第4章 6
◇
日も暮れ、町にぽつぽつと魔導ランプの明かりが灯りはじめたころ、ノーラとメイビーの二人が宿に戻ってくる。
二人は荷物を自分たちの部屋に置くと、修一がいるはずの部屋に赴いた。
「ただいま戻りました」
「ただいまー、あれ、シューイチってば寝てるの?」
二人が声を掛けても修一は動こうとせず、静かに寝息を立てている。普段とは違って起き出す様子もない。
代わりに、足元で丸くなっていた猫が身を起こしグーっと伸びをしたかと思うと、とことことノーラたちの足元を抜けて階下に下りていく。
「灯りも点けずにいるって事は、完璧に寝てるね」
「そのようですね。
おや、あれは何でしょう?」
ノーラが指差す先にメイビーも視線を向ける。
暗くてよく見えないが、机の上に何かが置いてあるようだ。
「何だろう? えっとランプのスイッチは、これか」
「あ、ちょっと、シューイチさんが寝てる、のに?
……何ですか、それは?」
「……これ、シューイチが作ったのかな? ――凄いよこれ、どうやって作ったんだろう」
メイビーが室内に入っていき、机の上に置かれた花瓶を興味津々といった具合に眺める。
ノーラも、メイビーに注意することを忘れて花瓶に挿された花を見つめ、ゆっくりと室内に入っていった。
そこにあったのは、十数輪もの白いバラの花だ。
全て、修一が折っていた折り紙である。本当は色紙を使って色とりどりのバラを折りたかったようだが、白色しかなかったため自然とこのようになった。
これは、修一が高校二年生の時に本を読んで覚えたもので、指が覚えるほどに何度も練習したことにより今でも折ることが出来るのだ。ちなみに、これを考案した人物の名前を冠した名前が付いているらしいが、その辺りは修一も覚えておらず、単純に『バラ』と呼んでいる。
花瓶の周りには修一が折っていた鶴などが散乱しており、いずれもノーラたちが見たことのないものであった。
そもそも、この世界では折り紙という技術がそこまで発達していない。
簡単な装飾や包装などで紙を折ることはあっても、とことんまで芸術性を追求する折り紙や数学的な見地から考案された折り方というのは、この世界には存在しないものだ。
だからこそ、メイビーはその出来栄えの美しさに目を奪われているし、ノーラは見たことのない手順で折られた紙を興味深そうに眺めては、折り方を調べるために開こうとしている。
「これ全部修一が作ったんでしょ、見かけによらず器用だよねー」
「ええ、このバラもそうですが、こっちの立体はどうやって折ってるのでしょうか? どう考えてもこれの折り方が分かりません。おそらく、何枚かの紙を組み合わせているのだとは思うのですが」
メイビーが目についた折り紙を次から次へと触っていく。
まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のような行動である。
「あ、こっちのはカエルかな? おお、凄いよノーラ、このカエルちゃんと跳ぶよ! ほらほら!」
「わ、本当ですね! 何でしょうか、シューイチさんがこんな事できるとは思いませんでした」
「だよねー、剣持って戦ってる時も楽しそうにしてるけど、案外こういう事も好きなんだねえ。
ただ、似合わないよねー、こういうの、ノーラもそう思わない?」
「まあ、意外といえば意外ですね、似合うかどうかは別の問題だと思いますが」
「えー、でもでも、結構大雑把なシューイチが、ちまちまとこんな物作ってるとこ想像したら可笑しくない?」
「それは、……ふふっ、確かに」
「でしょう!」
二人は修一が折り紙を折っている光景を想像し、押し殺したような声で笑い合う。
横のベッドで寝ている修一を起こさないように、一応気を使っているのだろう。
だが、そもそも起こさないつもりなら灯りを点けるべきではなかったし、笑い声以前にすぐ横で騒がれれば嫌でも目が覚めるというものだ。
だから、修一が目覚めた時には既に二人とも静かにしており、先程の二人の会話を修一が一切聞いていなかったのはお互いにとって幸運なことであった。
「うあ、あ~、……あれ、ノーラか。今何時だ?」
「あ、起きた? もう夕方だよ」
「ごめんなさいシューイチさん、騒がしかったですか?」
「うんにゃ、ちょうど目が覚めた。ちょっと顔洗ってくる」
そう言って修一が立ち上がろうとしたとき、机の上の花瓶が目に入る。
