閑話 レイ 3
※ 本日三度目の投稿です。
◇
小屋まで逃げ帰ったレイは、全力で走ったことによる息苦しさが治まるにつれ、どうして逃げてしまったんだろうと、嫌な気持ちになった。
レイにはまだ、後悔だとか自責の念だとかいうものはいまいち理解できないのだが、それでも自分の行いが良くないものであったのは分かるのだ。
あれだけ皆が自分に優しくしてくれていたのに、そこから逃げ出したのは、やっぱり良くないことだろう。
微かに聞こえたゼーベンヌの声は、どことなく辛そうで、今回のは、間違いなく自分のせいでそうさせたのだと、レイはまた泣きそうになった。
それに、シューイチだ。
折角あの人にまた会えるかも知れなかったのに、それももう不可能になってしまった。
レイは、それが一番悲しかった。
赤い太陽が山間の奥に消え、段々と外が暗くなっていく。
レイは残していた食料を食べ切ると、さっさと寝ることにした。
どうせ起きていてもお腹が空くし、明日にならなければゼーベンヌたちに会うことも出来ないだろう。
それになにより、このまま起きているとまた泣いてしまいそうだったので、それを誤魔化すかのように早く寝ることにしたのだ。
今日は、お腹も空いていないしたくさんの人に会って少し疲れていたので、それほど時間も経たずに眠りに就くことが出来た。
藁の中で寝ることにも慣れ始めたレイは、静かな寝息を立てながら気持ち良さそうに寝ていたのだが、ふと、目が覚めた。
「…………おしっこ」
どうやら尿意を催してしまったらしく、そのせいで目が覚めたようだ。
レイはすでにおねしょを卒業したとの自負がある。
漏らしたりはしないし、したくなったらちゃんと目が覚めるのだ。
レイは眠い目を擦りながら、近くの水路に行くために小屋の戸を開け外に出た。
空には綺麗な半月が浮かんでいるため足元も見えないこともない。
と、その時、村の方角から何かが駆け寄ってくる音が聞こえた。
レイはなんだろうと思いながらそちらを向いて、一気に目が覚めた。
アレが、今まで以上に恐ろしい姿になって、こちら目掛けて走ってきていた。
完全に、レイに狙いを定めていた。
レイは逃げようとしたが、あっという間に距離を詰められ、簡単に抱え上げられてしまった。
そしてアレは、レイを抱えたまま振り返り、その後ろから近付いてきていた誰かに向けて、何事かを吠えた。
レイはただただ驚いてしまい、今自分がどうなっているのか、どういう状況なのかが全く分からなかった。
唯一分かったのは、レイにとって絶望的な事実だった。
この、アレは、おとうさんを。
「その子を、放せ。マジで、容赦しねえぞ?」
「!?」
その声に、レイはハッと顔を上げる。
よくよく見てみれば、アレが今対峙しているのは、夕方に出会ったシューイチと、ゼーベンヌと一緒にいたエイジャという名の男であった。
シューイチが、傍目に分かるほど怒りを滲ませてアレに告げると、アレは、レイを抱えたままたじろいだ。
レイはこの時、理解出来てしまった事実に心を打ちのめされていたが、シューイチが、自分のためにここまで怒ってくれていることに、ほんの少しだけ、救われた気持ちになった。
尤も、そのすぐ後にアレの叫び声をまともに浴びたせいで目を回してしまい、そんな気持ちはどこかに行ってしまったが。
そして、レイは今まで体験したことのないような、とてつもない目に遭った。
グンッ、と体が持ち上げられたかと思えば、そのまま夜空に向かって投げ出されたのだ。
初めて経験する高さに、レイが現実感を失っていると、やがて重力に従って体が落下を始める。
レイには、そのまま地面に叩き付けられれば間違いなく死んでしまうだろうということだけ分かった。
死ぬ。
そう、死ぬのだ。
同じように。
「…………!!」
そう思っただけで、全身を何かが駆け抜けた。
