第6章 10
◇
ノーラたちに歩み寄った修一は、そのまま師匠たちに向かい合う。
ノーラの隣に並ぶと、軽い口調で名を名乗った。
「どうも初めまして、俺の名前は白峰修一だ」
「タツキです! こっちは僕のシショーです!」
「……よろしく」
「ああ、こちらこそ」
無愛想極まりない師匠の態度が少しばかり気になるが、それでもきちんと会釈してきたので、修一も軽く頭を下げた。
出会い頭に殴ってくる奴よりはよっぽどマシだとも思った。
「アナタがレイちゃんのお父さんなんですか?」
「ん? ああ、そうだよ」
タツキが小首を傾げながら質問してきたので答えると、タツキは二度ほど修一とレイを交互に見遣り、それからパッと笑った。
「たしかに似てますね!」
「……そうか?」
「はい! でも、ずいぶんお若いですね!」
「まあ、いろいろあるんだよ」
「なるほど! カッコいいです!」
今のやり取りの中に格好良いと思えるようなところがあっただろうか、と修一は思ったが、まあ、気にしないことにした。
子どもの言うことをいちいち真に受けても、疲れるだけである。
「レイちゃんのお父さんってカッコいいですね! 憧れちゃいます!」
「…………ありがとう」
レイも、普段より得意気な顔をしている。
修一を誉めてもらって嬉しいようだ。
「――ふむ」
「……なんだい?」
「いや、失礼、知り合いに似ていたのでな」
「……へえ?」
師匠の発言に、その知り合いはどんな奴なんだ、と聞こうとしたところでメイビーたちがこちらにやって来た。
そのため修一は、自身の軽い好奇心を飲み込んだ。
妙に顔の赤いクリスと、そんな兄に対して不思議そうな顔を向けているアルを引き連れたメイビーが合流すると、ノーラは軽洗浄魔術によって海水を洗い落とした騎士剣を修一に返しながら、取り合えず一度宿に戻ることを提案する。
修一は騎士剣を少しだけ鞘から引き出し目立った汚れが付いてていないことを確認すると、ノーラの言葉に頷いた。
綺麗にしてもらったとはいえ、やはり自分の手で手入れをする必要もあると思ったからだ。
それに、カブたちの話し合いもそろそろ終わっているはずであったし、自分たちも買出しは終わった以上、ここに長々といる必要もなかった。
「で、師匠さんたちはどうするの?」
メイビーが師匠たちに訊ねる。
問われた師匠は数瞬の黙考の後、答えた。
「ワらは、まだ宿が決まってない。だから――」
「ちょうど良かったですね、シショー! 宿を探さなくてすみますよ!」
「――そうだな」
タツキが師匠の発言に被せ気味に喜んだ。
師匠は自分の言葉を遮られても、全く表情を変えなかった。
慣れているようだ。
「それなら行きましょうか、――クリスライト」
「! はい!」
なにやらモゴモゴとしていたクリスは、ノーラに呼ばれると慌てて背筋を伸ばした。
その様子に、ちょっと厳しくし過ぎただろうかと思ってしまったノーラは、苦笑気味に緩く微笑みながら言葉を続ける。
「もう怒ってませんよ、クリスライト。
貴方たちも時間は大丈夫ですか?