修一は額の傷を掻きつつ、ちょうどいいやと思いながらその花瓶を掴むと、そのままノーラに花瓶を手渡した。
「あの、これは?」
「いや、俺の部屋にあっても邪魔だから、ノーラたちが欲しいならやるよそれ、元々そのつもりだったし。
要らないなら、その辺のゴミ箱にでも捨てといてくれ」
「捨てるだなんて、そんなこと」
「じゃあ、やる、プレゼントだ」
「ねえねえ! それなら僕はこっちを貰ってもいい?」
「いいぞ、折るだけ折ったら、使い道なんてないからな。
あと、そっちの鶴は他にも色んな形があるから、また明日にでも折ってやるよ。どうせ紙は余ってるしな」
「やった! それじゃあ、これと、これも……」
自分の欲しい分を選び始めたメイビーを横目に、修一は洗面所に向かう。
その間にノーラは花瓶を、メイビーは選んだ折り紙を持って自室に戻ると、それを机の上に飾る。
もともと荷物といえるものがノーラのカバン位のものであり非常に殺風景な部屋であったが、模造品とはいえバラの花が飾られたことで華やかさが増した。
「本当に、どうやって折ってるんだろうねえ」
「ええ、私も今度教えてもらいたいものです」
「うーん、――ノーラがさ、お礼にチューしてあげるって言ったら教えてくれるんじゃない?」
「なっ!? ゴホっ、ゴホっ!」
「うわ! 何でむせるのさ!」
「――失礼しました、ですが、メイビーが変な事を言うから……」
こほこほと咳を続けながらメイビーを睨むノーラ。
それに対しメイビーは、ニヤリといった表情を浮かべている。
「ええー、チューって言ってもそんな舌を絡めるような情熱的なやつじゃなくて、おでことかに気軽にしてあげればいいんじゃない?」
「舌……、いえ、まずどうして私がシューイチさんにキ、キスをしなければならないのですか?
そもそも、そんな事しなくても普通に頼んだら教えてくれると思いますが」
「それはそうだけど、それだとほら、シューイチが得しないでしょ」
「得、ですか?」
「そう、得だよ。まさかノーラ、こんな凄い事を教えてもらうのに何も対価を払わないというつもりなの?」
「いえ、そういうつもりでは、ですが」
「じゃあ、良いじゃんキスぐらい、まさか初めてって訳じゃないんでしょ?」
その途端、ノーラは苦いものを舐めた時のような顔で唇を引き結び、言葉に詰まる。
「っ…………」
「……あれ、ノーラ?」
そして、その様子から何かを察したメイビーは、先程からの楽しそうな表情をやめ、真顔でノーラを見つめる。
「…………――メイビーは、」
「ん?」
「――経験があるのですか?」
その視線に耐えきれなかったノーラは幾許かの期待を込めてそう尋ねるが、メイビーは下腹部に手をやりながら、いつもの調子で答える。
「そりゃあ、僕も下の方はまだだけどさ、キスくらいなら母さんとかとよくやったし、おでことか頬っぺたとかなら、集落の男の子ともしたことあるよ。まあ、年下の子たちばっかりだったけど」
「……そう、ですか」
ベッドに腰を落とし顔を伏せる事で見た目にはっきりと落ち込んでみせるノーラに、メイビーは顎に手を当てて思案する。
――普段は頼りになるけど、意外なところで経験不足なんだねえ。ノーラくらい美人なら相手なんていくらでもいるだろうし、まさかここまで初心だとは思わなかったな。学院を卒業するくらいだから、勉強ばっかりしてたのかも知れないけど、それにしてもこれは……。
そうこうしていると、洗面所から修一がやってきた。
何やら落ち込んでいるノーラと、珍しく頭を使っている様子のメイビーを見て何事かと思ったが、すぐにメイビーから何でもないと言われたため、追及はしなかった。
普段なら何も考えずに聞いていたかもしれないが、どことなく不穏な空気を感じ取ったのだ。
修一も、数日一緒にいれば相手がどういう状況なのかは何となく分かる。
そしてこれは、あまり触れてはいけない類の雰囲気だ。
だから気になりつつも、そのまま自分の用件を告げる事にした。
「なあ、夕飯は一階の食堂でいいよな、今から外に出るのはちょっと時間が遅いし」
「うん、それでいいよ。そうだ、それなら先に下りて席を取っておいてよ、僕らも部屋を片付けたらすぐに下りるからさ」
「ああ、了解だ」
そうして階段を下りていく修一を見送った後、俯いたままのノーラを放置したままメイビーは、机の上の折り紙を全てカバンに放り込み、それを自分の肩に掛ける。
そのズシリとした重さに少しだけよろけそうになるが、気にせずノーラに声を掛ける。
