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第5章 5

 ◇




 不思議そうに呟くゼーベンヌの視線の先には、小さな子どもがいた。背丈から考えて五歳か六歳くらいだろうか。肩口まで伸びたボサボサの茶髪はあちこち飛び跳ねており、薄汚れた服と相まってまるで浮浪児のようである。

 だが、ゼーベンヌが不思議に思っているのはその子の風体ではない。その子はゼーベンヌに対して背を向けるようにして立っており、小声で何かを話している。ところが、ゼーベンヌがいくら視線を巡らせたところで、その子が会話をしている相手が見当たらないである。


 ゼーベンヌは、ちょっとばかりの好奇心で子どもに近付いてみる。足音を忍ばせたりはしていなかったのだが、子どもはよっぽど熱心に話しているらしく背後から近づいてくるゼーベンヌにまるで気が付いた様子はない。やがて、すぐ真後ろまで近づいたところで、会話の相手が判明する。


 ――…………子猫?


 子どもが話しかけていたのは、小さな猫であった。子猫はニャーニャーと鳴いているだけで意思の疎通が出来ているとは到底思えない。しかし、目の前の子どもは子猫の鳴き声に合わせて「にゃあにゃあ」と言っているようで、会話をしているというよりは鳴き真似に反応してくれる子猫と戯れているのだと思えた。


 ゼーベンヌは、優しげな笑みを浮かべながら子どもに話しかけた。


「こんにちは、可愛い猫ちゃんね」

「っ!?」

「あっ」


 話しかけられた途端、子どもは驚いたように体を竦める。それにびっくりした子猫も慌てて走り去ってしまい、悲しげな様子で子猫を見送ったその子は、ゆっくりとゼーベンヌに振り返る。


「…………」


 どうやら女の子のようだ。伸びた髪に隠れて良く見えないが、黒い瞳を半眼にしてゼーベンヌを見つめてくる。顔にも所々泥が付いているせいでそうは見えないが、身綺麗にしていればもっと可愛らしくなるんじゃないかと思えた。


「あ、えっと、ごめんなさいね、驚かせちゃって。怒ってる?」


 無言のままジッと見つめられて思わず謝るゼーベンヌであったが、女の子は小さく首を振る。どうやら怒っているわけではないようだ。


「猫ちゃんとお話ししてたの?」


 今度はこくんと頷く。人見知りしているのだろうか。猫と戯れていた先程とは打って変わって言葉を発しなくなってしまった。ゼーベンヌは出来るだけ女の子を怖がらせないように、努めて優しい声音を心掛けた。


「私はゼーベンヌ、ここの宿に泊まっている旅行者よ。怪しいものじゃないわ。あなたのお名前は何て言うの?」

「………………レイ」

「そう、レイちゃんって言うのね、どうしてこんなところで一人で遊んでいるのかしら?」

「…………」


 レイは答えない。というよりは、どう答えたらよいのか分からずに困っているようにも見える。

 ゼーベンヌは別段急かしたりせずにレイが答えるのを待っていたのだが、それよりも先に宿の勝手口のドアが開いた。


「あれ、お客さん、こんなところで何をしてるんですか?」

「!!」

「あら、ご主人さん、って、ちょっと!」


 この宿の主人がひょっこりと顔を出し、それと同時にレイが弾かれたように走り出してしまった。

 咄嗟の事でゼーベンヌが反応できずにいると、主人は困ったように頬を掻きながらゼーベンヌに歩み寄る。


「いやあ、すいません。あの子が何か失礼な事でもしませんでしたか?」

「いえ、特には」

「そうですか。

 そうそう、ちょうどお食事を部屋に持っていこうとしていたところなんですが、もう持って行っても構いませんかね」

「え、ええ」


 とっくに姿の見えなくなったレイを追いかけることも出来ず、仕方なくゼーベンヌは部屋に戻ることにした。正面玄関から宿に入れば、両手に盆を乗せた主人が二階に上がっていこうとしており、その後に続いて一緒に階段を上る。


 エイジャが借りている部屋に二人分の食事を置いてもらい隊長の帰りを待っていると、十分ほどしてエイジャは帰ってきた。

 ただ、なぜか片手にはリンゴが握られていた。聞けば仲良くなった八百屋の店主にタダで貰ったのだそうだ。


「全然、コソコソしてないじゃないですか」

「仕方ないでしょ、ついつい話し込んじゃったんだから」

「はあ……」


 まあ、よくよく聞けばその八百屋の店主は失踪者の父親であるらしく、会話の流れからそれとなく居なくなった息子について話を聞いていたのだそうだ。

 きちんと仕事をしていたといえばそうなのだが、資料も持たずに出て行ったエイジャがその事を事前に把握したうえで店主に話しかけたのかと問われれば些か、いや、甚だ疑問が残る。

