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第5章 17

 ◇




 修一は、ヒトに仇為す生物に対して、一切の容赦がない。そして、決して人間を殺そうとはしない。

 彼にとって重要なのは、今、目の前で悶え苦しんでいた男がヒトの姿をした化け物であり、ヒトをエサだと言い切った存在ということだ。

 その姿がどうであるかなど、この男には関係のない話なのだ。本来なら。


 だが、それでもやはり、この世界に来てからの修一は、迷うことがあるのだ。

 この世界には、ヒトに近い存在がいくつも居るからだ。より人間に近い肉体を持ち、人間の言葉を解し、人間と共存する存在だっている。

 元の世界のように、言葉も分からぬ獣ばかりが相手ではないのだ。

 ヒトと同じような、決してヒトと分かり合えぬ存在も、この世界には居るのだ。


 修一は、その辺りの思考を無駄なことだと切って捨てた。

 どうせ、今考えたところで分かりはしないのだ。


 それよりも、重要なことが目の前にある。


「さて、こいつはどうするか」


 修一たちの目の前には、レイの父親の姿をしたままのたうち回る一体のオーガがいる。

 オーガウィザードとオーガバーサーカー、この二体を倒した修一たちにとって、もはや痛みと苦しみで悶え苦しむオーガなど、なんの脅威にもならない。


「俺は、さっさと始末するべきだと思うけど」

「……私は、正直言ってこのまま死ぬまで苦しませてやりたいと思うわ。

 でも、それでレイちゃんが苦しむのなら、私も早く殺すべきだと思う」

「…………」


 レイは、何も喋らない。彼女が今、何を思っているのかも窺い知ることが出来ない。

 ゼーベンヌは、不安そうな面持ちで、レイを見つめている。彼女がその場にいるように何度言っても、近くに行きたい、と言って聞かなかったため、渋々ゼーベンヌは自分の後ろに立たせている。何かあれば、すぐにレイを庇える位置だ。


「――、――――、」


 そうしている間にも、オーガの動きはどんどん緩慢になっていく。

 おそらく、もう限界が近いのだ。

 呼吸が出来なくなって、窒息の苦しみを味わいながら悶え続けたのだ。とうに、体内の酸素は消費し尽くされている。


 窒息は、数ある死に方の中でも相当に苦しい部類に入る死に方である。

 通常、生きている者が呼吸を止めようと思っても、それは自らの意識を失わない範囲でのことであり、その苦痛を我慢した先に待つのが絶命である以上、生物の基本原則として、生きようとする作用が働くのだ。

