第6章 クリスライト
お待たせ致しました。第6章開始です。
◇
夏の日差しが和らぎ始めた夕暮れ前の午後のこと。
雲一つない抜けるような青空の下で修一とメイビーが互いに向かい合い、そして構えている。
「行くよ、シューイチ」
「おう、どんと来い」
メイビーはいつも使っている小剣を鞘に納めたまま右手に持ち、修一は腰の騎士剣をカブに預けて素手のままで右半身。
お互いの距離は二メートル弱、足場は土で周囲に遮蔽物はなし。
少し離れたところにノーラやカブたちが立っており、二人が動き出すのを今か今かと待っている。
今から行われるのは、修一とメイビーの模擬戦である。
「ふっ」
まずはメイビーが動いた。軽く息を吐きながら身体を僅かに沈めると、そこから一気に踏み込む。
袈裟懸けに振り抜こうとする小剣に対し修一は、左手を持ち上げながら半歩前に出る。
メイビーの右手首を弾くように左手の手刀を当て、そのまま無造作に右手を前に突き出す。
「うわっと」
襟元に伸びてくる右手を嫌ったメイビーは、踏み込んだ勢いを反動に換えて後方に跳び退がる。
空を切った右手を引き戻した修一はメイビーを追わず、その場から動こうとしない。
メイビーの身のこなしの良さを修一は知っており、不用意に追い掛けたところで簡単には捕まえられないと解っているのだ。
「……はあっ!」
続いてメイビーは、修一の首筋に向けて剣を突き出す。鋭い踏み込みからなるそれを頭を振って躱す修一に、メイビーは突きと同じ速さで小剣を引き、更に一歩踏み込む。
修一は、自身の右手側から流れてくる銀線に対し、右足を後方に引きながら左半身になり、臍の前で構えた左掌を差し出す。
銀線の動きに合わせて靭やかに動く左手が、メイビーの手首を掴んだ。
「……!」
「おっと」
その途端、メイビーが左足を振り上げて顔を蹴ってきた。
修一は軽々と躱すが、メイビーはその隙に左手の拘束を切った。
「む、残念」
若干楽しそうに呟く修一に、メイビーはいくつかのフェイントを掛けてみる。小剣の動き、目線や重心の位置、気当たりも使ってみて、分かったことが何点か。
修一の目が、自分の小剣を正確に捉えていることと、小剣以外の部分に対してほとんど注意を払ってないこと。
それが分かるとメイビーは、何か所かの急所に向けて突きを放つ。
大腿部から、肝臓、心臓、喉元へと狙いを高くしていきつつ、目元に向けて小剣を払ったところで、股間を蹴り上げた。
「えい、やあっ!」
修一がよく使っている、意識を逸らしてからの不意打ちをメイビーも真似してみたのだ。
しかし修一は、目元への一撃を躱しながら同時に体を捌き、蹴り上げた脚の動線上から身体を移動させていた。
振り上げられた脚が腹の前まで持ち上がったところで、修一はその脚を左腕で抱え込んだ。
「やばっ!」
右足を抱え込まれたメイビーは、その次の攻撃が何であろうと非常に恐ろしい目に遭いそうな気がして、咄嗟に退がろうとする。
すると。
「ふえっ?」
残った左足が何かに引っ掛かり重心が崩れたかと思うと、修一が掴んでいた右足をメイビーに向けて押し出すようにしてきた。
身体を支えている左足を掛けられ、そこに伸ばした足ごと身体を押されたものだから、メイビーはよろめきながら大きく後方に突き飛ばされることになる。
「おっととと、」
修一としては、掴んだ時点でドラゴンスクリューからの膝十字でも掛けてやろうかと思っていたが、メイビーが何かされると勘付いたため、止めにした。
「あ、危ない……」
何とか転ばずに体勢を立て直したメイビーは、ゆっくりと冷や汗を拭う。
彼女は、修一に掴まれることの恐ろしさを十分に理解している。
「せりゃあっ!」
メイビーが駆け寄りながら何度も剣を振るう。
修一は躱すか、メイビーの手首に手刀を当て剣の軌道を逸らす。
