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第6章 6

 ◇




「っ!?」


 いきなりの衝撃に体を弾かれた修一は、そのまま後方に吹き飛ばされた。


 何をされたのか分からなかったし、その一撃が何であったのかも分からないが、そんな事を考えるより先にまず感じたものがある。


 ――あんのガキャあ!!


 いきなり攻撃してきた少年に対する怒りだ。


 訳も分からないまま殴られて、それで笑っていられるほど修一は温厚な男ではなかったし、何より先程の攻撃は、下手をすればノーラを巻き込むおそれがあったのだ。


 修一にとって、到底、容認出来ることではない。


「っ――!」


 修一は、瞬間的に能力を発動させ、周囲、特に自身の背面の状況の把握を行う。


 感覚的な熱量の感知によって周囲の物体の動きを認識できる修一は、高速で接近してくる地面を感じ、自分が今まさに地面に叩き付けられようとしているのだと理解した。

 このままでは後頭部から地面に衝突するだろうという事は、考えなくても分かることだ。


 よって修一は、首を胸元に引き付けて丸め、背中が地面に触れる瞬間、両手を下向きにして両腕を降り下ろして、受け身を取る。


 その結果、地面との接触によるダメージを最小限に抑えることには成功した。が、吹き飛ばされた勢いまでは殺し切れず、弾むように体が地面から浮き上がると、



 ――――ザパァアン!



停泊している船の隙間、青く輝く海面上に落下した。


 ――クソッタレが!!


 海中に沈みつつも心中で悪態を吐くと、腰に吊った剣の重さで体がどんどん海中に沈んでいくのに気が付いた。

 そのまま溺れるつもりなどさらさらないため、四肢を力の限り動かして海面を目指す。


 やがて修一は、沈んでいた時よりもはるかに速く浮かび上がっていき、海面から顔を出した。


「ぷはっ!!」


 肩から上を海面上に出し、顔面を濡らす海水を拭うと、すぐそこの岸壁からこちらを見ているノーラと目が合う。


「シューイチさん! 大丈夫ですか!?」


 彼女は、慌てた様子で岸の縁に膝を付き、身を乗り出して海面を見ていたらしく、思ったよりも目線が近かった。

 彼女は、修一が出てきたのを見て一先ず安堵し、そしてその安否を問うたのだ。


「……」


 だか、修一はその質問に答えなかった。

 それどころか、これでもかと言わんばかりの不機嫌さを滲ませて、逆に問い質した。


「ノーラ、あのガキはどうしてる?」

「えっ?」

「俺を殴った、さっきのガキだよ」


 ノーラは、チラリと後方を一瞥して、おそるおそる答えた。


「あの、えっと、まだあの子の傍にいて、話を――」

「……まだそこにいるんだな?」


 それだけ聞くと修一は、海中で一歩踏み出し(・・・・)、そして昇った(・・・)


