第4章 3
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「何? 魔物が一体もいない?」
「はい、団長。一週間ほど前からそこの森の中に棲み付いているとの話だったのですが、今のところ一体も発見できてません」
部下に団長と呼ばれたのは、精悍な顔つきをした二十代半ばの男である。
そして彼を団長と呼ぶのは三十代後半のひょろりとした男であり、彼が団長を務める第四騎士団で副団長の任に就いている者だ。
「情報が間違ってたってのかよ?」
部下たちからの情報を統合した副団長の報告を聞き、思わずそう聞き返す団長。
そんな上司の言葉を、副団長は首を横に振って否定する。
「いえ、あの方が指揮する斥候部隊が、間違った情報を持ってくるとは思えません。
魔物がいないという事はありえません」
「それもそうか、しかし、それなら何故姿を見せないんだ?
今回俺らに討伐指令が下った魔物は非常に好戦的な性格のはずだろ。
俺たちの姿を見たら確実に襲い掛かってくると思うんだがな」
団長は、自らの青い髪を掻き上げながら悩ましげに眉を寄せる。
そもそも今回の討伐対象である魔物――ボガードは、人間を見れば必ず襲い掛かってくるような魔物であり、その危険性から早急かつ確実な討伐が求められるとして、冒険者連中ではなく騎士団に話が来たのである。
そして、国内警戒中の騎士団の中で最も近くで活動していた第四騎士団が討伐に向かう事になり、この場にやってきたのだ。
だが、いざ来てみれば魔物の姿など影も形もなく、先程から部下を班ごとに分けて森の中を捜索させているのだが、未だに発見できない。
これでは、何のためにここまで来たのか分からない。
そうしていると、一人の騎士が森から出てきて団長の下に駆け寄り、敬礼しながら発言する。
「失礼します、団長」
「どうした、魔物が見つかったのか?」
そうであってほしいと思いながらも、部下の表情からそうでないことは容易に察することが出来た。
案の定、部下は困ったような顔をしながら、魔物は見つかっていないと答えたが、その後に続いた言葉に団長は表情を変える。
「いえ、魔物は見つかっておりません。ですが、代わりに魔物の棲み家と思われる場所を発見しました。
この森に魔物がいるのは、間違いないと思われます」
「そうか、やはりボガードどもはいるんだな。
ご苦労だった、引き続き捜索してくれ」
「はっ、失礼します」
踵を返して再び森の中に入っていく騎士を見送りながら、団長は隣にいる年上の部下に愚痴をこぼす。
「この森に魔物がいるのは間違いなさそうだが、それなら姿を見せない理由が分からんな、いよいよもって謎だ」
「そうですね、棲み家まで作っているのなら、余程の事がなければそこを離れる事はないでしょうね」
「余程の事、か。例えば、どんな事が起きれば棲みかを捨てて逃げ出すだろうな」
団長の問いに、副団長は首を捻りながら考える。
「うーん、ここよりももっと棲み易い所を見つけてそこに移ったとか、はたまた自分たちを脅かすような存在が現れて逃げ出したとか、後は、」
「――逃げ出す間もなく全滅した、とかか?」
団長の発言に怪訝な顔をする副団長だったが、上司の表情を見てすぐに冗談を言ったのだと気付き、笑いながらそれに応じる。
「はは、そんな化け物が現れたのなら、そちらの方が問題でしょう。
ドレイクカウントやヴァンパイア、リッチーにドラゴン、他にもボガードの群れを壊滅させられる種族はいくつか存在しますが、そんなのがここにいるとなれば、私たちだけで討伐するのは少々厳しくなりますよ。待機している連中や他の騎士団を応援に呼ばなくてはなりませんね」
「分かってるさ、そんな事。ちょっと言ってみただけだ」
そんなやりとりをしていた二人の間を、少し強めの風が吹き抜ける。
日差しの強さはまだまだ夏のままだが、間もなく秋になるという事を実感させるような涼しげな風が吹き抜けたことで、副団長は僅かに表情を和らげる。
団長も、風が頬を撫でる感触に目を細めていたのだが、風に混じってかすかに漂ってきた臭いを嗅ぎ、目を見開く。
「団長?」
そんな団長の様子を見て副団長が疑問符を浮かべるが、団長は呼びかけに答えることなく風の吹いて来た方角を向いてしきりに鼻を鳴らす。
そして、唐突に自分の馬に駆け寄るとそれに飛び乗り、風の吹いてきた方角に向けて歩き出し始めてしまった。
上司の不可解な行動に首を傾げる副団長であったが、ひとまず付いていくべきだと思い直し、自分も馬に乗って団長を追う。
団長は一言も発せず馬を歩かせ続け、数分ほどして立ち止まる。
その後ろに従うように副団長も馬の足を止め、周囲を見回す。
すぐに分かるのは、街道と森が非常に近くなっているということであり、距離にして精々三十メートルほどしかないという事か。
街道と森の間は短い草が生えており、森と街道の中間くらいのところでは、むき出しの土と草でまだら模様のようになっている。
と、そこで、団長が口を開いた。
「あの辺り、草が所々生えてないな」
「え? ええ、そうですね、まだらになってます」
「それと、なんだか焦げ臭いと思わないか」
「言われてみれば確かに、物が燃えた様な臭いがしますね」
そこまで言われて副団長も違和感を感じた。
よくよく見れば、土が見えている部分は茶色というよりも黒色であり、その土の周りの草も黒く焼け焦げた様な跡がある。
焚火の後なのかと思ったが、焚火の後にしては燃えている範囲が大きく、なにより数が多い。
少なくとも、まだらになっているところは二十か所以上あるのだ。
それに、燃え残りなどが一切残っていないのも不可解である。
通常、物を燃やせば燃えカスや灰などが残るものであり、焦げた地面だけが残っているということは、それらを持ち去っているという事だと考えられる。
しかし、わざわざそんな手間を掛ける理由が分からない。
副団長がここまで考えたところで、団長がぽつりと呟く。
「これは、――もしかしたら、さっきの予想が当たったのかもしれないな」
「と、言いますと?」
「おそらくボガードたちはここで戦闘を行い、そして全滅したんだ」
「なっ!?」
副団長が驚きの声をあげる。
青い髪を掻き上げた団長は、目の前の状況から推測される事実を淡々と告げる。
「ボガードどもが何と、いや、誰と戦ったのかは分からんが、そいつは、おそらく二十体以上のボガードたちを骨も残さずに焼き払い、殺し尽くした。
土がむき出しになっている所はボガードを焼いたときに一緒に焼けたもので、更に言えばここに来てから薄っすらと血の臭いもするようになったから、もしかしたら斬り殺すなりした後で死体を燃やしたのかもしれないな」
「ま、待ってください! 骨すら燃やし尽くす炎など普通ではありませんよ!