 だから、その限界を超えて死ぬことになれば、当然その苦しみは想像を絶する。


 修一は、自分の流派の中に存在する無手の型の稽古で、関節を極める技とともに絞め技も習っているし、それを使うこともできる。

 そして、その習得段階において絞め落とされた事だってあるのだ。

 呼吸が出来ない恐怖というものは、それなりに理解しているし、気道を塞がれれば、頚動脈を絞められるよりはるかに苦しんだうえで意識を失うことも知っている。

 だからこそ、このオーガに相応しいと思って、咽喉を焼いたのだ。


「――――」


 もう、体を動かすこともままならないのか、オーガは手足を投げ出して虚ろな目でどこかを見つめている。

 もはや、苦しみを感じられるほども脳が機能していないのかもしれない。


「……おい、化け物」

「――――っ」


 それでも人化を解かないのは、最早解くことができないのか、それとも――。


「いつまでその姿でいる気だ? ……これ以上俺をイラつかせるな、人化を解け」

「――――」

「聞こえないのか? 人化を解くんだ」

「――――」

「そうすれば俺が介錯してやる。これ以上苦しませずにしてやるぞ?」

「――――ハッ」


 果たして、修一の声に反応したのかは分からないが、オーガは、僅かに息を吐き、口角を上げた。

 そして、力なく開かれた口から、窒息によって青白くなった舌を、べろんと垂れ下がらせた。

 それが意図して行われた行為なのかは分からない。

 ただ、結局のところオーガは、命が失われるその時まで人化を解除しなかった。


「…………ちっ」


 最後の最後まで、修一の神経を逆撫でする奴だった。あるいはそれが、自分を仕留めた修一に対する最後の悪あがきだったのかもしれない。


 死して尚レイの父親の姿であることを鑑みるに、死んだ時点の体のままでいるのだろう。

 ゼーベンヌが見た、宿に乗り込んできた警備隊員の内の一人は、メイビーとウールに倒された後も人間の格好をしたままだった。


「案外、根性の据わった奴だったな。化け物の癖によ」

「……」


 エイジャは、感情の篭らない声で呟いた修一が、どのような気持ちでいるのか分からなかった。



「さて、とりあえず奥に進もうか。もしかしたら、本当に生存者がいるかもしれないし」

「そうですね、今のところ、探査盤には生体反応がありませんので、いるとすればもう少し奥になりますね」

「……そうだな、レイ、行くぞ」

「…………うん」




 ◇




「あら、あの三体もやられちゃったのかしら?」


 修一たちが大部屋を抜けて通路の奥に進んでいると、唐突に女性の声が響いた。


「は?」

「これは……」

「一体どこに、」

「…………!」


 四人が声の主を探すが、どこにも見当たらない。「ここよ、ここ」という声だけが響き、それから嘲りを含んだような笑い声が続く。修一が熱源を探し、ゼーベンヌが各種の探査機術を行使して、ようやくそれらしき影が掴めた。

 二人が、いつでも腰の剣を抜ける体勢でそちらを睨み付けると、魔導ランプの灯りの影からゆらり、と一人の女が姿を現した。まるで、影から抜け出てきたかのように、唐突にその存在が浮き彫りとなる。

 なんらかの魔術か、あるいは技術か、兎に角その女は、修一たちの警戒の網に一切引っ掛からなかった。

 敵地を歩くにあたっての、必要十分な警戒をしていたにも関わらず、だ。


「思ったより早く見つかったわ。なかなか優秀ね、貴方たち」

「なんだ、アンタ? いつからそこにいた?」


 そう問い掛ける修一には、一つ心当たりがある。以前、第四騎士団副団長のラパックスが使ってみせた認識阻害魔術マスキングという魔術だ。これをされると、例え真後ろに立たれても全く気付けなくなる。

 もちろんそれを使うためには闇属性魔術に対する深い造詣が必要になるはずで、例え使えても技量が低ければ見破られることもあるらしい。


 どうやら、この目の前に立つ女は、少なくともラパックスと同程度には闇属性魔術を使えるらしい。

 そして、そんな女がどうして今、この場に姿を現したのか。


「なんだ、と聞かれれば、ここの責任者と答えるわ。いつから、と言われても、……ずっといたわよ? 貴方たちが気付いていなかっただけで」


 女は、病的なまでに青白い顔に愉悦を滲ませてクスクスと笑う。肌の色とは対照的な漆黒の服が女の動きに合わせてはためき、口元に添えられた手は真っ赤な爪が伸びていた。


「責任者だと? じゃあお前は、」

「テグ村、だっけ? あの村の人間を攫っていたのは、私の指示よ? 今までは、私一人でやってたんだけど、面倒になってオーガたちを呼んだのよ。

 そしたらアイツら、私と違ってやり方が雑だから、こうして足がついてしまったわ。

 やっぱり、時間が掛かっても私一人でやるべきだったかしら?」

「……っ」


 修一が、瞬時に戦闘態勢に移行する。それを見ても女は、些かも慌てた様子がない。

 嬉しそうに、言葉を続ける。


「まあ、それでも、必要な分はほとんど集まったことだし、よしとしましょうか。

 一人でやるよりは、随分早かったわ。

 どんどん数が増えるから、臭いが篭ってしまって大変だったけど」



 何の数だ、それは。臭うとは、どういう意味だ。



 修一が言うより早く、エイジャが動いた。


「そこのアンタ」

「何かしら?」

「この村の人間を攫った理由はなんだい。答えなよ」


 女は、笑ったまま首を傾げた。美しい顔立ちをしているが、青白い肌と老人のように白い髪、血のように真っ赤な瞳が、その美貌を不気味なものへと仕立て上げていた。


「そこまで言う義理があるかしら?」

「ここまで言ったんだ、答えろよ」

「折角ここまで来たのに何も分からずに帰ったら可哀想よね?

