第6章 5
◇
テリムたちから冒険者に関する講釈を受けた後、青狸亭(この宿の通称らしい)で昼食を食べた修一は、ノーラと二人で大通りを歩いていた。
ノーラが以前、サーバスタウンから実家宛の手紙を書いた際、手紙の往復の時間を計算したうえで返事はファステムへ送っておいてほしいと書いておいたのだそうだ。
そしてノーラが、この町の郵便局のような機能を持つ施設に赴くにあたり、修一が護衛として引っ付いてきているという訳である。
ちなみに、カブたちは宿の主人と専属冒険者に関しての話し合いをしているし、メイビーはそこから強引にヘレンを引っ張っていき、町中の探索に出掛けた。
一応、母親についての情報収集だとは言っていたが、実際はどうだか分からない。
まあ、修一たちに付いてこようとしていたレイも、ついでとばかりに連れていってしまったので、推して知るべしであろうが。
しかし、とノーラは思う。
――そういえば、シューイチさんと二人で歩くのも、随分久しぶりな気がします。
実際、最後にそうしたのはメイビーと出会う前、日数にして十日以上も前の事であり、ここ数日は更に同行者が増えたことを思えば、ノーラがそう思うのも、無理からぬ事であった。
「なんか、こうやって二人で歩くって久しぶりだよな」
「! ……そうですね」
ノーラは、修一も同じ事を考えていたのだと分かり、ほんのりと嬉しくなった。
ちらりと横目で修一の顔を覗き込むと、それに気付いた修一が見つめ返してきて、お互いに目が合う。
「ふふっ」
ノーラは、自然と微笑み小さく笑い声を零した。
「どうしたんだよ?」と聞いてくる修一に、「何でもありませんよ」とノーラは返す。修一が、少し考え込んだ後に「ひょっとして、まだ馬車でのことで怒ってるのか?」と訊ねるが、「もう怒ってませんよ」と返され、余計に頭を捻ることになった。
そうやって歩いていると、やがて郵便局らしき建物に着いた。
ノーラが受付の人間に話し掛けると、何かの書類が差し出され、それに必要事項を記入して渡すと、しばらくしてから手紙を受け取ることができた。
ノーラは、空いたスペースに移動すると手紙を開封し、折り畳まれた便箋を取り出して、それに目を通していく。
修一は、それを覗こうとは思わない。
言語修得札によって大陸統一言語の読み書きも出来るようになっている修一ではあるが、ノーラのプライバシーに関わる事が書いてあるかも知れないし、それに自分が必要とするような情報があれば、ノーラはきちんと教えてくれるだろう、と信じているのだ。
ノーラはしばらくの間、手紙に書かれた文字を目で追っていたが、やがて一つ息を吐くと、修一に視線を向けた。
「シューイチさん」
「なんだ?」
「私が以前言っていた、新たに国のお抱えとなった空間魔術師について、いくつか調べてもらいました」
「……!」
修一は、無言で続きを促した。
「その人物の名は、ゲドー・リペアパッチ。
性別は男で種族は人間。年齢ははっきりと分かりませんが、かなり若いようです。
体の至るところに傷があり、歴戦の魔術師たる風格を漂わせるも詳細は不明。
この国の人間か判然としない者であるが、その実力は本物で、この国に仕えて僅か数か月ほどで、ブリジスタ騎士団魔術師隊の隊長に就任しています」
「……それって、」
修一がの言葉にノーラは軽く頷いた。
「ええ、エイジャさんと同格の地位です。
折しも、当時の隊長が老齢と病気を理由に騎士団を退団したらしく、その後任という形で現在の地位に着いています」
「……」
「継ぎ接ぎ、というアダ名が付くほど大きな傷がいくつもあるようですね。
普段は、騎士団本部にある魔術師隊の詰所、そこの隊長執務室からほとんど出て来ず、時折、副官を通じて隊員に指示を出しているそうです」
そこまで言って、ノーラは申し訳なさそうに視線を伏せた。
「ただ、ここまで調べても、この人物がシューイチさんの元の世界について何か知っているか、ということは分かりませんでした」
「いや、……十分だよ」
修一は、本心からそう告げた。
一先ず、この国の首都に向かうのは無駄足ではなかったようだ。
騎士団本部、――ここに行くことで、少なくとも何かが分かる。
修一は、不思議とそう確信出来た。
それが何故かは、分からなくとも、だ。
「そうか、騎士団本部か」
なにかとこの国の騎士団とは縁があるな、と修一は小さく笑う。
「さて、どうなることやら」
◇
