第5章 4
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テグ村で発生した住人の失踪事件。これがいつから起きていたのかというのは、実の所はっきりと分かっていない。
そもそもこの村では昔から住人がいなくなりやすかった。
村での暮らしに耐えられなくなった若い村人が家を飛び出しそのまま帰ってこないことなど昔からざらにあることで、人口の減少は十数年ほど前から顕著に現れている。
それが本人の意思によるものなのかはたまた何らかの理由があっての事なのか、それははっきりとは分かっていない。
しかし、指令書に書かれた内容が事実だとすれば、ここ数か月ほどの失踪者の数は今までの比ではないらしい。
年端もいかぬ幼い子供や働き盛りの父親、もはや歩くこともままならないような高齢者まで、老若男女問わずいなくなっており、その数は今年に入ってからだけでも三十を越えているそうだ。
最初のうちは、今までのように村での暮らしに嫌気がさした者が勝手に出て行ったのだと考えていた村長も、徐々にそんな問題ではないことに気が付いた。いくらなんでも不自然過ぎる。
失踪者の中には村長の五十年来の親友もいたのが、彼がこの村を出て行くような人間ではないと誰よりも知っているのは、他ならぬ村長自身であった。
小さな村である。どこそこの誰々がいなくなったと噂になるのは早い。住民たちも、これがただの家出や出奔であれば幾らもマシに思えたが、幼い我が子を失った両親や一家の大黒柱を失った妻などにしてみればどう考えてもあり得ない話である。
自然と村長の下に捜索の嘆願がいくつも届き、それを受けた村長は重い腰を上げた。
まず村長は、村人たちに対しては普段どおりに振る舞うように言い含めた。
この村は首都と東の玄関口を繋ぐ街道の近くに存在しているため、外から入ってくる旅行者や行商人などが多く訪れる。そんな者たちに村の悪い風聞を持ち出されては堪らないからだ。もし悪い噂が広まりこの村に誰も訪れなくなれば、それだけでこの村は立ち行かなくなってしまう可能性があるのだ。
そのことを理解している村人たちも、内心はどうあれ表面上はいつもどおりの日常を取り戻そうとし、村に漂う陰鬱な雰囲気はある程度払拭された。そのうえで村長は所定の手続きを行い、国に対して陸軍若しくは応援の警備隊員の派遣を依頼した。
村に常駐する警備隊員は交代を含めても十に満たない数しかおらず、これらを捜索に回してしまえ他の有事――火事や喧嘩、泥棒など――に対応できなくなるからだ。
そして、騎士団員を派遣する旨の内容が記された手紙が首都からの伝書鳩で届いたとき、村長は一先ず安堵し、僅かばかり驚いた。こんな辺境の村で起きる失踪事件などに主に中央部を管轄する騎士団が出てきてくれるとは思っていなかったのだ。
第四騎士団の面々が常に遠隔地を回っているとしても、広大なブリジスタ国内(それでも他国から見れば大きいとはいえないのだが)を順番に回るとなれば嫌でも時間が掛かる。
一度来てもらえば次回が一年後になっても何ら不思議ではない。それに騎士団員たちが今現在どこにいるのか一般人には知る由もないことであるため、村長は、たまたま第四騎士団の方々が近くにいてくれて、ここに来てくれるのだろうかと考えた。
その予想の半分は当たっていた。第四騎士団はそのときたまたま近くまで来ていた。が、デザイアたちにこの件が伝わることはなかったため、やってきたのは青髪の青年が引き連れた精強な騎士団員ではなかった。
何故なら、この失踪事件を知っていたのは村の住人達だけではなかったからだ。ブリジスタ騎士団斥候隊の隊長は、テグ村の住人が不審な失踪を遂げていることに二か月ほど前から気が付いており、そして独自に周辺の調査を行っていたのである。
だから、村長からの依頼があった時点で既に騎士団では事件のおおよその概要は掴んでいたし、これ以上の調査を行うためには村に乗り込む必要があったため、渡りに船とばかりに騎士団員を村に派遣することにしたのだ。
それをエイジャに任せた理由は定かではない。
案外、嫌がらせに近い理由で選ばれたのかもしれないが、それでも本当に無理な事をやらせたりはしない人である。……と、地獄のような訓練を潜り抜けてきたエイジャは、そう信じることで心の平静を保っていた。
さて、エイジャたちが村に到着し、村長がいるはずの役場として使われている小さな建物に向かうと、そこには七十歳を超えているであろう細身の男性が待っていた。