 資料は全て廃棄しちゃったし。

 だからちょっとだけ、教えてあげることにしたのよ?

 これ以上はお終い。私はもう、帰るわ」

「帰れると、思うのかい?」

「帰れるわ、帰るもの」


 エイジャは、淡々とした口調で訊ねた。


「アンタを尋問したら、もっと分かるのかな? ――誰を(・・)、起こそうとしているのか」

「…………出来るならね?」


 瞬間、エイジャは銃を抜いた。光線弾機術を四発撃ち込む。

 だが――。



「“オートガード”」


 それらは、女の用意していた自動盾機術オートガードによって防がれてしまう。

 エイジャは再装弾機術を、ゼーベンヌが抜き撃ちを、修一が剣を抜きながら踏み込みを、

 するより早く女は、さらに次々と、詠唱を行う。


「“チャフグレネードボム”」


 女の投げた砲弾が破裂し、中から銀色の粒子が放散する。この粒子には、魔導機械や魔道具を一時的に使用不可能にする効果がある。

 エイジャとゼーベンヌは、魔機妨害砲機術チャフグレネードボムによって銃を含めた魔導機械を封じられた。

 同時に、女が使った自動盾も浮遊性を失って床に落ちる。


「“クリメイション”」


 剣を抜いて踏み込もうとしていた修一に、紅蓮の業火が襲い掛かる。修一は、何の頓着もせずに炎に突っ込んだが、すぐさまそれは失敗だったと気付く。


 ――痛ってえ!?


 これは、ただの炎ではない。火葬呪術クリメイションは、魔法生物や不死者アンデッドたちを薙ぎ払うために使われる呪術だ。炎としての熱のほかに、邪なる存在を打ち滅ぼすための力が篭められている。

 修一は、そうした熱以外の力に対して非常に脆弱なのである。


「“ショッキングウェイブ”」


 修一に遅れて剣を抜こうとしていたゼーベンヌに向けて、女は精神波魔術ショッキングウェイブを打ち込んだ。レイを庇おうとしていたゼーベンヌは、強烈な衝撃を受け、力なく膝を付いた。

 それでも、レイが相手の射線に入らないようになんとか立ち上がろうとするゼーベンヌに、泣きそうな顔をしたレイが縋り付く。

 女が、そんなレイに対して、


「“スタ――」

「何してやがるぁ!!」


――詠唱する前に、火葬呪術の炎を掻き消した修一が斬り掛かった。

 炎以外の部分でダメージを受けたが、それくらいならばまだ、耐えられる。


 女は、僅かに驚いたように笑いながら、修一の剣撃を受け止めた。

 彼女の武器は、自らの爪のようだ。

 瞳と同じ真っ赤な爪は、オーガの皮膚すら切り裂く修一の剣を軽々と受け止めている。


 ――こいつ、何者だ!?


