第5章 3
◇
本部正門前に集合したエイジャとゼーベンヌは、そこで荷物や行程の確認を軽く行った後すぐさま出発し首都を離れた。
時速約五十キロメートル毎時というこの世界では驚異的な速度で街道を駆け抜ける二人は、休憩もそこそこにひたすらに距離を稼ぐ。
間もなく日が暮れるという時間になった段階でテグ村までの全行程の半分程度を走破し、明日の日中には村に到着できるというところまで来た。
草原のど真ん中を走る街道から少し外れたところを本日の野営場所とした二人は、そのまま無駄口を叩くこともなく淡々と準備を行うことにする。
こういった事は訓練で何度も経験しているのか大した時間も掛からずに準備は終わり、簡素な保存食を胃に詰め込めば後はすることもない。
「隊長、ちょっと……」
「ん、はいはい、行ってらっしゃい」
「どこに」とか「何しに」とか聞いたりしない。エイジャだってデリカシーというものは持ち合わせているし、こういった事は頻繁に起こり得る事だ。花を摘むのもキジを撃つのも人間なら誰しも必要な事で、例えそれがローマ法王や売れっ子人気アイドルであろうとも生理現象を完全に制御することは出来ないのだから。
他の旅行者や冒険者たちがどのようにしているかは知らないが、少なくともブリジスタ騎士団においてはある程度の配慮をしつつも何かあった時に対応できる距離で済ませるようにしている。仮に音が聞こえても気にしたりしないし興奮したりしない、という事になっている。
とはいえ、聞こえてしまうとそれはそれで向こうが嫌がるかもしれないため、そちらから気を逸らすべくエイジャは鼻歌を歌いながら手荷物を漁り、柔らかなスカーフに包まれた一枚の鏡を取り出した。
掌に収まる程度の小さな鏡で、その鏡面をエイジャは三回ほど叩く。しばらくして、鏡面に映る自分の顔がグニャリと歪むとそこに映っていたのは自分とは全く別の、それでいて良く知った顔だった。
《お久しぶりですね、エイジャ君。何かありましたか?》
「やっほー、ラパさん、一か月ぶりくらいだっけ。デザ君は何してるの?」
《団長なら、今し方兵舎の訓練場を借りに行きました。たまには全力で剣を振るいたいそうです》
「ああ、相変わらずだね。兵舎ってことはどこかの町にいるの?」
彼らが使っている対話鏡とは、術式で対応させた二枚の鏡の間で相互通話が出来る代物である。
現代の携帯電話のようにどこにでも繋がるわけではなく、あくまで対応させた鏡同士でしか使えないうえに一日に使用できる時間の長さも決まっている。
代わりに、お互いどれほど離れていても問題なく繋がるため騎士団では指令伝達や緊急の場合に備えて一定の部隊単位で鏡を貸与している。
そして本部の中には数十枚の鏡が置かれた部屋があり、いつ緊急伝達が来てもいいように常に誰かがその部屋に常駐することとなっているのだ。
「……うん、うん、ははは、相変わらずラパさんも苦労してるんだね。……えっ? いやいや、そんな事はないよ。…………あー、それは確かにそうかも。うんうん、うんうん、それじゃあ、またデザ君にもよろしく言っといて、……はーい、っと」
通話を終えると鏡に映るのは再び自分の姿だ。まだ本日分を使い切ってはいないが、本当に緊急の場合を考えて使い切ったりしない。
「戻りました」
「おかえり、デザ君なんだけど、今はサーバスタウンに立ち寄ってるんだって。向こうも指令を受けてるみたいだから、こっちが先に片付いたら俺らから会いに行くのも良いかもね」
「そうですか、それは、良かったです」
ホッと胸を撫で下ろしながら心の中でガッツポーズをするゼーベンヌ。
勢いに騙されてここまで来たが、よくよく考えてみればデザイアの都合が合わなければ今回の報酬は実現しないため、自分はタダ働きになってしまう事に道中で気付いたのだ。
もちろん騎士団として活動し、それに見合った給金を受け取っている以上タダ働きな訳はないのだが、心情的なものはどうしてもそうなってしまう。
