第6章 7
◇
白峰修一は、子どもが嫌いだ。
マリーやレイと戯れている時の姿を見るととてもそうとは思えないが、歴とした事実である。
特に、中学生くらいの歳の子どもについては、生意気が過ぎるという理由からさらにそれが顕著となる。
あの年代の少年少女たちの、根拠のない自信や虚勢を目にするたび、修一は、無性に腹が立つのだ。
そしてそれは、はっきり言って同族嫌悪に近い感情だ。
修一とて、大人たちからしてみれば非常に生意気で、大人の忠告を聞こうとしないクソガキなのだから。
さて、そんなクソガキであるところの修一が、自分よりさらに若い少年と、半ばタイマンのような形で構え合っているのだから、全くもって度し難い。
「どうしたの、掛かってきなよ」
「……なら、遠慮なく」
修一は、右半身の構えのまま摺り足で躙り寄っていき、少年は、左足を半歩前に出した構えで修一を迎え撃つ。
「お、お兄さま」
「アル、少しだけ離れてて」
少年を止めようとしていた女の子は、兄のその言葉を聞くと、泣きそうな顔で兄の傍を離れた。
「おい、クソガキ」
「なんだい、悪人面」
「……!」
――こいつ……!!
一気に怒りのボルテージが上がっていく。
修一は、冷静さを失わないように少々苦心しながらも、少年を挑発する。
「……可愛い妹から目を離すなよ、変な奴に拐われちまったら、何されるか分かんねえぞ?」
「変な奴って、お前のことじゃないか」
修一は、やれやれとばかりに少年を嘲笑う。
「はっ、これだからクソガキは救いようがない」
「……なんだって?」
「今回は、確かにたまたま間一髪で間に合った。が、もし、あともう少しでも遅かったら? お前の可愛い妹はどうなっていた? ……もう二度と、お前とは会えなくなっていたんじゃないか!?」
「……!」
少年の頬が、ピクリと動いたのを、修一は見逃さなかった。
「俺が悪人面だあ? ……その通りだよ! だが、そんな奴を可愛い妹に近付けた時点で、お前は兄貴として、その果たすべき責任を怠ったんだよ!」
「っ……!」
「それを、俺を非難して誤魔化そうだなんて、やっぱりお前はクソガキだ! そんな甘っちょろい考えをしてるから、お前は妹を泣かせるようなはめになるんだよ!! この、ダメダメ兄貴がっ!!」
「っ~~~~!」
少年の顔がコンロなら、あっという間に湯が沸くだろうというくらい、少年は激昂した。
「お前なんか、役立たずの大馬鹿野郎だ! このクソガキがあ!!」
「黙れぇええ!!」
少年は、左足で大きく踏み込みながら修一の顎目掛けて右拳を突き出した。
修一は、大振りで隙だらけになったその右拳の甲に、自分の左掌を沿わせながら左前に体を捌くと、拳を躱すと同時に右膝を少年の腹部に打ち込んだ。
「っ……!!」
「むっ?」
修一が眉を顰める。この男は、この一撃で動きを鈍らせてから、生意気な口が聞けない程度にシバいてやろうかと思っていたのだが、少年の腹部は想像以上に堅く、思ったよりダメージが入らなかった。
――いや、そうじゃねえな。
「はあっ!」
「うおっと」
少年が右手で裏拳を打ってくるのを、跳び下がって躱す。
更に踏み込みながら拳を繰り出す少年に、修一は二歩、三歩と退がりながら、その打ち終わりを狙って前に出た。
少年が伸ばしきった左腕を左手で掴むと、左手を後方に引き出しながら右手で手刀を作り、右足を踏み込みながら少年の左脇腹に右手を打ち込む。
そこから更に右手を這わして、少年の左襟を掴むと、手刀を打ち込んだのとは反対方向に体を切りながら右足を引き付け、自分の左肩に少年の左脇を乗せる。
右組の、左一本背負投げの要領で少年を投げると、最低限の引き手を引いて、地面に叩き付けた。
そしてすぐに手を離すと、数歩下がって距離を取る。
普通の人間なら、しばらくは痛みと目眩で立ち上がれないはずだ。
「……この、」
だが少年は、すぐさま体を起こすと軽く頭を振り、そして立ち上がった。
「よくもやったな!」
「……おいおい、マジか」
軽く跳んでダメージを確認しているようだが、見た目にダメージが入っている様子はない。
そして少年は、今度は修一を追ってこず、代わりにその場で手を合わせる。
修一が訝しむより先に、少年が祈りを捧げた。
「“神よ、我が肉体に、敏捷さを与えよ、フィジカルエンチャントクイックネス”ッ!!」
少年の体が、淡い光に包まれる。
それと同時に、少年の気配が変わった気がした。
その直後、先程とは比べ物にならない早さで、少年が踏み込んできた。
「っ!!」
「はあっ!」
少年の上段蹴りを、仰け反って躱した修一。
だがその表情は、先程よりも余裕がなくなっていた。
そこから更に手数を重視した連撃を打ち込まれ、修一は、確信する。
明らかに、身のこなしが違う。
――なんだこいつ!