村長は初めのうちは誰が来たのかと訝しんでいたのだが、エイジャが身分と目的を告げ、その証明として騎士団員に配布されている身分証代わりのバッジと、ブリジスタ騎士団の紋章が押印された指令書を見せると目を丸くして持て成しの準備をしようとした。
それに苦笑しながらも「そういうのは構いませんから本題に入りましょう」と告げたエイジャは、目の前でおろおろと慌てる老人を観察しなが勧められたソファーに腰を下ろす。年季が入って所々革が傷んでいたが、エイジャもゼーベンヌも気にしていない。
――建物といい、家具といい、なかなかのボロさね。やっぱり、小さな村ってのはどこもこんな感じなのかしら。変わらないものなのね。
いや、ゼーベンヌは少しだけ気にしているようだ。
それを口に出したりはしないが。
その代わり、据わりが悪そうに小さく腰を揺らしていた。
「あの、それで、本当に貴方方二人だけなのでしょうか?」
「ええ、そうですよ」
「はあ……、」
村長はなんとも言えないといった風情で、小さく息を漏らす。確かに、依頼を出してから一週間も経たぬうちに騎士団が来てくれたことは驚嘆に値するが、それでも二人だけとは如何なものなのか。それなら、手の空いた警備隊員を使った方がまだ人数が多いし、付近の地理に詳しいのだ。折角来てもらったとはいえ、出来ることなどたかが知れるのではないか。
そんな村長の、内心の落胆が透けて見えたエイジャは、穏やかな笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
ゼーベンヌはといえば、少しだけムッとしたように眉が跳ねたのだが、まだ空気を読むということを忘れていない彼女も直後に外向けの笑顔に戻った。
「まあ、今回我々がこの村を訪れたのは調査のためですから。住人がどこへ行ってしまったのか、どうしていなくなったのか、これが住人自らによるものなのかそれとも何らかの事件が絡んでいるのか……といったところです。そのためには、不用意に大人数で乗り込むのは逆効果だと判断しました」
「そ、そうですか?」
「そうですとも。もし仮に、この事件が何者かの手によるものであるとするならば、ソイツは騎士団の人間が大勢やってきたのを見て逃げ出してしまうかも知れません。
ならば、必要最低限の人員で行動した方が都合が良いのです。今の我々の姿を見て、騎士団員であるとはそう簡単に気付けません。現に、村長さんだって最初は我々の事を単なる旅行者とでも思ったのではありませんか?」
「それは、確かに」
「それに、大勢に騎士団員がゾロゾロと乗り込んで調査などしていれば嫌でも人目に付きます。それを見た外の人間がどう思うかは村長さんなら容易に想像がつくとは思いますが?」
「むっ……、それもそうですな」
まるで、人格が変わってしまったかのように真面目な態度のエイジャが丁寧に説明をすれば、村長も納得することが出来たようだ。
短い返事とともに小さく頷いてみせた村長に、エイジャは「それでは、」と続け自分たちがこの村でどのように活動を行うつもりなのかを伝えながら、頭の中では目の前の老人に対する考察を行う。
――んー、多分、村長さんはシロかな? 俺らの正体が分かった時の反応にも不自然なところはなかったし、俺らに対する害意も感じられない。どちらかといえば、折角来てくれたのがこんな奴らなのか、っていう落胆に近い感情が大きかったみたいだから、村長さんはこの事件の解決を望んでいる善良な存在として認識しておいて大丈夫そうかなあ。……多分。
「――という訳で、我々が騎士団員であるという事は村長さんの口からは言わないようにして下さい。身分を明かす必要があるかどうかはこちらで判断しますので。我々は身分を隠し旅行者の振りでもしながら数日間この村の宿に泊まらせていただきます。
調査は独自に行いますが、一日一回は村長さんに進捗を報告に来ますし、何か重要な事が判明すればその都度報告します」
「はい、よろしくおねがいします」
静かに、それでいて深々と頭を下げる村長の言葉を聞いたエイジャは、そのまま立ち上がり部屋の出入口に向かう。ゼーベンヌが慌てて後を追うが、二人が退室し扉が閉まった後も村長は頭を下げたままだった。
◇