「シューイチさん、なにを……?」

「……」


 修一は一歩、また一歩と踏み出し、それに伴って少しずつ、その肉体を海上に持ち上げていく。


 まるで階段を(・・・)昇っている(・・・・・)かのように。


「ノーラ、俺は、三つほど嫌いな人種がある」

「は、はい」


 そう言っている間にも、修一の体は肩口から、胸、鳩尾、腹と順番に海面上に現れる。

 最早立ち泳ぎでどうにか出来る状態ではなくなってきているが、それでも修一は止まらなかった。


「一つ目はやくざ、こいつらは何があろうと駄目だ。二つ目は偉そうにしてる奴、話をしてると虫酸が走る。そして、三つ目は――」


 修一の体は、もう膝から下までしか海中に沈んでいない。


 そして、そこまできてノーラも気付く。

 修一はおそらく、海水を凍らせ、それを階段のように使って昇ってきているのだ、と。


 その予想に違わず、ついに修一が海面上に立ったときには、その足元の波間から海中に作られた氷の階段が薄っすらと視認できた。


 修一は、海面から岸壁に飛び移ると、ベルトから腰の剣を鞘ごと外し、それをノーラに渡した。


「っと、悪い、ノーラ。

 錆びるといけないから、軽洗浄魔術を使っておいてくれないか?」

「……それは、構いませんが。

 シューイチさん、相手は――」

「三つ目は、だ、ノーラ」


 修一は、身体中から海水を滴らせながら、こちらを睨み付けている少年を睨み返す。


 見た感じ、まだまだあどけなさの残る顔付きだ。おそらく、この世界での成人にも達していないのではないか。


「まだやるつもりかい?」

「……」


 声も、まだ変声期が来ていないような高めの声だ。

 そこの女の子の兄だというのなら、それも仕方のないことだろうが。


「あ、あの、お兄さま、この人は……」

「俺の嫌いな奴ってのはなぁ!」


 女の子が何か言おうとしたのを、修一は意図的に大声を出して制した。

 女の子が、その声の大きさに身を竦めたが、知ったことではない。


 冗談じゃない。

 今止められては困るというものだ。


 修一が、怒りの籠った目で半身に構えると、少年もそれを見て、似た感情を瞳に灯したまま、腰を落として構えてみせた。


 素人ではないのだろう。

 だが、今の修一にとってはどうでもいい事だった。


「てめえみたいな、人の話を聞こうとしないクソガキだ!!

 許さん、絶対に泣かせてやる!!」

「やれるものなら、――やってみろ!!」



 二人は同時に戦意を漲らせ、臨戦態勢となった。




 ◇




「……ねえ、メイビー、レイちゃん」


 ヘレンの呼ぶ声が聞こえ、メイビーとレイが揃って振り返る。


「なあに、ヘレンちゃん?」

「…………?」


 メイビーは、口の中に入れていたサクサクとした食感の焼き菓子を飲み込んだ後そう答え、またしても焼き菓子を口に放り込む。


 彼女が手にしている紙袋の中には、いまだに熱々で香ばしい匂いを漂わせる焼き菓子が大量に入っていた。


 大通りに並んでいた露天で売っていたお菓子だが、匂いに釣られて衝動買いしてしまったのは間違いではなかったようだ。実に美味である。


「一応、私たちって、……メイビーのお母さんを、探してる、のよね?」

「うん、そうだよー」

「……だったら、そんな、買い食いばかりしてないで、もっとこう、真面目に、ね?」

「……んー」


 メイビーは、さらに一つ摘まんで口に入れると、服の裾を引っ張って強請ってくるレイの口にも入れてやる。

 レイが無言で頬を押さえてホクホク顔になったのを見て、メイビーは、「美味しいよねえ」と同意を求めた。

 ついでに「どう?」と、ヘレンにも一つ勧めてみたが、彼女は「お昼を食べたばかりだから」と断った。彼女は少食なのだ。


「まあまあ、確かにお母さんを探すのも重要な目的ではあるんだけど、こうしてヘレンちゃんと遊ぶことも、僕にとっては重要なことだよ」

「……そうなの?」

「うん」


 メイビーの言葉を聞いても、ヘレンはまだ疑わしげにしていた。

 だからメイビーは、焼き菓子をつまみながらなんと言おうか考えると、ややあってそれを述べた。


「僕のお母さんがどっかに行っちゃったのは、今から二年くらい前の事で、どこに行ってくるとかいつ帰ってくるかとか、そういうのは一切無かったんだよ。

 だから僕は、自分でお母さんを探し出そうと一人で森を出て、ここまで旅をしてきた訳なんだけど、ただねえ……」

「……ただ、どうしたの?」

「ちょっと前にノーラと話した事があるんだけどさ、僕のお母さんって、斥候術の達人なんだよね。

 そんな人が自分の行く先も告げずにいなくなるって事は、もしかしたら、そうすることも出来ないような何かがあったのかも知れない、って」

「……」


 まとめて二つ、焼き菓子を口に放り込む。

 それを咀嚼してから、更に続けた。


「僕らの住んでた集落がある森は、大きな山脈を背にして広がってるから、そこから出るなら東か南に行かなくちゃならない。北にも行けないことはないけど、あっちは一年中雪と氷に閉ざされてるから、まあ、行かないかなと思うんだ。