メイビーはその度に高速で剣を引き、次の攻撃に繋げていく。
修一に、掴む隙を与えないつもりだ。
修一は掴んでから投げたり極めたりするまでの時間が極端に短いうえ、使える技の選択肢が非常に多い。
もし掴まれ、技の態勢に移行する前に振り解けなければ、最悪受け身も取れずに地面に叩き付けられる。
そうなれば、後は修一の独壇場だ。
倒れた相手への追撃は彼の得意とするところであり、踏まれたり蹴られたりならまだしも関節を取られて体重を掛けられれば、面白いように骨を砕かれるだろう。
メイビーは、模擬戦である以上そこまではしないだろうと思いつつも、かつてカズールファミリーの構成員たちを情け容赦なく戦闘不能に追い込んでいった姿を見ているため、一抹の不安を抱かずにはいられない。
数度目の斬り付けを弾かれたメイビーが一旦修一から距離を取ると、修一が感心したような声を出す。
「マジで、避けるの上手いよな」
「嫌み? 僕の攻撃だって、ちっとも当たらないんだけど」
「いやいや」と、修一は笑う。
「嫌みなもんか、俺は純粋に感心してるよ。このままだらだらやってても、俺は決定打を叩き込めない気がする」
そう言いながら、不意に構えを解く修一。
メイビーは、その姿を見て、一気に警戒心を高めた。
「だからまあ、」
「……!」
「ちょっと、小細工するぞ?」
言うや否や修一は、無造作とも思える足取りでメイビーに歩み寄る。
――……嘘でしょ?
メイビーは更に警戒を強めながらも、修一の動きに顔を顰めた。
何をしているようにも見えないのに、全く隙が見当たらないのだ。
自分から不用意に斬り込めば、それだけで負けそうな気がする。
しかし。
「……」
「……!」
このままどんどん間合いを詰められれば、恐らく一気に掴み掛かられて、終わる。
その未来が容易に想像出来てしまい、メイビーはどうしたものかと悩みながら、修一の接近に合わせて後退し、距離を取る。
修一は、慌てた様子もなく、変わらない足取りで近付いてくる。
その様子からメイビーは、修一の歩法に何か秘密がありそうだとは思うが、それがどういったものかまでは分からない。
修一の使う剣術には、一見しただけでは理解できないような不可解な技術がいくつもある。
斬撃を飛ばしたり、消えたように移動したり、――そこまでではなくとも驚くべき技術が多々あるのだ。
――本当に、面倒臭いなあ。
メイビーは歯噛みした。
これが実戦であるならば、魔術を撃ち込むか、或いはこの隙に逃げてしまうのに。
模擬戦である以上、そのどちらの選択肢も選ぶことが出来ない。
「どうした? 逃げてばかりじゃ決着が着かないぞ?」
「……」
メイビーは答えない。
見え透いた挑発であり、これに乗って攻撃すれば、敗北など火を見るより明らかだ。
それに、こうして挑発してくるということは攻撃してくるのを待ち構えているということだ。
ならばメイビーは、いくら挑発されても先に動くつもりはない。
この模擬戦、絶対に負けたくないのだ。
それだけの理由が、メイビーにはあった。
ゆっくりと歩いて近付く修一と、それに合わせて退がるメイビー。
それが一分近くも続き、先に痺れを切らしたのは、
「ちっ」
「……!」
――修一だった。
修一は、メイビーの退がるタイミングを見計らい、ギリギリまで近付いたところでメイビーより早く動いた。
引き絞られた弓から放たれた矢のように、修一は一瞬で彼我の距離を詰めた。
メイビーは、そこに勝負を賭けた。
「――、せやあっ!!」
メイビーの、渾身の前蹴りが修一の鳩尾に向けて打ち込まれた。
修一の速度を加味したうえで、これ以上ないというタイミングであった。
「っ……!」
完璧なカウンターとも思えるそれは、修一に防御の暇すら与えず、鳩尾に吸い込まれていった。
だが――。
――痛ったあ!!?
