第4章 11
◇
右手に装飾剣、左手に騎士剣の鞘を持って修一に斬り掛かっていくデザイアを見ながら、ラパックスは安堵の溜め息を漏らす。
そんなラパックスに、メイビーが訊ねる。
「ねえ、ラパックスさんってさ、闇属性魔術が使えたの?」
「ええ、そうですよ」
「……なんだかイメージに合わないなあ」
「良く言われます」
そんなやり取りを聞いていたノーラが、先程の副団長の行動を思い出して問う。
「あの、魔術を使ったというのに、副団長さんは詠唱をしていなかったように思えるのですが?」
「ええ、はい、それはですね、……これのおかげなんですよ」
そう言ってラパックスが見せてきたのは、自らの左腕に付けられた黒色の腕輪だ。
これは団長が修一に対して怒鳴り声を上げた時点でラパックスが懐から取り出し左腕に装着したものであり、その時の様子はノーラも見ていたため知っている。
「この腕輪は魔術の発動体であると同時に、闇属性魔術に限り呪文の詠唱を完全省略することが出来るようになる物なのです。
ただ、そうした場合に消費する魔力が増えてしまうのが難点なのですが」
「へー、凄いね」
「なるほど、それなら先程使ったというのは、精神凪魔術でしょうか?」
「いえいえ、統合平定魔術ですよ」
「わーお」
どうやら、メイビーが思っていたよりもラパックスは闇属性魔術に対する造詣が深いようだ。
統合平定魔術というのは、対象の精神的異常――極度の興奮、虚脱、意識朦朧、混乱等々――を完全に取り払い、精神を平静に戻す魔術であり、習得難易度でいえばメイビーの不可視化魔術と同程度である。
それを難なく行使できるというのだから、副団長の肩書は伊達ではないようだ。
ちなみに、デザイアが橙色の猫亭に現れた時、デザイアが言葉を発するまで誰一人としてその存在に気付けなかったのもラパックスの闇属性魔術のせいだ。
認識阻害魔術という他人から気付かれにくくなる魔術があり、修一たちが店内にいるのを窓を通して発見したデザイアが、いざという時に機先を制すために部下に使わせたのだ。
しかし、実際に近付いてみれば何故か自分の話題で盛り上がっており、即座に戦闘に発展するとも思えなかったため自分から声を掛けて魔術を解除した。
ただ、いかにデザイアといえども、ノーラの知識量には苦笑するしかなかったようだが。
何故そんな事を知っているんだ、という意味では修一以上の脅威に思えたようだ。
「そういえば、闇属性魔術は使える人が少ないうえに、一般的な印象もあまり良くありませんね。
普段は腕輪を付けていないのも、それが原因ですか?」
「まあ、切り札を隠しておくという意味もありますが、概ねそのとおりです」
「魔術師ギルドでも習得している人はあまり見かけませんでしたが、……副団長さんは、どこで、誰から習ったのですか?」
そう聞かれたラパックスは悩ましげに眉を寄せるが、やがて静かに首を振る。
「それをお話しする事はできませんね、申し訳ありませんが」
「あ、いえ、好奇心で聞いただけですから。
こちらこそごめんなさい。そこまで悩ませるつもりはありませんでした」
「ねえねえ、二人とも」
互いに謝り合う二人を置いて、修一たちの戦いを見ていたメイビーが二人を呼ぶ。
灰色のマントの中の右手には、副団長の気が逸れた隙に引き抜かれた小剣がこっそりと握られている。
「そろそろ、クライマックスじゃないかな?」
◇
「おおおおおお!!」
「はあああああ!!」
気合の篭った声が広場に響き渡る。
剣を持ったまま打ち合う二人はいつからか全力に近い速度となっており、お互い休むことなく剣を振るい続けている。
我武者羅に剣を振りながらも狙いは至って冷静で、一撃躱し損ねただけでそのまま決着に至りそうな激しい打ち合いだ。
戦闘当初とは違い、デザイアは左手に持った鞘を防御に使いながら右手の装飾剣で攻撃するスタイルになっているし、修一はデザイアから奪った騎士剣を存分に使って攻撃と防御を行っている。
だが、戦い方が変わっても結果はあまり変わらない。
デザイアは鉄製の鞘を防御偏重で使いつつひたすら装飾剣で攻撃してゲージを貯めているのだが、やはり両手で剣を振り回していたときよりは手数が減り、回避だけでなく防御を行えるようになった修一には攻撃が当たらない。
修一も恐ろしい手数で圧倒されることはなくなったのだが、攻撃が大人しくなった分守りが硬くなり、デザイアに何度斬り付けても全て防がれてしまう。
こうして、先程とはまた違った意味で膠着状態に陥っていたのだが、それもいよいよ終わりを迎える。
デザイアの装飾剣、これが段々と光量を増してきており、いつでも波濤を放てる状態になっているからだ。
しかし、それでもデザイアは更にゲージを貯める必要があると思っており、通常の剣技で攻撃を続けていた。
