閑話 ゼーベンヌ
※ 本日五度目の投稿です。
◇
ゼーベンヌがブリジスタ騎士団に入団したのは彼女が十八歳の時の事だ。
当時通っていた高等学校に在学中、入団試験を受けたゼーベンヌは、それらの試験を一発で合格し、卒業後そのまま騎士団に入ることにした。
入団試験は成人後、つまり早ければ十五歳から受けることが出来るため、わざわざ高等学校まで通った後に入団するという者は多くなかった。
そのため、同期入団員の中では中間的年齢層となったゼーベンヌは、上からも下からもなにかと頼られる立場となり、それらをてきぱきと片付けていく彼女の姿は、騎士団に相応しい奉仕の精神であるとして、他の者たちにとって目指すべき目標となっていた。
ただ、彼女も最初から騎士団員になりたいと思っていたわけではない。
本当は、高等学校で学んだ知識と技術を生かし、父の跡を継いで魔導機械の整備士になりたかったのだ。
この世界における魔導機械というものは、何も戦闘用の物ばかりではない。
現在では製作技術が亡失されたものも多く、魔導ランプや魔導機械式の時計など、ごく簡単な構造の物しか量産されていないのだが、それでも一つ一つ部品から手作りしている職人というものは存在しているし、古代に作製され現代では再現不可能な複雑な機構を備えた魔導機械も、いまだに現役で稼働しているところもある。
そういった、古代に作られた大型で複雑な魔導機械は、きちんと手入れをしてやれば何年も、何十年でも働いてくれるし、そういったものが村に一台でもあれば、その村の生活や労働環境等は大きく変化するのだ。
ゼーベンヌの生まれた村では、そうした過去の遺物が比較的多く出土したため、それらを扱う知識と整備する技術を持った人間が昔から存在していて、修理工としてそれらを生業とする者たちが一定数暮らしているのである。
ゼーベンヌの父もそうした技術職の人間で、幼いゼーベンヌを魔導二輪車の後部シートに乗せてドライブを楽しむくらいには、気の良い男であった。
そんな父より幼い頃から手解きを受けてきたゼーベンヌであったから、近隣の町で一番大きな高等学校に通うようになってもそれは変わらず、専修したのは魔導機械に関する学問の、より専門的な知識を学ぶためのものばかりだった。
彼女は、卒業後には地元に帰って父の跡を継ぐことに何の疑問も抱かないままであったし、それでも構わないと考えていたのだ。
だからそれが、諸々の諸事情というもので叶わなくなったときには、彼女は進路について大いに悩むことになり、その中で、当時一番仲の良かった友人に誘われて一緒に騎士団の入団試験を受けたのも、言ってみればたまたまのことであった。
結果として自分は合格したものの、誘ってくれた友人は試験に不合格となってしまったのだから、人生とは分からないものだ。
ちなみにその友人は、卒業後地元に帰って幼馴染みと結婚してしまったらしいのだが、まあ、それはそれで目出度いことであった。
今でも年に何度か手紙のやり取りはしていて、時折幸せそうに惚気てくるのには、辟易とすることもあるが。
アンタも早くイイ人見つけなさいよ、なんて大きなお世話である。
ゼーベンヌは、テグ村の入り口にてエイジャとともに第四騎士団の到着を待ちながら、そのようなどうでも良いことをつらつらと考えていた。
「ゼーちゃん」
「なんですか、隊長?」
「いよいよ憧れのデザ君に会える訳だけど、気持ちはどう? 緊張してる?」
「ああ、その事ですが」
ゼーベンヌは、フッと不敵に微笑むと、エイジャにこう返した。
「大丈夫ですよ、心配には及びません」
ゼーベンヌは学生時代、いわゆる秀才と呼ばれるタイプの人間であった。
なにかしらの突出した才能がある訳ではなかったが、勤勉に勉学に励み、自己の研鑽に努め、教師や先輩には素直に教えを請うた。
分からないことは分かるまで反復して学習するという我慢強さも持ち合わせていたし、教えられたことをきちんと理解するだけの理解力もあった。
何より負けず嫌いで向上心が高く、誰かと、――例えば友人たちと試験の結果を競うようにしているときなどは、驚異的な集中力を発揮していた。
試験の成績は、当たり前のように常に上位だった。
それなのに地元で整備士なんてするつもりなのかよ、と笑われたときは少しばかり返答に窮した。
似合わねー、とあんまりにも笑うものだから、思わず尻を蹴飛ばしてしまったのは、少々はしたなかったかな、とも思うが。
ともあれ彼女はこうして騎士団に入団することとなり、僅か三年ほどで副隊長に抜擢されている。
非常に優秀だと言わざるを得ない。
一般の団員と比較すれば、ではあるが。
そう、ゼーベンヌのように、入団当初から驚異的な速度で昇格していった人間はこれまでにも何人かいて、その最たる例というのが、
「久しぶりだな、エイジャ」
「そうだね、デザ君」