一体どこの誰が、そんなことを出来るというのですか!?」
副団長の言葉に団長は不機嫌そうに言い返す。
「分からんって言ってるだろうが。
だが、ボガードどもが逃げ出すことなく戦い続けたんだから、相手は人だろうな。それも、高位の火属性魔術が使える奴だ。この焦げ跡は、瞬間焼却魔術か?
相手が他の魔物だったりしたら何体かは逃げ出したかもしれんが、地面を見る限り焦げ跡はこの辺りに固まっているし、やはり逃げた奴がいたとは考え難いな」
青髪の男は馬に乗ったまま地面を確認していき、自分の推測が間違っていないことを確信していく。
じっくりと見てみれば、ぽつぽつと黒ずんだ血が草に付いているし、所々には踏み込みの跡がある。
おそらくボガードたちと戦った際に付いたものだろう。
副団長もその事に気付いたため、団長の言っていることが冗談ではないのだと解る。
「靴跡は、二人……いや三人分か、少ないな。
つまり、たったそれだけの人数でこんなことをできる奴らがこの辺りを通りかかったというわけか。
たいしたモンだが、さて、どうしたものか」
そう独りごちた団長は、自分の後を付いてくる副団長に向き直る。
「おい、こいつらはどうしてここにいたんだろうな」
「こいつらというのは、ボガードたちを倒した者、という事ですか?
さあ、何故でしょうね、私にはなんとも……」
「まあ、分からんよな。俺にも分からん。だが、」
そこまで言って、団長の目つきが一気に鋭くなる。
髪と同じ青色の瞳に射抜かれて、副団長は思わず身を竦めた。
「ここは、ブリジスタの国内で、俺たちはブリジスタ第四騎士団だ。
この国を守るのが俺たちの仕事だし、起こりうる危機は未然に防ぐ必要がある。
こいつらが何者かは知らんが、魔物の群れを全滅させられるだけの戦闘能力がある以上、警戒が必要だ。
お前がさっき言ってた化け物程とは言わんが、少なくともボガードの群れ以上には厄介な存在だろうが」
「は、はい」
男は、団長の鋭い眼光を受けながらもなんとか返事を返す。団長はむやみに怒鳴ったりするような人間ではないが、眼光の鋭さは凶暴な獣のそれと変わらず、相対する人間の心を震え上がらせるものだからだ。
副団長も、団長の眼光に射抜かれれば、目の前の男が自分より十歳以上も若いとは到底思えなくなるのだった。
「ひとまず、サーバスタウンに戻るぞ。
こいつらがどこに行ったかは知らんが、この街道を通ったという事はサーバスタウンに向かった可能性がある。
こいつらの目的も分からないし、いつここを通ったのかも分からないが、こいつらが既に町の中に入っているとすれば厄介だ。
たまたま腕の立つ冒険者が通りかかって退治してくれたのならそれでも構わないが、こいつらが悪人ならば町の中で何をしでかすか分からん。というより、俺たちが町から出て行くのを待っていて、今まさに何か悪さをしているかも知れん、くそっ!」
悪態を吐いた団長は、時間が惜しいとばかりに馬を走らせ始め、副団長も慌ててそれに続く。
途中、二人は森で捜索していた騎士たちに駆け寄り、驚く部下たちに対して先に町に戻る旨を告げ、「そちらは集合し次第隊列を組んで戻ってくるように」と指示を出す。
そこから再び駆け出し、数キロ先にある町に向かって全力で馬を走らせる。
団長は、単に自分の考え過ぎでボガードを倒した者が至極まっとうな常識のある人間である可能性も十分にあると、きちんと理解していた。
が、万が一を考えればここで馬の足を緩める訳には行かなかった。
ボガードの群れ、しかも二十体を越える数を全滅させられるという事は、もしそいつらが町中で暴れ出した時、町の兵士たちでは対応できないという事だ。
そうなれば、町にどれだけの被害が出るか分からないし、大勢の住人が犠牲になるかもしれない。
「――それだけは、絶対に避けなければならない」
表情を険しくした団長は、自分の想像が外れていることを祈りながらも更に馬を加速させるのだった。