先程放ったものと同程度の威力では、再び奥義とやらで躱されてしまう。
そうならないためには、最大威力の波濤を使わなければならないだろう。
そうしたデザイアの考えは間違っていない。
問題があるとすれば、ゲージが全て貯まるまで修一が指を咥えて見ているわけがないという事だろう。
修一は、デザイアの狙いなどとっくに分かっているし、それを防ぐべく何度も攻撃をしているのだ。
ただそれが、デザイアの防御に阻まれてなかなか上手くいっていないだけで。
「喰らえっ!!」
「甘いっ!!」
今も修一は、デザイアの胸元に向けて水平に突きを繰り出したところだが、デザイアは左手に持った鞘で防いでしまい、そこから装飾剣で反撃してくる。
二刀流でひたすらに攻撃していた時点で非常に高い回避性能と防御力を備えていたデザイアが、剣一本分を防御に割くことで更に強固な防御力を手に入れてしまっていた。
これを突き抜けて攻撃を当てるためには、生半可な技では通じない。
だからこそ修一は――。
――仕方ないな。
デザイアの装飾剣の連撃を騎士剣で受け止め、そのまま跳び下がり大きく距離を取る。
そして、騎士剣を左手で持ち、腰に刺したままの長剣の鞘を右手で引き抜いた。
左手に騎士剣を、右手に鞘を持ち、向かい合うデザイアとちょうど鏡写しのようになる。
そこから修一は、僅かに訝しがるデザイアに向けて言い放った。
「デザイア!!」
「なんだ! シラミネ!」
「お前のその剣、本当に良い剣だな!」
「ああ!? それがどうした!?」
「悪いが――、」
そうして修一は、右手に持った鞘を振りかぶり、
「壊れても文句言うなよ!!!」
デザイア目掛けて全力で投げつけた。
回転しながら飛んでくる鞘を見てデザイアは、こんな攻撃になんの意味があるのか分からなかった。
投げたと同時に突っ込んでくる修一を見て単なる目くらましかと思うが、先程の発言を鑑みるに、目の前の黒髪の男は「波濤」を破壊するつもりなのだと分かる。
――そんな事、させるわけないだろうが……!
微かな怒りを伴いながらも、目の前の攻撃には冷静に対処しなければならない。
修一の実力はすでにデザイアも認めるところなのだ。
どんな隠し玉を持っているのか分かったものではないし、これが単なる目くらましではない可能性も十分にある。
デザイアは、飛んでくる鞘を自らの左手に持った鞘で弾き飛ばしつつ、修一の動きを注視する。
なんらかの剣技を使うのか、はたまた組み付いてくるのか、もしかしたら足が出てくるかもしれないコイツ意外と足癖悪いからな、等と考えていたのだが、修一が行ったのはそのどれでもなかった。ただ、右手の指を――。
――――パチン
「うおっ!?」
その瞬間、左手に持っていた鞘がいきなり高熱を帯びた。
咄嗟に鞘から手を離したため火傷することはなかったが、それでも意表を突かれ思わず動揺する。
驚愕とともにデザイアの脳裏に浮かぶのはボガードの死体を焼いた火属性魔術の存在だ。
おそらく、金属加熱魔術を使われたのだろうと思うも、一切の詠唱が無かったことは不可解であるし、なにより思うのは、
――お前が使えたのかよ!?
という事である。
それもそうだろう。食堂で話を聞いていた時、ボガードを始末したのは修一とメイビーの二人であると言っていた。そうなれば、あれほどの規模の魔術を使ったのはエルフであるメイビーだと思うのがこの世界の一般的な考え方である。人間の魔術師でも同程度の威力を出せる者は勿論存在するのだが、いかにも剣士といった風体の修一が火属性魔術(正確には魔術ではないのだが)を使ったとは思わなかったのだ。
そして、手放した鞘が地面に落ちるより早く、修一が間合いに入りながらも緩やかな動きで上段に剣を振り上げた。
その構えから、修一が飛線を放とうとしているとデザイアは察し、この至近距離では流石に躱しきれないと直感する。
だからこそ、否応なく波濤を使う事にした。
飛線と波濤の打ち合いでは、後から出した波濤が先出しの飛線に喰らいついていたのだ。
ならば波濤は、飛線に対し速度で勝る事になり、今まさに飛び出そうとしている飛線を潰す事ができる訳だ。
瞬時にそう考え、デザイアは剣を叩き折ったのと同じ――速度と貫通力の高い――波濤を繰り出そうとし、
「波と――」
修一が、罠に掛かった獲物を見るようにニヤリと笑ったのが見えた。
「――陽炎!!」
デザイアが、技を釣り出されたと気付いた時には既に修一の姿は掻き消えており、誰もいない空間に向かって蒼い光が迸る。
――また背後か!?
突き出した装飾剣の先から視線を巡らせ、背後に振り返ろうとして、
――自分の真横に立つ修一に気が付いた。
「なっ…………!?」
何してやがる、と言いかけてバカな事を口走りかけたことに気付く。
この黒髪の男はついさっき何と言ったのだ。狙いなど、一つしかないではないか!