ノーラが再び実家宛に手紙を書いて配達を依頼した後、修一はノーラに連れられて商店の立ち並ぶ地区に向かった。
大通りに沿って立ち並ぶ商店にはたくさんの客が訪れており、大通りはそこを行き交う人々でとんでもない混雑ぶりである。
本日は、大型の船舶が何隻か港に着いていることもあって、普段よりも更に人手が多いようだ。
「さあ、必要なものを買っておきましょうか」
「あいよ」
サーバスタウン以来、細々とした物資を購入できるようなところがなかったため、ここで補充しておくつもりのようだ。
ノーラは慣れた様子で人混みを掻き分けながら、商店を巡っていく。
「なかなか、手際いいんだな」
「首都では、もっと酷いときもありますから」
「はは、成程ね」
修一はこの人混みの中を歩くことに、既にちょっと辟易としてきていた。いくらなんでも多過ぎる。
しかし、ノーラの護衛として付いてきているうえ、ノーラと違ってこの暑さが平気な修一は、その弱音を口に出すことは憚られた。
そもそも修一だって買いたいものがあるのだ。
それを思えば、この人の群れの中を歩くことぐらいはどうってことはないはずだ、と修一は自分に言い聞かせ、ノーラに付いて歩く。
せめてもの救いは、荷物持ちをしなくてもよいという点か。
ノーラのカバンは大抵の物を詰め込めるし、荷物の重量をある程度無視できる。
両手一杯に荷物を持たされることもなく、ちょっとずっしりとしたカバンを肩に掛けておくだけでいいのだから、まあ、楽なものである。
やがて必要なものを買い終えたのか、ノーラが商店街から離れるべく足を動かし始めた。
修一は、やっと終わったと思いつつ、それに従う。
自身も欲しいものを買い終えているため、もうこの辺りに用はない。
「また折り紙を買ったんですね」
「ああ、皆結構折るからな」
修一は他にも、清潔な布や砥石代わりに使える石材なんかを買っていた。
残り少ない所持金で買うような物ではないようにも思われるが、修一はその辺りの金銭感覚がいまだにピンときていなかった。
さて、二人で並んで歩いていくと、次第に道行く人々の出で立ちが変化してくる。
商店付近にいたのが買い物に来た観光客だとすれば、この辺りにいるのは海の男といった風情の、筋骨隆々とした男たちであった。
そして、港町らしく漂っていきていた潮の香りが、少しずつ濃くなってきている。
「ノーラ、この先って」
「ええ、港ですよ」
修一の予想どおり、ノーラは港に向かっているらしい。
「用事は大体終わりましたし、折角ですから見ていきましょうよ」
「別にいいけどさ、ただの港だろ? 見て面白いのかよ?」
修一が聞くと、ノーラは「来ていただければ分かりますよ」とだけ返した。
修一はその言い方に引っ掛かるものを感じながらも、それ以上訊ねたりせず黙って付いていった。
次第に建物が減り始め巨大船舶のマストの先などが見え始めると、修一は素直に感嘆する。
「へえ、かなりデカイな。それにこんなにたくさん泊まってるとは思わなかった」
修一たちが港前の広場に着くと、その巨大さが更にはっきりと分かる。
岸壁から伸びた桟橋に接岸している小型から中型くらいの船と比べると、少しばかり遠近間が狂ってしまいそうになる。
港は、岸壁の端が見えないほど広く、そしてその港を埋め尽くすほどに大量の船が停泊している。
全くもって、壮観である。
「すげー」
「この港には、北大陸沿岸諸国から毎日のように船がやって来ます。
人を乗せたもの、荷物を積んだもの、そしてそれらの船たちが、ここで補給や補修を行ってから、次の港に向かうのです」
「ほほーう」
修一は、ここに来るまでの己の言動をあっさりと翻し、港の景色に目を奪われている。
船だけではない。
海は透き通るように青く、暑い日差しを浴びてキラキラと煌めいている。
岸から覗き込めば水の底まで見通せそうなほど澄んでいて、思わず修一は脳裏に故郷の海を思い描く。
汚れていた、とまでは言わないが、それでもこれほど綺麗ではなかったように思う。
「やっぱ、こういうところは敵わないな、自然とかなら比べるべくもなく、この世界の方が綺麗だ」
「ありがとうございます。
そう言って頂けると、私も嬉しいです」
修一は本心からそう告げると視線を上げ、船と船の間から見える水平線を眺めた。
遥か眼前に広がる海は、波も穏やかであった。
青い空と海の境界は僅かな色の違いによって形作られ、ともすればぼやけて混ざり合い、水平線を見失いそうになる。