――この、デザイア・ドランキッシュという名の男なのである。
若くして団長にまで登り詰めたこの男は、多くの団員たちから尊敬と憧憬の念を向けられていて、そしてそれに恥じぬようにと、日々鍛練を怠らない。
今も続けている遠隔地遠征は地域住民たちにとって非常に有り難がられているし、正しく、騎士団の顔である。
「そちらの方は、初めてお会いしますね」
「ああ、ラパさんもお久しぶり。こっちが、新しく副隊長になってくれたゼーベンヌ・リッターソンだよ。
いつもはゼーちゃん、って呼んでる」
「よろしくお願いします」
ゼーベンヌはエイジャの紹介に合わせて挨拶をするが、アダ名まで言わなくてもいいでしょ、と内心で眉を顰めた。
「デザ君、ゼーちゃんは君のファンらしいんだ。
良かったら、握手でもしてあげてくれないかな?」
「た、隊長!」
「そういえば、そんなことを言っていたな、俺は構わないぞ。
えっと、ゼーベンヌだったか」
「はい!」
名を呼ばれ、背筋を伸ばして返事をする。
先程緊張していないと言ったのは嘘ではないが、それでも本人を目の前にすると、どうしてもそうなってしまう。
その姿を見て、喉を鳴らして笑っている上司に文句を言うこともできない。
「まあ、こんな事してどうなるわけでもあるまいが、これからもどこかで共に戦うこともあるかもしれないしな。
その時は、よろしく頼む」
「は、はい!」
グッと力を込めて握られた右手は、その眉目秀麗な顔立ちからは想像出来ないほど硬く、剣ダコによってゴツゴツとしていた。
剣士として、騎士として、常に鍛練をしているのだと、容易に知ることが出来る。
「あはは、良かったねゼーちゃん」
デザイアに手を握られ思わず頬を紅潮させるゼーベンヌに、エイジャが笑顔で声を掛ける。
それを見たデザイアが、握った手を離しながら更に口を開いた。
「ああそれと、このエイジャという男は誰かが見張っていないとすぐに問題を起こす。
だから、アンタには迷惑を掛けるかもしれないが、しっかり見張っておいてくれないか?」
「え? あ、はい」
「おっと、言ってくれるじゃないかデザ君」
「エイジャ、お前今まで何度問題を起こしたと思っているんだ」
「どれもこれも処分になるような事じゃなかったでしょ?」
「どれもこれも、運が良かったか、たまたまそうなったに過ぎないものばかりだろうが」
「そうかな?」
惚けるように首を傾げたエイジャを、デザイアは強く睨み付ける。
通常人なら思わず震え上がるような強烈な視線であったが、全く気にした様子のないエイジャに、青髪の青年は大きく息を吐いた。
「はあ、お前がクビになると俺がケイナさんに怒られるんだよ。それに、俺も困る」
「んー」
「だから、やりたいことをするのは構わないが、もう少し後先というものを考えてくれよ」
「まあ、気を付けるよ」
そうした二人の遣り取りを見ていた副官二人は、各々が自分の上司に何か言いたげにしていたが、それを口にするより先にデザイアの部下の一人が走り寄ってきた。
「団長、総員整列完了しました。
いつでも出発できます」
「む、そうか」
デザイアは部下の言葉に頷くと、エイジャたちに向き直った。
「ひとまず一度行ってみようぜ、その洞窟とやらに」
「そうだね、そうしようか」
ゼーベンヌがデザイアに対して抱いていた気持ちとは、端的に言えば『憧れ』と、ほんの少しの『恋心』であった。
前述の通りゼーベンヌは、負けず嫌いで向上心が高い。
そして誰かと競ったり、若しくは、誰かを目標として定めることで自分自身を奮起させ、自身の成長に生かそうとする貪欲さがあるのだ。
そういう意味で言えば、まさにデザイアは適任であった。
自分とそう変わらない年齢で、自分より遥かに高いところに立つこの男は、ゼーベンヌに、その背中を追い掛けてみたいと思わせるには十分であった。
いまだにその位置に甘んじることなく自身を高め続ける姿勢も、ゼーベンヌが憧れを抱くには十分な理由である。
もちろん、他の団長たちも立派な人物ばかりで、師として仰ぐのならこれほど素晴らしい方たちもそうはいないのだが、目標にするというのは少々違うように思えた。
やはり年齢が近ければ、それだけ長く自分の前に立っていてくれるということであり、その背中を追い掛けるのにも気合いが入る。
そうした、憧れを多分に含んだ心情は、まるでアイドルの追っかけや大好きなプロ野球選手を応援する野球少年が、いつの間にか対象に対して憧れ以上の気持ちを抱くように、知らぬ間に、恋心に似た気持ちへと変質していったのだ。
まあ、歳の近い優秀な異性を、理由はどうあれ常に意識していれば、そこに不純な気持ちが混ざるのは仕方のない事ではあろうが。
ゼーベンヌは別にミーハーな訳ではないが、改めて隣を歩くデザイアに顔を向ければ、やはり素敵だな、とは思うのだ。
