第4章 7
◇
「それで、昨日はどうしたんだよ?
何聞いても曖昧にはぐらかすばかりで、ちっとも意味が分かんなかったじゃねえか。
とりあえず、ノーラがいつもどおりに戻ってるのにはホッとしたが、きちんとした説明をしてくれよ、メイビー」
「だから、何度も言うけどノーラの名誉のためにもそれを話す訳にはいかないんだよねえ。
理由自体は、僕が悪かったっていうか、ノーラの事を見誤ってたっていうか」
「だから、意味が分かんねえって。
ほら、今ならノーラが席を外してるんだし、こっそり教えてくれてもいいだろ?」
今は太陽が中天に差しかかろうとしている時間帯、橙色の猫亭の食堂はすでに大勢の客で賑わっており、二人が座るテーブル以外はほとんど埋まっているような状態である。
昨日のノーラがやけに落ち込んでいた理由を本人がいない間にメイビーから聞き出そうとしている修一と、それを頑なに秘密にするメイビーとの押し問答はすでに朝から何度となく行われているところだ。
修一からすれば、寝て起きて折り紙を渡して、顔を洗って戻ってみれば、ノーラが酷く落ち込んでいたのだ。自分のせいではないかと不安になるのは当然の事といえる。
そしてメイビーも、最近何度となく自らの不用意な言動でノーラを傷つけている事を大いに反省しており、これ以上ノーラの傷口をえぐるようなマネをしたくないのだ。
結局今回も修一は、メイビーから事情を教えてもらう事ができなかった。
そこにノーラが手洗いから戻ってきたのだが、二人の顔を見て昨日からのやり取りが行われていたのだと知る。二人の態度に変化がないことから、メイビーが律儀に黙ってくれていることも。
その様子にノーラは少しだけ安心した。いくらなんでも、自らの経験不足を嘆いていた、などということを修一に知られるのは恥ずかしすぎる。
そして、テーブル上に置かれたメニューを開こうとしたところで修一はノーラに顔を向ける。なにやら、諦念を感じさせる雰囲気だ。
「ノーラ」
「はい」
「……一つだけ確認させてくれ、昨日のは俺が悪かったのか? あんな紙屑みたいな物を渡したからノーラは落ち込んでたのか? 色々言わなくていいから、ハイかイイエで答えてくれ」
「いいえ、シューイチさんは悪くありません」
即答したノーラに、修一は額の傷を掻きながら椅子の背もたれにだらしなく身体を預ける。
「…………そうか、それなら、いいか。
よっし、じゃあもう聞かねえ。悪かったな、言いたくないこと根掘り葉掘り聞いちまってさ。
さあ、飯にしようぜ、飯に」
勢いよく体を起こしながらノーラが開いたメニューをのぞき込む修一。
それを見たメイビーも、同じようにメニューに目を向けた。内心では、修一が諦めてくれて良かったと安堵しつつ昼食を決める。
三人が注文した料理がテーブルに並び始めたとき、修一が思い出したように口を開く。
「そういえばさ、ノーラはこの国の騎士団について詳しかったりするのか?」
「騎士団ですか? 詳しいというほどではありませんが、人並みになら知っていますよ。
そういえば、今この町には第四騎士団の方々が来ていましたね。もしかして、その関係ですか?」
「ああ、昨日からちょっとだけ気になってるんだ。
それで、その第四騎士団とやらの団長さんはどんな人物か知ってるか」
「団長さんって、昨日すれ違った青髪の男の人?」
メイビーが昨日の事を思い出し二人の会話に加わる。
ノーラは気絶していて知らないが、メイビーはきちんと覚えていたようだ。
「すれ違ったのですか?」
「うん、この町に入る前に門のところでね」
「で、どうだ、知ってるのか」
「ええ、もちろん。
自国を守ってくれている方々ですからね、会ったことはなくても顔と名前くらいは把握していますよ。
第四騎士団の団長と言えば、それでなくとも有名な方ですから」
昨日の雑貨屋の言葉を思い出した修一はさもありなんと思う。おそらくこの町の住民の誰に聞いても同じように答えることが出来るのだろう。
「彼は、――十五歳のときに騎士団に入団し、類い稀なる剣の腕で活躍し続けたことで二十歳の若さにして団長になっています。これは、史上最年少での叙勲ですね。確か、団長就任から五年経っているはずですが、一度も悪い噂を聞いたことがありません。
あと、今回のような遠隔地遠征を頻繁に行っていて、どの町の住民にも親しまれているそうです」
「へえ、凄えな」
「メイビーも言っていたとおり青い髪の男性で、瞳の色も同じ色です。メイビーの瞳と比べれば、少しだけ薄いでしょうか?