 それで、東の帝国には半年程いたけど、全く成果なし。

 南にあるのはパナソルとブリジスタの二国だけど、パナソルを通って東には行ってないだろうし」

「……どうして、分かるの?」

「あっちは、帝国よりも更に差別が激しいんだよ。

 だから、先に他のところを探して、どうしても見つからなかったら探しにいくつもり。

 それよりは、あの橋(・・・)を渡ってないかを調べた方がまだ確実じゃないだろうかってね」

「……」

「もし、斥候術を駆使して足取りを残さないようにしながら移動してるなら、探すのも難しいだろうけど、それならそれで、そうせざるを得ない何かがあるのか、というところから探せるんじゃないだろうかと――」

「……メイビーって、」

「え?」

「……ええっと、」


 ヘレンは、言うべきか言わぬべきか逡巡したが、結局言った。


「……意外と、ちゃんと、考えてるんだね」

「意外、っていうのは余計じゃない?」

「だって……」


 ヘレンが申し訳なさそうにするのを見て、メイビーは肩を竦めてみせた。


「なんてね、本当は、ノーラも一緒に考えてくれたんだよ。どうやって探したらいいのかって。

 東に行くほど差別が激しくなるなんて、僕も知らなかったし」

「あ、そうなんだ」

「だから、そっちの方はノーラが学生時代の伝を使って調べてくれるってさ。

 向こうは、僕たちみたいなエルフは非常に目立つから、もし見かけることがあれば知らせてくれるんだって」


 そこまで言うとメイビーは、手に持っていた紙袋をレイに手渡した。


「残りは食べていいよー」

「! …………ほんとう?」

「うん、この間の焼き蟹のお礼だよ」


 軽く片目を瞑ってウインクしてみせたメイビーに、レイは若干興奮した面持ちで袋の中に手を入れた。

 サクサクと、嬉しそうに菓子を頬張るレイの頭を一撫でし、メイビーは道を曲がる。

 ヘレンとレイもそれに続いた。


「まあ、そういう訳だから、そこまで躍起になって探すこともないかなー、って思うんだ。

 もちろん、早く母さんに会いたい気持ちは変わってないけど、皆と一緒にいればそこまで寂しくないし、今はヘレンちゃんが一緒にいてくれるからねえ」

「メイビー……」

「それに、ノーラが実家に帰るまではノーラの護衛を優先するって約束もしてるし、シューイチも、その事に関しては僕を信用してくれてるみたいだから、期待を裏切る訳にはいかないんだよね」

