第6章 4
◇
「(テリム~、どうしてあたしを除け者にしたんだい?)」
「(何の事でしょうか、ウール?)」
惚けてみせるテリムに、ウールは恨めしそうに詰め寄る。
「(惚けるんじゃないよ、あたしが太陽神様に祈りを捧げている間に、シューイチとノーラが変な雰囲気になってるじゃないか!)」
「(そうですか? 気のせいだと思いますが?)」
ウールが言ったとおり、修一とノーラの間には不思議な雰囲気が漂っていた。
先程の修一の、「分かっているよ」との発言にノーラがヘソを曲げているような状態なのであるが、それがなんだか――。
「(気のせいなもんか! あれは、まるで、――倦怠期を迎えた夫婦のようじゃないか!)」
「……」
「(一体、なにがあったらあんな風になるんだい!?)」
テリムは、押し黙ったまま顔を合わせようとしない修一とノーラを、チラリと一瞥する。
ノーラは明らかに、私今不機嫌真っ最中ですよといった面持ちであり、修一は、意図的にノーラの方を見ないようにしながら、戯れ付いてくるレイと遊んでいた。
間に挟まれた形のレイは、二人の雰囲気が変わったことに時折首を傾げながらも、遊んでくれる修一に擦り寄っている。
まるで、機嫌を治してよ、と言っているみたいだ。
確かに、あれだけ分かりやすければ、何かあったと思うのが普通である。
しかしテリムとしても、先程のやり取りに関しては思うところがあり、故に、それをウールに興味本位で引っ掻き回されるのは避けたかった。
「(――ウール)」
「(……なんだい?)」
ウールは、いつになく強い口調で自分の名を呼ぶテリムに、僅かに気圧されたようになる。
「(今は、そっとしてあげてください。
お願いですから、面白半分であの二人を誂うのは止めてあげてください)」
「(……そこまで言うのかい?)」
「(ええ)」
真剣な瞳で見つめてくるテリムに、ウールは観念したように肩を竦めた。
「(分かったよ、)……ところでテリム」
「なんでしょうか?」
ウールは、先程の話を無かったものとするかのように、テリムの手元を指差した。
「今折ってるのは、一体何なんだい?」
「これですか? 先生が言うには、キリンという名の動物らしいのですが……」
「そんな、首の長い動物がいるのかい? 魔物ならともかく、普通の動物がそんな変な格好をしているとは思えないんだけどねえ、……折り間違えたんじゃないだろうねえ?」
「失礼な」
テリムは、分かりやすく拗ねてみせた。
◇
さて、そんなこんなしている内に、馬車はファステムに辿り着いた。
他の馬車とともに検問所の順番待ちをし、やがて修一たちの乗った馬車が、検問所を潜る。
「おおー、凄いねえ」
メイビーが、感嘆の声をあげるが、それも無理からぬ事である。
町中は、それはもう多くの人々で賑わってた。
国籍どころか種族すら様々な人々が、皆忙しそうにしながら道を行き交っている。
ベイクロードや、サーバスタウンとも比べ物にならないほどの人の群れのであった。
彼女は、大国であるジアス帝国に数か月間滞在していたこともあるが、基本的には森から出たことのない、所謂おのぼりさんである。
地方の田舎者が都会に出てきて最初に抱くであろう感想をメイビーも抱いてしまうのは、ある種必然といえた。
「マジで凄い人の数だな」
そして修一も、初めて来た町を見渡しながら、なんとはなしに呟いた。
元々この男が生まれ育ったのは都心部から少し離れたところにある町であり、電車を使えば比較的簡単に都心部に向かうことが出来る、関東圏内に幾つかあるようなそれなりの規模の町であった。
よって人混みの中を行くのは、言ってみれば慣れたものであるし、これくらいの人波なら何度も目にしたことはある。
しかし、改めてこの世界で、こういった雑然としつつも活気に溢れた人の群れを見ていると、やはり興奮するのは仕方のないことだと思われる。
修一は、同じようにキラキラした目で通りを眺めているレイとともに、馬車が停留場に着くのを今か今かと待ち侘びていた。
そして、先程までの妙な雰囲気を払拭するかのように、明るい声でノーラに話し掛ける。
「ノーラ、あそこにいる人たちは、一体何をしてるんだろうな?」
「……あれはですね、――――」
ノーラは、まだ少しばかり不機嫌そうであったが、いつまでもそうしているのは大人気ないかと思い直し、修一の問い掛けに順番に答えていった。
まあ、ノーラはこの国の事を大切に思っているし、修一たちに誉められたり喜ばれたりされると、やっぱり嬉しいのである。
「俺らは、依頼とかで何度か来たこともあるんだが、やっぱり凄いよな」
「そうだねえ、腕が鳴るよ」
「取り合えず、冒険者の宿を探しましょうか。前に来たときと同じところでも構いませんが」
「……わたしは、そこがいい、かな」
カブたちも、自分らの新しい拠点地にするべくこの町に来たのであるから、やはり気合いが漲っている。