村長と別れたエイジャたちは、そのままの足でこの村唯一の宿に向かう。宿の名前は「黄色の鼠亭」。モデルとなった幻獣についての描写は省くが、この宿の先代の主人が建物を新築したときにたまたま近くの森で見かけたため、それにあやかって宿の名前を変えたことからこの名前になったらしい。ただ残念な事に、今の主人はその幻獣を一度も見たことがない。そのため最近では、今度立て替えるときにはまた名前を変えようかな、と結構頻繁に愚痴っており、そのたびに昔馴染みの客から苦笑されているのだとか。
隣同士で二人分の部屋を取り、荷物を置いてからエイジャの部屋に集まった二人は年代物の木製椅子に座りながら今後の予定を立てる。
「ひとまず、今から俺がこの村の中と外の様子をグルっと回って探ってくるよ」
「お一人で大丈夫ですか?」
「うん、伊達に斥候術を習ってないし、そもそもゼーちゃんはコソコソ動くの苦手でしょ。それなら俺一人の方がマシだよ。だから、俺が散、おっと、状況確認している間にゼーちゃんは夕食の準備をしといてよ」
「今、散歩って言いかけました?」
慌てて咳払いをするエイジャを見て、村長の前で見せた真面目な態度がどうして長続きしないのかしら、とゼーベンヌは頭を悩ませる。普段からあれだけ真面目にしてもらえれば私の負担も随分減るのだけど、とも思っていたところでエイジャはそそくさと立ち上がり、そのまま外に出て行ってしまった。
こうなってしまえば自分も言われたことをやるしかない。隊長がこの任務を住民に対して内緒にしている以上、あまり人目に付くところで食事をするのも憚られる。ならば、どこかに出来合い料理を売っているところがないか探すか、さもなくば宿の主人に部屋まで持ってきてもらえるか聞くのが手っ取り早いだろう。
ゼーベンヌは、まずは簡単に済む方法を試すことにした。宿の主人に声を掛け、夕食を部屋まで運んできてもらえないか訊ねてみる。結果は成功のようだ。三十代くらいの大柄な体型の主人は、ゼーベンヌの注文に二つ返事で了承を出してくれた。夕食の時間になればエイジャの部屋に持ってきてくれることになり、隊長に頼まれた仕事が早くも終わってしまったゼーベンヌは、さてどうしたものかと思案する。
持ってきた魔導機械の手入れをしようかとも考えるが、一度手を付けたら夕食が来るまでに終わる気がしなかったため却下。
仕方がないので宿の付近を散策してみることにした。やはり隊長だけに任せるのは気が引けるというのもあるし、隊長だけに任せるのは不安だというのもある。
宿の敷地から離れ数分も歩けば住居用の建物はなくなり、代わりに農業従事者たちが汗水垂らして働いている農耕地が広がっていた。馬や牛が農耕具を引いて畑を耕していたり、他のところでは育ちきった野菜を収穫していたりしており、まごうことなき田舎の風景である。少し先には森も見える。
しばしの間ゼーベンヌは簡素な服を着て農作業に精を出すおじさんおばさんたちを眺めていたのだが、はっきり言って面白くもなんともないし、今回の任務に何の影響も及ぼしそうになかった為、早々に切り上げて宿の方に戻る。
「まあ、それにしても長閑な村ね。本当に。
私の故郷とどっちが――って、比べるのも無粋かしら、これは」
沈む太陽と赤く染まり始める空を見上げ、それから視線を前に戻す。
そうやって、懐かしの光景を脳裏に思い浮かべながら宿に戻るゼーベンヌの前を、何人かの少年たちがキャッキャと言いながら駆けてゆく。
一番大きい子でも七、八歳くらいだろうか。もう少し大きくなると今度は農作業などの人手として駆り出されるようになるはずだからおそらく間違ってはいないはずだ。
少年たちの内の何人かがこちらに手を振ってきたためゼーベンヌも振り返す。自分の身分は隠しているわけだから、おそらく村に来た旅行者たちに対していつも手を振っているのだろう。
なかなか可愛らしいではないか。
遊べるうちにしっかり遊んどきなさいよ、とゼーベンヌが見送ったところで宿に着いた。本当に小さな村である。
そのまま部屋に戻ってもやっぱりすることがないため宿の裏手に回り込んでみることにした。宿の裏手は小さな庭のようになっているらしく、それなりの広さの空間が広がっていた。
宿の勝手口の傍には簡素な井戸と薪を保管している棚などが備え付けられており、首都なら魔導機械で賄われているインフラ機能もこれほどの僻地には届いていないのだと分かる。精々が室内に使われている魔導ランプくらいのものだろうか。上下水道すら整っていないなど、首都で生まれ育った連中には想像も付かないのだろう。
そのように物思いに耽るゼーベンヌであったが、ふと目の前の光景に気付き、知らずの内に呟いた。
「……あの子、何してるのかしら?」




