第5章 8
* 朝起きたら評価が付いておりました。嬉しさのあまり寝床から飛び起きて思わずガッツポーズ。誠にありがとうございます。
* 書き溜めが尽きるギリギリまで二日に一回更新を続けます。途中でスッ転ばないように応援していただけると非常に嬉しく思います。
◇
夕暮れに差し掛かろうかという時間帯になり、修一たちの乗った馬車はテグ村まであと僅かのところまでやってきた。少し前には修一も起き出し、今は周囲の警戒を行っている。
そして何故か、修一の隣にはウールが座っており、なにやら修一に対して熱心にアプローチをかけていた。
「ねえ、どうしてもダメかい?」
「ああ、ダメだな、他をあたってくれ」
ウールは今、胡坐を掻いて座る修一の左隣に座り、若干楽しげな表情で修一にしなだれかかっている。そして修一の反応を見て更に笑みを深め、今度は修一の左腕を取って自身の豊かな胸の間に挟み込んだ。
「これだけ頼んでも?」
「!? …………ダメだ。
……だから、俺の腕を放してくれ」
「シューイチー、返事するのに間があったけど、どういう事なのかなー?」
「メイビー、余計なことを言うんじゃねえ!」
メイビーに茶化された修一は、半ば噛みつくようにしてそう答えた。もうすでにノーラの視線が痛いのだ。これ以上煽らないでほしい。
修一は目を瞑って心を落ち着けようとするが、そうすると余計に腕からの感触を感じてしまう。自身の未熟さをこんな形で自覚させられるとは、と修一は目を瞑ったまま眉根を寄せて歯軋りした。
そして修一が起き出してからずっと顔を真っ赤にして俯いていたノーラは、今は別の理由で頬を赤く染めている。その心中は、ウールの思惑どおりさぞ面白いことになっているのだろう。どうも、先程までの膝枕の様子を見てからウールは、ノーラの事を弄り甲斐のある存在だと認識したようだ。歳がいくつも上であるが、それを考慮しても尚、弄り回す事の魅力の方が上回るらしい。とても神官らしからぬ行いにも思えるし、事実そのとおりであるが、彼女の信仰する太陽神様とやらはこの程度の事は御目溢しして下さるらしい。
「おい、ウール、そこまでにしておけよ」
ここで助け船を出したのはカブだ。毎度のことのように自分のパーティーメンバーの悪ふざけを止めている彼は、この時も同じように幼馴染みの悪ふざけを窘めた。
そして修一にはこの一言が天の助けにも思えた。
「カブの言うとおりですよ、それ以上先輩と先生の心を乱すのは止めてください」
「……ウール、やり過ぎ」
カブだけでなく、テリムとヘレンにまでそう言われ、形勢不利とみたウールは、やれやれといった様子で自身の胸に挟み込んでいた修一の左腕を解放した。両手をあげて首を振りながら、尚も笑みは崩さない。
「まったく、ちょっとした冗談じゃないか。で? どうしても太陽神様を信仰する気はないのかい?」
どうやら宗教の勧誘だったようだ。
彼女の信仰する太陽神様とやらも、果たしてこんな方法で勧誘された信者が欲しいのだろうか。何事も数は力であるが、出来る事なら質の高い信者が欲しいんじゃないだろうか。
「……悪いがウチは仏教なんだ。だから無理だ」
「ブッキョウというのは聞いたことがないけど、まあ、信仰してる神様がいるなら仕方がないね」
「神様じゃなくて仏様なんだが……、まあいいか」
心の底から安堵したような溜め息を吐く修一は、緊張のあまり額を伝っていた汗を拭う。ノーラからの刺すような視線は今も感じるが、先程よりは大分穏やかになっていた。メイビーはといえば、隣にやってきたウールと先程の件で楽しそうにじゃれ合っているので後でデコピンでもしてやることにした。
しかし、どうしてノーラに咎められるのだろう、と修一は思う。いや、なんとなくその理由は想像できる。想像できるのだが――。
――いやいや、まさかね。
修一はそれ以上深く考えるのを止めた。どうせ間違ってるさ、と。
ノーラはこの世界の住人で、修一は別の世界の人間だ。そして修一は元の世界に帰りたがっているのだ。その想像が事実だとしたら、お互いに辛いだけではないか。そして、それが事実であっては困るのだ。
人付き合いの基本は誠実さである、というのが彼の信条なのだ。
それは、誰が相手であっても変わらない。