「一気に速くなってんじゃ、――ねえよ!!」
「……!」
修一も、負けじと少年の動きに付いていく。
気合いを入れたのだ。
まだ、デザイアよりは速くない。
何発かの攻防の後、修一は少年の隙に合わせて踏み込んだ。
「うらあっ!」
修一の貫手が、少年の鳩尾に突き刺さる。
狙い違わず筋肉の隙間に差し込まれた一撃で、少年の動きが一瞬止まった。
そこへ、追撃として反対の手で手刀を作り、側頭部へ叩き付ける。
腕全体の重さをそのまま乗せた手刀は、少年の頭を大きく弾き飛ばした。
「くうっ!」
少年は、吹き飛ばされながらもどうにか踏み留まる。
そして再び手を合わせると、修一が「まさか」と呟くのも気にせず、再び祈った。
「“神よ、我が肉体に、頑強さを与えよ、フィジカルエンチャントタフネス”!」
「っ、またかよ!」
またしても少年の体が淡い光に包まれた。
その光が消える前にと、修一は、駆け寄りながら前蹴りを放つ。
その蹴りは、真っ直ぐ少年の胸元に吸い込まれていき、――そして弾かれた。
――くっ、硬え!!
岩を蹴ったんじゃないかというくらい、硬い。
先程までと段違いである。
「どうしたの、そんな攻撃じゃ効かないよ?」
「くそっ!」
修一が吐き捨てるように悪態を吐き、顔面に掌底を叩き込む。
少年はそれをまともに受けたが、まるで効いた様子もなく、逆に嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ふん、防護神術と頑強身体強化神術を掛けたから、ほとんど痛くなくなったよ」
「……!」
さらに二発、首筋への手刀と脇腹へ掬い上げるように中段蹴りを喰らわせるが、やはり効いていないようだ。
今の神術と、事前に行使しておいた防護神術によって、修一の打突によるダメージをほぼ遮断してしまっている。
「このまま、押し込んでやる!!」
少年は手を合わせながら、後方に大きく跳び下がった。
修一は、咄嗟にそれを追おうとして、――しかし止めた。
少年の、朗々とした祈りの言葉が、辺りに響き渡った。
「“神よ、我が肉体に、精密さを与えよ、フィジカルエンチャントシャープネス”! そして、“神よ、我が肉体に、強靭さを与えよ、フィジカルエンチャントストレングス”ッ!!」
「……!」
少年が祈りの言葉を紡ぐたび、その体を淡い光が包み込む。
すでに、少年から感じる戦力は、戦闘開始時とは比較にならないレベルに達していた。
身体強化神術の重ね掛けによる戦闘能力の底上げ。
この少年の得意とする戦法であった。
今の少年は、身体能力だけで言えば修一の元の世界における高名な格闘家たちと比べても、何ら遜色のないものになっているのだ。
修一は少年の様子を見て、素直に羨んだ。
「いいよな、この世界の神様は。
祈れば応えてくれるんだから」
「何を言っているんだい?」
いいや、と首を振った後、修一は思い出したかのように問う。
「そういえばクソガキ」
「……なに?」
「お前、名前はなんだ?」
「はあ?」
修一は無防備に構えを解くと、同じ質問を繰り返す。
戦闘中とは思えないほどの気負いのなさに、少年は少しだけ困惑した。
「名前だよ、お前の名前は何て言うんだ?