ゆらゆら揺れる水平線を遮る雲も今はなく、ただひたすらに抜けるよう青空であった。
そういえば南には南大陸があるんだった、という事を思い出した修一は、僅かでもその姿を見えないものかと視線を巡らし、
「……ん?」
あるモノに気が付いた。
「ノーラ?」
「何ですか?」
「なんか、海の上に黒い線みたいなのが見えるんだが」
修一は、巡らせた視線の遥か先に薄っすらと見えるそれを指差し、ノーラに確認してみる。
ひょっとして蜃気楼でも見えているのかと思ったが、ノーラの返答は修一にとって予想外のものであった。
「ああ、あれは橋ですよ、シューイチさん」
「……はい?」
修一は、聞き間違いだろうかと思い聞き返すが、ノーラの言葉は変わらなかった。
どうやら聞き間違いではないらしい。
「ですから、橋ですよ。
川や海の上に掛けて陸地と陸地を繋ぐ、あの橋です」
「いやいや、俺が聞いてるのは単語の意味じゃなくてだな、その、あれ本当に橋なのか?」
「はい」
迷いなく頷いたノーラを見て、修一はゴシゴシと目を擦る。
その、橋らしき影は、片側がこちらの大地に接しており、もう片側は海上をどこまでも伸びていっている。
その先がどうなっているのか、全く見えない。
あれが橋だとするならば、とんでもない長さの橋ということになる。
「えっと、……じゃあ、あの橋はどことどこを繋いでるんだ?」
「北大陸と南大陸です」
「…………は?」
修一は今度こそ、我が耳を疑った。
「あの橋は、ブリジスタ国内のブリジゲイトという町から、洋上に点在するいくつかの小島に橋脚を置きながら、南大陸最北端、雷鳥の嘴と呼ばれる細長い半島まで真っ直ぐに伸びています」
「……」
そんなことを言われても。
ノーラの言うことを疑うつもりはないのだが、それでも、俄には信じられない。
「え、それって、マジなのか」
「ええ、マジです、――という使い方で合ってますか?」
「……ああ」
修一は額の傷を掻きながら、ノーラのお茶目に頷いた。
更に詳しく聞けば、あの橋は単純に大橋としか名付けられておらず、いつ頃、誰が、どの様にして建設したのか全く判明していないらしい。
全体が、黒いレンガのような素材で出来ているが、レンガとは比べ物にならないほど頑丈でほとんど補修の必要がなく、過去様々な災害が発生した際もあの橋だけは崩れることなく今も存在しているのだとか。
橋は、ブリジゲイトの切り立った崖の上から伸びており、橋上面の海抜は優に百メートルを越えている。
にも関わらす、余程基礎がしっかりしているのか、風雨や地震が発生しても、揺れたりしない。
修一がおぼろげながら知っている、元の世界のどの橋よりも巨大で、これほどの規模のものは見たことがなかった。
「南大陸まで、どれくらいあるんだ?」
「徒歩でなら、一月程度は掛かるそうですよ」
それを聞き、修一は唸った。
「てことは、千キロぐらいはあるんじゃないのか? ……正直言って、想像が付かねえな」
「だと思います。
私も幼い頃、初めて目にしたときはとても驚きましたから」
「あの橋って、誰でも渡れるのか?」
「出国手続きと、橋の通行料の支払いをすれば大丈夫です。
まあ、なんらかの事情で通行許可が下りなければ、渡ることは出来ませんが。
国の役人と橋軍――橋の警戒と警備にあたる軍部が厳重に管理していますから、もし不法に通行しようとすればすぐに捕縛されることになりますし」
「ふーむ」
何かを考え込むような素振りを見せる修一に、ノーラは「どうですか?」と訊ねる。
「へ?」
「我が国自慢の大橋は」
「あ、あー……」
「……面白くなかったですか?」
ノーラは僅かに困ったような表情になった。
修一は首を横に振ってみせた。
「いや、十分に面白かった。
出来たら、もっと近くで見てみたいかな」
「そうですか。
……ブリジゲイトは首都スターツからそれほど離れていませんから、良ければ――」
そこまで言って、ノーラはハッとしたように口をつぐんだ。
「いえ、やっぱり何でもありません」
「――」
修一は、ノーラが言いかけたことが何であるか、なんとなく予想は付いたが、敢えて確認したりはしなかった。
そういうことになるのは、出来れば避けたかったのだ。
「……」
「……」
期せずして、言葉が止んだ二人。
周囲の人々の喧騒ばかりが耳を打ち、なんとも言い様のない沈黙が二人を包む。
修一は、その気まずさを誤魔化すかのように視線を巡らした。
すると。
――ん、あれは……?