数瞬後、痛がっていたのはメイビーの方であった。
「……はっ、」
修一は、痛みに頬を引き攣らせたメイビーを鼻で笑う。
彼は、最初からこうしてメイビーが打ち込んでくるのを待っていたのだ。
敢えてゆっくりとした歩法で距離を詰めたのはメイビーを無意識的に焦らすためであり、自分から先に動いたのは焦らされたメイビーが勝負を急ぐようにするためだ。
それに合わせて、カウンター返しをされるとも知らないで。
修一には、例えメイビーがどんな手段方法で攻撃してきても、それに対して的確に技を返せるという自信があった。
メイビーの技はどれも切れがあるが、悲しいかなその身の小柄さに違わず軽いのだ。何より攻撃が素直過ぎるため、あまり苦もなく軌道を読む事が出来る。
結果、ダメージを受けたのはメイビーの方だ。
修一は、メイビーの蹴りに合わせて腹筋を固めながら、当たる直前に少しだけ、踏み込みを深くしたのだ。
それによってメイビーは、伸びきる前の足先を殴り返されたかのような衝撃を受け、早い話がタンスの角に足の指をぶつけてしまったのと同じダメージを受けている。
まあもっとも、修一も全くの無傷かと言われればそうでもないのだが。
――結構、蹴りも鋭いな……。
修一は、自身も予想以上のダメージを受けていることを自覚しつつも、痛みで顔を顰めているメイビーに手を伸ばす。
「!? ――あぁっ!!」
「うおっ!?」
修一の手がメイビーを掴む直前、気合いの叫びとともにメイビーが、小剣を振り抜いた。
そこから、片足飛びで大きく距離を取る。
修一は、もう動けるのか、と思いつつ、そう来なくては、とも思う。
――さて、それなら……。
メイビーは、痛む足を庇うように器用に片足立ちしながら、修一を睨み付けた。
足先の痺れが取れない。ヒビが入ったかもしれない。模擬戦後に自分で治せるとはいえ、痛いものは痛いのだ。
蹴ったのは鳩尾の筈なのに、当たったのは恐らくその少し下だ。
見抜かれていたのだ。
だから直撃を避けられたのだ。
「~~~~っ」
メイビーは、例え見抜かれていたとしても、そこに合わせてきちんと反撃してくる修一の手強さを改めて認識した。
そして、だからこそ負けたくなかった。
「……ふぅ」
「……!」
修一が、一つ息を吐いた。
メイビーは何が来てもいいように小剣を構え直す。
修一は、またもや先程と同じくゆっくりとした歩み足でメイビーに近付いていく。片足を痛めたメイビーには、逃げ切れそうにない。
「……」
「……」
じりじりと距離が詰まり、残りが二メートルほどになったところで修一が歩みを止める。
訝しむメイビーに、修一は提案した。
「なあ、メイビー」
「……なに?」
「このまま引き分け、っていうのはどうだろう?」
「……!」
修一からの提案は、実に魅力的に思えた。
なんならすぐにでも頷いて、足の治療をしたいくらいだった。
「バカ言っちゃいけないね。
そんな中途半端なのはゴメンだよ、僕は」
そしてだからこそメイビーは、頷く訳にはいかなかった。
「……そうかい」
その決意を感じ取った修一は、最早何も言うまいとばかりに気合いを込めた。
それはある意味、心地良さすら感じるほどの純粋な闘志であった。
修一は、強敵を前にしたときのように、真剣な表情でメイビーを見つめる。
そして、同じように真剣な表情で見つめてくるメイビーに、摺り足で少しずつ躙り寄っていく。
「……」
「……」
瞬きすら忘れるほどの緊張感のなか、接近を続ける二人。