「期待?」


 「そうそう」と頷きながら、メイビーはまた道を曲がった。変わらぬ足取りで、さっきよりも細い道に入っていく。


「俺がいなくても大丈夫だろ、っていう期待、――シューイチさ、何かあってノーラの傍を離れるときは、絶対に、僕をノーラの傍に置いておくんだよ」

「そう、なの?」

「そうなんだよ。

 シューイチは、自分がいないときには僕がきちんとノーラを守るだろう、って、思ってくれてるみたいで、その期待は、やっぱり裏切れないかなあ」


 メイビーは、いつもよりもウキウキとした様子でそう語り、その様を見たヘレンは、少しだけ迷い、それから意を決して問うた。


「メ、メイビーは、」

「うん?」

「その、……シューイチさんのことが、好きなの?」


 僅かに頬を赤く染めたヘレンと、ヘレンの言葉を聞いてこちらを見上げてきたレイ、二人の視線を受けてメイビーは、困ったように笑いながら腕を組んだ。


「うーん? 好きか嫌いかで聞かれると、……そりゃあ、好きになるんだけど」

「…………!」

「そ、そうなの……?」


 「うん」と頷いたメイビーは、それから困ったような笑顔のまま「ただねえ、」と続ける。


「それが、恋愛感情なのかと聞かれると、ちょっと違うのかなあ。

 僕は別に、シューイチに抱いてほしいとか、シューイチの子どもを産みたいとか思わないし」

「……そ、それは」


 あまりにも明け透けな発言内容に、ヘレンの頬が更に赤くなった。


「友人として、末長く付き合っていけたらいいかなー、っていう感じなんじゃないかな、きっと。

 ……いや、やっぱり僕もよく分かんないや。

 もしかしたら、本当は女として愛して欲しいのかもしれないけど、自分の事ながら、さっぱりだよ。

 全く、嫌になるねえ」


 そうして、「あはは、」と笑い声をあげると、ゆっくりと腕組みを解き、そして――。


「まあ、何にしても、――期待には応えなきゃ、ね」

「……!」


 メイビーは、その瞳に冷涼な輝きを灯らせて、ぼそりと何事か呟くと、サッと細道に入った。

 少し慌てて、ヘレンとレイが追従し、その角を曲がる。




 そのすぐ後(・・・)に、同じ角を(・・)曲がった(・・・・)()は。




「……あれっ?」


 最初に曲がった少女の姿が見えず、思わず疑問の声をあげ、



「――さっきから何の用かな?」



「!? ぐおっ!」


――そして頭上から落ちてきた声に驚き顔を上げた直後、顔面に踵落としを浴びると、そのまま地面に倒れて動かなくなった。


 軽やかに着地したメイビーは、油断なく小剣を握ったままその男を見下ろし、完全に意識を失っていると分かると、ヘレンがその男の両腕を紐で縛る。


 レイは、いきなりの事に目を丸くし、手元の紙袋をギュッと握り締めていて、それに気付いたメイビーは「大丈夫だからね」と小さく微笑みかけた。



 メイビーは、この男を誘い出すために、わざわざ細い道に入っていったのだ。


 そして、先程の角を曲がると同時に空中歩行魔術で数メートルの高さまで駆け上がり、男の視界の外側である頭上に身を潜めたのである。


 一撃で意識を刈り取れるよう、確実に不意を突くために。



「いいの? 話も聞かずに、ノシちゃって」

「いいよいいよ、コソコソ後をつけてくるなんて、どうせ録な用事じゃないだろうし、――どうしても聞きたいことは、そっち(・・・)人たち(・・・)に聞けばいいだろうから、さ」


 メイビーが、言葉とともに周囲を見回すと、ややあって、数人の若い男たちが建物の間から姿を現した。


 細い路地にあって、前後を挟まれた形となる。


「で? 僕たちに何の用?」


 メイビーは、何の痛痒も感じていないが。


「……」


 男たちは、無言で懐から得物を取り出すと、それを構えてみせた。


 ヘレンも同じように腰のベルトから二本のダガーを抜くと、レイを守るようにメイビーと背中合わせになる。


「ねえ、お兄さんたちは狼よりも強いの?」

「……?」


 そしてメイビーが誰ともなしにそう問うと、男たちは僅かに怪訝そうにして、お互いに顔を見合わせた。

 その姿を見て、若いエルフは鼻で笑う。


「ははっ、まあ、僕はともかく、明らかに冒険者の格好してるヘレンちゃんもいるのに襲ってきたあたり、期待はしてないよ。――けど、」

「……!」


 ゆらり、と、メイビーの姿が霞んでいく。

 不可視化魔術を行使したのだ。


「シューイチに負けてちょっとムシャクシャしてるから、――手加減はしないよ?」



 メイビーの持っている装飾小剣の刃が、完全に見えなくなるその直前、ギラリ、と鈍く輝いたのを、彼女らを取り囲む男たちは、確かに目にしたのだった。




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