 よってゼーベンヌは、いかにも自慢げな顔で「俺ちゃんと仕事してるでしょ」といった態度の隊長の言葉に素直に頷くことが出来なかった。


「ところで、ゼーちゃんは何してたの? まさか、宿に篭ったまま健気に俺の帰りを待ってたわけじゃないんでしょ?」

「まあ、私も村の中を一通り歩いていましたが……、」

「うん」

「……本当に、見るべきところがないですね、この村は」

「うん、俺もすぐに見終わっちゃった」


 エイジャが肩を竦め、ゼーベンヌが大きくため息を吐く。


「村の中に何か隠されているわけでもありませんし、そもそもそんなことが出来る施設も存在しません。いなくなった人々についての聞き込みはこれからするとしても、何かが隠されているとすれば村の外を探した方が良いのではないでしょうか」

「そうだねえ、まずはそっちからの方が良いかもね」



 その後二人は食事を済ませ、ゼーベンヌは自分の部屋に戻る。

 エイジャから、本日のところはきちんと体を休めて明日以降の調査に支障をきたさないようにすること、と言われたからだ。


 ゼーベンヌも、休憩を挟んだとはいえ昨日からバイクを運転し続けていため体力もそうだがそれ以上に魔力を消費してしまっており、いざという時に魔力が尽きないようにここは回復に努めることにした。隊長の言葉に素直に従って、自室で横になる。


 ただ、目を瞑っていてもなかなか寝付けない。身体は疲れているし眠気もあるのだが、瞼の奥にちらちらと、逃げ出したレイの後ろ姿が浮かぶのだ。


 結局彼女はその後一時間ほど経ってからようやく眠りにつく。

 そのころには太陽が地平線の向こうに沈み切り、村に夜が訪れていた。




 それからしばらくして、自室にて貰ってきた資料の確認をしていたエイジャの荷物の中から、鈴のような音が鳴る。

 資料の束から目を上げたエイジャは、手荷物の中から小さな鏡を取り出してその鏡面を指で叩く。そして鏡に映る人物に、にこやかに話しかけた。


「やあ、ラパさんこんばんは。どうしたの、こんな夜更けに」

《エイジャ君、今、一人だけですか?》

「そうだけど……、何かあったの?」


 にこやかなエイジャとは対照的に、ラパックスは僅かに険しい顔をしていた。声のトーンから、あまり良くない話だと察したエイジャは、すぐさま気を引き締めて話を聞くことにした。


《本日、我々は本部の指令を受けてボガードの討伐に向かっていました。ところが、我々が現場に到着した時点で、すでに群れは全滅していたのです。何者かの手によって》

「へえ、本当に?」

《サーバスタウンに戻ってから団長と私で調査したところ、それを為した者がどのような人物なのかは分かりましたが、その人物をまだ発見出来ていません》


 そこまで聞いたエイジャは、ラパックスが連絡してきた理由のおおよその見当がついた。


「そいつの特徴さ、分かるだけ教えてよ」

《ええ、この辺りでは珍しい黒髪黒目の男です。見た目は年若く、額に傷跡があり、剣を吊っているようです。

 団長は、この男が何故ブリジスタに来たのか分からない以上、警戒をする必要があると考えています》


 当然だろう、とエイジャは思う。あの真面目な親友は、少しでも疑念の残る人物を野放しにしたりなど、決してしないのだから。


「了解、もしこっちで見かけたら、すぐにそっちに教えるから」

《よろしくお願いします、それでは》

「はーい」


 ラパックスとの通信が終わり鏡を荷物の中にしまうと、先程まで読んでいた資料を手に取り、僅かに逡巡した後それらもまとめてカバンにしまい込む。


 それから、部屋の出入口と窓に一枚ずつ警報札を張り付けると、体中・・に付けたままの装備を外していく。

 着ている服も脱ぎ捨て、寝間着を着ようとしたところでそれなりに汗をかいていた事を思い出す。ゼーベンヌなら軽洗浄魔術を使えるはずなので、明日の朝お願いすることにした。この宿にはシャワーすらないのだ。身体を洗いたいなら主人に頼んでお湯の入った桶を持ってきてもらう事になる。