修一は上段の構えから更に剣を上方に引き上げ、雲一つない晴天に向けて剣の先端を真っ直ぐに伸ばしている。それは剣だけにとどまらず、剣の先端から腕、胴体、両足から爪先に至るまで、一本の棒であるかのように伸び上がり。
――白峰一刀流剣術奥義ノ三、
「破断鎚!!!」
狙いに気付いたデザイアが回避しようとするより速く、突き出された装飾剣の鍔元目掛けて騎士剣を叩きつけた。
伸ばした身体を一気に折り畳むようにして剣を振り下ろせば、まるで落雷のような轟音を立てて二本の剣がぶつかり合い、その直後に金属の砕ける音が響く。
だがそれは。
――嘘だろ!? これで壊せないのかよ!!
修一が振り下ろした騎士剣の刃が砕ける音だった。
武器としての耐久力が桁違いに高いのか、それとも魔剣らしくなんらかの魔術的な要素があるのかは分からないが、叩きつけられた衝撃でデザイアが地面に取り落としてしまってはいるものの、装飾剣の方には傷一つ付いていない。
修一はあまりの強度に言葉を失う。
フェイントも含め奥義を三つも使ったというのに、まさか傷一つ付けられないとは思っていなかったのだ。
そして、デザイアとしてもこれは驚愕すべき出来事だった。
そもそもこの魔剣は術式によって戦闘中は剣から手が離れないようになっている。
そのため自分が戦闘中に装飾剣を手放すなど一度も無かったことなのだ。
だが、修一の技の威力はその術式を上回り、現に自分は剣を取り落としてしまった。
お互いが数瞬の間呆然と動きを止めていたが、
デザイアが先に動き出す。
手から離れてしまったとはいえ、装飾剣そのものは無事なのだ。落ちたなら拾えばいいだけの話だ。
一瞬遅れてその事に気付いた修一は、騎士剣を振り下ろしたままの体勢から今まさにデザイアが拾い上げようとしていた装飾剣を蹴り飛ばす。
デザイアが拾い上げる直前に蹴られた装飾剣は十数メートルほど滑走していきやがて止まる。
お互い、すぐには拾う事ができない位置だ。
――どんな育ちしてやがる! 足癖の悪い奴め!
心の中で悪態を吐く団長がそれを拾いに行こうとする間もなく修一が砕けた騎士剣を振り上げてきた。
それを上体を逸らして躱そうとしたデザイアは、振り上げると同時に剣を放り投げた修一に左襟と右腕を掴まれ、右後方に崩されながら右足を刈られる。
「うらあああああ!!!」
修一渾身の大外刈りが決まり重心が崩れたデザイアはそのまま後頭部から地面に叩きつけられた。
本来なら、頭から叩きつけるなど非常に危険な投げ方だ。
それでもデザイアは投げられた衝撃にクラクラしながらも爛々とした目で一緒に倒れ込んでいる修一を睨み付ける。
そして空いている左手を握りしめると、そのまま修一の側頭部目掛けて左拳を叩きつけた。
力一杯振り抜かれた拳は修一の右こめかみに直撃し、衝撃に堪え切れずに吹き飛ばされる。
「――くあっ、効い、クソッ、馬鹿力め……!」
滲む視界とフラフラする感覚に脳が揺れたのかと思いつつ、修一はなんとか立ち上がる。
数メートル先では、同じようにフラフラしながらデザイアが立ち上がっている。
「はあ、はあ、はあ……、」
「くああ、ああ、はあっ、」
お互いに息が上がり、足をふらつかせてはいるが、戦意が衰えている様子はない。
デザイアの両拳は握りしめられており、修一は、このまま殴り合いになるのかなとボンヤリ考えていた。
だが、いつまで経っても殴り合いは始まらない。
それどころか、デザイアの鼻が何かを嗅ぎ取ったかのようにひくひくと動き、そのままデザイアは右に顔を向ける。
戦闘中によそ見とは呑気だな、と修一が思っていると、次第にデザイアの目が見開かれていき、表情には焦燥の色が浮かんでくる。
そうなると修一も何事かと気になってしまい、デザイアの動向に気を払いつつも横目で左を見る。
パッと目に入るのはこちらの戦闘を見ているノーラたち三人であるが、その三人に特に変わったことがあるようには見えない。
と、そこでふと空を見れば、先程までは雲一つなかったはずの空に黒い雲のようなものが見え、――すぐにそれが雲ではないことに気付いた。
それは、黒煙だ。しかも、かなりの量の黒煙が空に向かって立ち昇っている。
修一がその煙の根元に存在する膨大な熱量を感じ取ったところで、
――――カン、カン、カン、カン、カン、カン、…………、
町中に響き渡るような半鐘が音が聞こえてきた。
半鐘の音を聞き振り返ったノーラたちは、デザイアと修一が向けた視線の先から立ち昇る黒煙を目にし、そしてメイビーがポツリと呟く。
「……え? これって、――――火事?」