――いかんね、やっぱり俺はまだまだ未熟なんだろうな。馬鹿は死ななきゃ治らないっていうが、……一度死んだくらいじゃあ、やっぱり治らねえよなあ。
修一は再び目を瞑り、黙想を始めた。この程度で治るなら苦労はないが、それでもやっておきたかったのだ。
誰しも、感情を抑えるのは簡単ではない。
簡単ではないが、
――今の修一には関係ない事だ。
◇
やがてテグ村に馬車が着くと、修一は目を開け立ち上がる。双子のおじさんたちを残して下車した修一たちは、各々の荷物を持ったまま村に入る。メイビーが、去りゆく馬車とその中から手を振ってくれているおじさんたちに手を振り返していた。
「さて、ここがテグ村か。……今日ぐらいは、ゆっくりしたいな」
「シューイチ、どうしてそんな疲れたような声を出すのさ?」
手を振り終わったメイビーがからかうように聞いてくる。修一はそれに答えずに思いっきりデコピンした。
「痛っ!? ちょっとちょっと、何するのさ!?」
「お前、さっき俺がウールにからかわれてた時に一緒になって茶化してきただろうが。そのお礼だよ」
額を押さえて涙目になるメイビーに修一が言い返す。修一ほど鍛えていればただのデコピンでもかなりの衝撃を生むのだろう。当然、メイビーもこのままやられっ放しでいる訳がなかった。
「お礼! ははん、今のがお礼だとか言われちゃあ僕も黙ってないよ!」
「ほう、どう黙ってないって言うんだ?」
修一に挑発的な物言いに、メイビーはニヤリと笑う。
その顔を見たノーラは非常に嫌な予感がした。
「仕方ない、これはもっと大事な場面までとっておこうかと思っていたけど、今使ってあげるよ」
「メイビー、貴女もしかして――」
「シューイチ! ノーラにはもう話したけど、シューイチってばこの間ノーラをムグッ!?」
「……何してんだ、ノーラ?」
いきなり後ろからメイビーを羽交い絞めにして口を塞いだノーラに、修一はちょっとだけ驚いた。
「何でもありませんよシューイチさん。ね、メイビーもそうでしょう?」
「モガモガッ! ムググ~~~!」
「――そうでしょう?」
「!? …………ムグ(うん)」
メイビーはすぐさま抵抗を諦めた。ノーラの目が、マジで笑ってなかったからだ。アレに逆らえばおそらく明日の朝までご飯抜きにされてしまう、と本能的に察せる程だった。
――……ダメだ。これ以上やったら本当に危ないや。それに、朝までご飯抜きとか無理! 絶対耐えられないよ。
メイビーは食欲という名の生存欲求に非常に弱かった。意識を失う程の空腹を経験したことがあるため、それが軽いトラウマになっているのかもしれない。
大人しくなったメイビーを解放したノーラは、そのままヘレンに抱きついて慰めてもらっている口の軽いエルフを見ながら胸を撫で下ろした。
修一は、今のは一体何だったんだ、といった面持ちだが、もちろんノーラが説明することはない。
アレは、ダメージが大きすぎるし誰も得しないことだ。修一が知る必要のないことでもある。
さて、ばたばたとそんなやり取りをしているところに、なにやら二人組の男女が近づいてくる。一人は灰色の髪の男、もう一人はくすんだ金髪を三つ編みにした女だ。その事に気付いた修一がそちらを見やると、男の方がにこやかに笑いながら話し掛けてきた。
「やあ、初めまして。俺の名前はエイジャ・ワークリング。君がシュウ君でいいのかな?」
「ああ?」
その瞬間修一は顔を顰め、不機嫌そうな声を出した。
――なんだコイツ、どうして俺の名前を知ってるんだ? 初対面のハズだが、…………ああ、そうか、ひょっとしてコイツがデザイアの言っていた友人か? そういえばエイジャって名前だって言ってたな。しかし――。
「俺の名前は白峰修一、なんだが、……なあ、シュウ君ってのは止めてくれないか?」
その言葉を聞いた途端エイジャの後ろで黙って立っていた金髪の女性が僅かに反応を見せたが、修一は気付かなかった。
「おや、どうして?」
「その呼び方をするのは死んだ婆ちゃんくらいだったから、呼ばれ慣れてないというか面映ゆいというか、……とにかく止めてほしい」
「ふーん? ……それじゃあ、とりあえずはシューイチ君と呼ぼうか。とりあえずは、ね」
「ああ、そうしてくれよ」
「ところでだ」
実に親しげに、修一と肩を組んだエイジャは、「何してやがる」と言おうとした修一にそっと耳打ちする。