宿の食堂でお茶でも出して貰おうかと思いますので、一緒に飲みませんか?」
「あ、はい、大丈夫です」
クリスがそう答えたのを聞いてノーラが歩き出し、他の面々もそれに続いた。
昼下がりの時間帯になったためか、大通りの人混みは先程よりは和らいでいた。
先頭を歩く修一は、「服がベタベタする」とぼやきながら人混みを掻き分けるようにして進んでいる。
一応体にも軽洗浄魔術を使ってもらったのだが、ずぶ濡れ過ぎてベタ付きが残っているのだ。
クリスがそれを聞いて少しだけ申し訳なさそうにした、が、謝りはしなかった。
彼にされたことを思えば、それ位いいじゃないかと思ってしまうのだ。
それに、なんだかあの男は好きになれない。
いけ好かないというか、気に喰わないというか、なんでもいいが、とにかく仲良くしたいと思えないのだ。
第一印象が悪過ぎたと言えばそうだし、向こうも自分の事を嫌っているような節があるので、おそらくはそのせいだろう。
少なくとも負けたままの今の状態では、どうやっても友好的な気持ちにはなれそうになかった。
と、そこまで考えたところで、肩を叩かれた。
「ねえ、クリスライト君」
「うわっ!?」
「ええ? どうしてそんなに驚くの?」
「あ、いえ、……何ですか?」
急に話し掛けられると心臓に悪い、と思いながらもクリスは、努めて冷静さを装いながらメイビーに顔を向ける。
「シューイチと戦ったんでしょ、どっか怪我したりしてない?」
「いえ、特には」
「そう、それは良かったね」
中性的な整った顔立ちでニコリと微笑まれ、思わずクリスは顔を赤らめた。
なんだかよく分からないが、メイビーとはもう少し仲良くしたいな、と漠然と感じた。
「そういえば、君たちって今幾つなの?」
「え、えっと、僕がもうすぐ十五歳で、アルは今年で七歳になりました」
「そっかあ」
メイビーはまじまじとクリスの顔を覗き込む。
さらさらとした輝くような金髪と海よりも深い瞳の青さが、やたらと映えて見えた。
じっと見つめているだけで、胸の奥から熱い何かが込み上げてくるようだ。
そうしてクリスが更に顔を赤らめていくなか、タツキが元気よく手を上げる。
「お姉さん! 僕も今年で七歳です! アルちゃんと一緒です!」
「そうなんだ」
「はい! というわけでアルちゃん、仲良くしましょう!」
「えっ? う、うん」
「じゃあ、ユージョーのしるしにアクシュしましょ!」
戸惑うアルの手を握って振り回すタツキを見て、途端にクリスがムッと顔を顰める。
「あー、イケナイよタツキ君、みだりに女性の手を握ったりしては」
「へ? そうですか?」
クリスは、実に聖職者らしい言葉でタツキを窘めた。
「そうだとも、だって、はしたないだろう?
そういう行いは慎むべきだ」
「んー……?」
クリスにそう言われたタツキはしばらく首を傾げて考え込んでいたが、やがて何かを思い出したかのようにパッとクリスに顔を向けた。
「でも、ゴーイのうえなら大丈夫だと先生が言ってましたよ!」
「なっ……!?」
クリスの頬が一気に引き攣った。
「そういう問題じゃないだろう!?」
誰だ、こんな子どもにそんな事を教えたのは、と至極全うな意見がクリスの頭の中をよぎる。
「それにお兄さんも、お姉さんに抱き付いて喜んでたじゃないですか!」
「っ!? あ、あれは単なる事故だ! よ、喜んでなんかない」
「うそだあ」
「嘘じゃない!」
「だってとっても気持ち良さそうな顔してましたよ!」
「そんな顔してないったら!」
クリスがタツキに対して弁解している横では、メイビーが二人のやり取りを聞いてニヤニヤしていたし、アルは自分の兄が取り乱していのに釣られてオロオロしている。
先頭の修一は、自分の後ろから聞こえてくる周囲の雑音よりも騒がしい声に、若干の呆れが混じった表情を浮かべていた。
――賑やかだなあ、アイツら、――ん?
すると、少し後ろを付いてきていたレイが、修一の服を引っ張った。
「どうした、レイ?」
「…………わたしも、いっしょにあそんでいい?」
「タツキたちとか?」
コクンと頷いたレイ、どうやら同年代の子たちと遊びたいようだ。
まあ、遊びたいというなら遊べばいいだろうと考えた修一が許可を出すと、レイはとことこと歩いていってタツキやアルに話し掛け始めた。
「…………わたしもいれて」
「あ、レイちゃん! どうぞどうぞ!」
「…………いい?」
「あ、うん、大丈夫だよ」