荒々しい男たちに紛れて、小さな子どもがおろおろと立ち竦んでいるのが目に入った。
「ノーラ、あれ」
「……あれは」
この場に似つかわしくない、ウールが着ているのとは意匠の違う神官服を来た、レイより少しだけ背の高いその女の子は、見るからに困った様子で目に涙を浮かべていた。
そういった趣味のない者であっても、非常に庇護欲を唆られる雰囲気を醸し出している。
「どうしたんだろうな、あの子」
「おそらく、保護者の方とはぐれたのではないでしょうか?」
「だよな、……ちょっと行ってみようか」
「あ、シューイチさん」
修一がノーラの返事を待たず、その女の子に歩み寄る。
先程までの気まずさを打ち消すべく、修一は明るい声で女の子に話し掛けた。
「よお、どうしたんだ、そんなに困った顔をして」
「えっ? ……アナタはだあれ?」
女の子は、さっと身を強張らせると、近付いてくる修一を見上げた。
金色の瞳には、先程までとは違った形の困惑が浮かんでいる。
その様子に気付いた修一はピクリと眉を動かしたが、それ以上の反応はせず、代わりに少し距離を置いて立ち止まった。
「俺は白峰修一、通りすがりの者だよ。
お嬢ちゃんがオロオロしてたから、どうしたのかと思ってさ」
「そう、なの?」
「そうだとも」と努めて朗らかに返した修一と、その後ろからやってきたノーラを見て、女の子は僅かばかり警戒を解いた。
それから幾分か躊躇した後、おずおずと口を開いた。
「あの、お兄さまとはぐれてしまって」
「へえ、大変じゃないか」
「うん」
なるほど、やはり迷子のようだ。
年齢もレイとそう変わらないように見えるし、そのお兄さまとやらとはぐれてしまって、不安になっていたのだろう。
「……あの」
「ん?」
そうやって納得していた修一を、女の子はとても悩んでいる様子で呼び掛け、そして顔を伏せる。
肩口くらいで切り揃えられている、やや赤み掛かった明るい金髪が、その表情を覆い隠した。
「その、お兄さまに、知らない人とはお話ししてはいけないよって言われてて、」
「ふうん?」
「だから、えっと……」
それから、困ったようにもじもじとし始めると、つっかえつっかえ、言葉を続ける。
なんでも、兄にそう言われていたため、誰かに助けを求めることを躊躇っていたらしい。
そこに修一が声を掛けてきたため、最初は驚いたが、出来れば兄を探すのを手伝ってほしいのだとか。
まあ、ノーラ曰く、買い物の際に耳にした話では、最近この町では幼い子どもが誘拐されるという事件が散発的に発生しているらしいので、この子の兄も心配してそう言ったのであろう。
「そうか、まあ、俺も最初からそのつもりだったし、構わないぞ」
「私も構いませんよ」
「あ、ありがとう」
女の子は見るからにホッとした様子で二人にお礼を言った。
「さて、取り合えずお嬢ちゃんの名前を教えてくれよ。
いつまでもお嬢ちゃんって言うのは格好が付かねえからさ」
「はい、わたしの名前は、アル――」
その時である。
まだ年若い少年の声が港に響いた。
「――アル!!」
「あん?」
「おや、」
「……あ、」
修一が声のした方に向くと、中学生くらいの歳の男の子がこちらに向けて駆けてきていた。
女の子と似た色の金髪と瞳、同じ意匠の神官服を着て、今まさに名乗ろうとした女の子の名前を知っているこの少年。
もしかして、と修一が思うのと、女の子が「お兄さまだ」と呟くのは同時であった。
――なんだ手伝うまでもなかったな。
「おい、お前がこの子の――」
兄貴か、と続けようとした修一は、その少年の様子に、ふと眉を跳ねさせた。
「そこのお前!!」
「――おい、まさか……」
「アルから、」
少年は、怒り心頭に発したといった様子で右拳を握り締め、駆け寄る勢いのまま右腕を振りかぶる。
「離れろっ!!」
そして少年は、まだ修一に届くはずのない距離でその拳を突き出し、
「っ!?」
――んなっ!?
――見えないナニカに額を殴り付けられた修一は、衝撃のままに吹き飛ばされ、そのまま海面に叩き付けられたのだった。