ちなみに俺は、白峰修一だ。
修一が、いわゆるファーストネームってやつになるな」
「……」
「おら、名前くらい言えるだろ、それとも、やっぱりお前の名前はクソガキか?」
「! ……そんな名前な訳ないだろ。
僕の名前は――」
「名前は?」
「――クリス。
クリスライト・ルナフィールド、だ」
「……そうかい」
修一はニヤリと笑い、この期に及んでもまだ「さて、どうやって泣かしてやろうか」と考えたのだった。
◇
ファステムの町中にある細い路地で、激しい戦闘音が響き渡っている。
それは、刃と刃が打ち合う音、というよりは、攻撃を受けた者の悲鳴と、その者が倒れ伏す際の転倒音といったほうが正しかった。
そう、メイビーたちである。
彼女らは、町の不良と思わしき男たちなど歯牙にも掛けぬ勢いで、次々と叩きのめしていた。
「せいやあっ!!」
「ぐえっ!?」
特に、メイビーの気合いが凄まじい。
たった今メイビーは、自分の姿を見失っていた男の肩口を、男の頭上から駆け下りながら叩っ切った。
そして着地すると同時に振り返り、左足の外膝に小剣を突き刺す。
痛みに堪えかねた男が崩れ落ちるのを横目に、再び空中へ駆け上がっていった。
彼女は、不可視化魔術と空中歩行魔術のコンボによって、姿を隠したまま立体的な動きをして死角から斬り付ける、という恐ろしい戦い方をしている。
チンピラ同士のケンカしかしたことがないような男たちでは、到底太刀打ち出来なかった。
今では、ヘレンがレイを庇いながら、メイビーによる一方的な殲滅が終わるのを待つだけという、何とも言い難い状況となっているのだ。
いや、ヘレンの仕事はもう一つあった。
「あ、レイちゃん、見ちゃだめ」
「! …………もういい?」
「うん」
メイビーの攻撃に合わせて、レイの視界を遮るのだ。レイも、耳を押さえて目を瞑っている。
血飛沫を上げて倒れる人の姿は、子どもの情操教育に良くない。
「いやああっ!!」
「ぎゃあっ!」
それとメイビーは、一応死なないように急所は外しているようだが、その後で、立ち上がれないように足の腱を切ったり、うるさい奴の頭を蹴飛ばして黙らせたりしてるので、逆に質が悪かった。
誰の真似をしているのやら。
「ふうっ」
さて、そうこうしているうちに最後の男が倒れた。
ものの数分も掛かっていない。
「これで、全員、かな?」
「…………たぶん」
二人がキョロキョロしていると、不可視化魔術を解除したメイビーが二人の前に現れた。
戦闘中、不可視化魔術も空中歩行魔術も何度となく掛け直していたが、魔力が尽きた様子はなく、それどころかツヤツヤとしていた。
「あ~~、すっきりしたー、……今度シューイチと戦うときは、魔術も有りにしてもらおうっと」
「……流石に、それは良くないんじゃ、ない?」
「そう? でも、シューイチには不可視化魔術は効かないから、そんなに卑怯じゃないと思うんだけど」
「ああ、そうか」
「…………あ、」
「え?」
レイが、何かに気付いて声をあげた。
二人がそちらに顔を向けると、道の脇に積み上げられた木箱の裏で、何かが動いた。
「あー、まだいたみたいだね」
「っ、くそっ!」
隠れていたのは、男たちの仲間であった。
男は、身を隠していたのがばれたと分かるや、背を向けて逃げ出した。
「“ウインドアシスト”」
メイビーは小剣を握り直すと、その男を追い掛けた。
速度が、まるで違う。
あっという間に距離が詰まり、小剣を振り上げようとしたその時、メイビーは思わず「あっ!」と叫んだ。
男の進行方向に、横道から誰かが現れたのだ。
男の顔が如何なる感情からか小さく歪んだ。
「危ないっ!!」
「どけえっ!!」
男は手にしていた短めの鳶口を水平に振るった。
いきなりの事に、横道から出てきた誰かは回避もままならず、
「む?」
――当たり前のように、鳶口を掴んだ。
「――へっ?」
「何をするんだ」
「ぐべっ!?」
呆けたような声を出す男の頬を、その誰かは軽い素振りでビンタする。
すると、ビンタとは思えないほど重たい音がして、男は路地の壁に頭から叩き付けられた。
木製の壁が、衝撃でへし折れて丸くへこんだ。
「……うっそ」
メイビーは、呆然とその様子を見ていた。
ヘレンとレイも、壁に叩き付けられた男がそのまま崩れ落ちるのを見て、言葉を失う。
「お前ら、何をしている?」
「へっ、えっと……」
無表情のまま問い掛けられて、メイビーが返答に困る。
何をしているというか、ナニをされそうになったと言うべきか。
「シショー! 待ってくださいよー!」
そこに、少年の声と、パタパタという足音が聞こえてくる。
そしてひょっこり角から顔を見せ、メイビーたちの戦果を見て目を丸くした。
「わ、わ、シショー、ちょっと目を離したスキにまたこんな事をしたんですか!?」
「いや、これは……」