「カブ! お前らこの町で働くんだよな!」
「おうよ、スゲえ活気だろ!」
「ははは、予想以上だった!」
修一はカブの肩を叩きながら、楽しそうに笑っていた。
停留場に到着し、ファステムの地に降り立った修一は、馬車に揺られて凝り固まった筋肉を解すべく、大きく伸びをする。
「ん、んー」
「…………んー?」
その姿を見たレイが、よく分からずに真似をしたりしているのはさておき、カブは、楯と荷物を背負うと迷いのない足取りで歩き始めた。
「どこに行くんだ?」
「ああ、以前世話になった宿があってな、今回もそこに行こうかと思うんだ」
「へえ、そこは広いのか?」
「んん、そうだな、規模としてはそこまででもないが、サービスはいいぞ」
それを聞いた修一は、ノーラに確認する。
「俺たちが泊まる宿って、もう決めてあるのか?」
「いえ、まだですよ」
「じゃあ」
「そうですね、一緒に行きましょうか」
そのノーラの言葉を聞き、ヘレンが小さく拳を握った。
彼女は、出来ればギリギリまでメイビーと一緒にいたいと思っていたのであり、これはまさに渡りに船と呼べる提案であったのだ。
そのまま、ぞろぞろと大通りを進む八人。
間もなく正午に差し掛かろうかという時間のためか、すれ違う人の数も半端ではない。
自然、お互いが逸れないように一塊になって進むこととなり、レイに至っては早々に修一の背中に乗っていた。
カブを先頭とする一団はやがて大きな広場へと抜け、そこから別の通りに入ると、今度はしばらく歩いてから一つ裏手の通りに入った。
大通りよりは狭くとも、それでも十分に広いその裏通りには幾つかの宿屋が立ち並んでおり、カブはその看板を一つずつ確認しながら歩いていく。
「確か、この辺だったと思うんだが」
「よく覚えてるな」
まあ、一度行った道を覚えておくのも、冒険者としては大事な技能である。
そうでなければ、どうして依頼を達成出来ようか。
そこから更に数軒分歩いたところで、カブが立ち止まる。
玄関扉を押し開けて室内に入っていくカブを見ながら、修一は宿に掲げられた看板を読む。
そこには『冒険者の宿 青藍の古狸亭』と書かれていた。
――青い狸、ねえ。
修一は、即座に実物について考えるのを止めた。
色んな意味で危な過ぎると、瞬間的に悟ったのだ。
宿の中では、五十歳代位の初老の男性が陽気な歌を口ずさみながらテーブルを拭いていた。
いつもの如く金銭交渉をノーラに任せると、修一は空いた椅子に腰掛けレイを手招きした。
「…………?」
とてとてと駆け寄ってきたレイの脇に両手を差し込み、脇腹をしっかりと掴むと、高い高いのように大きく持ち上げる。
「…………うー」
脇腹を持たれてくすぐったいのか、レイは若干楽しそうにしながらも不機嫌そうに唸っている。
そこで修一は、椅子の背もたれが背中側に来ないように体をずらした後、両足でしっかりと踏ん張りながら、一気に上体を後方へ倒した。
「ほーれ」
「!?」
自然と、持ち上げた両腕も上体に添って倒れていき、レイは地面に向けて頭から落ちていった。
あわや、というところまで上体を倒した修一は、レイが地面に着く手前で腕の動きを止め、いきなりの事に体を強張らせたレイが暴れ始める前に、腹筋を使って上体を起こした。
俗にいう飛行機という遊びらしいのだが、修一のはいささかやり過ぎである。良い子は真似してはいけない。
そして動きが止まると、レイはやっぱり暴れだした。
そもそもついこの間、夜空からダイブするという恐ろしい体験をしたばかりである。
修一は、それを克服してほしいとの思いからこんな事をしたのだが、レイはお気に召さなかったようだ。
「…………! …………!」
「おーおー、暴れるなって、俺が悪かったからさ。
あんまり暴れてると、――おおっと手が滑ったあ!!」
「!!」
懲りずにもう一度同じ事をすると、二度目は流石に慣れたのか、先程よりはレイも怖がってはいなかった。
代わりに一層暴れる力が強くなり、これ以上やると冗談抜きで手が滑りそうだったので、修一はレイを床に降ろした。
するとレイが、毅然とした態度で修一を指差した。
「おとうさん!」
「おう、なんだ?」
「…………こわいのはやめて」
「……あー、」
修一は、レイが泣きそうになっている事にようやく気付き、申し訳なさそうに額の傷を掻いた。
「いや、悪い、楽しんでくれると思ったんだが」
「…………こわいのは、きらい」
修一は、ムスッとした顔で両腕を伸ばしてくるレイを抱き上げると、宥めるように背中をさすった。
「すまんかったすまんかった」
「…………ん、」
グスッと鼻をすすり、ようやくレイが落ち着いたころ、ノーラから「部屋が決まりましたよ」と声が掛かった。
そして部屋割りを確認して、修一は不思議そうに呟く。
「なんか、組み合わせが変じゃないか?」
修一の言う事は至極尤もであった。