やがて、お互いの間合いが十分に重なる程にまで接近した二人は、それでも打ち込むことなく、距離を詰め続ける。
「――」
「――」
お互いが相手の一挙手一投足を注視し、呼吸を読み合っているのだ。
相手に、最大限の一撃を与えるために。
そして――。
「――っ!!」
メイビーが、痛めた足をものともせず、全力で地面を踏み締めながら小剣を突き出す。
この瞬間だけは、根性で痛みを無視した。
「――――」
修一は、迷いなく真っ直ぐに伸びてくる小剣を紙一重で躱しながら重心を落として右足で踏み込み、メイビーの懐に潜り込む。
身体を半回転させながら背中をメイビーの胸に押し当て、伸ばしている右腕に自分の右手を絡めながら右肩をメイビーの脇の下に挟み込ませる。
そして押し当てた右肩を支点にして右腕を下に引き、反対に胴体を持ち上げてメイビーの身体を浮かせると、
「!?」
メイビーはまるで最初からそうするよう申し合わせていたかのように軽々と宙を舞い、勢いよく地面に叩き付けられた。
スパンッ、と両足が地面に当たり、痛む指先が衝撃で痺れたが、この時修一はメイビーに必要以上の怪我をさせないためにきちんと引き手を引いている。
どうなっても構わないような無法者を相手にするのとは天と地ほどの差があった。
「――どうしたメイビー、ぼうっとして」
「……あ、あれ? ひょっとして僕、投げられた?」
あまりの速度に一瞬理解が追い付かなかったのか反応が遅れたメイビーに、修一が意地悪そうに笑ってみせた。
「ダメだな、それじゃ。
投げられてぼけっとしてたら、もっと酷い目に遇うんだぞ?」
「へ?」
修一は言うと同時に引き手で取っていた右腕から右手へと掴む位置をずらし、さらにメイビーの右手を、手の甲側から右手で掴み、手首を内側へ直角に曲げさせると上に引き上げて肘を伸ばさせる。そしてそのままメイビーの右手を小指の方に向けて捻ると、自身の立ち位置を動かしながらどこまでも捻っていった。
「!? 痛たたたた!!」
関節を極めて捻られるというとんでもない痛みに悲鳴をあげたメイビーは、それでも止めようとしない修一に文句を言う事も出来ず、ただただ痛みから逃れたい一心で身体を転がしていく。
やがて仰向けからうつ伏せへと変わったところで修一は捻るの止め、代わりにメイビーの背中、肩甲骨と肩甲骨の間にある、紋所という部分に右膝を乗せた。
「ほいっ」
「ぐえっ!」
およそ女の子らしからぬ悲鳴をあげたメイビーの右手を掴んだままの修一は、握った手をそのままにメイビーの右肘の内側を左手で押し肘を曲げさせると、右腕を捻りあげたような状態で固定した。
「これがいわゆる制圧ってやつだな」
「!? !? ~~~~っ!!」
修一の説明が全く耳に入っていないメイビーは、早く離してと言わんばかりにジタバタともがいているか、修一はそんなメイビーに優しく問い掛ける。
「離してもいいが、そしたらメイビーの降参負けな」
その途端、ピタリと大人しくなるメイビー。
「……ま、まだ、大丈――」
「このあとは、空いた左手で好き放題何でも出来るんだが、それでも続けるか?
太股を抓ったり、脇腹を突いたり、ああ、あと」
「……あ、あと?」
もう既に半泣きのメイビーに、修一が止めを差した。
「実際に右肩を外して動けなくしておいてから、他の関節を順番に外し――」
「降参! 降参する!! 降参するからもう離してよー!?」
こうして模擬戦は、修一の勝ちで幕を閉じたのだった。