本来なら行く必要のない場所に行くのだ。デザイアに対する自分の気持ちをいいように利用されたと思ってしまうのは無理からぬことである。
そしてその辺りの懸念が解消されたからこそゼーベンヌは心底安堵したし、呑気に武器の手入れをしている隊長に対して柔和な笑みを向ける事もできるというものだ。
「ねえ、ゼーちゃん」
「何でしょうか」
こうしていつもの愛称で呼ばれても不機嫌になったりしない。逆に、憧れのデザイアと同じように愛称で呼ばれているのだと考えれば悪くないかもとも思えてくる。恋する少女とはかくも不思議なものなのだ。尤も、すでに少女という歳でもないのだが。
「デザ君に会えたからって、感激のあまり気絶するとか止めてね?」
途端にゼーベンヌは白けた様な顔になった。
「……隊長は私のことを何だと思ってるんですか」
「そんな娘もいるんだよね、驚くべきことに」
「折角お会いできるのに、そんなもったいない事しませんよ」
「……そう」
期待していたのと微妙に異なる答えを返されたエイジャは、三つ編みをほどいて櫛を入れ始めたゼーベンヌにそれ以上何も言うことはなく自らも武器の手入れに没頭することにした。
彼の持っている武器、というよりも彼の隊の標準装備であるその武器は、毎日きちんと手入れをしていないとすぐに故障する非常にデリケートな武器なのである。
「そういえばさ、ゼーちゃんの得意な武器って何? これを使ってるところはいつも見てるけど、それだけじゃないんでしょ?」
「はい、元々は第五騎士団に所属していましたので騎士団式剣術と槍術が使えますよ。まあ、得意というほどでもありませんが」
「剣と槍は持って来てるの?」
「剣は支給品の細剣を持ってきていますが、槍は嵩張りますので持ってきていません」
ブリジスタ騎士団では女性の団員に対して細剣を支給している。通常の騎士剣を扱う者もいないではないが、基本的には軽い女性用の細剣の方が人気がある。
「それもそうだね。……そうか、それならもし戦闘になったら前衛をお願いするかもしれないや。俺、接近戦って嫌いだからさ」
「構いませんが、 ……出来ない訳ではないんですよね? 隊長だって初めはどこかの騎士団にいたはずなんですから」
そう言われたエイジャは、困ったように笑う。
「確かに最初は第二騎士団にいたけど、俺がこの隊の隊長になったのは今から五年以上も前の事だよ? もう剣を振ったりは出来ないなあ」
「……えっ? 隊長って、今お幾つでしたっけ?」
不審がるゼーベンヌに問われたエイジャは手元から顔を上げることなく答えた。
「今は二十七歳。だから、二十二歳の時に隊長に昇進したことになるね。ちなみにデザ君は同じタイミングで団長になってるよ」
「…………」
「当時は色々あってね、自分でも早すぎる昇進だとは思ったんだけど、上がれるときに上がっとかないと今度はいつになるか分からないから、お言葉に甘えさせてもらったんだ」
「そう、ですか……」
何やら言葉に勢いがなくなってしまったゼーベンヌに対し、エイジャは――。
「――――俺が、今のゼーちゃんと同じ歳で隊長になってたことがそんなにショック?」
「! い、いえ、そういう訳では……!」
それはゼーベンヌにとって、まるで心の中を見透かされたような問いかけであった。ゼーベンヌは慌てて首を振り否定するが、そう思ってしまったのも事実であり、だからこそ動揺を隠し切れない。それを知ってか知らずか、エイジャはたった今手入れの終わった武器を左腰に刺し、満足そうに手を合わせる。
そしてゼーベンヌに視線を向けた。
「まあ、ゼーちゃんだって今の歳で副隊長に抜擢されたんだ。十分凄いと思うよ? ――多分俺らの方が凄いとも思うけど、ね」
「…………っ!」
そう言って笑みを浮かべるエイジャに、ゼーベンヌは思わず絶句した。
「……さて、手入れも終わったことだし、俺はもう寝ようかな? ――どうしたの? そんな怖い物でも見た様な顔をして」
「……何でも、ありません」