ゾワリと、死の恐怖が身体中を包み込んだかのようだった。
レイは、知らぬ間に涙の溢れた瞳で、あと数瞬の内に到達するであろう地面を見た。
そこにいたのは――。
「首と手足を縮めろ!」
「!!」
シューイチだった。
必死の形相で怒鳴るシューイチに、レイは咄嗟に目を瞑り、言われた通りに体を丸めて小さくなった。
するとどうだ。
どういう理屈か分からないが、自分の体は地面に衝突することなく再び宙に放り投げられた。
さっきまで落ちていたはずなのに、気が付けばまた上に向かって投げられたのだ。
そしてそこから落ちると、しっかりとした腕に抱き止められ、ほとんど衝撃を感じないままレイは地面に到達した。
何かを考える時間も、何事かを思う暇もなかった。
気が付けば、レイはこうして無傷で地面に着地したのだ。
「おい、大丈夫か?」
「…………うん」
「そうか」
でも、怖かった。
本当に、死んでしまうかと思った。
だけどレイは、ポロポロと零れてくる涙を、シューイチには見られたくなかった。
折角助けてくれたのに、また余計な心配をさせたくはなかったのだ。
レイは、泣き顔を見られないように、シューイチの胸元に顔を押し付けた。
後から後から溢れてくるので、それを無理矢理拭うみたいにシューイチの服に顔を擦り付ける。
そうしているとシューイチが、優しく背中を撫でてくれた。
慰めてくれているのだと、あやしてくれているのだと、そう気付いてからは早かった。
そうだと分かると、さっきまで感じていた恐怖は薄れていった。
涙も自然とひいていき、顔を押し付けなくても良くなった。
でも、シューイチとエイジャは何かの相談をしているみたいで、レイは、それならもう少しだけこうしていても良いのだろうかと、シューイチの体に引っ付いておくことにした。
シューイチの体温は、レイよりも少しだけ高かった。
今の今まで体を動かしていたのだから当然なのだが、レイにはそれが心地よく感じられた。
あと、シューイチは匂いも良い。
本当に、お父さんに抱き付いているときと同じくらい安心できる。
そうやって気を抜いたところでレイは思い出した。
自分がどうして、小屋の外に出たのかを。
そして気が付けば、先程の出来事のせいで、もう限界になってしまっていた。
レイは、サッと血の気が引いた。
自分の意思に反して、体は当然の作用を行おうとしていたからだ。
レイはどうにか堪えようと、必死になって我慢する。
よりにもよってこんな時に、しかも、シューイチの上に座っているのに。
しかしレイの我慢も虚しく、とうとうそれは溢れだした。
「…………あぁ、」
「おい、まさか……」
自分の体から漏れ出すそれは、自分とシューイチのズボンをこれでもかと濡らし、レイは恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた。
なにより、「何をしているんだ!」とシューイチに怒られるのではないかと、レイはそれが恐ろしくてたまらなかった。
だから、なんとか謝って許してもらおうと、顔を引き攣らせているシューイチに、レイは目に涙を浮かべたまま口を開いた。
「………………ごめんなさぃ、もら――」
「ははは! ま、まあ、気にするなよ。怖い目にあったから、仕方がない、だろ……」
「…………うぅ、」
そう言われてもレイは、全く嬉しくなかった。
気にしないなんてことは出来そうにないし、そうやって慰められる方がよっぽど苦しかった。
まだこれなら、怒られた方が良かったとさえ思う。
その後なんとか泣き止んだレイは、何故か、優しく遊んでくれるシューイチに甘えながらも、先程アレに抱き抱えられたときの事を思い出す。
あの時アレから、お父さんと、お父さんの無念を、感じたのだ。
それは、何故分かるのかと誰かに説明出来るものではなかったが、レイには、はっきりと分かったのだ。