「(デザ君から聞いて知ってるかもしれないけど、僕らが騎士団員だってことは内緒にしといてよ。実はさ、今仕事の都合で身分を隠してるんだ。不用意にその話題が出るのは避けたいんだよねえ)」
「ああ? (……それはいいけど、一体何してるんだよ? 何かを調査してるって事は聞いたけどよ)」
「それはもちろん、秘密だよ」
「……」
何言ってんだコイツ、といった修一の視線を華麗に無視し、エイジャは後ろにいる他の面々にも同じように自己紹介を始める。カブたち冒険者一行は、いきなりフレンドリーに接してくるエイジャに困惑した様子だったが、ノーラたちはエイジャの存在を修一から聞いていたため結構気軽に挨拶をしていた。
ゼーベンヌも、控えめではあるが各々に対して挨拶をしていた。ただ内心では、こんなことしてる暇があるのかしら、といったもやもやとした感情が渦巻いていて、内面的にも表面的にもあまり仲良くなろうという気持ちは見られなかった。今の彼女には、任務に関係ない見ず知らずの人間と親交を深める余裕は無いといってよかった。
「じゃあ、ノーラはノンちゃんで、メイビーはメイちゃん…………? あれ? メイちゃんってどっかで会ったことあるっけ?」
「へ? 初対面のはずだけど、どうして?」
「いや、なにかな、既視感があるというか、絶対どっかで見たことがある気が……」
「なんだエイジャ、ナンパしてるのか?」
修一の問いに、「違うよ、でも、本当に見たことがあるんだよ」と答えたエイジャは、しばらくの間記憶の海を浚っていたみたいだったが、やがて「ま、いいか」と諦めた。そこまで気にする事でもないと思ったし、初対面の女性を口説くつもりもなかったからだ。
それに、エイジャの好みとしてはメイビーみたいな可愛い系よりもノーラのような美人系である。そもそもからして好みが合っていなかった。
エイジャは、そのまま後ろにいる冒険者たちに会話の矛先を向けた。
「(エイジャさんって、ちょっと変わってるよね?)」
「(……私のノンちゃんというのも、言えば止めてくれるでしょうか?)」
「(言ってみれば? 僕は別にメイちゃんでもいいけど)」
「(いいんですか?)」
「(うん)」
もうすでにカブやテリムと仲良くなり始めているエイジャに、ノーラとメイビーの内緒話は聞こえていなかった。
◇
「た、……エイジャさん、私は先に宿に戻りますね」
「ああ、分かったよゼーちゃん」
カブたちも含め一通りの挨拶が終わると、ゼーベンヌはこれ以上は興味ありませんとばかりにさっさと宿に帰ってしまった。
それを見たウールがエイジャに訊ねる。
「ねえ、エイジャさんとやら、あの人はどうしてあんなにカリカリしてるんだい? あの日なのかい?」
「いや、ちょっと仕事が上手くいってなくてね。あと、俺がゼーちゃんのあの日を知ってる訳ないでしょ」
「へええ? 彼女のあの日も知らないっていうのかい?」
後ろの方で、修一に「あの日ってなんだ?」と聞かれたノーラが顔を真っ赤にして俯いているというのはさておき、エイジャは特に何の気負いもなく、ニヤニヤしているウールに首を振ってみせた。
「彼女じゃないよ、仕事の都合で一緒に来てもらってるだけだから。それに、ゼーちゃんが好きなのは俺の友人の方だし」
「へえ、そうなのかい」
「うん、その事に関して思う事もないね。ゼーちゃんは可愛い部下だけど、そういう風に見たことはないなあ」
「なんだ、期待外れだねえ」
エイジャの態度から、それが本心からの言葉だと理解できたウールは、つまらなそうに唇を突き出した。
「まあ、それならあっちの方で楽しもうかねえ」
「あっちって? ……ああ、成程」
ウールが肩越しに振り返った先では、修一が申し訳なさそうにノーラに謝っていた。
メイビーから「あの日って女の子の日だよ。具体的には生理の日」と聞かされ、それを無遠慮に聞いてしまった事をひたすら謝っているようだ。謝られているノーラは、顔を赤くして俯いたまま両手を摺り合わせ、身体をもじもじさせている。それをメイビーが笑い、額に青筋を浮かべた修一の拳が力強く握られていっていた。
「あれは、退屈しなさそうだね」
「エイジャさんもそう思うだろう? あれは良いね。弄り甲斐があるよ」