 着替えて灯りを消し、そのままベッドに倒れ込むと、古いせいかギシッと大きな音が鳴る。エイジャは気にすることなく仰向けに寝転がり、目を閉じた。




 ◇




 翌朝、ゼーベンヌはあまりきちんと眠れていないことを自覚しつつもベッドからむくりと起き出した。

 寝汗をかいてしまっていたので魔術を使って身体を清め、服を着る。ゼーベンヌは寝るときには下着しか着ていないのだ。


 顔を洗い、軽く化粧をしたところでドアをノックされる。ドアを開けることなくエイジャが声を掛けてきたので、返事をして入室を促がした。こういう、普通の配慮を普通に出来る辺りエイジャは一般的な常識をきちんと持ち合わせているのだが、それを実感する機会はゼーベンヌにはほとんどない。


「おはよう」

「おはようございます」

「良く眠れた?」

「……」


 目を逸らして答えようとしない部下に、エイジャはやっぱりかといった面持ちで温い視線を向ける。

 恥ずかしさを誤魔化すかのように軽洗浄魔術を行使したゼーベンヌに軽くお礼を言いながら、朝くらい一階で飯食おうぜと下を指差し、二人揃って食堂に顔を出した。


「おはようございます、お客さん」

「おはよう、今日のメニューは何かな?」


 宿の主人と他愛の無いことを話しながら席に付き、朝食を食べた。

 端的に言ってしまうと、夏野菜をふんだんに使ったサラダはなかなか美味しかった。おそらく村で収穫されたものをそのまま出しているのだろう。ただ、パンに関してはエイジャたちが普段の食事で食べている物よりも固くて味が悪かった。まあ、宿の料金からすれば十分マシなくらいなのだろうが。


 食事が終わった二人は、一旦自室に戻り、きちんと武器や道具を身に付けてから宿の玄関前に集まった。

 今日から本格的に調査を行うことになるからだ。その際、何が起こるか分からない以上は必要な装備である。


 まず、失踪者のリストを見ながらその家族や友人等の家を順に訊ねてみることにした。ただしこれは、何か分かれば儲けものというくらいのつもりだ。この集団失踪事件が判明し始めた頃から、村の住民たちはこぞって意見交換をしているのだろうから。


 それでも、もしかしたら何か貴重な情報が聞けるかもしれないと午前中一杯を使って家を回る。騎士団のバッジを示し、内密に調査を行っていると伝えると、ほとんどの住人は一も二もなく自分の知っていることを話してくれる。

 運悪く不在となっている家もあったため対象の全てに話を聞けた訳ではなかったが、やはり結果は芳しくなかった。


 エイジャたちが持っている資料というのが、斥候隊の連中がかき集め隊長が選別した情報なのだが、その情報精度は圧倒的であり、今日の時点で住人から聞けた内容のほとんどは、すでに資料に記載されているものばかりであった。


 結局、太陽が中天に差し掛かる頃に一度宿に戻ったのだが、暑い中歩き回った割には大した進展はないというのが現状である。


「なんというか予想どおりだけど、やっぱりそう簡単には分からないよね」

「私としては、その資料に書かれた情報をどうやって集めてきたのか、という事の方が気になりますが」


 エイジャの部屋に食事を運んでもらい、二人で一つのテーブルを囲んで意見を交わし合う二人には、早くも疲労の色が見え始めていた。

 自分たちの行動が何の成果もあげていないのだから当然といえば当然であるのだが、それ以上に、エイジャたちの活動を嘲笑うかのような、詳細にまとめられた資料の存在が二人の心を重くする。


「まあ、フー様だからね、これくらいは平気でやるだろうけどさ」

「……直に聞かなければ分からないような事が、どうしてその資料に記載されているのでしょうね?」


 遣りようはいくらでもある。例えば井戸端会議や、農作業中の住人たちの些細な言動を逐一拾い集めていけば、このくらいはどうとでもなるのだろう。


 ただし、斥候隊の存在は一般には周知されていない。そんな連中が身を隠しながら情報収集のためにあらゆるところに配置されていると知れば、国民から要らぬ反感を買う恐れもあるからだ。

 そして普通に騎士団として活動している分にはほとんど関わり合いにならない存在でもある。入団したての若い団員に至っては、やはり存在そのものを知らない者も多く、かくいうゼーベンヌもエイジャの隊に来て初めて知った位だった。

 つまり、この情報を集めてきた斥候隊の連中は、決して住人に姿を見せず、自分たちと同じだけの情報をかき集めてきたことになる。


 そこまでして情報を集めるのか、とそのための労力を想像してゼーベンヌはゾッとした。


 ――そりゃあ、隊長が恐れる訳だわ、こんな恐ろしい事部下にさせてる人が、まともな訳ないもの。


 このゼーベンヌの感想は、多分に偏見の篭ったものではあったが、エイジャが聞いていれば迷わず首を縦に振るであろうものであった。



 何はともあれ、午前中の調査では目新しい情報を入手できなかったエイジャたちは、午後からは別の手段を使う事にした。



 ――森狩りである。




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