だから、やがてゼーベンヌがやってきて、逃げたアレを皆で追いかけるという話になったときに、レイは自分も付いて行きたいと言い出した。
もしここで、付いていく事が出来なければ、もう二度と、お父さんとお母さんに会えないような気がしたのだ。
シューイチが、どうやらそれを察してくれたようで、必死になってエイジャにお願いしてくれている間、レイは同じように必死になって祈っていた。
果たして、その祈りが通じたのかは分からないが、エイジャは折れた。
シューイチとレイが付いてくることを許してくれたのだ。
そこからの一時は、レイにとってはまるでお伽噺の出来事のように思えた。
山の中に隠された秘密の洞窟。
その中に潜む恐ろしい化け物たち。
その化け物たちと真っ向から戦うシューイチたちの姿は、宛ら寝物語の英雄のようだった。
シューイチの剣が化け物たちを切り裂き。
エイジャが撃ち出す弾丸は流星のように化け物たちを討ち滅ぼした。
ゼーベンヌは体を張って自分を守ってくれ、尚且つ一番強い化け物を屠ってみせた。
レイは、こんなこと思うのは良くないことだと思いつつも、自らの興奮を抑えられなかった。
そして――。
◇
「間違い、ないか?」
レイは、とうとう辿り着いた。
両親の下に。
両親は、最後に別れた時とそう変わらない姿で、
そこにいた。
僅かに腐臭は漂ってきているが、見た目に腐敗した様子はないし、その表情は、他の遺体たちと比べても、まだ穏やかさを残していた。
静かに頷くレイを見て、シューイチは「そうか」とだけ呟き、それから一言も発しない。
レイは、二人並んで倒れ伏していた二人の姿に、ただただ無言で立ち尽くした。
何か、言いたかった事があったような気もするのだが、いざ、こうして二人の前に来ると、そんなモノ、どうでもよくなった。
レイにとって、この二人は掛け替えの無い両親だったのだ。
いや、今でもそうだ。
この二人の代わりなど、どこにも存在しないのだ。
レイにとって、この二人だけが、自分の家族だったのだ。
そんな二人は、もう二度と、起き上がることはない。
朝、日の出とともに起こしてくれることも、お昼に一緒に散歩してくれることも、夕方になって皆でお風呂に入ることも、夜に三人並んで寝ることも――、
「…………」
良いことをした時に誉めてくれることも、イケナイ事をした時に叱ってくれる事も、嬉しいときに一緒になって喜んでくれる事も、悲しいときに慰めてくれる事も――、
「…………」
自分が大きくなるのを見守ってくれて、お父さんとお母さんが、お爺ちゃんとお婆ちゃんになるのを見守ってあげて――、
「…………」
いつか、……いつか二人に、……たくさん恩返しをしてあげたくて、――でも、
「…………」
それももう、叶わないのだ。
二人が、そうしてくれる事は、自分がそうしてあげる機会は、もう、ありはしないのだ。
「っ…………!」
レイの感じた悲哀や寂寥感、もう取り戻せない日々への喪失感を言葉にするなら、以上のようになるのだろう。
レイの乏しい言語力では、そこまで形にすることは出来ないが、それでもレイの感じた『気持ち』を言葉にするなら、そうなるのだ。
「…………」
それでもレイは、強い子だった。
強く、聡い子だった。
自分が、ここでいつまでもこうしていることは、決して、両親の望むことではないだろうと理解出来るのだ。
だからレイは、最後に一つ、大きく息を吸って、吐き出した。
そして、ずっと隣で待ってくれていたシューイチに、意を伝えた。
「…………ん」
「もう、いいのか?」
「…………うん」
「そうか」
これ以上ここにいると、本当にお別れが出来なくなりそうで、だから、未練を無理矢理振り切ることにした。
そうしてレイは、両親に『お別れ』をしたのだった。
※ 本日十五時に次話を投稿します。