タツキは嬉しそうに、アルは若干緊張しながらも、レイと話をしてくれている。
タツキと言い合っていたクリスも今は落ち着きを取り戻し、保護者然とした態度で三人が逸れないように、その後方から見守っている。
メイビーはヘレンと並び、三人の前を歩きながら、後ろから聞こえてくる声を聞いて頬を緩めていた。
修一はチラリと振り返ってその姿を眺めていたが、やがて嬉しそうに笑い前を向いた。
「――ふむ」
…………その後ろ姿を、師匠が無表情のまま見つめていたことに、修一は最後まで気付かなかった。
◇
修一たちが青狸亭に戻ると、カブたちは一仕事終えたような雰囲気で食堂の椅子に座り、冷たく冷やされたお茶を飲んでいた。
聞けば、正式にこの宿の専属冒険者として活動することになったらしい。
修一は、良かったなと思いつつも、これでこいつらとはこの町でお別れになるのかとも思い、少しばかり寂しくなると感じた。
あくまで、少しだけだ。この町を出て行くときに泣いたりすることは、決してない、と思う。
ウールは、修一たちがゾロゾロと知らない人間を引き連れて帰ってきたことで楽しげにニヤリと笑ったが、すぐさまテリムが咳払いをすると、分かっているさ、というような感じで肩を竦めた。
カブたちの近くの席に各々が適当に座ると、ノーラが代表してお茶とお菓子を注文した。
少しして宿の主人が、修一たちの座るテーブルにそれぞれお茶を置きにくると、自分の前にお茶を置かれたタイミングで、師匠が口を開く。
「ワらもこの宿に泊まりたい、部屋は空いているか?」
「おや、宿泊希望のお客さんですか、大丈夫ですよ、まだ部屋はいくつ、……か? ……んん?」
唐突に宿の主人が、帽子に隠れた師匠の顔をジッと覗き込む。
不躾な行いであったが、師匠は特に何も言わず目の前のお茶を手に取ると、静かに口を付ける。「ふむ」と小さな声で呟いた。
と、そこで、何かに気付いた主人の目が、大きく見開かれた。
「!! ……まさか、アンタ」
「……ああ、お前か」
師匠は、手に持ったカップをテーブルに置くと、ゆっくりと帽子を脱いだ。
赤茶けたボサボサの髪が帽子の中から零れる。
濃い隈に縁取られた茶色い瞳が、無感情な輝きのまま主人を視界に収めた。
その途端、主人の額からブワッと冷や汗が噴き出した。
まるで、見てはならないものを見てしまったかのように主人の顔は驚愕に彩られ、体が小刻みに震え始める。
カブたちが、今まで見たことのない主人の態度に、顔を見合わせるが、主人はそれどころではなさそうだ。
そして主人の様子を見た師匠は、残りのお茶を一息に飲み干すと、帽子を被り直して再度問うた。
「部屋はあるんだな」
「!! は、はい、空いてます」
「そうか」
それだけ聞くと師匠は、タツキが床に置いたトランクを掴んで階段に向かう。
タツキに対して「好きにしてていいぞ」とだけ言い残し、そのまま階段を上っていってしまった。
残された皆は、師匠と主人のやり取りを疑問に思うが、いまだブルブルと震えている主人に訊ねても答えてくれるとは思えない。
このなんとも言えない空気はどうしたものかと皆が思っていると、タツキが椅子から降りて主人に近寄る。
そして主人の太股辺りを叩き、驚いて自分を見下ろしてくるオジサンに、ニッコリ笑いかけた。
「オジサンオジサン、早くお菓子を持ってきてくださいよ」
「……あ、ああ」
「ねえねえ、早く早く!」
「わ、分かった、分かったよ、坊主」
「お願いしますね!」
それだけ言うと自分の席に戻り、自分の分のお茶をゴクゴクと飲み干した。
「ついでにおかわりをお願いします!」
「……はあ、すぐに持ってくるから、ちょっと待ってろ」
「はい!」
元気よく笑うタツキに、主人は苦笑しながら奥に引っ込んだ。
それを見た皆も、どうにか和んだ空気にホッと息を吐く。
メイビーは、タツキがこうやって場の雰囲気を変えてくれたことに内心でお礼を言いつつ、この子はこういう事が得意なのかもしれないと思った。
数分後、お茶のお代わりと一緒に主人が持ってきたのは、細長い棒状のビスケットだった。
香ばしい香りを放ち塩気と甘味が絶妙にマッチしたそれは、レイたち年少組はもとより、メイビーやウールといった女性陣にも好評だった。
修一も何本か摘まんでみたが、美味しかった。恐ろしいことに。
「これを、あのおっさんが作ったのか」
「そのようですね」