そういえば、ビアニカ聖国の貴族から求婚されたこともあるみたいですね。本人は断っていますが。男性からより女性からの人気の方が大きいみたいですので、顔立ちもいいんじゃないでしょうか」
「ふうん」
「そういえば、使う剣技と剣の名前をとって“波濤”という二つ名が付いているようですね、一体どのような戦い方をするのかまでは実際に見たことがないので分かりませんが」
「成程ね」
「――あの、きちんと聞いていますか?」
「勿論。まあ、大体どんな人物かは分かった」
――いつも思う事だが、ノーラはこういった知識をどうやって集めてんだろうか。七年前から国を離れている割には自分がいない間の国の情勢をきちんと知ってるんだよな。
あまり深く気にすることでもないと思ったため口には出さない。
元の世界の事を聞かれるとき、時々ノーラの目が怖いくらいに輝いているときがある。修一はその時の様子から想像し、おそらく誰か、ブリジスタの情勢に詳しい人間から頻繁に聞いていたのではないかと思った。
ノーラの知識欲も大概なのである。
「それで、名前は何ていうの?」
二人を置いて自分の分を食べ始めているメイビーがノーラに訊ねる。
「おい、黙って食べ始めてんじゃねえよ、俺も食う。いただきます」
「はいどうぞ。
ええと、名前は確か――」
「――デザイアだ」
「そう、そんな名前で、あれ?」
「あん?」
「え?」
言葉を遮られたノーラが振り返り、修一とメイビーも顔を上げてノーラの後方を見る。
両腰に剣を吊り、紺色の服を着た青髪の男が、いつの間にかノーラの背後に立っていた。いつからそこにいたのか修一には分からなかった。
「俺の話をしてたんだろう? それにしても、なかなか詳しいな。求婚騒動なんて一般には知られてない筈なんだがな」
「あ、貴方は……」
男は、自分に気付いた瞬間に警戒を露わにする修一に視線を向け、それから愉快そうに笑う。
「初めましてだ。
俺の名前は、――デザイア・ドランキッシュ。
ブリジスタ第四騎士団の団長をしている。――そこの黒髪のアンタ、会いたかったぜ」
◇
デザイアが名乗りを上げると同時に今まで賑わいを見せていた店内が一瞬静まり返り、そこから再び店内がざわめき始める。老若男女問わず誰もが団長に視線を向け、同じテーブルの者たちと口々にささやき合っている。
「デザイア団長だ」
「おお、もう帰ってきてたのか」
「話し掛けられてるのは誰かしら?」
「すげー! かっけー!」
団長と同様に修一たちにも自然と視線が集まり、ノーラとメイビーは周囲から向けられる好奇の視線に居心地の悪さを感じる。
だが、そんな事はお構いなしなのが修一だ。
いきなり現れたデザイアに訝しみながらも、よくよく見れば戦意というものが欠片も感じられないことに気付き、とりあえず名乗り返すことにした。
「ご丁寧にどうも。おれは白峰修一だ。
……会いたかった? 俺はアンタに用事が無いんだけどな」
「はっ、よく言うぜ、さっきまで俺の話をしてたくせによ」
「それはそうだが、興味はあっても用事はないんだよ。そして、初めましてじゃあないな。アンタは覚えてないかもしれないが俺はアンタに二回会っている」
そう言うと修一は、手元のパンを掴み大きく口を開けてかぶりつく。二口、三口と口に詰め込み、それからお茶を飲んで流し込むとハアと息を吐く。
「それに、今は食事中なんでな、用事なら後にしてくれると助かるな」
「シュ、シューイチさん!?」
いくらなんでも、騎士団の団長に対する態度ではない。
敬語は使わずとも、人と会話をするときのマナーくらい弁えて然るべきではないのか。
だが、当の団長は先ほどまでと同じく愉快そうに笑っているだけで、修一の無礼に対して何も言って来ない。
そこに、団長の背後からひょろりとした男が近付いてくる。
「団長、そこにいるのが例の彼ですか」
「ん? ああ、コイツだよ。特徴も一致するし、それだけの実力もありそうだろ。何よりも、」
デザイアが鼻をすんすんと鳴らす。
「そいつの剣から、ボガードの血の臭いがぷんぷんしてやがる。間違いないな」
「ああ? ……犬みたいだな、アンタ」
「時々言われるよ、そして俺の用事はその件だ。
ラパックス、お前も座れ。どうやら食事中らしいから俺らも一緒に飯にしようぜ」
部下の返事も待たずに修一たちと同じテーブルに着くデザイア。
ノーラはいきなり隣に座ってきた団長に驚き、副団長は思い立ったが即行動の団長に苦笑しながらも上司の隣に座る。
メイビーは周りからの視線を若干気にしていつもより小さな口で食べており、修一は普段どおりの調子だ。
「他の席が空いてないから相席させてくれよ」
「は、はい、構いませんが」
「おい、どうでもいいが、ノーラにセクハラしたら叩っ斬るからな」
「なんだ、セクハラって?」