「あ! あっちにすてきなお姉さんたちがいますね! こんにちはー!」
「あ、こんにちは」
メイビーは、場違いなほど明るい少年の挨拶に、思わずペコリと頭を下げた。
完全に、雰囲気を変えられてしまった。
「タツキ」
「はい、シショー」
「この男以外は、ワではないからな」
「ほんとですか?」
それから伺うようにメイビーたちを見つめてきたので、コクリと首肯してあげる。
その途端、パッと笑顔を浮かべてこちらに駆け寄ってきた。
「すごい! お強いんですね!」
「え? うん、まあね」
「アクシュしてください!」
「うん、……うん?」
キラキラと目を輝かせて両手を差し出してくるタツキに、メイビーは左手を出して応じてあげた。
柔らかくて小さな手がキュッと握り締めてくる。
とても嬉しそうにしているタツキの顔を見て、メイビーの顔も思わず綻んだ。
それを見て、いきなり現れた二人は危険な人間ではないと判断したヘレンも、メイビーに近付いた。
師匠は、道に倒れている男たちを見渡している。
「こいつら人攫いだな」
「人攫い、ですか?」
「ああ、最近頻発してるらしい」
「……怖いですね」
ヘレンが師匠と言葉を交わしていると、ヘレンの足下にいたレイが、ニコニコと笑うタツキに近付いた。
「…………」
「あ、はじめまして! 僕はタツキと言います! アナタのお名前は何ですか?」
「…………レイ」
「レイちゃんですね! すてきなお名前だと思います!」
「…………ありがとう」
タツキは実に人懐っこい笑顔を浮かべたまま、メイビーやヘレンにも挨拶をしていく。
師匠はその後ろで軽く頭を下げただけにとどまり、名乗ることはなかった。
とはいえ、仲良くするつもりがないわけではないらしく、メイビーたちの身を案じてもいるようだ。
「ところで、どうしてこんな所にいる?
腕に覚えがあるとしても、婦女のみで来てよい場所ではないと思うが」
「いやあ、大通りからずっと尾行けられてて、面倒になっちゃったから、つい」
「結果として無事だっただけで、あまり誉められた行いではないな」
「うっ」
メイビーは、師匠に真面目な顔で諭されると、気まずさを誤魔化すべく明後日の方向に顔を向けた。
それを見た師匠は、一つ嘆息するとそれ以上の追及はしなかった。
まあ、初対面の人物から説教されてもあまり良い気分ではないだろうし、結果として無事ならそれでもいいか、と師匠も考えたのだ。
なにより、説教など柄ではない、と思う。
師匠は、口を動かすよりも手を動かす方が遥かに得意であると、そう自認しているのだ。
それから、とりあえず大通りに戻ろうという段になると、不意にレイが、キョロキョロとし始めた。
「どうしたの、レイちゃん?」
「…………」
メイビーが不審そうに訊ねると、やがてレイは、ある方向を指差した。
それは、潮の香りが漂ってくる方向でもあった。
「…………おとうさんが、あっちで、……たたかってる」
「へ? ……シューイチが? なんで?」
メイビーの言う「なんで?」は、何故分かるのか、ということと、何故戦ってるのか、という二つの意味が籠っていた。
すると、師匠が口を開いた。
「ふむ、港で誰かが戦闘を行っているようだ」
「……分かるん、ですか?」
「声が聞こえるからな」
「……嘘ですよね?」
はっきりとは分からないが、ここはまだ、港から一キロメートル以上は離れているはずだ。
声が届く距離ではない。
しかし、師匠の口振りは嘘を吐いているという感じではなく、ただ事実を述べているといった感じであった。
故にメイビーは、確認に向かうことにした。
修一たちが、先程の自分たちのように何らかの事件に巻き込まれたとも限らないし、というよりも自分から巻き込まれにいった可能性が極めて濃厚であったため、取り合えず行ってみることにした。
大した信頼感である。悪い方への、ではあるのだが。
「ワらも、付いていこう」
「はい、シショー!」
「いいの?」
「構わない、乗りかかった船だ」
そう告げると師匠は、「急ぐだろう?」と言いながら、タツキが背負っているトランクの取っ手を掴んだ。
タツキはそれを受けてトランクを師匠に渡すと、慣れた様子で師匠の背中に飛び乗った。
それから師匠は、ふと、レイを見て。
「腕が一本空いてるが、抱えてやろうか?」
「…………」
レイは、確認するみたいにメイビーを見上げた。
「いいんじゃない? お願いしても」
「…………うん、おねがい」
「分かった」
左腕を腰から下に差し入れてレイの体を抱え上げると、師匠は「行くぞ」と言って走り出した。
「あ、待っ、――ちょ、ホントに待って!?」
「うわ、速い!」
師匠は、荷物やレイたちの重さをまるで感じさせない俊敏な足取りでみるみる内に加速していき、よってメイビーたちは、引き離されないように全力で走らなければならないのであった。