ここの宿の主人は、服の上からでも分かる筋骨隆々とした体、禿げ上がった登頂部とちょび髭が特徴的な、五十歳代くらいのおっさんである。
およそお菓子を作れる人間には見えないのだが、こんなナリでも料理とお菓子作りは得意らしい。
冒険者を止めて宿の主人になったのも、自身の料理技術を生かす為だというのだから、徹底している。
そして、流石に冒険者としての修羅場を潜ったこともあるのだろう、すでに先程のやり取りは克服したのか、厨房に戻るまでのような怯えは見受けられなかった。
尤も、それについて語るつもりもないらしく、修一やテリムが師匠の事について聞こうとしても無視されてしまったのだが。
やがてお菓子が無くなると、タツキが「外で遊びましょ!」と言ってレイとアルを連れて宿を飛び出して行ってしまった。
メイビーとクリスが慌てて後を追い、それを見送った後カブたちはパーティーメンバー全員で部屋に戻ることにした。
おそらく、主人との話し合いの時にいなかったヘレンも交えて話すべき事があるのだろう。
今回はヘレンも、冒険者としての立場を優先したようだ。
さて、自然と残される形となった修一とノーラは、目の前に置いてある残り少なくなったカップを手に持ちながら、なんとはなしに視線を合わせた。
何かすることが有るかと言われれば、剣の手入れをしてもいいし新しく買った折り紙で作品を作ってもいいのだが、どうにもそういう気分にならない。
それはノーラも同様らしく、手持ち無沙汰気味に手元のカップを弄んでいる。
「ノーラ」
「なんでしょうか、シューイチさん」
「……あー」
呼んでみたはいいが、何があるわけでもない。
呼んでみただけだ、等と言うのも、何か、こう、良くない気がする。
なので、取り合えず気になった事を聞いてみる。
「この町には、公衆浴場とかあるのかな?」
「お風呂ですか?」
「おう、身体中ベタベタするんだよ、なんとかしたい」
ノーラは、思案顔で天井を見上げた。
「有る、……とは思いますが、それは皆が帰ってきてからの方が良いのではないでしょうか。
今から行くと二度手間になりそうですし」
「だよなあ、……うーん」
修一は悩ましげに唸る。
何をするにも中途半端になりそうで、かといって何もせずにいるには時間が余る。
こういう無為な時間というのはどうにも好きになれないのだ。
――どうせベタベタするんなら、外で剣術の鍛錬でもしてようかな。
その考えが一番マシに思えてきた。
思えば、この世界に来てから鍛錬をしていない気がする。
まあ、実戦ばかりしていたのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだろうが、まだ使っていない奥義などを使ってみるのも、悪くないかもしれない。
修一はチラとノーラを見る。
先程と変わらず、手持ち無沙汰にしていた。
「……ノーラ、一つ聞きたい」
「……はい」
「ウチの流派にはいくつか奥義があるっていうのは知ってるよな」
「? はい」
「全部で幾つあるのか、言ったことあったっけ?」
「全部で、ですか?」
ノーラは、ゆっくりと記憶の海を浚ってみたが、覚えがない。
おそらく、教えてもらってない筈だ。
「いいえ、聞いたことがありませんね、なんですか、教えてくれるのですか?」
「んー、まあな、というか、使えるやつを順番に使ってみようかと思ってな」
「使えるやつ、とは?」
修一は指折りながら、何かを数える仕草をみせる。
「そもそもだ、ウチの流派には奥義が十個ある」
「多いですね」
「そして奥義というのはな、その代の頭目が、修練の果てに編み出したものなんだ」
「……編み出した、というのは、つまり」
「例えば奥義ノ一・飛線は初代頭目が作り上げたものだし、陽炎は二代目、破断鎚は三代目、という風に、代々の頭目が作り上げたものだ。
もっと言えば、奥義を編み出すことが、次の頭目になるための条件でもあると言える」
「……はあ」
ノーラにはいまいちピンとこない。
ただ、要するに、これらの技を編み出したのが、修一の先祖ということになるのだろうか。
「奥義ノ四・霊装填、
奥義ノ五・看破慧眼、
奥義ノ六・千鳥足蔓、
奥義ノ七・涅槃寂静剣、
奥義ノ八・空亡枢密陣、
奥義ノ九・戦源殲滅赤華、
そして、
奥義ノ十・修羅血潮唯一、
――ちなみに、奥義ノ十は、親父が作ったものだ」
「! ……そうなのですか」
「ああ」
今度は折った指を開きながら、修一は再び数えていく。