「ノーラ」
「…………はい」
「さっきは僕も少しだけ無神経だったかもしれないけどさ、そんなに落ち込まなくてもいいんじゃないかな。
別に、僕はノーラの貞淑さを笑うつもりはないし、それは心に決めた人が出来たときまで取っておけばいいんだから」
「……はい」
「さあ、修一が待ってるし、ご飯にしようよ。それでその後は公衆浴場で体を綺麗にして早めに寝ちゃおう。
うん、それが一番だよ」
「そう、ですね」
結局、ノーラがいつもの調子を取り戻したのは翌朝になってからの事であり、流石に心配になった修一が夕食の最中や風呂上がりなどに理由を訊ねたが、ノーラもメイビーも曖昧に苦笑するだけで理由を答えなかったため、修一は自分が何か悪いことでもしただろうかと悩みながら床に就く事になったのだった。
◇
ここはサーバスタウンの中心にほど近い場所に建てられたブリジスタ陸軍の兵舎の一角であり、ここを一時的に借りることで第四騎士団は町に駐留している。
そもそも騎士団という組織が、一般の団員を陸軍から徴収する仕組みとなっているため、陸軍と騎士団の仲は基本的に良好である。
それどころか、兵士の中には騎士団への入団を目指して日々鍛錬をしている者もおり、そうした者からすればこのように憧れの存在が身近に来てくれるというのは喜ばしいことなのであった。
第四騎士団に在籍する騎士の内、百名近い騎士たちが今回の遠征に従事しているのだが、騎士たちは皆静かに夜を過ごしている。
常駐の兵士たちと酒を酌み交わすものや、雑談に花を咲かせるものなどがちらほらといるが、それももうすぐお開きになるだろう。
その中で団長だけは昼間と同じ紺色を基調とした服を着ており、腰の剣は二本とも壁に立てかけているものの、何かあればいつでも飛び出せるといった格好である。
「失礼します、団長」
「ラパックスか、入れ」
夜も深まり表の通りも静まり返ったころ、第四騎士団の団長が使用する寝室を副団長が書類を手に訪れる。
ラパックスというのは、ひょろりとした三十代後半の副団長の名前だ。
団長は備え付けの椅子に腰かけたまま部下の報告を聞くことにし、副団長も上司に歩み寄り手元の書類をめくる。
「で、どうだった?」
「はい、この町の役所に確認したところ、本日の昼ころに黒髪の男が来たそうです。その男は、袋一杯に詰まった耳を取り出して報奨金を要求したらしく、職員はその場でお金を渡しております」
「その耳が、ボガードたちのものだった、と」
「全部で二十三体、しかも、一際大きいものがあったそうで、おそらくボガードコマンダーのものではないかと判断され、金貨三枚を超える報奨金が出されています。
それと、町の武器屋からも男からボロボロの武器を大量に買い取ったという話が入ってきています」
団長は腕を組み、唸る。
「うーむ、思った以上にやるようだな。だが、それを今日持ってきたという事は、そいつはまだこの町にいる可能性が高いという事だ。その男の特徴は?」
「この辺りでは珍しい黒髪黒目の男で、歳は若く見えたそうです。
額に傷跡があり、剣を吊っていたとのことですが、名前を名乗らず報奨金を受け取ったらすぐに立ち去ったそうですので、それ以上のことは分からないようでした」
「ふむ」
一つ頷き、青髪の男は部下に対して指示を出す。
「ひとまず明日は、門番勤務の兵士たちに話を聞こう。
黒髪の男などそうそう見かけるものではないし、ここ数日以内にこの町に来たのなら誰か覚えている者がいるだろう。
その黒髪の男が素直に門をくぐって町に入っているのなら、だがな」
「はっ」
「それと、――エイジャの奴にも念のため連絡を入れておけ。
確か、ここから西へ五十キロほどの小さな村に別件で来ているはずだ。
もしこの町を既に出ていればかち合う可能性がある。
鳩か、なんなら鏡を使ってもいい。一言伝えておいてくれ」
「承知しました」
敬礼をした後部屋を出て行った部下を見送ると男は立ち上がり、立て掛けてあった愛用の剣に歩み寄る。
二本のうち、特に丁寧な装飾が施された方を手に取るとそれを一息に引き抜いた。
鞘から飛び出した剣の刃は銀色に輝き、光の当たり方によっては淡い蒼色が混ざって見える。
しばらくの間その刃を眺めながら意識を集中させていた団長は、やがてゆっくりとその刃を鞘に収めると壁に立てかけた。
こうして、サーバスタウンの夜は更けていく。




