、先んじて攻撃することにした。
右足で、相手の左膝を踏み抜くようにして蹴り付ける。
当たれば、相手の機動力を削げるはずの一撃だ。
ただ修一としても、このくらいの攻撃は躱してみせるだろうと考えながらの攻撃であり、これをどう躱してどのように動くかを見極め、次の攻撃へ繋げるための布石のつもりで放った一撃だった。
「――ふむ」
だから、師匠が全く避ける素振りも見せずに蹴りを受けた事に僅かに困惑する。
その隙を突くかのように、師匠は蹴られた左足に重心を移し、右足を大きく振り上げてきた。
右足で師匠の左膝を更に踏み付けながらその勢いで後方に躱した修一の眼前を、師匠の猛烈な蹴りが通り過ぎる。
びょうと風を切る音が聞こえ、この蹴りをまともに喰らうのは避けるべきだと感覚的に悟った。
空いた距離を詰めるように師匠が更に踏み込み、前に突き出した両手を使って手刀を打ってくる。
右手で袈裟懸けに、左手で水平に、それを修一が防御したとみるや更に数度、修一の急所を突くように腕を振るう。
「うおっと!」
修一が、右手で放ってきた咽喉元への貫手を逸らすと、師匠は手首を返して指を折り曲げ、顔を引っ掻くようにして腕を振り上げる。
ヘッドスリップによってそれを躱した修一が、ガラ空きになった師匠の右脇腹に左足で中段蹴りを打ち込むが、師匠は気にした様子もなく振り上げた腕を切り返し、瓦割りのように修一の脳天に向けて手刀を振り下ろしてくる。
咄嗟に自分も右腕を持ち上げ、前腕部よってそれを防ぐが、骨にまで響くような衝撃を感じ、思わず顔を顰めた。
この威力なら、瓦の十枚や二十枚くらい簡単に砕けそうである。
更に師匠は先程の蹴りのお返しとばかりに、同じようにガラ空きになった修一の右脇腹に向けて、左の中段蹴りを放ってくる。
太い丸太を力ずくで振ったような風切り音とともに迫る師匠の蹴りを、そうくるかもしれないと予想していた修一は、どうにか右腕で防御した。
再び右腕を、衝撃が襲う。
骨の髄まで響くとはこの事だ。
修一は、吹き飛ばされないように両足で踏ん張るが、地面を掴み切れずに横滑りした。
「痛ってえなあっ!」
痛みを騙すべく吼え猛り、左の貫手を師匠の鳩尾の突き込む。
五指を伸ばしたまま丸くすぼめ、一点を穿つように繰り出された貫手は、師匠の鳩尾を正しく捉える。
――硬っ……!?
そうして指先で感じた師匠の肉体は、まさしく岩であった。
急所であるはずの鳩尾をここまで固められるとは、と驚嘆する。
この一事をとってみても、師匠がどれほどの鍛錬を積んでここまで肉体を鍛え上げたのか、その一端が垣間見えた。
頑強身体強化神術と防護神術を重ね掛けしたクリスよりも、更に硬いのだ。
尋常ではない。
「……ふむ」
「――!?」
その時師匠が、修一の左手首を右手で掴んだ。
修一がその瞬間に感じた怖気というのは、若しかしたら修一が、今まで戦ってきた相手に与えていたものと等しかったのかもしれない。
「放せっ!!」
修一は咄嗟に痺れたままの右腕を無理矢理振るい、手刀を師匠のこめかみに叩き付けた。
無論、こんなもので放してもらえるとは思っていない。
修一は、両足を揃えて引き上げると、師匠の胴体に足裏を押し付けた。
それから、掴まれた左手を右手と握り合わせると、両足で力一杯師匠の身体を踏み飛ばしながら、同時に両手を引き上げて、師匠の握りを切った。
ドロップキックのようにして蹴り飛ばされた師匠は、握りを切られた右手を開閉させかがら、小さく「ふむ」と頷いた。
「……」
修一はその様子を見ながら苦い思いを抱き、「クソが」と悪態を吐いた。
師匠の仕種や行動の端々から、まるで実力を見極められているような、そんな感覚を味わうのだ。
決して、気持ちの良いものではない。
それともう一つ、問題がある。
今の段階において修一は、師匠に対する勝ちへの道筋がまるで見えないのだ。
これは、この世界に来てからの戦闘では初めての事であった。
基本的に修一は、勝つために戦っている。
そのためには何が必要で、何をしなければならないのか、相手が何を考えてどう動くのか常に考えている。天候や地形といったものも利用するし、相手の得意とする事、苦手とする事を読み取りそれを逆手に取ったりもする。
相手の意識を逸らしり体勢を崩したりして隙を作り、そこに大技を叩き込んだりと、修一は限りなく勝ちに近付けるように工夫を凝らしながら戦い、その結果、勝ちに結び付けてきたのだ。
だからこそ、その最中にどのようにすれば勝てるという道筋が見えるものであったし、事実、この世界における今までの戦いでは、それが見えていた。
「――」
しかし今、それが見えないのだ。
これは、今まで一度も無かった事だ。
そう、一度も。
勿論、これは最初から見えるものではなく、ある程度相手の事を把握し、その上で様々な事情を総合的に勘案しなければならないものだ。
まだ、戦いは始まったばかりなのだから、まだ見えないのも、当然といえばそうなのだ。
そうなのだが――。
――コイツ、親父と同じ感じがしやがる……!
直感的に感じたこの感覚が修一にとっては何よりも忌わしく、自然と顔付きが険しくなってしまう。
不安と苛立ちが混じったような、自身の内側から湧き出てくるこの感覚をどうにかしなければ、決して勝ちは望めないだろうと、修一自身そう思えた。
修一は、師匠から感じる気配が、一度も勝ったことのない実父、白峰清十郎と重なる事に、とてつもなく苦い思いを感じながら「ちっ」と小さく舌打ちを漏らし、再び師匠へ駆け寄っていったのだった。