「そういえばデザ君、たまには顔見せろってケイ姉が怒ってたよ」
「あん? あの人のはいつもの事だろうが」
「いや、今回は結構真剣に言ってた」
「む、……面倒だな」
悩ましげに髪を掻き上げる姿が、未婚の女性にとっては目の毒である。
ゼーベンヌは、努めて気にしないようにしつつ、エイジャに訊ねた。
「隊長、ケイ姉というのは……」
「ん? ああ、俺の姉さんだよ。
デザ君のことも弟みたいに思ってるから、なかなか顔を出さないデザ君にご立腹なんだよねえ」
「お前もそうだが、お前の家族は皆して距離感が近いんだよ。
それに……」
「それに?」
「――いや、なんでもない」
「?」
何かを躊躇うように口篭ったデザイアに対し、エイジャは首を傾げるが、追及はしなかった。
ゼーベンヌは洞窟の入り口に着くまでの間、デザイアと幾らか取り留めのない会話をしていたのだが、その内に一つ、気付いた事がある。
思ったよりも、自分は緊張していないのだ。
エイジャに向けて言っていた『大丈夫』という言葉のとおり、なんだかんだと言って彼女は、横に立つ青髪の団長に対して必要以上の緊張感を持たずに済んでいる。
それは、デザイアが予想以上に気さくな人物であり、騎士団員としての礼節を無闇に求めたりしないのが一つ、そして、自分自身の興味関心が、他に移り始めているというのがもう一つだろう、と、ゼーベンヌは当たりを付けた。
確かにデザイアは、素晴らしい人物である。
だが、今のゼーベンヌは、それよりも身近に、同じように素晴らしい人物がいると気が付いている。
「ここか」
「そうだよ、この奥の奥に、オーがたちの死骸と住人たちの御遺体が眠ってる」
デザイアは、真っ黒に焦げて半分近くが吹き飛んでいる扉の残骸を跨ぎながら、ゆっくりと洞窟内に進入していく。
エイジャたちも後に続き、更にその後を整然と歩く団員たちが続いた。
「あの扉だが、誰が破壊したんだ?」
「あ、それは私です」
ゼーベンヌが控えめに言うと、デザイアは楽しそうに笑う。
「そうか、アンタか。
見かけによらず、なかなか大胆だな」
「いえ、そんな」
「謙遜しなくてもいい。
おそらくあれは擲弾砲機術だろ? よくそんな物準備してたな」
実に愉快そうに笑うデザイアに、エイジャがまるで自分の事のように誇る。
「そりゃあ、ゼーちゃんは優秀だからねえ、何が起きても対応出来るように、事前の準備を怠ったりしないのさ」
「ほう、それはそれは、羨ましい限りだ」
「俺の部下にくれ、なんて言われても認めないからね。
ゼーちゃんは、俺の大事な、可愛い部下なんだから」
「……!」
ゼーベンヌは、内心の感情を必死になって抑え込む。
そうしないと、嬉しさのあまり思わずニヤけてしまいそうだった。
エイジャが、ここまで言ってくれるとは思ってもいなかったのだ。
しかも、そこで終わらなかった。
「本部での訓練成績も優秀だし、隊の一般実務も短時間で仕上げてくれる、なにより、自分の言うべき事、やるべき事を正しく理解して、それをきちんと実行出来るんだ」
「成程な、その若さで大したものだ」
「でしょう? デザ君だってそう思うよね?」
誉め殺しである。
これには流石のゼーベンヌも、自分の頬が緩むのを止められなかった。
その後も、広場に到達するまでの間に何度となくエイジャがゼーベンヌの事を自慢するものだから、ゼーベンヌは非常に落ち着かない一時を過ごした。
「――ん?」
「どうしたのデザ君?」
「いや、――ふむ」
「……何か、感じるのかい?」
もう間もなく、修一たちがオーガと戦闘を行った広場に辿り着くといった時になり、デザイアが唐突に立ち止まった。
そのまま、鼻を鳴らして何かを嗅いでいる素振りをみせると、足早に歩を進め始めた。
その様子を見て、エイジャとラパックスは何かを察したように頷き合い、その後を追う。
ゼーベンヌだけはデザイアの『勘』を体感した事がなかったため少々出遅れてしまったが、それでも慌てて三人の後を追った。
広場に入り、修一によって冷凍されたオーガの死骸の横をすり抜け、更に奥の通路に向かう。
何故か、この洞窟の中に取り付けられている魔導ランプは動作を続けており、その視界を遮られることはなかったが、それがゼーベンヌの心に一抹の不安を投げ掛けていた。
そして、立ち止まる三人に追い付いたゼーベンヌは、そこがつい先日、自分たちとリャナンシーが死闘を繰り広げた現場であることに気付き、
「…………えっ?」
――思わず、間の抜けたような声が漏れた。
「団長、これは……」
「ああ、――厄介だな」
「デザ君、どうする?
まさか、あの状態から逃げられるとは、ね」
そこに残っていたのは、斬り飛ばされ、氷付けにされた左腕のみで、
――リャナンシー本体の姿は、どこにもなかったのである。
※ 本日十七時に次話を投稿します。




