第5章 2
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結局、第二騎士団団長ことブライアン・ベルガモットの雷が落ちた二人はその後二十分間ほど説教を喰らうことになった。
他の隊員たちはといえば、僕たち関係ありませんよとばかりに二人を見捨て食事を終わらせると、さっさと食堂から出て行ってしまっていた。
薄情だと思う半面、同じ状況になったら多分自分もそうすると思ったエイジャは、あとで全ての元凶たるカインズに蹴りを入れることにして、他の隊員の行動については水に流すことにした。
ブライアン団長からの有り難いお話が終わり、ふらふらと手近な椅子に座ったエイジャとゼーベンヌ。
エイジャが食べていたランチはお説教の間に冷えてしまっていたし、ゼーベンヌにしてみれば食堂に入った途端にこの騒動に巻き込まれてしまったため今から注文しなければならないのだが、……今の彼女にそんな元気はなさそうだ。
普段は叱る立場であるはずの自分が、今回は隊長と同じように叱られたのが余程堪えたようである。
エイジャが新しく別のメニューを注文しに行こうとして「一緒に何か注文しようか」と訊ねたが黙って項垂れたまま返事をしない。
仕方なく同じメニューを二人分注文し、それと一緒にお茶をもらってからテーブルに戻る。
パンケーキのような形をした甘いシロップが掛かったそれをゼーベンヌの前に差し出すと、ややあって彼女は小さな声で礼を述べ、それからナイフで小さく切り分けて口に運び始めた。
それを見たエイジャも自分の分に口を付けるが、女性は甘い物が好きだろうという考えで選んだこれは自分で想像したよりも更に甘ったるかった。
食事ではなく早目のデザートと割り切ったエイジャはこれを黙々と口に運びながら、団長に叩かれた脳天を触って小さく呻く。
サラサラとした灰色の髪の下で小さな瘤が出来ていた。
「っ! ……痛ってえ、ブル爺め、本気で殴りやがって」
「…………」
「だいたいさあ、元はと言えば悪いのはカイ君であって俺はそこまで悪くないと思うんだけどなあ」
「…………」
「確かに、食堂で武器を抜いたのは良くなかったかもしれないけどさ、それだけの事をカイ君がしたわけだしさ」
「…………」
「そ、れ、に、そのあと俺は誰かさんに首を絞められてあやうく死ぬところだったわけだし」
「っ…………」
「そう考えたら、俺って完璧に被害者だよね、ブル爺に殴られる理由ってこれっぽっちも無いんじゃない?」
「…………ぃ、」
「ん? 何か言った? ゼーちゃん」
「~~~~っ! うるさいって言ってるんです! このっ!」
「うおうっ!?」
ゼーベンヌのビンタを紙一重で躱したエイジャは、心底驚いたような表情で自分の部下を見つめる。
まるで、怒られるとは思っていませんでしたと言わんばかりの驚きようだ。
それがまた、ゼーベンヌの癪に障る。
「隊長! よくもそんな事をぬけぬけと仰いますね! 貴方のせいで私まで怒られたのですよ!? というか、何度も言いますが私の名前はゼーベンヌです! ゼーちゃんなどと呼ばないで下さい!!」
「えー? ゼーちゃんはゼーちゃんだし、それに怒られたのは上司である俺の首を絞めてたからでしょ? その件に関してはいきなり絞めてきたゼーちゃんに非があると思うけどなあ」
そう言われると、さしものゼーベンヌも言葉に詰まった。
「うっ…………、分かりました、確かに感情のままに上司に暴力を振るったのは私に非があります。その件については、謝罪します。申し訳ありませんでした」
「いやあ、別に謝らなくてもいいんだけどな、俺は全然気にしてないし」
「っ…………!」
それならわざわざ蒸し返してこないでよと彼女は思ったが、いくらか冷静になった今は口に出さない。
少なくとも、変な呼び名で呼ばれたくらいで上司の首を絞めたのは間違いなく自分が悪いのだ。