「で、だ、まず、奥義ノ五は使えない。
ちょっと能力と干渉する部分があって扱いきれないんだ。
それから、奥義ノ八と奥義ノ九もだな。
これらは単純に鍛錬不足だ、前提技までしか使えない。
奥義ノ四も、なんとか使えるくらいだな、その辺の素質は、俺にはあんまり無いらしい」
修一の説明では理解しきれない部分もあったが、ノーラは「それでは、つまり」と確認をする。
「使えるやつ、というのは、一、二、三、六、七、十、の六つになるのですか?」
「奥義ノ四も、まあ、使えるから、七つだな」
「なるほど」
「見てみたいか?」
ノーラとしても、退屈ではある。
見せてくれるというなら、見てみたいと思う。
「はい、是非」
「よし、それなら外に――」
と、その時。
「――ん?」
「どうしました?」
誰かが、階段を降りてきている。
カブたちか、それとも他の客の誰かか、……いや、そうじゃない。
――こいつは……。
見えたのは、茶色いコートの裾だ。
そのままコツコツと足音が響き、やがて全身が修一の視界に入る。
「……」
先程、一人で宿の客室に上がっていった、師匠であった。
部屋に置いてきたのかトランクは持っていなかったが、帽子とコートは身に付けたままであり、帽子の奥に覗く茶色い瞳は修一を見つめていた。
「――」
無言のまま近寄ってくる師匠。
修一が、あと一歩近付けば警戒を始めるという距離でピタリと立ち止まる。
そのまま、ゆっくりと口を開いた。
「確か、白峰修一、と名乗っていたな」
「……ああ、そうだよ、それがどうしたんだ?」
修一は、僅かな違和感を感じながらも、師匠に応対する。
師匠は数瞬、修一から視線を外し、そして戻した。
次の言葉が、紡ぎ出された。
「白峰武蔵と笠原六花という名前を知っているか」
「――――!!」
瞬間、修一は弾かれたように立ち上がる。
大きく見開かれ、激しく揺れる黒い瞳が、修一の内心の状態をありありと物語っていた。
思わずよろめきそうになり、テーブルに手を付く。
「な、なんで、アンタ、それを、その名を」
「知っているようだな、まだ、元気してるか?」
「……元気か、だと? ――馬鹿言ってんじゃ、ねえぞ」
「……」
修一は、震えそうな喉を気合いで制した。
叫ばなければ、声を出せそうになかった。
「その名前は、……六代目頭目の名前だぞ!? 俺の遠いご先祖様だ! とっくに、死んでるに、決まってるだろうが!!」
「……そうか」
「お前、何故、その名前を知っている! 答えろよ、お前は何者だ!?」
「……」
師匠は、答えなかった。
代わりに、とある提案をしてくる。
「なあ、ワと、戦ってくれないか?」
「はあ!? 何言ってやがる! 質問に――」
「ワに勝てれば、教えてやろう」
「……!!」
師匠はそれだけ言うと、宿の玄関に向かって歩き始める。
「おい、待て! 俺はまだ戦うなんて、」
「……」
そのまま、宿の外に出ていってしまった。
修一は、「クソッ!」と悪態を吐く。
「なんなんだ、アイツ、なんで、俺の先祖の名前を知ってる? 元気か、だと? いったい、何故――」
「あの、シューイチさん」
「!」
混乱したようにブツブツと呟く修一に、ノーラが心配そうに声を掛ける。
修一の言動に、言い様のない不安を覚えたのだ。
「あの人が言っていた、シラミネムサシやカサハラリッカというのは、」
「……俺の先祖だ、昔見せてもらった家系図に、そんな名前があった。
笠原は、確か六代目の旧姓だったはずなんだ、……どうして、そこまで知っているんだ?」
「……」
修一の問いに、ノーラは答えられない。
修一も、返事を期待してのものではなく、単なる事実確認くらいのつもりであった。
「まあ、いい」
「……!」
そして、修一はすでに意志を固めた。
漆黒の瞳に宿るのは、不退転の決意だ。
「勝てたら教えてやるだと? ……上等だ、絶対に叩きのめしてやる!」
師匠が何者かは分からないが、少なくとも、修一の元の世界の事について何か知っている可能性が高い。
もしかすれば、帰還の方法すらも、だ。
ならば、勝つ。
勝って、質問に答えさせる!
修一は激しく闘志を燃え上がらせながら、乱暴な足取りで玄関戸を押し開け、外に飛び出した。
「…………シューイチさん」
ノーラは突然の展開に戸惑いながらも、修一の後を追う。
そうしなければ、二度と修一に会えなくなってしまいそうな気がして、――どうしようもなく心がざわついたから。