今回の宿は二人部屋を四つ借りたらしいのだが、その組み合わせはといえば、修一とレイ、カブとテリム、ノーラとウール、そしてメイビーとヘレンであった。
「俺とかカブたちとかは、まあ、良いとして、……ノーラとウール?」
「はっは、仕方がないのさ」
ウール曰く、メイビーとヘレンを一緒にいさせてあげるための措置らしい。
ノーラによると、この町への滞在は早ければ明日の朝までとなるため、その僅かな時間を精一杯使って親睦を深められるよう、このような部屋割りになったのだとか。
修一は、メイビーとヘレンがそこまで仲良くなっているのかと少々驚きを禁じ得ないでいるが、実際は、ヘレンがどうしてもと皆にお願いして実現した部屋割りでもある。
ヘレンが「新しく出来た友人ともっと親交を深めたい」と言い出したことに、ウールは素直に喜んでいるし、ノーラも、「折角巡り会えた友人を大切にしたい」というメイビーの言葉に、一も二もなく頷いたのだ。
「まあ私も、この機会にウールと友好を深めようかと思います」
「あたしも、ノーラには色々と聞きたいことがあるんだよねえ」
そのウールの発言を聞いてテリムは僅かに顔を顰めたが、ウールは見て見ぬふりをした。
「ふーん、そうか。
まあ、皆が納得してるなら、俺が口出しするような事でもないか」
修一がそう言って納得すると、カブが苦笑しながら補足する。
「どうせ俺らは、ノーラさんたちと別れた後もこの宿で世話になるつもりだし、ここの専属冒険者になったら部屋を移らなきゃならないだろうからな。
手間が同じなら、今回のような部屋割りでも問題はないだろ」
修一は「成程ね」と頷くと、それから「ん?」と疑問符を浮かべた。
「なあ、専属冒険者ってのは、普通の冒険者とは違うものなのか?」
「……シューイチは、そんな事も知らないのか?」
訝しがるカブに、修一は「全然知らねえ」とはっきり答え、それを聞いたテリムが、仕方がないですね、とばかりに説明してくれた。
そもそもこの世界の冒険者というのは、修一の世界でいうところのフリーターとほぼ同義の言葉であり、本人が「自分は冒険者である」と名乗っていれば、その者は冒険者なのである。
冒険者と、修一の世界のフリーターたちとが異なっているところと言えば、冒険者は基本的に何かしらの戦闘技能を有しているという点であり、時には命懸けで戦闘を行い依頼を遂行するという部分である。
そして冒険者は、世界各国の各地に存在しているが、それらを統括するような便利な組織はこの世界には存在せず、冒険者たちは、皆がそれぞれに独自の情報網や人脈を使って活動をしている。
「するとですね、色々と問題が生じてきたりするわけです」
「問題?」
「ええ」
冒険者は、様々な依頼を請け負う。
それこそ簡単な清掃活動から、危険な地への手紙や物品の運搬、商人の護衛や魔物の討伐、時には犯罪行為すれすれの依頼が来ることもあるらしい。
冒険者の中には、モラルの低い者や金に汚い者などもおり、もともと治安の悪いような地域ではそれが特に顕著となる。
依頼主と依頼の内容や報酬の交渉で揉めたりする者もいれば、反対に、無茶を言ってくる依頼主に振り回されていいように使われる者などもいる。
そうしたいざこざを聞き、依頼を出そうにもどの冒険者連中に依頼を出すのが良いか分からずに、結局依頼を断念するような者すら現れたりと、まあ、色々と問題が多かったらしい。
限りなく自由職であるが故に、こういった、真面目に活動している冒険者たちからすれば不名誉この上ない事案が起こるのだとか。
「そこで、とある冒険者上がりの宿屋の主人が、自身の経験を生かして冒険者の斡旋活動を行い始めたそうです。
依頼の内容を確認して適正な報酬を割り出し、依頼に適合した実力の冒険者に、依頼を回すようにしました」
「そのオッサンは、何度も依頼を取りに来た馴染みの冒険者に対して便宜を図ったりもしてたらしいな。
そうなると、店主に恩義が出来た冒険者たちも適当な仕事はしなくなるし、依頼がきちんと遂行されるようになれば、信頼が生まれてたくさん依頼が来るようになる。
結果としてその店は、オッサンが死ぬまで繁盛したらしいぜ」
「凄えな、そのオッサン」
「…………おー」
そして現在では、ある程度規模の大きな町では『冒険者の宿』という看板を出し、冒険者の斡旋業を行っている宿屋がいくつか存在するようになったらしい。
冒険者は、宿屋の評判を聞いて自分が世話になる宿を決めることが出来るし、もしそこの専属として活動するのであれば、それなりに便宜を図ってくれるというのが、暗黙の了解になっているのだという。
「ここの主人も、二十年前までは冒険者をしていたらしいぜ」
「さっきの陽気そうなオッサンか。
確かに、素人っぽくはなかったな」
先程厨房に引っ込んだ、宿の主人の体格と立ち居振舞いを思い出し、修一は感心したように頷いたのだった。