そうやって自分を納得させ、これ以上感情を乱さないように大きく深呼吸を繰り返す。いちいち本気で怒っていては切りがないのだ。本当に怒るべきところ以外で怒り続けていたら、寿命の蝋燭はあっという間に燃え尽きてしまうだろう。
そしてナイフとフォークを持ったまま腕を振って深呼吸する副隊長に、危ないからそれは置いときなよと言うべきか迷ったエイジャだが、先程の騒動のせいで食堂内にはほとんど人が残っておらず、誰かにぶつかる危険もないと思えたため好きにさせた。
代わりに、湯気の立つお茶をゆっくりと飲み干した隊長は、対面に座る部下に指令書を差し出す。
至って真面目な、普段馬鹿をやってる時とは違う仕事をする時の顔で隊長が差し出してきた指令書を見たゼーベンヌは、手に持ったナイフとフォークを置き、口回りのシロップをナプキンでふき取ってからそれを手に取る。隊長に促されて開いてみれば――。
「隊長、これは?」
「なんでも、俺たちに行ってこいってさ」
「我々に……?」
ゼーベンヌは内容を読んで首を傾げる。
そもそも、エイジャの隊は特別特務隊と呼ばれる特殊部隊の一つであり、騎士団本部の中でも異色の存在なのである。
普段から訓練は行っているが、それが実務に駆り出されることはまずない。
指令の内容的にも他の騎士団が数を揃えて向かえば何の問題も無いようにも思えたし、わざわざ自分たちに行かせようとする理由が分からない。
「それ、フー様直々の指令なんだよね」
「フー様?」
「あ、そうか、ゼーちゃんは会ったことがないのか。えっと、何ていうのかな、斥候隊の隊長をしてる人で、情報収集と解析のエキスパートなんだよ。俺は去年、およそ二か月の間その人から訓練を受けてたんだ」
「そうなんですか」
「そして恐ろしく厳しい人でね、俺は何回死にかけたか分からないし、怖すぎて未だにその人には逆らえないんだよ」
隊長にしては珍しく、そのフー様とやらの話をするときには髪と同じ灰色の瞳が恐怖に揺れていた。会った事のないゼーベンヌには分からないが、相当恐ろしい人物なのだろう。
「隊長って斥候術も出来るんですね」
「死ぬ気で覚えたからね。
それで、フー様が行けという事はそれなりの理由があるんだろうからその指令を受けるのは別にいいんだけどさ、……なんだか嫌な予感がするんだよ」
隊長の発言を聞いたーベンヌは不思議そうに眉を寄せる。隊長らしからぬ弱気な発言だ。
「嫌な予感、とは一体どういう意味ですか?」
「どうもこうも、そのままの意味だよ。俺にはデザ君みたいな神憑り的な勘はないけどさ、それでもこの仕事を続けてたら嫌な予感ってのは良く当たるんだよなあ」
「はあ……」
――そんな勘があるなら団長に怒られる前に気付きなさいよ。それともいつもの事過ぎて気付かなかったのかしら? 隊長とブライアン団長って昔からの知り合いらしいし。って、そう言えば……。
「あの、隊長」
「ん? 何かな?」
「さっき隊長が仰ってたデザ君って、もしかしなくても第四騎士団のデザイア団長の事でしょうか?」
「そうだよ」
その返答を聞いた途端ゼーベンヌは顔を伏せ、恥ずかしそうな表情で三つ編みの先をくるくると指に絡めながら上目遣いに訊ねる。
「……えっと、随分と親しげな呼び方をされてますけど、……一体、どういった仲なんですか?」
「幼馴染」
「デザイア様とですか!?」
「様!?」
両手をテーブルに叩き付けながら立ち上がり、思わず身を引いてしまう程の勢いで身体を乗り出したゼーベンヌの様子を見たエイジャは、ああ、ここにもデザ君のファンがいたのかと思った。
あの二歳年下の幼馴染は、恐ろしいほど女性に人気がある。自分の容姿にそれほど不満のないエイジャはそこまででもないが、一部の男性騎士団員からは強烈な羨望と嫉妬を浴びているほどだ。彼が普段から遠隔地遠征を行う理由が分かろうというものだ、というのが一定の共通認識にありつつある。