「権力的立場を利用して嫌がる異性の身体を触ったり不快にさせる言動をすることだ。
アンタ、ちょっと近いんだよ。もうちょっとノーラから離れろ。ノーラは俺と違ってアンタが隣に座ったら緊張するんだからさ。折角の飯が美味しくなくなるだろうが」
いくらなんでも言い過ぎであろう。ノーラは修一の言動に気が気でない。
こんなところでいきなり斬りかかってはこないだろうが、周囲の人間の視線が少しずつ険悪なものになっていくのが分かる。
敬愛すべき団長に対して非常にぞんざいな態度を取る修一に、店内の何人かが苛立ちを覚え始めているようだ。
おそらく、団長自身が笑って注文を決めていなければ、気の短い者は掴みかかってくるのではなかろうか。
「ここで飯を食うのは初めてだな。ラパックスは食った事があるか?」
「いや、私も初めてです」
「今俺が食ってる鶏肉の香草焼きはイケるぞ」
「お、そうか、なら俺もそれにしようか」
そして、団長たちの会話に平気で割り込んでいく修一に戦々恐々としながら、ノーラは料理を口に運ぶ。
実際、この宿の料理は美味しい。美味しいのだが。
――団長さんよりも、シューイチさんのせいで味がよく分かりません。
ノーラからすれば、騎士団の団長に対しても本当に態度が変わらない修一の方が、よっぽど恐ろしかった。
その後全員の食事が終わり、食後のお茶を持って来てくれたところで、デザイアが話を切り出す。
「さて、食事も終わったんだ。そろそろ俺の用事を聞いてもらおうか。
と言っても大した用事じゃない。ひとまずアンタらが一体何の目的でこの町に来たのかを教えてもらえるか」
「だってよ、ノーラ」
「だってさ、ノーラ」
「え? はい、えっと、実はですね、」
二人から同時に言われたノーラは、団長たちに対して自分たちの目的や身分を説明していく。
ただ、修一の出自に関してはノーラも詳しく聞いておらず遠くの国の生まれだとしか分からない、と答えることにした。たまたま危ないところを助けて貰ったのが縁でそのまま護衛をしてもらっているという説明も嘘ではないため、団長も特に不自然さを感じていないようだ。
「――という訳でして、私たち三人は首都スターツにある私の実家を目指しています。
この町に来たのもその道中というだけの事で、明日には首都に向かう馬車に乗ってこの町を発ちます」
「そうか、成程な、よく分かった」
「満足したかい、団長さん」
「ああ、しかし驚いたな。まさかアンタが、かの大商会のご令嬢だとはな」
「んん? どういう事だよ?」
デザイアの言葉の意味が分からず、修一が聞き返す。その様子を見たラパックスが代わりに答えた。
「レコーディア商会といえば、国内有数の大商会ですよ。国家間貿易の大半を担ってくれていますし、我々騎士団をはじめとする国内のいくつかの組織も装備や補給の面でお世話になっています」
「マジか。それじゃあ、ノーラって本当にお嬢様なんじゃないの?」
「へー、僕も知らなかったなあ」
デザイアはそんな修一たちに呆れた様な声を出す。
「そんなことも知らずに一緒にいたのかよ、シラミネ」
「ああ、ノーラの親父さんが商売人だってのは知ってたけど、そんなデカいトコだとは思わなかったからな。
……ところで、白峰って苗字呼びするのは別に構わないが、それなら俺の方も遠慮せずにデザイアって呼んでいいか?」
「シューイチさん、いくらなんでもそんなこと、」
「いや、別にいい、どう呼んでもらってもいいぜ。きちんと呼んでくれるなら構わない、さ」
「? そうか」
「ああ」
なにやら少しだけ伏し目がちになったデザイアを見て疑問に思うも、すぐに元に戻ってしまったため修一はそれ以上追及しない。
そしてメイビーが、気になっていたことを団長に問う。
「ねえねえ、そもそもどうして僕たちに会いに来たの? 確かに僕たちはボガードを退治して報奨金を貰ったけどさ、別にデザイアさんたちの仕事を奪おうとか思ってたわけじゃないよ?」
「それについても用事の内だ。
まず、ボガードを退治してくれたことについては、とやかく言わんさ。誰が倒そうと危険な魔物がいなくなるならそれでいい。
だが、その手段が分からなかったからな、教えてもらいたいんだ」
「手段つっても、剣と魔術でバラバラにして、残った死体を燃やしただけだぞ?」
「お前一人でか?」
「僕も一緒に戦ったよ!」
メイビーが仲間外れにするなとばかりに手を上げる。
デザイアはその姿に思わず苦笑してしまった。
「ああ、悪かった、それでも二人か、強いな」
「へへーん!」
「メイビー、落ち着けよ」
そしてデザイアは、周りに聞こえないくらいの極々小さな声で呟く。
「…………本当に、強いな、特にシラミネ、お前――」
「うん?」
「――今までに何人、人を殺した?」