 目に見える熱は、少なくとも人間と変わりない。常人より、少しばかり体温が低いだけだ。

 なのに、この女は、人間離れした肉体と戦闘能力を持っている。

 剣と爪を打ち合わせながら、修一は問うた。


「お前っ、人間か!?」

「失礼よ、貴方? そんな下等生物と一緒にしないで」

「そうかよ!!」


 一際強く剣を叩きつけて、女を弾き飛ばす。

 女は数メートル程後方に弾かれたが、音もなく着地してみせた。


「凄いわ、貴方。オーガたちが死んだのも、納得よ」


 修一には、目の前の女が人間かどうか判断出来なかった。

 そこに、エイジャから助け舟が入る。


「シュウ君、そいつはリャナンシーだ」

「あら、詳しいわ。どこかで会ったかしら?」

「昔、別の奴にね」

「そう。素敵なことだわ」


 エイジャは、苦虫を噛み潰したような表情で、嗤うリャナンシーを見つめている。

 その瞳には、困惑の色がありありと浮かんでいた。


「人間じゃないのか?」

「主に、ヴァンパイアの僕として活動している種族だ。

 数は少ないが、強力な力を持った奴が多い。

 奴に噛まれるなよ、シュウ君。噛まれると、色々と不味いことになる」


 どうせ碌なことじゃないんだろうな、と修一は思った。


「アンタらがここにいる時点で、大体何が行われていたのかは察しが付く。

 問題は、その対象・・だ。もう一度だけ聞く。

 アンタらの目的は、何だ? 誰を、起こすつもりだ?」

「言いたくないわ」


 女は、はっきりと言い切った。


「そうか、……シュウ君」

「なんだ?」

「倒すぞ」

「おう」


 修一が、頷くと同時に踏み込んだ。

 女は、嗤いながら爪で受け止めた。


 そのまま、斬り合いとなる二人。

 体術的な要素で言えば、修一のほうが若干上のようだ。

 しかし、女――リャナンシーは、両手の爪を器用に操りながら小回りの利いた攻撃を繰り出してくる。懐に潜られると、修一が不利だ。剣の長さが、どうしても邪魔になる。


 それに、リャナンシーが何度か繰り出してきた噛み付き攻撃が地味に厄介だ。

 爪が当たる距離になると、ついでとばかりに噛み付こうとしてくる。

 エイジャが言うには色々と不味いことになるそうだが、それがなくても噛まれるのは嫌である。修一は、特にそう思う。例え相手が、見た目だけは綺麗な女性だとしても。


「面倒だわ。“ヘイスト”」

「うおっ!?」

 ――速くなった!?


 リャナンシーが、加速呪術ヘイストの効果により更に速度を増した。こうなると、デザイアの立ち回りに近いほど攻撃の継ぎ目がない。

 次第に、攻撃を剣で捌き切れなくなってくる修一。

 仕方なく修一は――。


「あら? 掴まれたわ」

「――せりゃあっ!!」

「えぇっ?」


 爪の攻撃を避けつつ、リャナンシーの右手首を左手で掴んだ。

 そこから、袖釣り込みの要領で引き込み地面に投げ付ける。

 女はきょとんとした顔で地面に叩き付けられた。一切の手加減なしで叩き付けたのに、まるでダメージが入ってない。

 修一は、仰向けに寝転がるリャナンシーの首目掛けて剣を付きたてようとするが、それより先にリャナンシーが、掴んだままの修一の左手を右手で掴み返してくる。


「“ドレインタッチ”」

「んなっ!? うおおおっ!?」


 生命奪取呪術ドレインタッチによって、生命力を吸い取られる修一。

 慌てて手を振り払い、距離を取る。

 ふわりとした動きで立ち上がるリャナンシーが、修一を指差して笑った。


「女の腕をいきなり掴むなんて、大胆ね?」

「うっせえ、それより俺から吸ったモン返せ」

「嫌よ。お触り代だもの」

「……意味分かんねえよ」


 軽口を叩くが、修一はどうしたものかと悩んでいる。

 はっきり言って、手強い。

 デザイアほどとは言わないが、それでも硬いだけで力任せだったオーガバーサーカーよりは、よほど強い。それに、種々の呪術や闇属性魔術などを使ってくるため、単純な力押しではどうにも攻め切れない。

 流石に、ここの責任者だと言うだけのことはある。


「――シュウ君」

「どうした?」

「アイツの、動きを止められないかな?」

「……?」


 修一は、エイジャにちらりと視線を向けた。


「どうするつもりだ」

「――奥の手を、出す」

「……へえ」


 一体、何をするつもりかは知らないが、エイジャの瞳には確固たる意志が窺えた。

 それなら、と修一は、エイジャに任せることにする。


「お話は終わり?」


 リャナンシーが、楽しそうに聞いてくる。


「ああ、終わりだよ」


 修一は精一杯の嫌味を込めて告げる。



「お前の命は、ここで終わりだ」




 * 三月中に終わりませんでした。しかも、四月中は色々とバタバタしますので、続きがいつになるやらはっきりと分かりません。出来るだけ早く第5章を仕上げたいと思いますので、それまでお待ちいただければと思います。

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