「そう? それじゃあ、お休み」
エイジャはそれだけ聞くと寝袋に入ってしまった。交代で見張りをすることになっているため、数時間後まではゼーベンヌが起き続けて見張りを行う。そして、目の前で小さく燃え続けるたき火の火が消えてしまわないように近くの森で拾ってきた薪を放り込みながら、ゼーベンヌは思う。今まで隊長の実力がどれ程のものなのかを知る機会はなかった。普段はいつもふざけてばかりで、訓練を真面目に行っているのは知っていても実際に戦闘をしているところは見たことがないからだ。――だが、
――なんだ、ウチの隊長もやれば出来るんじゃない。
彼が最後に見せた笑顔は、少なくとも隊長が見せたことのあるどんな笑顔とも違っており、まるでゼーベンヌに釘を刺しているようにも思えた。――あんまり見くびってもらっては困るよ、と。
「……上等ですよ」
そしてゼーベンヌは知らずの内に気持ちが昂っていた。普段はふざけてばかりいる隊長の実力が、今回の任務によってはっきり分かるかもしれないのだ。
それは、ゼーベンヌにとっては非常に重要な事だ。
エイジャが本当に隊長に相応しい実力を備えているというのなら、それはそれで喜ばしい事だろう。だが、もしもそうでないのであれば――。
「さて、どっちかしらね」
ゼーベンヌは肩甲骨の下あたりまで伸ばした金髪を再び三つ編みにしながら辺りを警戒する。たき火の淡い光に照らされた彼女の目には、たき火を反射しているのとは違った光が宿っていた。
◇
朝になり、二人は移動を始めた。
多少の悪路をものともせずに走り続け、一度昼休憩を取った以外はひたすら走り続ける。
やがて太陽が傾き始めた頃、二人の視線の先に小さな村が見えた。
「もうすぐテグ村に着きますね」
「そうだねえ、ぼちぼち降りて歩いて行こうか」
ゼーベンヌが隊長の言葉に従いゆっくりとブレーキを掛けると、すぐさま彼女たちが乗っている魔導二輪車はその動きを止めた。
隊長が後部シートから飛び降りたのを確認し、ゼーベンヌはスタンドを立てて魔導二輪車――バイク――のスイッチを切る。スピードメーターから放たれる光が消えたのを確認してから積んでいる荷物を下ろし、二輪車収納用腕輪にバイクを収納した。
「うーん、後ろに乗ってるだけってのも疲れるもんだね」
「操縦している私はもっと疲れますよ」
「やっぱり? まあ、徒歩とか馬車よりは快適だから文句はないけど」
「代わりに私の魔力を消費していますからね」
二人が乗っていたのは、魔導機械の一種である魔導二輪車だ。
なかなかに高価で、操縦者が一定時間ごとに魔力を供給せねばならないため一般にはほとんど出回っていないが、この世界の人間が利用できる移動手段の速度を比べた場合、かなりの上位に位置する乗り物である。
ゼーベンヌの趣味とは魔導機械の収集と整備であり、それらを活用することが出来るだけの知識と技術を彼女は持ち合わせているのだ。
今回の遠征においても彼女はいくつかの魔導機械を持参してきており、いずれも任務の遂行に恩恵をもたらすであろう品々ばかりである。聞けば先程のバイクにも戦闘用の武装がなされているらしい。一体何と戦うつもりなのだろうか?
尤も彼女は、この趣味が遠因となってエイジャの隊に異動になったということを異動の通知を受けた際に説明されたため、その時に生まれて初めてこの趣味を持つんじゃなかったと後悔した。後の祭りもいいところではあるのだが。
「さて、遠目に見る分には至って普通の村に見えるんだけど、実際の所はどうなんだろうね?」
「さあ、私には分かりかねますね」
「まあね。とりあえず村に入ろうか。ここに来るまでに疲労も溜まってるだろうし、本当に何かあったときに対応できないのは不味いからさ」
「はい」
二人は自分の荷物を背負う。そして指令書の内容を思い出して僅かに周囲を警戒しながらも、しっかりとした足取りで村に向かう。
指令書の内容を要約すれば、こうだ。
《テグ村の住人が謎の失踪を遂げている。原因を調査せよ》