実際はそんな事は全く関係なく、本人がしたいから遠征をしているに過ぎないのだが、どこの世界でも自分の意見をさも真実のように言いふらす者というのは存在するのである。厄介な事に。
と、そこまで考えて、ふと思い出す。
――確か、デザ君は今ブリジスタ東部周辺を遠征中のはずで今回の目的地とそう変わらない場所にいるんじゃなかったっけ? 今更この指令を丸投げしようなんて事は、……ほんのちょっとしか思わないけど、それよりも――。
「ねえ、ゼーちゃん」
「何ですか隊長、あと、ゼーちゃんは止めて下さい」
「まあまあ。それよりこの指令なんだけど、俺とゼーちゃんの二人で行かない?」
「二人で? どうしてそうなるんですか?」
あからさまに嫌そうな顔をするゼーベンヌだが、エイジャが咎めないだけで上司に対してこんな態度を取るのはよろしくない事である。
前にいたところではそれなりに空気を呼んだりもしていたのだが、この隊に来てからは感情表現が非常にストレートになっていた。
「この指令を任されたのが俺だから当然俺は行くとして、もう一人くらい誰か連れて行きたいんだよね」
「どうしてそれで私になるんですか? 隊長が行くのであれば副隊長である私が残って他の隊員の指揮を執らなければならないのでは?」
「いや、俺の隊は今更指揮官なんていなくてもきちんと活動できるようになってるし、それに場所が遠すぎてゼーちゃん以外は誰も付いて来てくれそうにないんだよ」
「まあ、テグ村といえばここから四、五日はかかりますもんね。そして私も嫌ですよ。そこまで隊長と二人っきりなんて、心臓がいくつあっても足りません」
「結構ゼーちゃんも言う事キツイよね。でも、距離に関してはゼーちゃんの趣味で対応できないかな?」
期待の篭った眼差しを向けてくる隊長に、ゼーベンヌはムッとした表情になる。――それが目当てか、と。
「……出来なくはないですけど、尚更嫌ですよ。アレに乗るとなったら、一緒に乗らなきゃならないじゃないですか。それとも、隊長も操縦出来るんですか?」
「無理だね、行きの道中で教えてくれるなら帰りは大丈夫かもしれないけど」
「じゃあ、やっぱり――」
「デザ君がさ、テグ村のすぐ近くにいるんだよね」
「っ!? デザイア様が!?」
――……予想どおりの反応だけど、食い付き過ぎじゃない?
「今から行けば、デザ君に会えるかもよ?」
「なっ! ……いや、ですが、そんな都合よくテグ村にいるとは限りませんし」
「なんなら仕事が終わった後で呼んであげようか? 俺とデザ君は本部通信用とは別に個人的に対話鏡を持ってるからさ、呼ぼうと思えば呼べるし」
「…………!!」
「まあ、向こうが忙しかったりしたら無理だけど、特に用事が無かったら帰りに顔を見せるくらいやってくれるはずだよ。なんだかんだ言って優しいからね、俺の可愛い部下が会いたがってるって言えば来てくれると――? ……ゼーちゃん?」
「――――――――」
――デザイア様に会えるデザイア様に会えるデザイア様に会えるデザイア様に会えるデザイア様に会え――――。
「…………やっぱり今回の責任を取らせる意味で、カイ君にお願いしようかなー?」
「!! 隊長!!」
「うおっと」
「い、行きます、行きますとも。カインズさんには隊のまとめ役をお願いして、二人で行きましょう」
「そう? いいの?」
「はい、私と隊長の仲じゃないですか」
いつからそんな仲になったのだろうか? 多分、今この瞬間からなのだろう。まあ、そんな仲であるというのなら、無理難題も遠慮せずにお願いしてしまおう。
「それなら足も期待していい?」
「勿論です」
「じゃあ、今から一時間以内に準備をして本部正門前に集合。あ、団服は置いて普段着で来てね。ある程度必要な物資は俺の方で依頼して用意するけど、個人的に必要な物や装備に関しては自分できちんと準備すること。あと、俺はちょっと詳しい話を聞いてくるから、俺の食器も一緒に片付けといてよ」
「了解しました」
「じゃあ、解散」