ウールが到底神官とは思えないような発言をしたところで、カブに頭を小突かれた。
「いい加減にしろウール。お前、そんな事ばっかり言ってると本当に神術が使えなくなるぞ」
「おっと、そんな心配は無用さね。あたしの信仰心はいつだって揺らがないんだからさ」
「アホか、使えなくなってからじゃ遅いんだよ。お前、もしそうなったら一切戦えないだろうが」
「その時は、アレさ、カブの防御範囲から一歩も出ないようにするよ」
「いや、それは今でも出るなよ」
そのまま始まった、今まで何度となく繰り返されてきたであろう二人の言い合いに取り合わず、ヘレンとテリムがエイジャに話し掛ける。
「エイジャ、さん。……お仕事って、一体何してるの?」
「ん? ……えっとね、国内の森林とか河川を巡って、そこに住む動物とかを調査してる。時々魔物とかにも襲われるから、ゼーちゃんには帯剣してもらってるし、俺も護身用に銃を持ってる。まあ、そんなに当たらないけどね」
エイジャは、まるでそれが事実であると言わんばかりに、息をするような自然さで嘘を吐いた。ヘレンとテリムでは到底見破ることが出来ないほどの自然さであった。
「なるほど。しかし、なかなか良さそうな銃ですね。右腰の物は分かりませんが、左腰に吊ってる物は、買おうと思えばそれなりに値の張るものではありませんか?」
「まあ、買えば高いね。これは借り物だから、俺の懐は痛まないんだけど」
ちなみに、体中に仕込んだデリンジャーは全てエイジャが自分のポケットマネーで買った物だ。弾は支給されたものだが、高品質なモノや弾頭が銀で出来ているモノなどは同じように自費で購入している。ただでさえ訓練でバカスカ撃つのに、そんな高価な消耗品は支給できないとのことらしい。
そして後ろで話を聞いていた修一は、ようやく復活したノーラにいつものように知識の教授を乞うた。先程のように失敗することもあるが、分からない事は分かる者に聞くのが一番早い。
「なあ、ノーラ、この世界の銃って」
「魔導機械の一種ですね。戦闘用の魔導機械の中では一番数が多く、種類も豊富です。媒体となる弾を矢よりも速く射出して攻撃します」
「へえ」
「弾は、そのままでも物理的なダメージを与えることが出来ますし、そこに何らかの魔導機術を加える事で射程や威力を増やしたり特殊な効果を与えたりすることが出来ます。覚える魔導機術の種類にもよりますが属性攻撃や回復なども行えますし、魔力か残弾が切れると何も出来なくなるという点を除けば、利便性の高い武器ですね」
「すげえな、そりゃ」
「でもでも、そもそも高価だし、整備は大変だし、人によってはあんまり当たらないし、メインの武器にするにはちょっと使い勝手が悪いと思うよ?」
「そうなのか?」
メイビーが言っていることは事実である。実際に使用すれば分かる事だが、修一が元居た世界の銃と比べれば弾速ははるかに遅く、熟練の戦士や拳闘士ともなれば軌道を読んで回避することもできる。装弾数も少なく、一度撃ち切ると再装弾にどうやっても十秒ほどかかるのも難点だろう。一応、一瞬で再装弾出来る魔導機術もあるが、よほどの切迫した状況でなければ魔力の無駄であり、手込めした方がよい。
「うん。ただ、一度魔力を込めておけば魔力がなくても引き金を引くだけで撃てるから、ポケットに入るくらいの小さな銃を、護身用に服の中に隠してる人はたまにいるよ。主に、貴族とかお金持ちの人とかだけど」
「ふーん、その辺りは俺のいた世界とあまり変わらないんだな」
修一がこの世界の銃についてそこそこの知識を得たところで、エイジャから誘いが入った。このまま立ち話を続けるのもなんだから宿に行かないか、というものだ。
皆はそれに一も二もなく頷いた。そもそも魔物と一戦交えた後である。疲れはあるし、魔力も半分程度まで減っている。ノーラとメイビーは戦っていないため消耗はないが、やはり数時間も馬車に乗っていればそれだけでも体力を奪われる。カブたちは冒険者としての活動で慣れたものだが、メイビーは森を出て以来初めて馬車に乗ったのだし、ノーラはそれに加えて色々とからかわれたりしたせいで精神的に疲れていた。
この村には宿が一つしかないため、必然的にエイジャたちが宿泊している宿に修一たちも宿泊することになる。修一たちは、ぞろぞろと宿に向けて歩き出したのだった。




